2005-09-09 刀狩り
基本的には住民は重火器を持ってはいけなくて、持っていいのはオフィシャルな命令執行者だけにするぞ、というのが今日のニューオリンズらしい。今さらなんだ、という気は相当にするが、アメリカの特に中西部から南部ではこれはそう簡単なことではないだろう。「刀狩」を実施するには実施するだけの人的資源も必要だ。
New Orleans Begins Confiscating Firearms as Water Recedes
でもって、退去しないとがんばっている住民の問題が昨日あたりからテレビに映されていた。
いろいろ理由はあるようで、無事なんだから出て行く必要はない、避難所暮らしなんかしたくない、ペットを残せないじゃないか、行方不明になっている妻は必ず帰ってくる、だから俺は家を捨てない等々個々にいろんな理由があるようだ。
特に誰かを避難したいわけではないしだからどうしたというのでもないのだが、避難しなかったのはできない人たちだったからだ、という初期に圧倒的な勢いで紙面、画面を飾っていた説は必ずしも正しくはなかったということになる。どうしても出ない、誰がどんな権利があって俺を追い出すのだと怒っている人がたくさんいた。
テレビで見た映像では、車の中に陣取ったまま絶対出ないとがんばってるおじさんが印象深かった。でもって、様子から見てちょっと普通の精神状態には見えなかった。これは水害のパニックかもしれないし、それだけでもないかもしれないし、どちらかはわからないが、ともあれ現状、常識的な判断ができなくなっていることだけは確かだった。暑いし、水もない、家ならともかく車の中だ。その時ですでに水害の日から4,5日たっているわけで、生きていたことがとりあえず幸運だったかもよ、という状態だ。が、それでも救援者(州兵のように見えたが)の説得に応じず、最後は、兵隊のにいちゃんたちが、車の窓をハンマーでぶち壊して引きずり出そうとした・・・がそれでも限界がある。出せない。で、さらに話を続け、結局、タバコでもどうだとなって、これが効いて、おじさんは車から出てきてボートに乗った。
おじさんの状況はあまりにも極限だったので、こういう「強制執行」は基本的にはどこに出してもとがめられることはないだろう。が、しかし、家に住んでいたら? これは難しい。で、結局、水を補給したりしてそのまま、要するに説得失敗になるケースもあったようだった。しかし、しかし、街が機能していない以上、この人たちの生活物資は、また誰かからの補給を受けなければできない。店がなけば物資は底を尽く。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20050908-00000417-yom-int
さらには、そこら中にまだまだある水そのものが、許容できるレベルを超えていて、健康被害をもたらすからできるだけ接触するなと昨日から報道されている。誰が考えてもそれはそうだ。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20050908-00000095-reu-int
もちろん、存外に早く水が引いていっている地域もあるようだから、一概には言えない。また私的なリソースがでかい人も大勢いる。が、基本的に街が機能していない限り物資の調達が難しいという状況は続く。その上持病があったり薬が必要だったらなおさらだ。リスクとしては小さいとは思うが(そうあってほしい)、飼い主を失った犬がものすごい数存在しているはずだがそれはどうなっていくのかというのもある。
結局のところ、本人が出たくない気持ちはよくわかるにしても、この状態、つまり個別に物資調達を援助するようなことを何千人の人に許すほどのリソースはあるのか? ということだ。強制的な避難強制が安上がりで、部分的にはフェアだということになるだろう(避難している人にしたって帰りたいだろうがある程度の復旧がない限り自分ひとりでどうなるものでもないと思って帰らずにいる人も大勢いるだろう)。
誰が俺を移す権利があるのだ、という問いに対しては、誰もないと言ってもいい。しかし、よくも悪くも、現代社会のコモンセンスは、危機にあっている人を見過ごしてはいけない、というものだし、国家は個人を守るものだ、などと言ってもいいのかもしれない。しかし、それは国家に自らの主権の一部分(たとえば、自分の妻が殺されたら相手の男を俺は殺したいしある意味でそれはわからない理屈でもないのだが、これを国家という集合体に分与する代わりに国家がそれを肩代わりする、私法の代わりに公法をという話が前提ではあるはずだ。
そういうことを考えながらこれらの映像を見て、そしてアメリカに住む人々の話を聞いていると、結局のところ、刀狩りの経験なく国家をやってるツケだなとかも思う。
少なくない人々は、物資が十分にいきわたってない、救援が間に合ってなかったし、今も十分ではないという意味で、「ここはアメリカか」と怒っているのだが、アメリカだからこそ起こり得たことも多分にある。
死体が転がってる街になっても退去しないと言い張る人をどうしたらいいのか。下の写真のおじいさんなんか腐敗してるからできるだけ接触するなといわれてるその水に漬かってるし・・・。
Macabre Reminder: The Corpse on Union Street
当たり前だがそれこそアメリカ人が考えることで、私たち外にいる人にしてみれば、とりあえずどうでも使ってもらえ物資を届ける以外には何もできない。さらにいえば、アメリカのメディアおよびアメリカ人たちがここ焦点をあてる気は多分ないのかなとも見える。しかし、これがアメリカで起こっているのではなく、どこか他の国で起こっていたのだとしたらアメリカの世論は、強制退去、撤退、避難を人道的で効率的なことだと判断したのじゃないのかな、などとも思う。それがみんなを助ける最もいい方法だと信じています、みたいな。
カナダで聞いたラジオの、かなり言いたい放題の番組の中では、電話をかけて来た人が早い時期だったと思うが、強制避難の手続きを取れないことがまずこうなった大きな原因だ、これをなんとかしない限りまた問題が起こるとがなりたてていた。
また、今週月曜日に紙版が届くスケジュールのThe Economistでは、緊急時の準備についての問題は、誰が、もしかしたらニアミスかもしれない事態に備えて政府が人々を強制的に移動させる話に賛成するのか、この問題は批判するのは簡単だが解決するのは大変だ(概略)と既に書いていた。
日本の場合こういうことは、あまり問題にならない。それもこれも別に政府の権限が強いからなどという理由ではなくて、経験的に、みんなで避難するってそういうことだ、というのを子供の頃から叩き込まれているからなのだろうかなと思うし、そうなる最大の理由は、年中台風やら地震やらがあるからだ。ヨーロッパ人とその子孫には肌身としてはなかなか理解できないのかもしれない。
(とはいえ、全部ではないが、カナダ人を見ていると、そうでもないのかな、などとも見えるのだが、何が分けているのだろう?)
★参考
この項についての「圏外からのひとこと」さんのアプローチ。基本的に歴史的、現状的な理解としては私も同意。問題はその次どうするかの視点の取り方なんだと思うんですが、圏外さんからリンクを辿った内田樹先生が言及してらっしゃる通りの「左翼」の言動が、左翼とみなされずに、激しく顕著に見られます。いつも思うんですがアメリカこそ左翼理論が生き生きと生きる可能性のある地ではあったんですよね。この件についてはいつか稿を改め書きたい。
http://amrita.s14.xrea.com/d/?date=20050909
カトリーナのもたらした災禍
http://blog.tatsuru.com/archives/001212.php(内田樹の研究室)
■ カナダの支援 
ハリケーン被害のニューオーリンズ郊外に米軍より早くカナダ隊到着
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20050908-00000082-reu-int
米軍より早かったことで誇ったりはしないだろうが、誰かを助けることを早くできたことは多いに誇りにしていいし、そうしてくれるだろう。とはいえ、大きなところ、つまり連邦はなかなか動けなかったのだが、おとといだったかに大西洋岸のハリファックスから、our shipsと、要するに軍艦なんだが、銃弾を積み降ろして物資を積みなおして出かけていった。今日あたりに湾瀉和咾謀?紊垢襪呂此
フランク・ストロナックという億万長者として名高い人が、マイアミにある自分の会社の研修施設を開放して300人を収容、食事、着るものなどのお世話をしている。
様々な団体、殊に赤十字、教会関係者、そして音楽関係を通しての募金、寄付金集め、つまり、ファンドレイジングはとても活気がある。
トロントのレストランのオーナーで、そもそもはカナダ人だ?縫紂璽?螢鵐困縫咼献優垢竜鯏世鮖?辰討い訖佑?餠盻犬瓩縫僉璽謄?爾魍?い燭蕁?麌佞?燭?気鷭犬泙辰燭箸いο辰?舛┐蕕譟△修譴鮗?韻織?礇好拭爾?◆right attitute」と言っていた。
テレビはこれら、今何が必要かと何をやっているのかに焦点が合っていて、アメリカの政府批判にはどちらかといえば冷淡。現地入りしている記者の数も結構多いように見えるのだが、彼らにしてみれば、言語、環境的に別に外国に行くような話しではないのでどこにでも入っていけるし話も聞ける、で、そのライブな感覚からもたらされるものの集約の1つには、ここ数日、どうでもいいけど、とにかく、その街中の死体を早く片付けないのか、どうにかならんのか、があった。
昨日の昼間のニュースではついに、「わかりますか、トロントで言えば、金融街のすぐ先、CNタワーのまん前の通りに死体が何日も何日も転がってるんですよ!」と言ってその場所を映していたが、夜のニュースではその部分がなかった。センセーショナルになり得る、という判断だろうか?(死体は映さないようにというお達しがあったのは知っているのだが、ニュースの映像はそれを理解した上での遠映しだったように見えた。)
■ 先は長いわけだが 
今もっとも非難されているのは、この人。FEMAのマイケル・ブラウン氏。
Outraged Americans clamour for Katrina scapegoat
FEMA head may fit the bill
それはそれで必要なことではあるのだろうし、私自身はこの人に処理対処能力があるようにはまったく思えない。不適切な人材が不適切なところにいる。
が、上のようにまだ事態は続いているのだし、その上、街が機能しなくなっているということは失業者が大量に発生しているということだ。いつまでも緊急ではいられない。でもって、それが長期戦になるとしたら、全員のうちのいくらかの人々は他の自治体に移ることになるだろう。この時また、移りえる能力をめぐってもめるだろう。つまり、自力で移れる能力と資金のある人とそうでない人。他の自治体にすれば、前者は普通の意味でのworkerの移動プラス・アルファで考えられるだろうが、そうでない人たちを引き受けるにはそれなりの覚悟が要る。
10,000 Katrina-Linked Jobless Claims Filed
http://biz.yahoo.com/ap/050908/economy.html?.v=19
(ハリケーン被害の1万人が失業認定を申し込んだ)
トロントのあるオンタリオ州では、州外から学校に通うために来る人の学費はタダにしてもいいよ、というオファーをしていて、既に湾岸地区から問い合わせがあったのだそうだ。で、つまり子供を引き受けるってことは親もってことだろう・・・。ということは、現実にはどういうことになるんだろう?よくわからんが、やっぱりあれか、何かしたいのは山々だが、国外であるカナダが、移住歓迎しますよ、とかは言えなかったのでこんなことになったのだろうか?
■ 言葉と事象 
http://www.wafu.ne.jp/~gori/diary3/200509041236.html
goriさんが怒っている。
岡田克也 「もしあの戦争が正しかったという日本人が増えているのならね、我々はそれは体を張って戦いますよ。そんな事絶対許さない!絶対間違っている!!」
私は、なぜ?と思うだけであまり怒ったりしたい気にはなれない。そう、なぜなのだ、なのだ。
あの戦争が正しいと思っている人が世の中に存在したとして、それが何だというのだ?でもあるし、そもそもどんな事件であれ別の当事者は別のことを考える契機を持ち、それをどう語るかは結局のところ個人の知識、知性、発話習慣などに大きく依存し、個人の歴史や知識、知性、判断力の集成がそれを決する。他人が、あなたの考えは間違いだと言ったところで相手の頭の中を変えるわけにはいかない。
だから、他人に対してある個人ができえることは、事実の修正を求めることとか、いくらなでも違うだろうと思ったら、こうではないのか、と別の意見を提示するぐらいのことしかない。政府が言論を統制できるようなことを言う人がいるが、それは公の場でのルールを仮に施設して、妥協を求め合っているだけであって、そんなことはできはしないと思う。あ、言ったら罰金、発表したら命はないぞとして、強制的に表に出てこないようにすることはできるわけだが、それだって時間制限ありだと思う。ソ連崩壊を思い出せば、人ってそんなに簡単に政府の言うことだけを信じてそのまま生きるってものでもないのだよなとただそれがよくわかる。
で、ある言論が、しかしながら、これはまずいだろうと判断される場合もあるだろう。それは、その言論が、事象A、Bを惹起しているという因果がはっきりしている場合じゃないの?
つまり、こう考えるからこういう行動に出る。この行動が著しく許諾できない結果を引き起こしている。だからそう考えるのは止めたほうがいい(これでも考えの強制排除はできないと思うが)、と。
「目には目を」を文字通りに受け取っていたら、私法を許すことになるのでそれはこの社会にとっては不適切です、ですから、「目には目を」を個人の原則にしてもらうわけにはいきません、という場合、この「目には目を」は、この社会にとって許諾できない考え方となる。
しかしこの場合でも、「目には目を」という考えがいけないのではなくて、それを行為に繋げた場合にとがめだてを受ける、ということだ。
でもって、しばしば人々の行動と言語とは矛盾する。大東亜戦争万歳と言っているおじさんが、チャイニーズの身元引受人になって結構骨身を削っていたケースを私は知っているが、おじさんが矛盾に苦しんでいるようには見えなかった。それはそれですよ、という感じ。
で、岡田氏は、一体何と戦う気なんだろう? 日本人の脳みそと戦うのか?
司会の田原総一郎氏が「最近は『大東亜戦争は正しい戦争だった』という世論が増えてきている」と分析を披露すると、民主党岡田克也代表が凄い剣幕で捲くし立てた
これによって、どういう行動が惹起されているのか、それが因果関係が推論によって正しく論理的に、説得的に提示されているのであれば、岡田氏の言うことも、なるほどと思える契機は誰にでも(とはいわないが)あるだろう。
たとえばなんだろう? なんだかわからないがあるとして 仮にそうなら、それががどうして悪いのか、回避するべき事態なのかを彼は立論しないとならない。ある言論をとめようとするのって、結構大変だ。
goriさんによれば、街頭演説のうちの少なくとも1つのシーンはこのようなものであるらしい。
しかしまぁ岡田代表の街頭演説のダイジェストとか見ると「このままじゃ日本がぶっ壊れる」「もう時間が無いんです!」「日本はもうダメです」とか殆ど脅迫ばっかりだな。散々恐怖心を煽るだけ煽って「だから民主党に一度やらせていただきたい」ってスゲエよ。新興宗教とか薬事法違反の健康食品販売みたいなノリだな。
「大東亜戦争は正しい戦争だったという世論が増えている」からもたらされる何事かも不明だが、「日本がぶっ壊れる」「時間がない」はもっとよくわからない。ま、経済対策の失敗で国家運営に支障を来たす可能性はあるけど。
とことんわからない人だ。
というわけで、なぜそうなのか、なんでこういう考え方をし、かつ、それに対して疑義を持たず、当然正しいという態度で迎える人が政党の党首なのか、と、疑問は尽きない。ただ、現実として、こういう論法の人々は世界中にいることはいる。でもって、ここ数年の傾向はむしろこれら言論封鎖系、「正しい言論」をまず人々に言わせる、みたいなことに熱心な人々が脱落していっていることではないのか、など思ったりはする。
で、日本ってマジョリティが教育されたサラリーマンだから、こういう「あおり」では動かないと思う。あおりで動かない人々だというわけでは決してないと思うが、これじゃない。
でので、世界的にも、そういうことなのかななど思ってみたりもする。つまり、自分で読み書き算盤だけじゃなくて、自分の人生はたとえば金銭的にはきわめて大変でっせだとしても、ともあれ自分でマネージしまっせという人々が増加した結果、ある種のあおりや雑なグループ化で人々が動かなくなった、と。
いずれにしても民主党の選対、どうなってんの?
■ 闇は深い→虚報は踊る 
今週読んだありとあらゆる新聞、雑誌の中で文句なく最悪だったのはこれ。
http://www.mainichi-msn.co.jp/shakai/wadai/news/20050908k0000m070137000c.html
まず第一に事実認識に誤りがあるし、「人種のサラダボウル」という語の使い方もおかしい。
サラダボウル化が一層進んだ米国には、結局2種類の人が住むようになった。ハリケーンが来ても逃げる手段のある人とない人だ。そして連邦政府の関心は、被災者のケアより「荒くれ者」を力で排除することにあるようだ。
これ、サラダボウルの結果なのか??? 基本的にこの著者はサラダボウルをよくわかってないようだが。でもって、「被災者のケアより「荒くれ者」を力で排除することにあるようだ。」って、何をあてこすっているつもりなのだろう? 最初から最後まで、著者の思い込みと心情吐露以外には何もない。
どのへんに焦点があるのかなぁ。米帝と戦う弱者、弱者被害者は全員善意の者みたいな感じか。それこそものすごく差別的だと私は思う。
もちろん、小松さんという人がそういいたければそれでもいいし、だからそう言っているのだろう。で、その結果言論の質を問われるのは仕方がないし、それを載せた毎日新聞も、なるへそそういうものかと読まれる(か無視されるか)だけだ。
いやぁ、しかし、このいい加減さはなんでしょう。アメリカの「闇」は言うまでもなく深いのだが、毎日新聞の「闇」も深い。闇は闇でも、暗愚の闇だが。
私としては、毎日新聞が外信を出さない媒体になってくれるのなら、どれだけ馬鹿になってもいい。または、日本国内の動向と同じように、ああいう新聞なんでしょ、と日本以外で読む人々も納得してくれる事態になるのだったら、どれだけヨタでもいい。単純に、こういうのが日本のメジャーな新聞だという触れ込みで紹介される事態を避けたい。第一に不名誉、第二に、やっかい、誤解のもと(日本の認識はこうなのではないのか、と話を向けられても、こんな人たちの頭の中をいちいち解説するのはつまらない)。
日本国内の人は、もうこの手の言辞には慣れてしまっているので、誰も釣られない、害はない、楽しみの一つになってると思うし。
★参考
http://d.hatena.ne.jp/Soreda/20050806#1123266151
なんかあると、どんな事件でも、俺たちは400年の間、ブリテンやらフランス、スペイン、ポルトガルetc.の支配を受け云々、ヤツラに盗まれた云々、ヤツラはこうでああでという批判を最後に付けはじめるというのは、やっぱこう、どっかで打ち止めにしないと本人たちが苦しくなるばかりじゃないのよ、と思っていたのだ。いつまでも、「they」(この場合ヤツラ)という語を同じ国の中でやるのはどうかと思うよね、人種というのにフォーカスを当てていいところと悪いところの区別がないのが痛い人が多すぎる云々、などというのが私と友人のこうした中米というか、カリブ海の出身の人々への考えだった。
で、カナダでは、肌の色の黒い人を総督にする。この意味は、黒人が勝ったとか負けたとかじゃなくて、どうやったら「サラダボウル」を維持できるのかのシステム強化だと私は書いているのだが、アメリカだってその悩みは同じだし、言うまでもなくもっと深くて大きい。
しかし、当たり前だが、それを解決しようとしている人々がいないわけではない、いる。現在大量に入っている援助部隊は一体誰だというのだ? また、北米のみならず世界中で資金集めに余念のない人たちのやっていることはなんだ??
が、そこでそういう努力の方、本当に役に立っているものを見ずに、人々がネガティブになる方向を取り上げ(しかも事実関係がおかしい)わざわざ大新聞を使って書く。その姿勢を私は忘れない。
★★軽い驚き
日本語で読めるブログ界隈では、ひょっとして、例の略奪騒ぎは、取り残された住民がやむにやまれず食べ物など日用品を取ったという話になっているのか?
そういう人がいないとは言わない。が、実際には、その際に銃を含むその他の商品をカートに入れて積み込む人々だとか、警官だって見過ごしてるんだぜ、といった発言をしている人とか、なんだりかんだりと、口あんぐりのシーンが報道されていた。写真も結構出回ってると思う。道端で無料で配られる紙媒体にも出てた。で、これを否定している人は北米にはいないと思うんだが・・・。
もちろん、仕方ないだろう、貧乏なんだから、という理由で実質的にお咎めなしになっているのが実情というか、暴動とくればこの手のなんでだかわからない略奪ありというのがアメリカ的にはもはやデフォだと言う言い方が正確かもしれない。(私は前にも書いたようにこの態度をデフォにするのはよくない、と考えているわけ。非難するべきだしされるべきだ、より良い隣人になるために、という考え。)
で、日本ではそれを、憎悪を煽っているとかなんとかと解釈する向きがいる、と。
(だから、米軍が発砲を許したというのが、恐ろしい話だという上の毎日新聞の説になるのだろうな、なるほど。)
これって、なんでしょう? 見るもの見ないで勝手にこしらえた像に向かって腹をたてたり同情したりしているだけだ。ま、それも勝手といえば勝手だが、ともあれ事実とは異なっていることは広く知られるべき。
たまたま見たサイトがそうだったということだといいのだが、もしかしてこれって選挙中でもあることだし、ブッシュ=悪、だから小泉も、みたいな筋にしたいから話がこじれているのか?
虚報が踊っている。
http://www.wafu.ne.jp/~gori/diary3/200509091513.html
■ メモ:チャイナ 
Report: U.S. probes Bank of China
Scrutiny focuses on possible N. Korea fund-raising connection
http://edition.cnn.com/2005/WORLD/asiapcf/09/08/financial.china.reut/
# Baatarism 『「大東亜戦争は正しい戦争だったという世論が増えている」のではなく「中国や韓国の言い分はおかしいという世論が増えている」だと思うんですけどね。彼らの言い分はおかしいと考えることが、即大東亜戦争の肯定に繋がるわけでもないですよね。
田原さんや岡田さんにはその区別がつかないのでしょう。』
# Soreda 『どもども。お久しぶりです。確かに「大東亜戦争は正しい戦争だった」とガチで言ってる人の数が増えているようには思えないですね。相手にとってはそうは見えないが俺は俺で当時の人々の判断もやむをえなかったと思う、といった緩いといえば緩い判断の人の方が今でも多いのではないですかね。で、田原じーさんが、正ですか否ですかとフル。すると否定はしない、と言う人は全員正にカウントされる、それは大変だと誰もいないところで、影を相手に怒る、と。このおじーさんは区別ができないというより、自分で自分を煽って騒ぐのが好きなんじゃないでしょうか。芸風ですね。ジャスコ岡田氏も解釈論法は同じだと思うんですが、彼の場合それが「芸風」にとまらず、仮面が顔に食い込んでいるって感じがするのが怖いです。あはは。』