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あけてくれ - おれカネゴンの「算数できんのやっぱり気にしすぎとや」日記
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[あけてくれ]

●日記の内容をくれぐれも本気にしないでください。ほぼ何にも調べずに書いています。

●何を言っているのかよくわからない場合はとりあえず用語集を参照してください。

●時々同じ事を何度も書いています。心配するだけ無駄だと思うけど。

●敬称略。

●おしゃべりがどうしても治りません。

●リンクは御自由に(リンクを外すのも含め連絡不要です)。

●ここに書かれていることや文章の形式などはごっそりパクっても構いません。

●万一ここに書いてあることが何かの間違いでありがたく見えてしまうときは【あるわけなかろうおれカネゴン】、あなたの精神力が弱っていますので視聴を控えてください。危険です。

●もしここからリンクされると格が下がる/貫目が落ちるとお嘆きの場合はご連絡いただければ外します。

●日記インポート時のエラーがそこここに残っていたり恥ずかしくていたたまれない箇所があったりするので、折に触れて過去の日記も書き直しています。


始末書詫び状領収書の書き方をお探しの方ははてなアンテナの質問を参照してください。

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2001年06月30日(土)


今日の頭音「Turcus」Emerson, Lake & Parmer

日記でおなじみseed氏と吉祥寺にて呑む。主に人工知能を議題にしたような気がする。翌朝案の定頭痛。現在も下し気味である。

火星のつむじ風。何と美しい。ヒデキ指数=250。

火星を飯の種にしていると言えばレイ・ブラッドベリだが、パスファインダーが火星に到着したときに感想を聞かれて「火星人なんかいるわけないじゃないか、ばかばかしい」と答えて世のファンをずっこけさせた。スピルバーグにも通じるしたたかさなり。小説家は嘘を書くのが仕事につき、ファンが思っているほど作者がギンギンに思い入れていなくとも仕方なし。

日本だと宮澤賢治および稲垣足穂あたりが過剰な思い入れの対象になりやすい。花登匡や川内康範、梶原一騎・真樹日佐夫、山本周五郎、山田風太郎はなぜかそういう対象にならないようである。世は全て事もなし。

守護霊占い。カネゴンは「ミズクラゲ」であった。

言い忘れたがただいま仕事中のはずである。

JASRAC が玉木さんからの鋭いツッコミにたじたじ。怪奇大作戦がとんだことになっているようだ。

ほぼ何にでも埋め込める極小チップ。メリットも絶大ながら、果たしてどんなデメリットが考えられるか。「人体埋め込み→プライバシー消滅・国家管理の強化」あたりは昔から言われているが、もっと意外な、情けない落とし穴がありそうな気がしてならない。考えてみる。

一方、自己生成回路は面白そうだが、目を覚ませとの意見もあり。何にしろ、無条件にメリットだけが得られるということは有り得まい。

2001年06月29日(金)


今日の頭音「ジェニーはご機嫌斜め」近田春夫

ソフトウェアの巨人の分割が中断か。Slashdot.orgには早くも史上最大の書き込みがあるが、Slashdot.jpにはまだニュースが載っていない。以前から「ブッシュ政権になったら分割は中断されるだろう」と予測されていたが、珍しくもアナリストの言うことが当たった。ソフトウェアの巨人と共和党の関係は線型に近いということであろうか。何らかの形で線型にしない限り予測というものは立たないはずなので。

「ハゲタカ」は差別表現か

有名な話なのでここに書くのは気が引けるが、たとえばアメリカ大統領選挙で候補者が「未婚の母が増えている」と口にしたら、それはイコール黒人をはじめとするマイノリティを指しており、マイノリティを遠回しに攻撃することで白人票の獲得を目指していることになるのだそうだ。日本の新聞に載るときはそのニュアンスはまったく翻訳されなかったらしいが、単純に気がつかなかったのだろう。差別表現などを使わなくとも、もっとたちの悪いものはいくらでもあるということか。南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏。ドーベルマン刑事で車椅子の登場人物に「けっ!車椅子なんかでうろうろすんじゃねえよ!」と罵声を浴びせる通行人というのがあったが、そんなわかりやすい人はマンガの中にしかいない。

昨晩家で書いた分の日記をまた上書きしてしまった。嗚呼嗚呼。

雑記草に「テラヘルツ光」なる電磁波について書いてあった。これまでX線が使用されてきたのは、金属に電子をガツンとぶつけるだけで簡単に発生できるからだったのだろう。テラヘルツ光の発生の方が難しかったとは。光と電磁波の間(というのも変な表現だが)ということは、紫外線より波長が短いということであろうか。

光のエネルギーは、ただその波長にのみ比例するとのこと。よく使われる例えで、コタツにどんなに長時間当たっていても日焼けしないが日光に当たると一日で日焼けしてしまうというもの。言うなれば、百万本の指でくすぐられても何ともないが、一発の拳骨で鼻血が出るようなものであろうか。百万本の指はそれはそれで気色よさそうではある。光の場合変数が波長のみだが、物体がおよぼす力の場合は質量と速度という2つの変数がある。力は質量に比例し、速度の2乗に比例するということだそうだが、これは格闘技の根幹にかかわると思われる。体重が大きい方が基本的に有利なのは、それに対抗するために速度のみで補おうとすると、2乗余計に練習しないといけないということなのだろう。しかしヒットしなければ意味はないので、体重が軽くても対抗できる余地はむしろ逃げ足(フットワーク)にあると見た。南無阿弥陀仏仏仏。

食堂にあった朝日新聞を読んだら、オリザ氏が顔写真つきで文化欄にコラムを書いていた。

オールスター投票でもめる。反対意見を見ると、さすが選挙を神聖視するお国柄と思える。

2001年06月28日(木)


今日の頭音「あしたのジョー」寺山修司

Mac OS Xが欲しい。しかしおそらく引越しの敷金の方が優先されると思われる。南無阿弥陀仏。

自宅のPC(debian/linux)がとんだ。データディスクとシステムディスクを分けているので何とか復旧できるとは思うが、いつ復旧させるべきか。本当に南無阿弥陀仏になってしまった。

ムーミンの生みの親トーペ・ヤンソン死去。その堂々たるいでたちは岸田今日子そのものなり。「小さなミイ」はテレビ版より原作の方が美人であることがこの度初めて判明す(知人にテレビ版のミイにそっくりなおばさんが居たもので)。合掌。

というわけで今日の頭音は「小さなミイ」

しばらくの間、日記はあまり書けそうにない。最後に磁気バブルメモリの現状を。

2001年06月27日(水)


今日の頭音「カチューシャ可愛やほーやれほー」

オープンソースの要であるGPLは、コードという知的財産を独占させないためのものであるとカネゴンひとまず理解しているが、憎まれっ子世に憚る、あの手この手で基本的には数式と変わらない(数式には基本的に特許は認められない)ソフトウェアを独占(というより「隠す」という方が正しい)しようとする動きは止みそうにない。純粋に「誰のものでもない」ものにしようとすると(GPLがそれを目指しているわけではないが)、そういう誰かのものにされてしまう可能性があるがために、仮にでも「誰かのもの」にしておく必要があるということだろう。

江戸時代には、面白い数学の問題を考えたりそれを解いたりしたら、絵馬に描いて神社に納めるという美しい習慣があった。果してGPLはオープンソース神社に絵馬を奉納する行為に相当するや否や。「誰のものでもなけりゃ、とりあえず神様のもんということにしとくべ」という考え方は、どうもキリスト教圏内では見かけない。ガリレオですら「神は一瞬でどんな問題も直観で解いてしまうが、人間は定義をひいて一つ一つ順序だって解くのだ」みたいに、神様に帰すのはいいとしても、そこから先まるで神様がギンギンに所有権を主張しているかのように考えなくてもと思ったりしてしまう。かの地の知的所有権と著作権の起源は、この神様を人間に置き換えた発想なのかもしれない【根拠はあるのかおれカネゴン】。

靖国神社にどんな神様がいるかはよく知らないが、こういう絵馬を奉納してもらえそうな方の地元の神様は、どちらかというと「誰でもない」というかanonymousというか/dev/nullなものを代表しているような気がする。GPLに「奉納」という概念を持ち込み、オープンソース神社を建立しようではないか。行為の方が重要なので御神体は問わないことにする(=オブジェクト指向な宗教)。島根かどこかに「レゲエ神社」があり毎年レゲエを奉納しているぐらいだから、こういうのもありだろう。よく考えれば、どんな宗教であっても行為の方が重要で、何を拝むかは本質ではないのではないか【きっと地雷だおれカネゴン】。

2001年06月26日(火)


今日の頭音、インド音楽

昨日書いたちょっといい話から張られていた悪魔関係の皆様だが、まるでアメ横で買ってきたかのような御徒町感あふれるいでたちをどうしたらよいというのだろうか。でなければ東映系の悪役か。それとも「格好じゃないよ、中身だよ」とばかりにシャレにならない悪戯を繰り返すのだろうか。楽しそうだとは思う(し、ほぼ無害だと思う)が、よくわからぬ。日本ではこういう道徳に竿をさすような悪戯はなかなか成立しにくい故。おそらくカネゴンの「悪の組織」の定義には引っかからないであろう。知らない人が見たら洋風なまはげ、もしくは「あけてくれ」の対バンと思われること確実である。南無阿弥陀仏。

Slashdot.ne.jpより。デジモンはオープンソースだった。意外に子供は、込み入った単語や概念を丸覚えして遊ぶことに抵抗がなかったりする。「理解できなければ覚えられない」のだとしたら、長ったらしい技の名前などを嬉々として覚えようとはしないだろう。さすがに「外道照身霊波光線」は定着しなかったらしいが。

今月の日経サイエンスに「ロールシャッハテストの信頼性に疑問」との記事が。とっくに信用はなくなっていると思ったが、まだ残っていたらしい。このテストによって冤罪ならぬ冤病を被った人はどのぐらいいるだろうか。何となくだが、カネゴンは「心」は思ったよりもメカニカルにできていると思う。ただ人はいちいち自分の心を実況中継するほど暇ではないから外から窺い知れないように見えるだけなのでは【どうだかおれカネゴン】。あんまり心を神秘と結び付けない方がいいのでは。ただ、漢方医が昔「理性は脳にあるのかもしれないが、感情は

内臓にある」と言っていて、これは実に納得のいく定義の仕方なり。心の半分が脳の外にあるのなら、自分で自分をコントロールできなくなっても何の不思議も無い【不思議は変わらんおれカネゴン】。

ヴィトンのデータ盗まるる。しかし盗んだデータをそのまま使ってパリコレに出場したら最後、ばればれである。この点コンピュータのソフトウェアは「コンパイル」という作業が入る上に、変数名などを置き換えてしまったらよりいっそう盗用は判定しにくくなる。

ポップスター宇宙へ。こうなるとヒデキ指数が上昇するより先に寺沢武一が喜びそう。

2001年06月25日(月)

今日の頭音「プラトーン」(映画の)

給料日朝、さっそく別口座に移動。面白いように貯まる【金色夜叉かおれカネゴン】。

日本の心「白波五人男」といえば、あばしり一家に多大な影響を与えた(登場人物の大半の名前はここから)が、今こうして見ても素晴らしい口上なり。完コピを目指す。

小田島小田嶋隆の日記がやっと復活。あまりにブランクが長かったので生きていないかと思った。

唐沢俊一のサイトは、カネゴンがいかにも読みそうなページに満ち溢れているが、恥ずかしながら今日初めて見かけた(本はたまに買ってます)。文筆業の合間に毎日これだけの量を書くとは、すでに常人の域ではない。カネゴン日記をやめてここに直結してしまおうか。このページにて青山正明が亡くなったことを、しかも自殺だったことを知る。残念ながら本は買ったことがない。

2001年06月24日(日)


今日の頭音「算数チャチャチャ」

安彦良和がガンダムを初めて漫画化。朝日新聞というのがおかしい。ガンダムはともかく、安彦氏が描くのであればきっとアイヌや縄文人やデーモン一族など虐げられた少数民族が登場するすてきなガンダムになることであろう。

M1号とともに投票に行くも、カネゴン投票用紙を忘れて引き返すはめに。カネゴン生まれて2度目の投票である(1度目は青島幸男に入れてしまった)。よくわからなかったので共産党に入れてみたが、果してどうなることやら。カネゴンとしては三鷹駅から家のあたりまで(そして調布まで)モノレールを敷設して欲しいと思うのだが、よく考えたら共産党ではあんまりそういうことはしてくれなさそうである。失敗【失敗で済むかおれカネゴン】。

おなじみあなんじゅぱすが9月にManda-La2にてライブをやるとのことで、カネゴンお手伝い決定。御期待下さい。

違法駐輪で引っ張られた自転車を取り返してきた。カネゴンこれまで少なくとも7回チャリを盗まれており、しかも一度も帰ってきたためしがない。すべて鍵がかかった状態で、しかも駐輪場にきちんと止めた状態である。

たった一度、「自転車が近所の公園に置いてありますよ」と親切な方からお知らせをいただき、3日後にケーキを買って受取に行き、その方と公園に行くと、あろうことか徹底的に分解されたチャリのなれの果てが転がっていた。ハンドルもサドルもブレーキもペダルも車輪もなく、フレームだけがごろりと横たわっていた。カネゴン持ってたケーキを思わずぽとりと落してしまい、親切な方も困り果てていた。カネゴンそこからどうやって家に帰ったか覚えていない。

2001年06月22日(金)


今日の頭音「あずさ二号」

長年懸案の問題を解いてみた。「同じ量の水滴が細かく分かれると表面積が増える」と何かで読んだが、どのぐらい増えるだろうか。なおmupadは最後の数値を出すことと検算にしか使っていない(使いこなせていない)。

水滴の表面積S=4πr~2 ..A

水滴の体積V=(3/4)πr~3 ..B

B を rについて解いてAに代入すると S=*1*V^(2/3)

面倒なので定数をKに置き換えると S=KV^(2/3)

一粒のときはそのままVに1を代入してS=K*1^(2/3)=K ..C

二粒のときは S=2*K*(1/2)^(2/3)=K*(2^(1/3)

n粒のときは S=n2*K*(1/n)^(2/3)=K*(n^(1/3) ..D

1粒がn粒に分かれた時の比R = D/C = n~(1/3)

つまり、分かれた回数の3乗根に比例するようだ。水の分子でつっかかる以上無限に分け続けることはできないはずだが、それはともかく1粒が10万粒に分かれても46.41588833倍しか表面積は増えないということか。解自体はn→∞にすると発散する。

うーんこれでいいのだろうか。何だかものすごくダサい解き方のような気がする。どっかで微分が使えそうだったのだが、気のせいだろう【高校1年並じゃおれカネゴン】。

「微分」に置き換わる言葉として「接算」というのはどうだろう【まだ言うかおれカネゴン】。

緑の恐怖が引用していたページのほかのコーナーをよく見ると、カネゴンがかつて引用したものも二つ三つ見当たった。まるで「あけてくれ」データベースかのようなAKさんの成果、無駄にはしませぬぞ。

その一方で、この間引用したこれはまるでサナギ(浪人/大学生)の頃のカネゴンが夢遊状態で書いたかのようなサイト(表紙がないのがご愛嬌)。特に好きなものリストは1つ残らず見覚えのあるものばかりで趣味も実に似ている。カネゴンと違うのは福岡ダイエーのファンであることぐらいか。生き別れのお兄さんとまた違う意味で、ドッペルゲンゲルな何かを見たような心持。まったくの主観につき、意味不明のことを書いてしまったかもしれぬ。

*1:1/6π)^(2/3

2001年06月21日(木)


今日の頭音「河童の三平」山下毅雄

「ギコギコギコギコやいば研ぎ 唄うサタンの影揺れる...」

つらい。

何かおかしいと思ったら、昨晩書いた日記をアップしていなかった。

再び小石川殿より、MBpsではなくMbpsであるとの指摘が。カネゴン、頭は18世紀である。

読書猿で「権威主義的パーソナリティを調べるCGI」が紹介されていた。これは心理テストでも占いでもなく、そもそも評価基準がここに載っていないのでとりたててやってみる意味はない。

権威主義的パーソナリティとは何なのかはよく知らないが、権威主義的パーソナリティについて述べている文章で「循環性気質や非権威主義的パーソナリティを強く持ち合わせている人や、社会的感受性が高い人ばかりで集団が構成されていたら、そこでは極めてイジメが発生しにくいのかもしれない。」と書いてあるそのこと自体が権威主義っぽくておかしい。いや、むしろ山上たつひこの鬼面帝国、またはウェルズのタイムマシンに登場したアンチパラダイスにも似た実にコワイ世界だ。何とでも自家撞着できそうなあたり、あまり深入りする内容ではなさそう。

そのハーバード・ジョージ・ウェルズは、一人でSFネタ(タイムマシン、バイオテクノロジー、透明人間、恐竜世界、原子爆弾などなど)をすべてひねり出してしまった「一人ヒマラヤ山脈」として知られているが、どうしてどうして文章も極めて格調高い(ような気がする)。格調高すぎて英文で読むのは面倒。SF者にだけ読ませるのはもったいなさすぎる。でもカネゴンが一番お世話になったのは世界史概観の方だったりする。世界史の授業を選択しなかったので。この本はダイジェストらしいが、本編の分厚い方はまだ見かけたことがない。

Slashdot.ne.jpより。道路で発電。とくればセックス発電(監督 パスカーレ・フェスタ・カンパニーレ)であろう。いずれにしろ実用性など考えないところがよい。

パワーアンクルといえば、「あけてくれ」10月ライブに出場したロボットを制作してくれた某氏である。あまりに膨大な某氏(このページでどう呼べばよいのやら)の伝説の1つに、「いつ何時でもパワーリストとパワーアンクルを最大装着して行動し、ライブを見に来たときだけそれを外して踊り狂う」というものがある。某氏は普段からものすごいマッチョなのだが、彼の胸板の厚さには歴然とした理由があったのだ。3児の父である某氏は、夜腕立て伏せを100回やらないと眠れないといい、ただならぬ血の気の多さを体現している。今もときどき職場でパワーアンクルをつけていたりするそうだ。

アメコミが絶滅寸前とは知らなかった。100年の歴史があるとはいえ、恐ろしいほどパターン化された大政翼賛ストーリーに飽き飽きしている姿が目に浮かぶようだ。あちらでは、(マニアを除いて)本当に子供しか漫画を読まないのだ。

2001年06月20日(水)


今日の頭音「古風なメヌエット」(フルオーケストラで)

昨日の日記で、PHSの速度の単位が間違っている(MBpsが正しい)とのお知らせを奄美氏の知人こと小石川三十五殿よりいただく。恥ずかしいことです。

今日の頭音の曲は、カネゴンが大昔に練習した曲で(もう忘れている)、基本的にこれより難しい曲は弾けない。ラヴェルのこのデビュー曲は、何となくだが「本当はものすごくヒデキ指数が高い(=感激しやすい)のを教養で必死で照れ隠ししている」ようなイメージを勝手に抱いている。そこがいじらしくて好きだ。

カネゴンの知人がホームページを開いた。そこにあったのが「狂気のトロンボーン」ことフランク・ロソリーノのCD。ジャコ・パストリアスという悲惨な晩年を送った(ホームレス同然に暮らし、最後はオカマに殴り殺された)世界一のベーシストがいたが、ジャコと同じ超絶技巧を、運動性において劣ると思われがちなトロンボーンで成し遂げてしまったのがこのロソリーノだったりする。ロソリーノは息子を撃ち殺し自分も頭をぶち抜いて果てたが、おそらく(誰にもわからなかった)スランプが原因だったのではないかと勝手に想像している。

この二人は不思議にも、5連符、5拍フレーズを多用するという点で共通していた。ここまで極めてしまった二人は、一つの16分音符のさらに1/5のパルスを感じ演奏できるほどの分解能の高さがあった。原理的にも、さらに高い内部クロックで動作(?)していたはずである。まるで改造PCのように無茶なオーバークロックで演奏し続けた二人は当然の如く長生きできなかったが、もしかすると人が一生のうちに発することができるパルスの数には一定の限界があるのだろうかとさえ思えてくる。ネズミの心拍数とゾウの心拍数をそれぞれの平均寿命で割った値がほぼ同じであるように【心拍の周期の間違いではおれカネゴン】。

Yahoo!のADSLが「あけてくれ」にも波紋を呼んでいる。Yahoo!の後ろに控えているソフトバンクが糸を引いていることは間違いあるまい。米国との通信コストの差はほぼ埋まったようだが、ISDNやDSLに先行投資した死屍累々はどうなるのやら。昔のパソコンとかなら、初物買いはノウハウの先行蓄積という意味も(無理やり)あったが、昨今のDSLの場合、ただ安いだけでノウハウの蓄積うんぬんとあまり関係が無く、先行投資の痛みは大きく、なかなか「山本さん」のような冷静な判断は下せない。一方、道路と違い、関所まがいの回線問屋はいつ後発の技術でひっくり返されるかわかったものではない。死して屍拾うものなし。

その「山本さん」が、ブロードバンド組合結成を呼びかけている。十年以上前にアマチュア無線でデジタル通信をかますほどの古参はやはり恐ろしい。WLLことFWA(固定無線アクセス)こそこういう目的に向いているような気がする。なにしろWLL基地局をもし数百メートルおきに設置できれば、NTTなどのお世話にならずにネットワークを構成できてしまうという。しかも、(今はどうか知らないが)この技術は「NTTは参入禁止」と郵政省から指導が入っているはずだ。こういうデバイスが秋葉で気軽に買えるようになったら、帯域/チャネルの許す限り無数のクローズド ネットワークが構成されるだろう(しかもたいてい非合法の)。それがいいのか悪いのか。

「あけてくれ」でおなじみRyu氏が一時帰国のおり、ついに今週金曜にニュートラルへ立ち寄るとのこと。カネゴン今から楽しみである。

宇宙は予想より重かったらしい。ニュートリノに質量があることを東大研究グループ(当然カミオカンデを使用)が発表したが、その追試が行われた。これにより、従来質量がないと思われていたニュートリノの理論がほぼ確実に覆ることに。ヒデキ指数=240。ニュートリノが光速近いとすると、結構な質量をもつことになるのだろうか。現在の理論では、加速度によって質量は変化するが「電気量」(プラスまたはマイナスの度合い)は決して変化しないという前提に立っているのだそうだ。光の速度も変動しかねない今日この頃、何を基準に置くべきか。

2001年06月19日(火)


今日の頭音「チキチキバンバン」(フルオーケストラで)

Slashdotより。PHS が来年1GBに。ここで「解禁」とあるのは、やろうと思えばやれたということなのだろうか。これでニュートラルでもギガビット通信が可能になる。ここまできてしまえば、速度の対数と満足度が比例すると考えてよいと思うので、次は10GB ぐらいにならないと「すごく速くなった」感じが出ないであろう。

となれば、ADSLも含めて通信インフラは数年しないうちにげっぷが出るほど一通り行き渡ると考えてよい。次に問題になるのはどう考えてもセキュリティとリテラシーということになる。知らないうちに自分が2chあたりでネタにされていたらと思うと恐ろしくてたまらない。南無阿弥陀仏。

久住昌之が一冊まるごと「江ぐち」の本を出した。「あけてくれ」にゆかりの深いJRのM駅南口にある、実にケミカルな味わいを出すラーメン屋である。

悪の組織についてまた考える。「失敗を許さない」ということは、一度も失敗しない(前例にのみ基づいて判断・行動する)か、単に運が強いまたは逃げるのがうまいだけの幹部が生き残ることになる。そして失敗を許さない割には毎回失敗する。

果たして、この世に「絶対失敗してはならないプロジェクト」というのはどのぐらいあるのだろう。世のプロジェクト マネージャは全員そう思っているとは思うが、「妖星ゴラスを回避する」プロジェクトに勝るものはないであろう。任命されるのは果たしてどのようなプロジェクト マネージャであろうか。

リクルートのISIZEで「あけてくれ」で検索すると、びっしりここのページが表示される。何ということ。南無阿弥陀仏。

システム ファイルの一部を自動的に修復するという機能を導入すると、こういうときに困る

すてきなキルト。ほかにも盛りだくさん。「狂気」のジャケが笑える。よく読むと、レビューも相当面白い。

そのリンクから辿り着いたのがプログレ隔離室。この芸風、とっても好きです。何だかすごく元気が出た。England というバンドをUKの下に置くとは、かなり遠回しなギャグでよい。

まったく関係ないが、カネゴンは大昔Mike Oldfieldの「Tubular Bells」を聴いてがっかりしてしまったことがあった。この世界の定番ということで、あまりにも期待しすぎてしまったのだろう。レコードのせいではない。

おいしい中華定食屋といえば、東小金井の「千成」(せんなり)、山中通り沿いにある「末広」であろうか。

2001年06月18日(月)


今日の頭音、またパッヘルベルのカノンが聞こえてきた

朝日新聞の求人に「僧」という項目があって目を惹いた。府中だそうだ。禁酒禁煙禁欲托鉢で月給18万円なのだそうだ。

2001年06月17日(日)


今日の頭音「大江戸捜査網」玉木宏樹

日記を読み返す度に、自分の馬鹿さ加減を痛感。

ベクトル話が、ついに無限次元空間に突入。と書くと偉そうなのだが、何のことはない、国語算数理科社会英語を、それぞれ(線形)独立した変数と見なせば、これも立派な5次元ベクトルなのだそうだ。変数を増やせばいくらでも次元を拡張でき、しかも直交性や線形独立性もちゃんと保たれる(ように作ってある)。やっと一つ、神秘が地上に降りてきた。

カネゴンは卵(小学生)の頃、「謎だらけの四次元」と「超能力は実在する」みたいな本を買って、カネゴン父に目の前で破かれてしまったことがあった。その上「超能力はインチキだ!」という解説記事がある科学読み物まで買ってくれるという念の入りようである【まともな父ではないかおれカネゴン】。その本もすごく面白かったからよいようなものの。しかし後者はともかく、前者は意外に数学っぽい内容で、今思っても捨てるには惜しい内容であった。なお、おやっさんも「ムー」を破かれたつらい過去があったという。

特に、「謎だらけの四次元」に収録されていた細井雄二(石森プロ)のマンガ「ウラシマ効果」は、あらすじこそ博士と助手が一人の女性をめぐって争うたあいもない話だが、そこで相手との年齢を釣り合わせるためにウラシマ効果が使用され、そのしくみをローレンツ変換バリバリで解説していて、吹き出しが凶悪な数式で埋まりまくるという前代未聞の、カネゴンが知る限り地上で最も難解なマンガに仕上がった怪作であった。この、理数系の学生でないと理解しようがないしろものをナマで子供に読ませるというチャレンジングなマンガを今読んでみたいものだ。ここには書かないがオチもよかった。

教科書終り。しかし付録(かなりごつい)が残っている。こうなったらこれもやらないわけにはいかないだろう。本来の目的を忘れていないか。カネゴン本当に壊れてしまったのか。南無阿弥陀仏。

increase という言葉は、「増大する」とか「増加する」とは訳されるが、「増分する」とは普通訳されない。increment はコンピューター業界では「増分」と訳されるが(インクリメントとそのまんま使われることもある)、やはり名詞ではあっても動詞であるという感覚が湧きにくい。ところが、先日仕事で「増分する」という言葉を見かけてしまい、ものすごく違和感を持ったが、名詞の「増分」と折り合わせようとした結果なのだろう。いずれ通用してしまうようになるであろうと予言しておく。

これと同じ違和感が「微分する」と「積分する」という言葉にもある。integralという言葉は、積算電力計の「積算する」の方がはるかにしっくりくるような気がするのはカネゴンの身勝手なのだろう。「積算する」の方が「算」という言葉があるので「操作」(operation)であることがきちんと強調されてよいと思うのだが。しかし微分となるとそうもいかない。differentialに「算」という言葉を使って、しかも「積算」と対になる言葉を当てるとなると、果して何が適当なのだろうか。「微算」? もう一つしっくり来ない。車の部品に不可欠な「差動歯車」(differential gear)の「差動」という言葉が、differential の本来の意味からのずれが少ないような気がするのだが、これも「差動する」と動詞にするとなるとためらいがあるし、何より「算」を使っていない。かといって、「差算」などとすると単なる引き算のように見えてしまう。うまくいかないものだ【何だか雑記草のようじゃのおれカネゴン】。

微分という操作について、カネゴンは「関数のグラフという波の上でサーフボードに腹ばいになり、そのときの頭への血の昇り方の逆数」という、わざわざややこしくしてしまったイメージを抱いている。接線=サーフボードという安易な連想なり。傾きの増加と減少は、こういう状態の方が体感し易いとはいえ、カネゴン小学生並である。南無阿弥陀仏。

最近何を書いても無意味に落ち込む。部屋が片付いていないせいであろうか。気力をふりしぼって銭湯にだけは行ったが、片付ける気力が湧かない。嗚呼。

それでも部屋は片付けた。風呂に入ることと部屋を片付けることは、路上生活に陥らないための生活の知恵であることを痛感。この二つをやらないでいると、何というか、気力そのものにまで影響するような(ひいては運気まで逃すような)気がしてならない【それは暗示じゃおれカネゴン】。

しかし今月は10万は貯金できそう。財布を二つに分けた効果は絶大。1年前からこうしていればと悔やんでももう遅い。土中入定。

「出エジプト日記」からタイトルを変えるとすれば、やはり「レビ日記」であろうか。「士師日記」ならぬ「土師(はじ)日記」にしようか。「絶対帰依日記」にしようか。迷う。

菊池寛と言えば、松本清張以上モーパッサン並に意地の悪い話を書くのがうまい。となれば、当然ながら「歩くダンサー・イン・ザ・ダーク」ことジョージ秋山のマンガに大きな影響を与えないはずがない(いつの間に公式サイトがあったのだろう)。彼の作品に「青の洞門」という、菊池寛の「恩讐の彼方に」をモチーフにした作品があるが、「走れメロス」にも似た原作の表面的なストーリーよりも菊池寛の本質に忠実な、凶悪な仕上がりにカネゴンかつてのけぞった。山岸涼子でもここまではしないだろう。

2001年06月16日(土)


今日の頭音「ああ人生に涙あり」杉 良太郎

行列の意味というのをしょうこりもなく考えたりしている。カネゴンが頼りにするのは名著「数学入門 上・下」(遠山啓:岩波新書)のみである。この本はほんとうによくできていて、数学で迷う人間が必ず問いかける「それってどういう意味なの?」に全身全霊をかけて回答しようとしている極めてまれな本なり。たとえば「マイナスにマイナスをかけるとどうしてプラスになるのか」「分数をかけるとどうして数が少なくなるのか」。それを見ると、16世紀などにこうしたことが数術師(数学者でないところがポイント)の間で大議論になったりしていたことからして、疑問が持ち上がるのはむしろ当然とも思えてくる。普通数学教育では、こうしたことに疑問を持つよりも反復による練習でまず身体に覚え込ませ、それから考えればよろしいという方針を取る。そこで下手に疑問を持つとつまずくことになるわけだ。いちいち意味を考えるより、やはり道具として遊んでしまえる度量が必要なり。意味から考えようとする時点ですでに敗北している。遅かりし、由良の助。

行列というかベクトルについて、とりあえずこう理解している。女性のプロポーション(B,W,H)のような、少なくとも関連を持つ値の集合、これも立派なベクトル値のはずだ。(B W H)にスカラー値を加減乗除することは、ベクトルの持つ特徴(この場合は比)を保ったままデブったりやせたりするということだと。(B W H) に同じ次元のベクトルを加減することは、理想的なプロポーション(比率)に変えようとするということだと。これに異なる次元のベクトルをかけるということはどういうことか、そこのところはまだよくわからないのでおいおい考えることにする【がっくり】。

とにかく、カネゴンの場合下手にグラフに表すことを考えない方がよいような気がする。C言語における構造体なども立派なベクトルのはずだが、通常のプログラミングにおいてベクトルとしてアクセスすることはまずなさそうだ。いちいち次元を気にしながらまとめて取り扱うより、要素に直接アクセスできる方が即物的に便利に決まっているからだ。何だか考え中のことを書き流していてどうかと思うが、すっとこどっこいな面も併せて平に御容赦召されい。

「ベクトルと行列」終了。とはいうものの、オイラーの公式に関係することしか扱っていないので、もう少し補う必要がありそうだ。まだユニタリー行列とか出ていないし。

ゲルベゾル太氏の盟友seed氏より、ゾル太氏の研究テーマは粘菌に間違いないとのお知らせが。ありがたいことです。粘菌迷路問題について問いかけがあるも、カネゴンかなり悩む。しばし待たれい。

2001年06月15日(金)


今日の頭音、なし

遅刻。その上仕事上の失敗あり。立っていられないほどの猛烈な自己嫌悪。

立ち直った。フォロー完了した。先のことを考えることにした。

TV番組で見かける「悪の組織」には必ず1つの特徴がある。「失敗を決して許さない」ことである。たいていの場合死をもって償うことになる。悪の組織の目的や編成はそれぞれ異なるが、なぜかこの点においてだけは不思議に一致する。和気藹々とした、仲良し倶楽部のような妥協しまくりの悪の組織というものは想像できない。もしかすると現実に悪の組織と見なされている団体もそうなのかもしれない。カネゴン必ずしも民主主義が最善手とは思わないが、とりあえずこれをもって悪の組織の定義とすることにする。

ミュンヘンのゲルベゾル太氏より、昨日書いた粘菌の研究者(大阪在住)は思いっきり知り合いであるとのお知らせ。本業の研究の余暇に迷路を解かせてみたのだそうだ。ありがたいことです。ゾル太氏自身、粘菌の研究をしていたのではないかとの、おやっさんの指摘もある。

ですぺらーと、「サボテン」以上とあれば見ないわけにはいかない。決死隊を結成。

せんだみつおは「女性の周りを

ひたすら跳びはねる」という奇想天外なナンパ術で驚異的なヒット率を誇るという。「おしゃれ」とはエネルギーを失いつつある証であり、微分係数が負であることを改めて痛感。「絶対的な正義」が定義できないように「無条件にかっこよい」ものも定義できない。「バカ」とはエネルギーの発露に伴って必然的に現れるものであり、何かをなす/しでかす上で欠かすことができないものである。涼しくおしゃれに事を進めようとするのは「クーラーの効いた部屋で地球環境を語る」に等しい行為。カネゴンもがんばらねば【笑わすのと笑われるのは違うぞよおれカネゴン】。

何だか、初めて「バカ」を肯定的に捉えることができたような気がする【おれカネゴン、がんばれや】。

カネゴンはエジプトを出て 1 年、ついにぱらいそに到着せり。カネゴンの「出エジプト日記」は、ここに至りて終了す。

終わりません。本気にしないでください。

2001年06月14日(木)


今日の頭音「山賊のうた」

健康診断、検便だけは見送った。せっつかれると出るものも出ないことを学ぶ。嗚呼。

宇宙でCM撮影。「21エモン」で、未来の広告代理店がむちゃなプレゼンをしまくる(衛星を並べて文字にする、太平洋にいかだを浮かべて宇宙から見せる、月にCFを投影する)話があった。P.K.ディックの短編で、宇宙のどこに逃げても追いかけてコマーシャルをがなりたてる恐怖のロボットの話があったのも思い出した。先入観と異なり、ディックの短編は意外に藤子F不二雄並にきちんとオチがあって驚いた。

CG がこれだけ普及した今、宇宙で撮影するなら宇宙でしかできないことをやって欲しいものだ。大川豊(大川興行総裁)が月面で「ドンと鳴った花火」をやりたいと前々から書いているが、こういうのが宇宙に向いていると思う。露骨な後処理(ポストプロダクト)すると感動が薄れそうな気がする。

推理トリックの本などに「電話線は独自に電源が供給されているので、停電していても電話は通じるはずだ」と書かれていたのを見たことがあるが、今となっては必ずしも成立しないものになってしまった。光ファイバーは当然ながら電源を供給する能力はないし、受信側が TA や DSL モデムなどを使っていれば、当然停電の影響を受けることになる。逆に、複雑怪奇を極める通信網のローミングをトリックに使う方が面白くなりそうだ。現代版「点と線」というか。実際、国際電話網などを経由すると逆探知は使えなくなることが多い。暗号も日常化しつつある昨今、推理作家も大変だ。

少し前のニュース。最近のゴルゴ13でCIAに代わってレギュラーになりつつあるNSA(国家安全保障局)がソースを公開。それから医者は病院内でPHSを使っているらしい

Astroartsより。ローテクな星地図ナビゲータ。素晴らしい。こういうものがもっとあってもよい。関西で初の星まつり。「村おこしとは違います」とあるのは「一緒にすな」ということであろうか。

惑星の軌道が楕円を描くというのは、今や常識になっている(と思う)が、真円と楕円の差は、恐ろしいほどわずかなのだそうだ。地上からの観測データ(ひたすら角度だけが書かれている-角度以外にわかることは何もないのだから)だけからネチネチと計算を続け、こうした惑星軌道を頭に描いたケプラーを始めとする天文学者には本当に頭が下がる。しかも地球は動いているのだから、観測データの角度はすべて見かけの角度になってしまう。平面図から立体を想像するよりも角度データから立体的な軌道を想像する方が難しく思えるのは、1つにはカネゴンの想像力が貧困だからであろう。カネゴンは頭の中で立体を回せない。南無阿弥陀仏。

逆に、今はなつかし(と言ってしまおう)大友克宏は、頭の中で立体を回転させて描く能力に極めて優れている。特に、人間の顔をありきたりでない角度で描くのが抜群にうまかった。そしてその展開結果はあまたの漫画家に引用され、貴重な遠近法データとなった。その分ありがたみは薄れたが、技術は(安っぽくなりながら)あまねく行き渡るゆえ致し方なし。

画期的なアイディアを思いついた。今時の納骨堂はロッカーのようになっているが、それをさらに省スペースにする方法。お花代を自動販売機に入れると、お骨の入った缶がゴロリと出てくるので、それを取り出して祭壇に置いて祭り、終わったら回収箱に入れるのだ。お骨の入った缶は、近代的な図書館同様無人で管理する。缶をスケルトンにすれば効果倍増。

墓参りに行けない忙しい人には、お骨のデリバリー&回収サービスもつければよい。当然ながら配達員はムード満点のコスチュームをつける(それが何かは言うまい)。香港のような土地が少ないところではさぞ便利であろう。カネゴン例によって言っているだけなので、誰かビジネスモデル特許でも何でも取ってくれ【「こち亀」のアイディア倒れかおれカネゴン】。南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏。

おやっさんの「たましいのさけび」を更新。

2001年06月13日(水)


今日の頭音「In Every Dream Home A Heartache」Roxy Music

明日は健康診断につき、今夜8時から飲み食いタバコ一切まかりならぬとのこと。耐えられるだろうか。阿耨多羅三藐三菩堤

少しずつ進める。行列が線形代数というカテゴリに入るのは、f(ax+by)=af(x)+bf(y)」という一次式が常に成り立つ(線形である)からなのだそうだ。逆に言えば、これさえ満たされていれば何でも「線形」ということになる。微積分は式ではなく操作だが(間違っていないだろうか)、やはり線形を保っているというのが面白い【何を今更おれカネゴン】。

昨日書いた「子のつく女の子は頭がいい」、どうしても違う話になってしまうあたり、このタイトルはやはり罪作りだと思う。オウムマリヤバサラタラタサトバンノウマアク。

Slashdot.ne.jpより。粘菌が迷路を解く。ヒデキ指数は一気に 220 を突破。またしても婦女子に嫌悪されること間違いなしだが、何と楽しそうな世界。それからMLの質問の仕方 FAQ。実はこの種の ML に質問を出したことがなかったりする。検索に次ぐ検索でたいてい何とかなる上に、この日記で判るように一方的な話し掛けしかできないカネゴンゆえ。

所在なくて、ふと今日の頭音の歌詞を自動翻訳にかけてみる。

ホーム >ロキシー音楽 >すべての夢(Every Dream)の中で家へ、心痛

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すべての夢の中で家へ、心痛

(フェリー)

すべての夢の中で家へ、心痛

また私がとる毎ステップ

天から私をさらに遠く取ります。

天がありますか。

I`dはそのように思うのに類似です。

生活水準

それら&鋭い;re、上昇、毎日。

しかしホーム、おお、甘い家

それ&鋭い;sだけ、1つの、言うこと

コックへの押しボタンから

スマートな町アパートの中で

コテージはきれいです。

主要なものは宮殿を収容します。

ペントハウス完成

しかし進むもの

そこで行うべきもの

よりよくそこに祈る。

公開計画を生活に実行すること

バンガロー農場スタイル

その気楽さのすべて

非常に本質的に見えます。

私はあなたに通信販売を買ってやりました。

私の平易な包み紙赤ん坊

あなたの皮膚はビニールに似ています。

完全な相手

あなたは私の新しいプールを浮かせます。

デラックスで楽しい。

膨張式のドール

私の役割はあなたに役立つことです。

自由に使える最愛の人

することができる&鋭い;t、今あなたを投げ捨てる。

永久の生命サイズ

私の呼吸はあなたの内部であります。

私&鋭い;ll服、あなた、を上へ、毎日。

そして、死がため息をつくまで、あなたを維持します。

膨張式のドール

恋人は恩知らずです。

私はあなたの身体を爆破しました。

しかし、あなたは私を興奮させました。

おお、それらの心痛

Dreamhome心痛

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あなたが歌詞におけるあるエラーを見つける場合、 でしょう、あなたは喜ばせます。 あなたの修正を提出します。 私に?ありがとう。

不思議に味わいがある。ロキシー音楽、最高である。

ついでにお約束でキング深紅色のこれもやってみた。ここまできたらこれもやれとカネゴンの中の何者かがそう呼びかける。悪を倒せと俺を呼ぶ。

2001年06月12日(火)


今日の頭音「大空魔竜ガイキング」

ふたたびseed氏よりもう1つのヒマラヤ山脈。A面B面ともにものすごい趣味の多さと濃さ。一人でこれだけやっているとは気が遠くなりそうだ。

亜熱帯と言えば、最近「亜空間」という言葉は亜空間殺法以外では使われなくなってしまった。今はもっぱら「四次元空間」だったりする。dimension は本来「寸法」という意味であることを知ってのけぞった。ありがたみが薄れそう。

7時になるとオフィスの空調が止まる。冬はともかく、夏はぶちぎれそうになる。しかもカネゴンの回りにはPCが3台あるので、電磁波と熱で相当脳味噌が固茹でになっているはずである。もう耐えられない。今すぐモニターを破壊してしまいたい衝動にかられる。

2001年06月11日(月)


今日の頭音「怪人二十面相」(上条恒彦が歌う方)

Slashdot.ne.jp より、いやな感じのニュース。そして逆に元気になる文

カネゴンがLISPを雑誌で見かけたのは小学校のときだったが、田舎住まいの悲しさ、どこにも実行環境など(ましてや質問・相談する相手も)ありはしなかった。「木の板に鍵盤を書いてピアノの練習をした貧しい女の子」の美談みたいに、紙に実行結果を手で書いて(当然口でタイピングをシミュレート)「人間ターミナル」にでもなればよかったのかもしれないが、そうなると「人間灯台」同様よりいっそう社会復帰は困難であったであろう。自らの根性のなさに感謝するべきかどうか。南無阿弥陀仏。

解雇されたハッカーによる怒りのクラッキング。とはいうものの特殊なことをしているわけではない。重要書類の持ち出しまたは改竄などは、コンピューターがなくてもいくらでも可能なり。ただコンピューターを使うと罪の意識が薄れるというかチャレンジングな感じがするというだけ。

システム管理者は、(専守防衛の)用心棒的なポジションにつき、彼らに対して金をけちればどういうことになるか結果はあきらかなり。システム管理者はみんながみんなゴルゴ13のように職業意識が高いとは限らない。対策としては「裏切られないように十分な報酬を出す」か「社長が自分でシステム管理をやる」かだろう。でなかったら「やめる=消される」ギャングな世界になるか。

嗚呼、毎度毎度何を書いているんだかカネゴンは。読む人を振り落としていないか。

統計に関する話を読むと、他人が出した統計もうっかり信じられなくなってくる【カネゴン知らなさ過ぎでは】。その一方で「子のつく女の子は頭がいい」は一度読んでみたいのだが書店ではとっくに見かけなくなっている。BookOff で探すしかないか。

今回の事件についてもっとも頓智の利いた意見はやはり殊能さんであった。「雑記草」でも以前「レアケースに対応しようとすることは意味が無い」との意見があった。「狂鬼人間」的事件(M1号命名)は本当にめったに起こることではなく、用心にも限界がある。今引用したページは実に写真が豊富でありがたい。もともと画面が暗いのでなおさらなり。

なお、今月初めに書いた「黒の道化師」師匠は、「狂鬼人間」の回が収録された完全な LD BOX を発売日前日にしっかり入手している。またひとつ、山が増えた。

2001年06月10日(日)

今日の頭音、ラフマニノフのピアノ曲(タイトルは忘れた)

カウンタが17000を突破。

久しぶりに何もない日。勉強に邁進するはずが、洗濯が終ったら気絶するように昼寝。雨だというのに特命リサーチもない。嗚呼。

カネゴンのPCでは、ターミナルを起動すると「ことわざ」というかアフォリズムみたいなのが表示される(すべて英語)。今日起動すると、アルフレッド・ジャリ(「超男性」だけ読んだ)というシュール小説家の「神は零から無限大をつなぐ接点なり」みたいなことが表示された。ジャリにつきカネゴン並に適当なことを言っているだけと見た。このことわざ集の日本語版みたいなのはないだろうか。訳すより、日本語でそういうのを独自に集める方が絶対面白いと思う。

読んだことはないが、そのジャリには「ユビュ王」という今や古典となったシュール戯曲があるらしく、その戯曲から名前を取った「ペル・ウブ(Pere Ubu)」というアングラバンドのLPを巻上公一がジャケ買いして以来ずっとお気に入りである由。

今調べていたら「うる星やつら(Urusei Yatsura)」というバンドが英国にあるらしい。嗚呼。しかもラフ・トレード。そう言えば、腕にラムちゃんの入墨を入れた結構二枚目のボーカリストがいたような気がするが名前が思い出せない。

吉祥寺の近くに新築のマンションを見かけた。「一つ包んでください」のノリで思わず買ってしまおうという衝動にかられる。ここなら支払い不能になっても人に貸してやりすごせるのではという猪口才なことも考えたりした。一方デフレがさらに進行することも念頭に置かねば。よく見ると建主も建築会社もえらく遠いところにある。やめておこうか。

何のかんので、やっと「ベクトルと行列」に突入。行列が、単なる連立一次方程式を筆写量を少なくして解くためだけのものではなさそうだということだけは何となく見当をつけている。カネゴンの中では、まだ行列とその応用の間に何があるのかがさっぱりわかっていない。行列の応用は、たとえば統計学などにたいてい出し抜けに現れるので、「そこでなぜ行列なのか」という点が未だに附に落ちない。というよりそこが最も知りたい部分なのだが、意外にその点について書いてくれている本を見かけない。やってるうちにわかるものだろうか。不安。

ベクトルといえばテンソルということらしいが、まだカネゴンの理解を遥かに越える。テンソルといえば思い出すのが、吾妻ひでおの漫画にもよく引用される、ベスターの小説「分解された男(The Demolished Man)」に登場する傑作CMソング

もっとひっぱる いわくテンソル

もっとひっぱる いわくテンソル

緊張 懸念 不和が来た

である。今回初めてもとの歌詞が判明。素晴らしい邦訳だと思う。今見れば、エイドリアン・ブリューが書きそうな詞に見えないこともない。

SF者の常識らしいので今更書くのは気が引けるが、これは未来のCMソングの作曲家が、あまりにもメロディが陳腐なせいで(一度聞くと永久に頭音として固着してしまうほど)没にした曲の歌詞で、この曲をよりによって「テレパシーで心を読まれないための妨害頭音」として利用するというシーンがある。小説の主人公(だかそうでないんだか)は、心を読まれそうになるとすかさず「もっとひっぱる...」を頭で回すのだ。カネゴンには何となく「すっちゃっか ぱらりらっぴ」という「すげこまを讃える歌」のイントロが聞こえてくるような気がする。

その「分解された男」を読んだとき、何かに似ていると思ったら、風忍の最強漫画「地上最強の男 竜」だと気付いた。ストーリーはこれっぽっちも似ていないのだが、「個々のモチーフが破綻しまくっているにもかかわらず、なぜか成立していて、しかも面白い」ところが似ているのだ。「地上最強の男 竜」は最初ギャグ漫画として構想されたにもかかわらず、少年マガジン編集者のてこ入れによってまるで正反対の、壮絶な「各論破綻・総論絶句」な漫画に仕上がってしまった。今後二人をそれぞれ「SF界のエリック・サティ」「漫画界のバート・バカラック」と呼ぶことにする。

「分解された男」のあとがきには、当時あまりの衝撃のためベスターを真似した破綻SFが死ぬほど量産されたが、誰一人真似できずに絶滅してしまったと書いてあった。ついでながら、ベスターは三流コミックの原作者出身で、その後不遇な人生だったとのこと。作品数も極めて少ないところまで似ている。まさか時空を越えて日本でベスターを継ぐ者が現れようとは。何にしろ書こうと思って書けるものではなく、真似すると怪我するとはこのことなり。理性をもって臨むことも虚しき。南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏。

2001年06月09日(土)


今日の頭音「走れメロス」(合唱曲)

カネゴンの知人seed氏より日立のPDAの存在を教えてもらう。ありがたいことです。それにしてもこのインターフェースはよい。どうして今までなかったのかが不思議なぐらい。日立が太っ腹で基本特許を取らないでくれれば極めて広く応用されるであろう【無茶言うなおれカネゴン】。

上のリンクがもう切れていた。さすがは日経BP。日立のニュースリリースへ。

2001年06月08日(金)


今日の頭音「Don't stop me now」Queen

コンピュータはこれ以上速くならなくてよいのだろうか。否、否。行列演算ひとつ取っても、どれだけ速くても速すぎることはない。もともとコンピュータは、手で計算すると実に単調でやっかいな行列演算を実行するために開発されたような一面があるらしい。ただ、ほとんどのPCユーザーは(カネゴンも含めて)行列という考え方と無縁なままなので、単なるデータの倉庫と数種類のアプリケーションのみを使うというスタイルなら現在のままで確かに問題はない。早くカネゴンも教科書を進めて「行列」をやりたい。後少しなのだ。まだ「行列」が「線形代数」と呼ばれる理由もわかっていない。

カネゴンの心の最高師範である川内康範は「愛とは

情死である」と定義している。彼の作品はすべてこの定義から導出されたものだ。これだけでは公式と同じで意味がわからないので解説すると、康範曰く「飛行機事故のニュースで、白骨化した肉親を抱きしめて号泣する人を見たんだ。ああ、この人は相手が骨になっても愛していたのだ、と。だから自分は「骨まで愛して」という曲の詞を書いた。そして本当に人を愛したら苦しくなる。この幸せがいつか終わるのではないかと考えたら必ず苦しくなる。愛とはケーキやお菓子のような甘ったるいものではない。だから自分の作品には必ず親しい人との死別というモチーフを入れる。」カネゴンはどこまでこのテーゼを理解できているかわからないが、気長に考えてみる【極端過ぎるわおれカネゴン】。

なお彼のプロダクションと音楽会社はそれぞれ「愛企画センター」「愛プロ」という。

アメリカン ジョーク。「MS 側の要求」の5番目の意味がわからない。

久しぶりに山形浩生ページに更新があった。恋愛の超克相対主義本の書評。前者と同じ著者の「もてない男」はかつて楽しく読ませてもらった。

カネゴン足りない頭で何となく思うのだが、山形氏のように頭のよい人たちは、昔のように「何とか主義」を絶対的に信奉することができないことについて悩んでいるような気がしてならない。今更流行の主義主張にのって騒ぐのも恥ずかしいし、さりとて昔にあった主義で使い物になりそうなのがあるわけでもない、というところだろうか。頭の良さが、基本的にその人たちの足元を切り崩す方向に使われてはいても、切り崩した後に何か別のものを打ち立てるわけにもいかず、それが悩みとなっているような。そういう人たちにとっては、イスラムのような「絶対帰依」ができる人がある種うらやましく見えるのでは。「絶対帰依」には「さしあたって個人的な悩みは消える」という見逃せない効果があることは間違いない【川内康範主義もどうかと思うおれカネゴン】。

ゴスペルで「Lean on Me」(私を頼れ)という曲があるらしい(聞いたことはないけど)。頼る相手をことごとく葬ってしまった後では、果たして何に頼ればよいのやら。時にはこっそり甘えたりはしゃいだりしたいこともあるだろう。カネゴンの知る限りでも、社会的にしっかりした人は、意外にプライベートでは子供のようになる傾向があったりするようだ。カネゴンは普段の詰めが甘い分、いざ甘えるとなると大根役者になってしまう甘え下手なり。読書猿は、その辺の悩みを自力で克服したように見える。

なんちって。

バーチャルアナウンサーは顔が怖い。ホラーだ。こんなものに目線が合ったらと思うといてもたってもいられない。

ホラーの基本は「かわいらしいものの中から恐ろしさを見出すこと」と勝手に決め付けることにする。ピエロの格好をした殺人鬼というモチーフをよく見かけるが、実際にアメリカでそういう事件があったのがきっかけらしい。しかも少年専門で、犯した後殺して食べるというフルコース。当時はかなりショッキングだったと想像できる。このかわいらしさと恐ろしさのギャップが大きいほど効果は絶大なり。そういう意味では、「禁欲とエロさ」のギャップが大きいほど効果があるのと似たところがあるかもしれない。

定義次第で宇宙が変わるか。カネゴンは、定義は重要だとは思うが、決定的なものではないと思う。ここでいう「構成主義」というのが何なのかはよくわからないが、フレドリック・ブラウンのSFで見かけた「唯心主義」(自分が死んだらこの宇宙は消滅するという考え)とかいうものと似ているような気がする。この「構成主義」、単なる自分中心とどこが違うのだろうか。坂本龍一が「B-2 Unit」のジャケを「ロシア構成主義っぽくして」と指定したという話をどこかで読んだが、関係はなさそう。

「霊とは何か」を定義することは【すな】、霊能師と科学者が議論する上で欠かせないものだとは思うが、定義次第で霊があったりなかったりというのは何だか違うような気がする。

何だか主義主義してしまった。主義と書くと背伸び感でまくり。主義者と書くと「アカ・地下潜伏・特高・拷問・取り調べ」が連想されてしまう。

Excel の統計関数にバグが。それについての唯一の公式情報。バグ自体は珍しいものでもないが、まったく修正されずにここまで来ているとなると話は別。Excel で行った統計処理はことごとく信用できないことになってしまう。カネゴンとしては無責任にそういうことを書くのではなく、自分で検証せねばなるまい。しかしそのためには統計を勉強しなければ。教えて、Kanamong。

2001年06月07日(木)


今日の頭音「The end of Asia」坂本龍一

ここ数日、どうやら憂鬱気味だったらしい。こういうのはこういうので癖になるので気をつける。といってエネルギーが有り余ってパワフルなカネゴンというのも想像しにくい。

Slashdot.ne.jp より。たった二人で映画を作ったというAppleの宣伝ページ。ハイエンドは永遠に金がかかるだろうが、ローエンドの敷居はどんどん低くなっていく。シンセサイザーの普及による音楽の敷居の低下と同じ道をたどるであろう。

それから、泡で字を書くbitなる技術。空中でやると風が吹くたびにめちゃめちゃになるだろうから、適度な粘りを持った液体が入った平べったい水槽の下からずらりと泡を出して字を書くというものだろう。「王様のアイディア」での発売は確実なり。自作キットなどあればなお楽し。ヒデキ指数=70。

あと二週間もすると、仕事のペースがやや緩んでくるらしい。先のことなどわからぬ職場につき、期待せずに待つことにする。

故あって新宿西の十二杜通りを歩くと、噂の「十二杜温泉」があった。本物の温泉で一回1900円なり。新宿に近い割に交通がかなり不便なので知られていないのであろうか。その近くにはAstroartsを発行してる出版社もあった。このあたりは全般に家賃が安めであるようだが無理もない。大江戸線も巧みにこのあたりをかわしている。狙い目であろうか。

トクするページ、ADSLを検証。実に明快な ADSL 解説なり。これ以上何を付け加えることがあろうか。今のところカネゴン家では ISDN ルーターを使いつづけているが、これで踏ん切りがつきそう。

つのだじろうのホームページが移転の上、大々的にリニューアルされた。まっことまっことめでたき。新マスコットPILOLOが大変可愛い。どこかでとてもよく似た人を見たことがあるような気がしてならないのだが。

新コーナー彩数占い。カネゴンの結果は以下の通り。実に耳が痛い。

○○さんの占いの結果

 あなたは時代の流れの、情報の入手は早いのに、行動を起こす事が人よりも遅く、その遅れを取り戻すために、無理をすることとなります。入ってきた情報がうまく活用できなければ、せっかくのチャンスも人に先を越されてしまいます。まだ大丈夫だと、のんびり構えていると

人において行かれます。身近な人は、あなたをいつも応援しています。たまには気づかう優しさを見せてあげてください

。  鋭い洞察力と実力を持ちながら、

力を出し惜しみするあなたは、努力を苦手とし自分と向き合う事を恐れます。自分を甘やかさず忍耐強く、物事に立ち向かえば、大きな成果をあげられるはずです。用心深さが危険を避けてくれますが、用心のしすぎは大きなチャンスを逃す事にもなります。

 あなたは人を援護する能力に優れていますが、

突発的な出来事にはパニックを起こしてしまいます。自分の能力を信じ腹をすえてのぞめば、慌てることなく問題は解決できます。穏やかな気持でいることが、人に安らぎを与えます。恋をすると相手を思うあまり、世話を焼き過ぎてしまいますが、相手の反応に期待を持たなければ、落胆する事もありません。

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あなたはどちらのタイプ?

 橙色の部分が多い人ほど周囲の人たちと協力しあって物事をすすめ、集団の中で個性を発揮します。

 青い色の部分が多い人ほど物事に対してこだわりを持ち、孤独な作業のほうが集中力を発揮し成果をあげられます。

(結果は青と橙色が完全に半分ずつ)

【カネゴン占いのしすぎぞい】

2001年06月06日(水)


今日の頭音「Abbey Road」ビートルズ

もう少しまじめに仕事をします。

あともう少し、まじめに仕事をします。

この日記はこれまで何とかネタがかぶらないように書いてきたつもりだが、今後どうなるかはわからない。カネゴンが年を取ったら、カネゴン日記に同じ内容が繰り返し現れる「新型の老人ボケ」にならないという保証はどこにもない【まったくだおれカネゴン】。

ドイツで、ある高名な外科医が精神分裂症を発症し、手を洗わずに手術を行ったりして大勢の患者を死なせてしまったという事件があったのだそうだ。本来のオチは「狂った人間が権威に守られていると見過ごされてしまう」という教条臭いものだが、これがボケであったらずいぶん高度なボケ方であるかもしれない。

だいたい、専門分野において正常で他はボケるということが多いと言う。ギタリストはギターを持つとしゃっきりし、料理人は包丁を持つと見事なキャベツの千切りを刻んでしまうのであろうか。古館伊知郎のように喋りを専門にしている人がボケた場合は、喋りは普通のままなので単なる普通の人になるのであろうか。何が専門なのか自分でもわからないカネゴンの場合はどうであろうか。嗚呼。

「一人で何でもやる」のがジェネラリストだとすれば「私はこれしかやらない」のがスペシャリストということになる。何となくだが、スペシャリストというのは平和な、安定した世の中においてのみ通用するものであるような気がする。「明日のこともわからない」とまでいかなくとも、未来に対する予測がつけにくい状態では、スペシャリストであることが(正確には専門を完全に固定してしまうことは)良い選択とは言えないことになる。江戸末期にあふれかえった大量の素浪人は、(殺しの)スペシャリストゆえの悲劇だったのだろう。

カネゴンよく知らないのだが、高度成長期には「これからはジェネラリストの時代だ」みたいなことが声高に言われていたとのこと。ひるがえって最近は「スペシャリストの時代」みたいなことを言われているみたいだが、先のことから考えると、どうもちぐはぐというか逆のような気がしないでもない。それとも求められる姿が案外実情を反映しているのだとすれば、スペシャリスト流行りの今は、実はこの上も無く太平なのかもしれない【カネゴン断定を避けとるのう】。カネゴンはスペシャルであろうとなかろうと現場には向いていない。

2001年06月05日(火)


今日の頭音、なぜかモーツァルトの「フルート四重奏」

どうやったらまともな社会人になれるだろうか。

イソップ物語の「アリとキリギリス」は、子供向けのオチは「冬になって食べ物がなくなったキリギリスにアリが食べ物を恵んであげる」というものだったが、イソップそのままの話では「夏の間歌っていたのなら、冬の間踊っていなさい」とアリが痛烈な農耕民族的嫌味をキリギリスにかましていた。嗚呼。

デジタルデータはタイムカプセルに不向き。以前「特命リサーチ」でもこのネタをやっていた。著作権の問題でタイムカプセルに流行歌を入れられないとか、まったくもって人のことは言えないがどことなく間が抜けた感じがするのはなぜだろう。

湖底に眠る古代都市。ヒデキ指数は一気に 200 を突破する。この記事の扱いが全般に小さいのはどうしてであろうか。藤子・F・不二雄が存命であれば必ず漫画にしたことであろう。Wish you are here.

ほかにメディアの(ましな)使い方など。

久々に心洗われるページ忍びの歌、MIDI データがついているが果たしてどんな音なのか。「忍びフォント」も導入してみようか。こういうものこそTRONに取り入れよう。これは「さわだん」のためにあるようなソフト。

2001年06月04日(月)


今日の頭音「ジンギスカン」

栞と紙魚子の○○事件。このページではどさくさにまぎれてずいぶんひどいことが書いてあるような気がする【おまえが言うなおれカネゴン】

ものすごく昔に見かけた富島健夫のポルノ小説か何かで、主人公が夜の公園で立ちんぼうに殴りかかり「女に声をかける度胸がないからホモに走る」などと暴言を吐くシーンがあった。何にも知らないカネゴンアイを通してみてもこれは相当滅茶苦茶な発言であり、何のフォローもないあたりからして作者は本気でこういうことを考えているのだろうかと思ってしまったりした。女に声をかける度胸がなかったら、男に声をかけるのはなおいっそう度胸がいるのではないかと思ってしまう度胸なしのカネゴンであった。

横着者のカネゴンは、「ハードディスクのないPC」つまりキーボード以外の可動部分を追放したPCをつい空想してしまう。しかしよく考えてみれば、金さえ惜しまなければフラッシュメモリーか何かを大量に接続することで現在の技術でも十分可能になる。それも日曜PCクラフトのレベルで。最近とんとPC ハードウェア雑誌を読まないカネゴンだが、そういうアホなことをしている人がとっくにいるかもしれない。今回はあえて探さないが、昇給したらやってみようかと思う。

本当は、メインメモリーが不揮発性になって、ストレージからのロード/セーブという概念自体なくしてしまうのがよい。目指すはオンザフライ(スイッチを入れたらPocketBoardのように即使える)【できるんかおれカネゴン】。

2001年06月02日(土)


今日の頭音「たまらん、たまらん、たまらんぜ」

先日、カネゴンの特撮師匠「黒の道化師」氏がこの日記を読んでくれていると風の便りに聞いた。まことありがたきことです(リンクは無関係なり)。

前にも書いたかもしれないが、カネゴンに特撮の深遠なる世界を手ほどきしてくれた師は、腰まで届く長髪で私生活は謎に包まれており、ほぼ草創期から夏冬コミケに参加し続けている古参であり、ゴジラのコレクションに関しては日本で3本の指に入る権威であり、シンセサイザー奏者にして大量のアナログシンセサイザーも集め、60年代の少年サンデーも漏れなく収集し、ヨーロピアンプログレと美少年にも精通する、まさに「一人ヒマラヤ山脈」である。特撮アニソンなどは師にとって初歩中の初歩。ほかにもどんな隠し球があるかわからないので油断は禁物なり【何人師匠がいるのだおれカネゴン】。

師は、彼と双壁のゴジラコレクターである銀英社の伊藤さんと会うたびに「アレを譲ってくれ」「アレをくれるなら考えてもいい」と火花散るやりとりを繰り返している由。二人のコレクションを合体させるとその場で日本一のゴジラ本が製作できてしまうと人の言う。一度仕事帰りにカネゴンとともに「まんだらけ」に寄ったとき、おもむろに手帖を取り出して、収集済みの少年サンデーのバックナンバーと書棚とつき合わせてにらめっこし、てきぱきと購入する姿にカネゴン瞠目す。

師の持論は「商売というものを知りたかったら同人誌を作ってコミケで売るに限る」。原価計算、価格設定、何部印刷してどのぐらい売れればもとが取れるか、広告、収益の分配、など商取引のすべてが凝縮されていることは間違いなく、一般的なイメージとは逆にノリ一発で作れるものではない。国税庁もコミケを狙い撃ちする昨今である。

師の父はかなり早くに税務署を退職して鉄道模型屋(すべて手作り)を開業し、その道では知らぬ者がないという。模型屋(すなわち師の実家)は京王線沿いの住宅地の実にわかりにくい場所にあるのだが、マニアはどこをどうしてかわからないがたどり着くのだそうだ。幼少期にプラモを買ってもらっても父に全部作られてしまうのがいやだったらしい。特撮界のサラブレッド。

昨年10月の「あけてくれ」ライブ客入れでかけた音源は師から提供していただいたものである。この場を借りて深く感謝いたす。アーメン。

2001年06月01日(金)


今日の頭音「(京マチコの)黒蜥蜴」黛敏郎

トイレに行きたい。

岡田斗司夫の日記はきわめて面白いが、これまであまり頻繁に更新されなかった。ところが、TV Bros. の連載が終わったあたりから実時間に追いつくようになってきたらしい。本日久しぶりに見に行って、タイムラグが一月程度にまで短縮されていて驚いた。

それにしてもいつもながら切れの良い文章。頭がよいというのはこういう人のことを指すのだろう。それを本人がうれしいと思うかどうかはもちろんまったく別問題なり。この人の場合、あるときは「俺って冴えてる」と思い(躁)、あるときは「自分は世界一のうすらばか」(鬱)と周期的に思いが入れ替わるようだ。つくづく自己評価ほど当てにならないものはないと痛感。そして16日(火)の日記にはしばし沈黙するのみ。

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