Paul Grahamの『知っておきたかったこと--- What You'll Wish You'd Known』に以下のようなエピソードがある。
何か重要なことを言っているように見せかけるためにわざとわかりにくく書いてある論文だっていっぱいあるんだ。こんなふうに言うと中傷に聞こえるかもしれないけれど、これは実験的に確かめられている。有名な『ソーシャル・テクスト』事件だ。ある物理学者が、人文科学者の論文には、知的に見えるだけの用語を連ねたでたらめにすぎないものがしばしばあると考えた。そこで彼はわざと知的に見えるだけの用語を連ねたでたらめ論文を書き、人文科学の学術誌に投稿したら、その論文が採択されたんだ。
彼は理系重視主義なので(私もそうだが)ちょっと人文科学を揶揄している。 しかし、これが通用するのはもはや人文科学だけではなくなってしまった。
SCIgenは コンピュータサイエンスの論文を自動生成するプログラムであるが、 このプログラムの「作品」をWMSCI 2005というカンファレンスに投稿したところ、"non-reviewed" paperとして採択されたということだ。
まあ、この採択にはいろいろ事情があるようだが、 それはそれとして。
論文なんて簡単さ、自動生成できるんだから。来月頭に〆切の来る論文もこれで仕上げるかなあ。
Apache Foundationのようにオープンソースを支援するプロジェクトになりたい、のだそうだ。 とりあえず支援するプロジェクトは以下の通り。
いや、がんばってもらいたい。でも実際どんな「支援」を行うんだろう。 いろいろ考えられるけど、支援の仕方でプロジェクトの性質が全然変わるような気がする。
人文科学だからではなく、その学術誌に問題があるのでは。
その可能性はありますよね。
さらに言えば都市伝説の可能性も否定できません。
都市伝説ということはないとおもいます。
http://www.math.tohoku.ac.jp/~kuroki/FN/ など参照。
都市伝説の下りは私の無知を露呈しただけでしたね、お恥ずかしい
「知の欺瞞」という本を読むと、もっと視点がラディカルになるのではないかと思います。
論文も小説と同じで「著者」で選ばないと・・・
内容のある論文を書く人と論文数を稼ぐために内容を水増ししてる人との差が広がっている気がします。
「水増しした論文」を書く人のほうが出世が早いってのがやになっちゃいますね。
#十分で研究しない論文屋が大学では研究者として扱われるらしい。
修正:十分で→自分で