「ノミ・ソング」恥ずかしがり屋の異星人、N.Y.にあらわる [映画レビュー※ネタバレ注意]
私の、クラウス・ノミにまつわる最古の記憶は(この映画でも紹介されている)石橋楽器の「人間、音楽だ」というポスターである。モノクロの人間がいつまでも不思議と幼心に残っていた。
彼と再会したのは、知り合いがニューウェーブ好きで、スネークマンショーのベストを借りたときに収録されていた「The Cold Song」にて。あのモノクロ人間はカウンターテナーを操る“異星人”だったことをはじめて知った。クラウス・ノミの曲やPVが見たいと思ったが、そのときはもう彼はこの世にいなかった。享年39歳。遅咲きの異形の花だった。
彼と再会したのは、知り合いがニューウェーブ好きで、スネークマンショーのベストを借りたときに収録されていた「The Cold Song」にて。あのモノクロ人間はカウンターテナーを操る“異星人”だったことをはじめて知った。クラウス・ノミの曲やPVが見たいと思ったが、そのときはもう彼はこの世にいなかった。享年39歳。遅咲きの異形の花だった。
(クラウス・ノミの動画はこちらhttp://www.youtube.com/results?search=Klaus%E3%80%80Nomi&search_type=search_videosちなみにデヴィッド・ボウイと共演したサタデーナイトライブの模様もあり)
この映画はノミの生前の姿、彼を知る人々、家族のインタビューで構成されている。なかなか凝ったつくりで、冒頭のB級SF映画をつぎはぎして作ったノミが降臨するシーン、また彼の叔母さんがなぜか紙人形姿(声だけそのシーンにかぶせている)で登場する場面など、製作者の、ノミに対するこだわり、愛情を感じさせる。そしてそういう作りこんだ感じがまたノミという人物を複合的に浮かび上がらせる結果となっている。
彼はドイツで生まれ、声楽家としての勉強を経た後、N.Y.へ渡り、かの地でクラウス・ノミとしてデビューする。だがクラブでの知名度の割には(そしてデヴィッド・ボウイとの共演といった割には)なかなか思うようにデビューできず。やっと投資家の助力を得て日の目をみるかと思いきやバッグバンドはそれまでの退廃的かつ宇宙的なコンセプトとはまったく違う70年代の古臭い長髪ワイルド系。紆余曲折の因果をめぐりながらフランスへ渡ったノミはそこでようやくレコードデビュー。フランスではかなり好意的に扱われ認められこれから、というときに、彼は「ゲイの癌」といわれた“奇妙な”病気に罹患し、そして。
彼はドイツで生まれ、声楽家としての勉強を経た後、N.Y.へ渡り、かの地でクラウス・ノミとしてデビューする。だがクラブでの知名度の割には(そしてデヴィッド・ボウイとの共演といった割には)なかなか思うようにデビューできず。やっと投資家の助力を得て日の目をみるかと思いきやバッグバンドはそれまでの退廃的かつ宇宙的なコンセプトとはまったく違う70年代の古臭い長髪ワイルド系。紆余曲折の因果をめぐりながらフランスへ渡ったノミはそこでようやくレコードデビュー。フランスではかなり好意的に扱われ認められこれから、というときに、彼は「ゲイの癌」といわれた“奇妙な”病気に罹患し、そして。
今まで私が抱いていたクラウス・ノミのイメージはこの映画を見て裏切られる結果となった。私はもっと戦略的にコンセプチュアルにあのヴィジュアルを選択していたのかと思っていたのだが、どうやら「自分が好きだから」やっていたようだ。彼の悲劇はそこにあるのではないだろうか。例えば寺山修司は土着というイメージを逆手にとって天井桟敷を見世物として作り上げていったが、そういうトータルで自分自身をプロデュースする能力(マドンナのいう俯瞰の目)が欠如していたことが最大の悲劇だと思う。もしくはそういう戦略を練られる人間が彼のブレーンにいなかったことも。(この辺をうまく成功させたのがジョン・キャメロン・ミッチェルだと思うのだが芝居関係は暗いので誤謬があればご容赦を)私としては彼を狂言回し、あるいはコロスという役回りにした芝居(レビューというか見世物というか)をロンドン、パリあたりで仕掛けたら非常に面白かったと思う。 (あるいはYMOとのコラボもみたかった。特に「体操」のPVでブルマはいてパフォーマンスしてくれたら歴史に残ったのと思うのに)
実人物としてのクラウス・ノミは非常に気の小さい恥ずかしがりやだったことは彼がテレビショーかなにかでパイ製作を実演している場面で容易に想像がつく。全身の神経がむき出しになっているような素のクラウス・ノミが垣間見えて、もっとも痛ましい場面だった。そういう彼を理解して静かに見守られる人物が彼を愛しそばにいたら、もうちょっと長生きしたかもしれない、と私は思う。怒りのあまり彼に関する曲も映像もみられない、とクラウス・ノミと同居していた女性はため息をついていたが、その気持ちはよくわかる。ハッテン場にいきペニシリンを大量に飲んではセックスに励んでいた姿は自滅以外の何者でもないからだ。
最後のほうで死期間近なノミが「The Cold Song」を道化のような扮装で歌う場面が出てくる。以前のあの豊かな声量を絶妙にコントロールし歌いこなしていた姿からは想像もつかないほど、衰え、必死に、声をだすことだけを第一目的としているクラウス・ノミ。鬼気迫る『痛ましき声』。彼は舞台を後にするとき、いつものパントマイムを少しだけ、する。舞台を振り返るような、あるいは舞台を含めた「すべての」観客に対してお辞儀をするような生真面目な姿は、最後の挨拶、そのものだった。
そうして彼は帰っていった。金星か火星か、彼の故郷のクリプトン星へ。だから私は、彼が再びこの地球に降り立つ日を待っている。異形の歌姫は再臨し、あの美しいCold Songを生真面目に歌うと私は信じている。いつか、きっと。
クラウス・ノミ。地球人と交わるにはあまりにもシャイな異星人だった。
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