前3回で、一応、文化資本であるふたつの博物館訪問の旅は終わった。前にも述べたように、文化資本は多面的な効果をもっているのが普通である。そこで、今回はそれらの総括として、この地域での重要な経済商業活動としての観光と文化資本との関係を考えてみたい。
このコラムでは、島根県東部(松江市および出雲市とその周辺町村)と鳥取県西部(米子市・境港市とその周辺町村)をその対象に考えているが、その代表としてまずは松江市の「観光都市」の状況を考えてみよう。松江市には「松江国際文化観光都市建設法」(1951年)が制定されている。これは、京都市や奈良市と同様に、松江市の美しい都市景観や文化を国際的に発信することを目的に制定されたものである。同法一条には、「同市を国際文化観光都市として建設し、その文化観光資源の維持開発及び文化観光施設の整備」をすることによって、国際文化の発展に寄与することを目指すという崇高な理想が掲げられている。松江市には、宍道湖畔の美しさ、松江城、武家屋敷など歴史文化資源が豊富にある。前回取り上げた小泉八雲記念館もそのひとつである。
松江市は、これまで確かに観光都市として大きな成果を挙げてきた。平成14年度では、460万人程度の観光客を集めている。出雲市およびその周辺まで広げると、一年間の観光客は1,000万人近くとなる。これからすると、松江市は観光都市の名にふさわしいといえよう。
さらにその観光の魅力を高めるために、この10年、様々な観光資源を開発してきた。たとえば、県立美術館、ルイス・C. ティファニー庭園美術館、松江フォーゲルパーク(花と鳥のテーマパーク)などである。また、その周辺市町村にも多数の施設がオープンしている。一言で言えば、ハコモノ的な大型の文化資本を積極的に投入してきたのである。
しかし、松江圏の観光の状況は大きく言うと、伸び悩んでいるといえよう。これだけ、文化資本を投資したにもかかわらずなぜ観光客の増加が伸び悩んでいるのだろうか。その理由はいくつもあろうが、ここではふたつの理由を考えてみたい。
そのひとつは、国民所得の伸び悩みが考えられる。景気の低迷が長期間続いたことにより、観光がいわゆる「安・近・短」の傾向を示している。すなわち、旅行費用が安く、近場で、短期の旅行を志向しているという。確かに、所得が伸びない中、贅沢な旅行は手控えられる傾向があろう。この傾向は、松江圏には都合が悪い。なぜなら、観光の巨大な消費者がいる東京圏および関西圏からはかなり離れているからである。
いまひとつは、これまで作ってきた文化施設の利用が一巡したことが考えられる。文化施設は、その施設内容を頻繁に変えることが普通はできない。すると、一回利用すると、目新しいことが無い限り、二回、三回と利用を重ねることが少なくなろう。
これを、経済学的に表現するとこうなる。松江圏にいくには相当の「トラベルコスト」がかかる。お金もさることながら、時間がかかる。訪問回数を増すためには、そのトラベルコストを上回る効用(喜び)が必要である。しかし、今見たように、施設内容が変わらなければ、その二回目以降の効用は普通漸次低下する。しかし、財政逼迫が強まる中、積極的な投資ができない状況に至っている。
そこで、県・市は、観光アピールに乗り出している。様々なキャンペーンを展開し、広域観光ルートの設計もおこなっている。確かに、ある大手旅行会社の調査によると、松江市はあまり期待していなかったが行ってみると存外によかったという結果であるという。これは救いである。松江のよさが十分に伝わっていないのであるから、様々なメディアを使った広告・宣伝活動をすれば観光客が増加する可能性はあるといえよう。この面では、地味な県であるので、大いにアピールをすることは賢明な戦略といえよう。
しかし、それも限度があるのではないだろうか。なぜなら、何度も足を運ぶためには、それなりの理由が必要であるからである。先の表現を使えば、2回、3回と訪問することによる効用の逓減を抑え、かえって、逓増させなければならないであろう。これは、宣伝によっては実現し得ないのである。
ではどうするか。そこで、「文化資本クラスター」の形成が望ましい長期戦略であると考えるのである。私事で恐縮であるが、筆者は日本の全県および主要な都市に行ったことがある。ある意味、旅行オタクであるかもしれない。その目からみると、今の観光地の状況は、ただそこに文化施設・文化財が転がっているという状況である。管理されているモノを眺める程度がほとんどである。近時は、これに「体験型サービス」が付け加わることがあるが、それも十分とはいえない。
この地域には、潜在的基盤的な文化資本が多数存在していることはすでに述べたが、それが十分にコンテンツ化されていないのである。ようするに、観光客にはモノ(外形)しか見えないのである。この手の文化資本の内実は、「インタンジブルでインビジブルなもの」(形のない目に見えないもの)であるからこそ、歴史・文化・風習に対して形を与えなければならないのである。それは、つまるところ、コンテンツ化に他ならないのである。
目に見えない怪異なものに形象を与えたのが、水木しげる氏であった。日本の目に見えない古い精神性に言葉を与えたのが、小泉八雲であったのである。表現方法は異なるといえども、それらをコンテンツ化することによって、時代を超える文化資本として価値財化したのである。では、どのような文化資本クラスターをこの地に作ればいいのだろうか。
| 図表 文化資本クラスター(仮想世界)の多層性と多重性 |
 |
まずは、それぞれの地域に根ざした文化資本クラスターを形成しなければならない。それぞれのクラスターにはいろいろの状況があろうが、まずは多くのコンテンツがそこに賦存していなければならない。ただそのためには、文化資本の集積コストがかかる。行政がそれを行うには限界がある。そこで、市民がそれぞれの地域に根ざしたコア文化資本を見つけ出し、これを市民自らが集積させなければならない。そのためのツールとしては、今大きな発展を遂げつつある、「コミュニティ形成ツール」としての「ソーシャルネットワーキング・ツール」の利用が有効であろう。豊かな発想と深い知識をもつ市民が核となり、多くの市民が参加しながら、コンテンツを集積するのである。
しかし、小さいコミュニティでは、大きな力を生み出せないのも事実である。そこで、M・グラノベターの「弱い紐帯の強さの理論」を採用するのである。具体的には、それぞれの強い地域コミュニティをネットで結び、互いが刺激しあいながら、共鳴するのである。小さい市民の文化共鳴がいくつも干渉し合えば、大きな地域の精神文化の再興運動につながるだろう。この地域には、それを作り上げる基底的で非顕示的な文化資本が無数に眠っているのである。それがこれまでに投入してきたモノ型文化資本も生かす道でもあろう。たとえて言えば、素晴らしい器に山陰の美味なる海の幸・山の幸を盛ることである。
この地の悠久さに触発されてちょっと大げさに言えば、「出雲精神文化圏」を、1,500年の歴史を超えて作り出す壮大な取り組みといえよう。ただ、市民が楽しみながらコンテンツ・コミュニティを作り出すのであるから、肩肘の張らない実践的な取り組みでもある。
(大阪市立大学 近勝彦)