そんなに国が嫌いなの? [2005年4月]
そんなに国が嫌いなの?
健全な社会のための反面教師、朝日新聞から、今日は憲法絡みのニュースを取り上げます。
最近、連日のような反日ラッシュでノルアドレナリンの分泌が止まりません。
が、頑張って、記事を引用しましょう。
日本国憲法から「国民の義務」をなくしてしまおう――。市民団体「市民立憲フォーラム」(東京・麹町)が、憲法改正についての提言をまとめた。日本の文化・伝統の尊重を強調したり、国民への義務を強化したりすることを狙う自民党などの議論とは逆の方向からの改憲論だ。
情報公開や環境などで市民の政治参加を考えてきた「市民立法機構」が昨年4月、憲法論議を政治家や官僚など「専門家」にまかせず自分たちのものとして考えていこうという狙いで同フォーラムを十数人で発足させた。
最大の特徴は、憲法の中にある「国民」という言葉をやめ、「市民」にしたこと。そのうえで、義務の規定をなくし、在日外国人の人権保障を充実させたり、外国人や先住民族など少数者の文化の多様性を確保したりする条文を追加する。
同機構の須田春海・共同事務局長は「憲法はだれが作るのか。政界の議論のように、国家ありきではなく、一人ひとりの市民が法を定め、政府を作っていくことを明らかにしたかった」という。
憲法8章の「地方自治」の項目を削る代わりに「地域の自治」をうたった。市民が「地域の政府」を組織していくことをはっきりさせた。
現実政治の最大の焦点である戦争放棄・戦力の不保持を定めた憲法9条の条文は、変えない。その一方で、「国際平和構築基本法」を作って、国連決議などに基づく人道的介入には武力を使わない限度で参加することなどを提言している。
須田さんは「護憲・改憲の論議を離れ、市民の立場からどんな憲法が純粋によいのか。これをたたき台に意見をもらえれば」と話している。
心の底から、「国」が嫌いみたいですねぇ。市民憲法とか、地球市民とか。
宇宙にコロニーでも作って、宇宙市民にでもなってくれればいいのに。
日本国憲法から「国民の義務」をなくしてしまおう
護憲が危うくなって、改憲止む無しとなったら、伝家の宝刀をあっさり捨てるんですか、そうですか。因みに彼らが無くそうといっている「義務」とは、憲法26条、27条、30条です。以下に記載します。
第26条
すべて国民は、法律の定めるところにより、その能力に応じて、ひとしく教育を受ける権利を有する。
2 すべて国民は、法律の定めるところにより、その保護する子女に普通教育を受けさせる義務を負ふ。義務教育は、これを無償とする。
第27条
すべて国民は、勤労の権利を有し、義務を負ふ。
2 賃金、就業時間、休息その他の勤労条件に関する基準は、法律でこれを定める。
3 児童は、これを酷使してはならない。
第30条
国民は、法律の定めるところにより、納税の義務を負ふ。
彼らの主張では、上記条文の義務を権利に読み替えるような改正を行うとあります。ということは、
勉強してもいいけど、勉強しなくてもいい。
働いてもいいけど、働かなくてもいい。
納税してもいいけど、納税しなくてもいい。
ということも主張できるわけですよねぇ。
権利を行使するかしないかは権利を保有するものに委ねられるはずですから。そりゃ、それでうまく世の中回るならいいと思う人もいるだろうけど、
残念ですが、有り得ません、少なくとも地球上では。
全く夢想コラム以上のパワーですね。亡国へのシナリオではないですか?って感じです。日頃、反対している人達は何も考えてないのがよくわかります。改憲はいいですが、「義務」をなくして「権利」だけって、やっぱり地球を出てコロニーでしてくださいな。
日本の文化・伝統の尊重を強調したり、国民への義務を強化したりすることを狙う自民党などの議論とは逆の方向からの改憲論
日本の文化・伝統の尊重を強調することがそんなに悪いことですか?
国民の義務の強化については中身によりけりで、是も非もあるでしょうから反対するのは大いに結構なことですがね、反対することと反対側からアプローチすることは同じじゃないと思うんだけどなぁ。議論するなら、せめて同じ土俵でしてくださいな。
憲法の中にある「国民」という言葉をやめ、「市民」にしたこと
ごくごく少数の意見をことさら大きく見せようとしたい気持ちは分かりますが、勝手に「市民」を名乗るのは止めて下さい。混同する人がいると困るので是非「宇宙市民」に変えてください。
「共生」とか「平等」とかいう割に、自分達の異なる考えの人は「市民」ではないと分けてませんか?
在日外国人の人権保障を充実させたり、外国人や先住民族など少数者の文化の多様性を確保したりする条文を追加
「市民」とは、少数者を示す言葉でしょうかねぇ。ホント、区別のできない人達だなぁ。日本の文化や歴史は軽視するくせに、少数者の文化の多様性は確保するんですか?
仮に差別的な扱いがあるとしても、憲法とは恒久的な規範である以上、一過性の問題を条文化することは必要ないでしょう。それとも、恒久的に少数者を優遇せよと?
国籍取得の門戸は開かれており、それを選択しないものにまで、国籍保有者同等の権利や保障を与える必要はありません。それは区別であって差別ではありません。それが不満だというのであれば、本国へ帰るしかないのではありませんか?区別を是認できない人は日本にいなくてもいいんですから。
一人ひとりの市民が法を定め、政府を作っていくこと
市民が「地域の政府」を組織していく
戦争放棄・戦力の不保持を定めた憲法9条の条文は変えない。
国際平和構築基本法
市民が法を作り、政府を作り地域の政府を組織した状態で、憲法9条を堅持し国際平和構築基本法を策定するというのは、どういうことでしょうかね。
彼らのHPから考えると、連邦制をイメージしているように思えるのですが、それならば、中央政府の存在は否定できなくなり、地域の政府の上位にそれができることになります。9条の堅持や国際平和構築基本法及び外交に関しても中央政府が行わざるを得ませんが、そうなると、彼らが標榜する直接民主主義ではなく、間接民主主義で、現状から多少地方分散したような形に過ぎません。
もとより、義務が撤廃された時点で形を得ないのですが。
これをたたき台に意見をもらえれば
って、最初から壊れて形のないものはたたきようがありません。
-----------------------おまけ-----------------------
市民立憲フォーラムの中にあるリンクのページでお仲間を見ると、色々とと掘り出し物が出てきますねぇ。
細胞組織じゃないですが、ド左自然薯軍団は少ない役者でよく頑張りますね。
ホント、「和集合な人達」です。重なりすぎてくらくらきます。
数あるリンクから今日はとりあえず一つだけ紹介。
いつも思うのですが、「改悪」という言葉はどうでしょうか。
改正の反対のつもりでしょうけど、この「正」の反対は「誤」でしょうし、「悪」の反対は「善」でしょう。これは呪詛のつもりですかねぇ。
さて、ちょこっとだけ、引用します。今日のところは、当該HPの私と憲法というページから、「第8回全国交流集会の確信に満ちた成功」と題された箇所より、この集会の呼びかけた団体を引用します。
この集会を呼びかけたのは
「許すな!憲法改悪・市民連絡会」
「憲法改悪反対運動共同会議(憲法共同会議)」
「憲法」を愛する女性ネット
憲法を生かす会
市民憲法調査会
全国労働組合連絡協議会
VAWW-NETT Japan
ふぇみん・婦人民主クラブ
平和憲法21世紀の会
平和を実現するキリスト者ネット
平和をつくり出す宗教者ネット
許すな!憲法改悪・市民連絡会
で、参加者は憲法をめぐる政治状況と、市民運動が当面する課題、憲法改悪を阻止していく展望などについて意見を交換した。「憲法共同会議」は今回初めて共催に加わった。2日間の討議を経て、参加者は互いに熱心に意見を交換し合い、経験を交流し合い、確信を胸に秘めながら各地に帰っていった。
いや~一網打尽って感じですね。個人的には「憲法を愛する女性ネット」というネーミングがお気に入りですが。宇宙市民集団もこれだけ集まれば悪漢圧巻ですね。
「確信に満ちた成功」とは、「確信を胸に秘めながら各地に帰ったこと」を指すようです。
成功したと思うなら、解散しろよ。
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話題の資料「国民の三大義務の見直し」に、ざっと目を通してみた。部分的には面白い部分も含んでいない訳ではないが……ちょっとこれは、どうかと思わざるを得ない。典型的と思われる納税の権利の件を取り上げてみよう。この文書では、それに付随して何何も権利となるとい...
市民団体が独自改憲案 「国民の義務」削除など http://www.asahi.com/national/update/0404/TKY200504040117.html >日本国憲法から「国民の義務」をなくしてしまおう――。市民団体「市民 >立憲フォーラム」(東京・麹町)が...[続く]
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