nice! 2
ゆ〜ひ
tanuki
昔から男に対する母性本能というのは単なる共依存状態じゃないか、と思っている。つまり母性本能をくすぐられて、というのは幻想であり、あのひとは私がいなきゃだめなの、という女のその「あのひと」はたいていの場合「アナタ」がいなくても駄目な人であるという「定説」でして、基本的には二人の立ち位置は変わらず、ひと~りよ~りふたりがいいさ~というサンバルカンのテーマみたいな状況になるだけ、という気がする。駄目同士が支えあっているよ小さくまとまってバカじゃね?プゲラという言い方をする人もいるだろう。
だが果たしてそれが悪いのか、といわれれば、私はまったく悪いとは思わない。
これは私がなぜNIKITAという雑誌が駄目なのか、という話にもつながっているのだけれども、幸せの追求という命題がある種の絶対性への希求という部分にもリンクしてくるのであれば、他者が幸せであると思っている状況についてこちら側がなにかいうべき言葉があるのか、といえばないのだ。いいじゃないの幸せならば、というヤツである。
だがNIKITAはそれじゃイカンというわけです。地味になるなコムスメに負けるな凄い女になるなと煽りまくる。そうですよ現在30代の団塊のジュニア世代としてはこのテの煽りを小さいころから受け続けているんですよ。隣のやつに負けるな、アレに負けるなコレに負けるな、ときて、ようやく世間に出てみればバブルは終焉不況真っ只中の就職戦線異状ありでまた他者との競合競争闘争の日々。やっと世間的にも不況を脱し景気もよくなってきたと思いきや、今度は自らに忍び寄る老いと戦わなければならない。文字として羅列しただけで嫌になるのがNIKITA世代なんじゃないでしょうか。
しかしねえ、アナタ。そんななかで頑張って消費しましょーと叱咤激励するのはいい。時代が元気を取り戻しているのだから中核になってきた30代女が奮い立たなくてどうする、とは私も思っている。だがNIKITAのコンセプトでまったく納得できないのが「他者を相対化することによって自らの立ち位置を決めている」煽り方、なのだ。なんで買えとだけ煽らないのよ、ってことです。(まあそれだけの煽りだったら他の雑誌で十分ってことなんですが)
私があちこちからパクってテキトウにでっち上げて鑑みるに、70年代は過剰なる自意識が自らの立ち位置を定め、しかるのちに相手との距離感を決めたのではないだろうか。80年代はその「過剰さ」の揺り戻しがきたかのように、自らを枠外においた相対化が図られるようになった。(視点は自称俯瞰だがそれが既に主観であることは棚上げにしていた)相対化し続けることに疲れたのだろうかそれとも不況で比べること自体にむなしさを感じたのか、90年代は絶対性の追及、言い換えれば「私らしい私探し」「代替のない私を求めて」とホロホロ流離うようになった。だが絶対性の追求なんて(相当の指針を自ら勉強する覚悟を決めない限り)途中でナニがなんだかわからなくなり、より過激な経験を求めるという(アフリカに行くとか自傷行為をするとか)ある意味経験インフレに陥る可能性が高くなってしまうだけだったのか。混沌を打開すべく現れたNIKITAは「これとこれは敵だから駆逐せよ」と他者の立ち位置を決めてから自分の位置を決めるという方法論を提示しているように、私には思える。これは非常に楽だが、私のような天邪鬼でマスコミに対して不信感の塊のような悪意の持ち主だと「おめーなんかに決められてたまるかよバーカ」と悪態をつきたくなってしまう、というわけ。だがこういう雑誌が受け入れられているという現状は興味深い。まるでツァラトゥストラのいう「獅子」が「ラクダ」に成り下がったようだ。「自分探し」という名の絶対性の追求は既に支持されず、他者による相対化(価値裁定)を求めはじめているということなのだろうか。価値観が多様化したって割には単純に相対化へレイドバックしただけじゃねぇか。70年代に否定されたことが亡霊のように蘇っているかのようだ。高度経済成長期でも再び迎えりゃいいけど。
それはさておき、やっぱりみんな不安なんだな、と私は思う。獅子の如く荒野で咆哮を続けるのは疲れ、後ろを振り返れば消費を甘受している20代前半世代がラクダでいいよぅと宣言しているように思える、もうこれ以上赤子になる努力を続ける気力もないし、とそんな隙間を突くようにNIKITAはお前の目指すところはコレだ負けるな負けるなと煽る。ああそうねいうとおりね、とふらふらなびいてしまうのは当たり前の話で、誰しも超人目指して孤軍奮闘猪突猛進できるわけじゃないのです。ヨガやったりしてもさあ、俺ジナルな自分獲得とかそういう心境にはなれんのよ、という「おんなの嘆き」が紙面からしとしとと梅雨のように止まず降り続いてきそうな。そういう彼女らにしてみれば、ヨシオ好き女の「いいの駄目同士こうしていれば楽だし」というような「自虐安定」は見ていて自らの生き方を否定されているように思えるのではないだろうか。NIKITAにおける地味女への毛嫌いの仕方を見るにつけ、私はそんな風に思えてならない。
まあとにかくアレですよ。傍からどう思われようと自らが幸せならそれでいいんですよ。あのように駄目人生直球まっしぐらな相田みつを先生も「駄目だっていいじゃないか人間だもの」とおっしゃられている(一部嘘あり)ことですし。そんなわけで私はひそかにこれからは闘争に疲れたNIKITA女による「あらこんなところに幸せが」とヨシオクン再発見の「青い鳥願望」が展開されるのではないか、と妄想しておるのです。よろしく哀愁。
前回
たけくまメモ:『「喪男」は女にモテル!?』についてのイチ考察
http://blog.so-net.ne.jp/pussycat/2006-06-22-2
参考(NIKITAという雑誌についてアレコレ)
アッコ エロ怖?迫力の大変身
http://blog.so-net.ne.jp/pussycat/2006-06-21
艶女だのちょい悪オヤジだの
http://blog.so-net.ne.jp/pussycat/2006-06-21-1
私の海外発券に刺激され、はるゑさんから「バンコクでどうやったらチケットが買えるの
去年の4月に「NIKITA」だの「LEON」だのという雑誌をネタにしたことがあった。 この時に「勝ち組@元祖」ということを書いている。つまり第2次大戦直後の南米移民にあった「負けているのに勝ったと
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はじめまして。いつも楽しく拝見しておりますが、コメント書くのは今回が初めてです。よろしくお願いします。(^^ゞ
私は若い時からオシャレ系雑誌に縁のない人間なので、「NIKITA」の表紙を見るだけで逃げたくなるのですが(笑)若い人をうらやまず、老いを恐れず、今現在の自分を好きでいたい、と思っています。
by tanuki (2006-06-23 13:50)
瑠璃子さん、私も初めましてです。
32歳というNIKITAゾーンですなので思わずコメントします。
「競争を煽られる」という点には
すごーく同意です。
しかも勝ち組と呼ばれる人の価値観が上から下へと。
正直、疲れます。
一体、どこまで、どこへ向かって走らされるのか?
by aya (2006-06-24 07:06)
←私も「貧乏くじ世代」です。 ・・・By香山リカ
煽られても、もう 突っ走っていく元気ないです。(^-^;
by ゆ〜ひ (2006-06-24 15:29)
コメント遅くなりまして申し訳ないです。
nice!くださったみなさま、ありがとうございます!
>tanukiさま
ご覧くださってありがとうございます。多謝。
私は(着る服はテキトウですが)ヴォーグだの装苑だのを読む「凄い女」?なのですが、でもねえ、別に誰かがなにを着てどう生きようがいいじゃねえかとやさぐれ風につぶやいてみたり。結局の所、今の自分とどう折り合いをつけていくかってことじゃないかな、と。tanukiさんは(僭越ですが)いい年齢の重ね方されているご様子ですねー。アタシもそんな風に生きてきたいな。またコメントくださいー。レス返すのは多分7月以降から早くなると思いますw
>ayaさま
こちらこそはじめまして!ようこそお越しくださいました!
ホントに煽られ続けた民草は、もう走れませんって遺書残すしかないのかも…ってぼそぼそ嫌み言いたくなります。走るなら鞭打たれてよりも、自分で自分に鞭打って走りたいせめて。そして休めるときに休んで。だって人生は長いんだもの。競争から「降りてしまえば」楽なのに、でもやっぱり降りるのって怖いですよね。わかってはいるけれども。
>ゆうひ氏
私も多分「貧乏くじ」世代っすよ。いい思い、全然してないのかも。でもじゃあ「いい思い」って何だよって感じですね。誰の何の基準での「いい思い」なのか、とか。自分で幸せって思っちゃえば勝ちだな、って最近は思うのです。
by 瑠璃子 (2006-06-25 23:23)
NIKITAときくと、もうアレです。松下由紀とココリコ田中のコントがすぐ浮かんじゃう刷り込まれ具合です。色んな意味で弄りたくなる主題をお持ちな感じですね。NIKITA。
by myu (2006-06-26 11:07)