May 06, 2007
ロシア・グルジア料理の Cafe RUSSIA
昨日、吉祥寺にある Cafe RUSSIA で夕食をとりました。パルコの前のコンビニが入ってるビルの地下、というすごく目立たない場所なんですが、妻の「うまいものアンテナ」に引っかかりまして。ふらっと。
おいしかったですよー。前菜の「毛皮のコートを着たニシン」も美味しいし、あと「ハチャプリ」という、チーズ入りパンみたいな独特のグルジアのピザ(?)が素晴しくうまかった。鶏肉料理もよかったし…。ボルシチもあっさりと食べやすかったし、さらに、もうそろそろおなか一杯になってきたなー、まだ食べれるかなーという所で最後に出てきたビーフ・ストロガノフも、意外なくらいさらっとたいらげてしまえる美味しさ。ロシア料理って、なんかこうもったりしたイメージがあったんですが、ここのはとても洗練されていて、ボリュームがあるのにさらりと食べられるって感じでした。
まだ開店2ヶ月くらいしか経ってないそうで、店員さんに「今日はたまたまですか?」とか「なんでまたロシア料理を?」とか(笑)訊かれてしまいましたが…。どうも、ほとんど口コミで来る客ばかりらしいんですよね。「最初に勇気ある人がいて、そこからちょっとずつ広がってる感じですね」と言ってました。うん、確かに人に紹介したくなりますよ、ここ。時々行きたいので、繁盛してほしいです。というわけでオススメです。
投稿者 ryoji : 02:58 PM | コメント (0) | トラックバック (0)
May 04, 2007
『イタリア・ルネサンスの版画』展 @ 国立西洋美術館
国立西洋美術館の企画展『チューリヒ工科大学版画素描館の所蔵作品によるイタリア・ルネサンスの版画―ルネサンス美術を広めたニュー・メディア』を観てきました。スイスのチューリッヒ工科大学が所蔵している版画のコレクションから、イタリア・ルネサンス期の版画を通じて、美術のメディアとしての版画を観ていこうという、まあかなりマニアックな企画といっていいでしょう。非常に濃い内容でした。というか、企画の内容に関心があればかなり楽しめるんじゃないかと思います。展覧会タイトルを観ても「それ何の話?」という人には全然オススメできません。というくらいマニアックですね。
絵画の一ジャンルとしての版画、という目で見るぶんには、何といってもデューラーがどれほどずばぬけた技量の持ち主かということが、まざまざと見せつけられる思いがしました。参考出品(なのでカタログには載ってない)として《アダムとエヴァ》が出ていて、これが同時代のヴェネツィアの(デューラーはヴェネツィアに行ってたので)版画家ヤーコポ・デ・バルバラのものなんかと並べてあったんですが、あまりにも密度も完成度も違います。エングレーヴィングの一本の線が版画に絵としてどういう効果をもたらすか、計算しつくしている感じです。版画的な表現というものに、相当意識的に取り組んでいたことが窺われます。
しかしデューラーほどの技量ではないとしても、イタリアの版画家たちのものもとても面白いです。展覧会の趣旨としてそういう見方ができるよう構成されていたのですが、版画によって絵のデザインが流通することによって、様々な構成や背景のパーツ、人物のポーズなどが、複雑に伝搬していくようすが見られて、大変興味深いです。版画の発達は印刷術の普及と時期的に重なりますし、そうして大量のイメージが各地へと流通していって、そこから画家たちが色々なパーツをサンプリングしたりしながら新たな創作に役立てていたわけですね。以前のアビ・ヴァールブルクの展覧会を思い出したりしました。
そんな、絵の流通メディアとしての版画という捉え方が面白いですね。ラファエロなんかは、わざわざ版画用に素描を作って、版画を販売させてたそうです。画家にとってはプロモーションのツールにもなっていたのかもしれませんね。ルネサンス期の版画がそういう役割を担っていたことは、これまでの西美の展覧会でも、版画の流通に影響を受けた作品なんかが出てると時々言及されていましたが、こうしてそれが主題になって展覧会を見ることができてよかったです。
しかも連休なのに空いてたのがまた良かったです(笑)。あとカタログが超素晴しく充実してます。すごい。
投稿者 ryoji : 10:22 PM | コメント (0) | トラックバック (0)
April 07, 2007
カナダ・ナショナル・ギャラリーの展覧会カタログ索引
IFLA Art Libraries Section の ML 経由。
Philip Dombowsky, "Index to National Gallery of Canada Exhibition Catalogues and Checklists 1880-1930" (National Gallery of Canada, March 2007) という本が出版されたそうです。カナダ・ナショナル・ギャラリーの1880年から1930年までの展覧会カタログ、および出版されていないチェックリストから作成されたインデックスで、カタログのリスト、作家のリスト、コレクターのリストの3部構成で、著者による論文もついているそうです。すばらしい。
日本だと東京文化財研究所がこういう仕事をしています。『明治期展覧会出品目録』とかね。一般の人の目に触れることはあまりないでしょうが、研究者にとっては大変重要なものでしょう。地味だし大変な仕事ですが、こういう作業が美術史研究を支えているんですよね。大事大事。
でも、たとえば「評論やりたい」という若者に比べて、こういうのやろうって人があまりいないのは、あんまりファッショナブルじゃない仕事なのでしょうがないんでしょうかね…。
投稿者 ryoji : 11:09 PM | コメント (0) | トラックバック (0)
March 30, 2007
「鳥獣人物戯画巻」がキュートすぎる
今、東京国立博物館では特別展「レオナルド・ダ・ヴィンチ ― 天才の実像」が開催されていて、本館特別5室に展示されている「受胎告知」が大変な人気をあつめています。で、これから行かれる方についでに是非オススメしたいのは、本館の平常展です。一つは下絵の特集陳列。絵師たちが構想を練った下絵から、その軌跡が見えるようで、大変興味深いものです。特に、狩野栄川古信の下絵に吉宗が手を入れて、鷹の背中が見えすぎるとか爪が長すぎるとか細かい注文が入ったものがあったりして、暴れん坊将軍はなかなかウルサ型だなとか(違)、こういうのは面白いです。
で、もう一つは4月22日まで展示されている「鳥獣人物戯画巻」の甲巻です。あのアレです。これは是非。なんか先日展示室を覗いたらあまり人が多くなかったので、ゆっくり見るチャンスではないかと。みんながレオナルドに夢中になってる間にしっかり楽しめるんじゃないでしょうか。
いやそれにしても、これはキュートすぎる…。生き生きとした動物たち、みんな顔が笑ってるんですよねー。かわいいー。僕は、帽子をかぶったウサギの耳が左右に垂れてるという絵にやられてしまいましたよ…。
投稿者 ryoji : 10:31 AM | コメント (2) | トラックバック (0)
March 14, 2007
Stuart で知られる Saatchi Gallery に中国語版
今朝たまたま読んだ記事に出ていたのですが、
Charles Saatchi draws Chinese artists to his gallery's retooled Web site - International Herald Tribune
ロンドンの Staachi Gallery の Web サイトに 中国語版ができてるんだそうです。このギャラリー、学生アーティストのための SNS 的サービス Stuart が結構注目されてますが、中国人の学生からの需要に気づいて、彼らが使いやすいようにということですね。でもなんか今見た様子では、トップページだけ中国語版が用意されているような感じでしたけど。
現代美術マーケットが今加熱気味とか聞きますが(よく知らないけど)、中国のアーティストも注目されてるらしいですねぇ。それにしてもなんというか、フットワークが軽いですね、Saatchi Gallery も、Stuart に登録してる中国人学生も。
投稿者 ryoji : 09:45 AM | コメント (0) | トラックバック (0)
March 10, 2007
第32回ディジタル図書館ワークショップ
第32回ディジタル図書館ワークショップに参加してきました。筑波大って今は秋葉原キャンパスがあるんですねー。素敵。ビバ!つくばエクスプレス。
神崎正英さんの大変役に立つレクチャーにつづいての、パネルディスカッションに参加させて頂きました。「メタデータの相互運用は本当に可能か?」という。国立国会図書館の中井万知子さん、国文学研究資料館の五島敏芳さん、コーディネータに筑波大学の宇陀則彦さんに神崎さんも交じえてのディスカッションでした。
僕は何につけ「不完全でも実際やってみるのが大事」と考える人なので、一番メタデータの活用が遅れてる博物館の人のくせにヘラヘラと楽観的な意見をお話ししてきました。図書館や文書館のデータと博物館のデータが一緒に検索したりマッシュアップできたりすれば、かなりいろいろ面白いことができるはず。まぁ、その前に自分たちの持ってるデータを早く世の中で使ってもらえるようにしなくちゃいけないのですが。
あとメタデータ云々という話だと、どうしてもどういうボキャブラリを定義するかとか、どういうモデルを作るかという話に集中してしまいがちなのですが、ちょっと前から、僕はそういう属性情報的なものの整備以前に、とにかく対象となるモノのアイデンティティをきっちり確立することが大事だということが(ようやく)わかってきたので、そういうことも少し話題にしてきました。まず、グローバルに使える ID を振って、それにアクセスできるようにすること。それができてはじめて、じゃあどういう属性を共通で持ちましょうかという話に意味が出てくるわけで。図書館の ISBN や全国書誌番号のようなものが博物館には何もないので、まずそこをなんとかしないといけない。もちろん今からであれば、URI として使えるものを考えるってのが現実的でしょうね。神崎さんも Amazon の asin の例を引き合いにしてそんな事もおっしゃってました。
投稿者 ryoji : 12:59 AM | コメント (0) | トラックバック (0)
February 26, 2007
『人間国宝 松田権六の世界』 @ 東近美
『人間国宝 松田権六の世界』 @ 東近美を、最終日に観に行きました。意外と、といってはなんですが、混んでて見るのに一苦労でしたが、行ってよかったと思います。芸大美術館に所蔵の作品はいくつか観たことがあるんですが、まとめて観るのには良い機会でした。
松田は加賀蒔絵の伝統に育ち、楽浪漆器や中尊寺金色堂の保存修復などを通じて古典を研究し、光琳を高く評価した人でしたが、そうしたバックグラウンドに関わる展示が導入にあり、そこから主要な作品の展示へと繋っていく形でした。東近美には結構収蔵されてるようなんですが、蒔絵福寿草文小盆(画像なし)という作品があって、これもかなり完成度が高いんですね。でもなんと16歳、高校生のときの作品なんだそうです。なんだよそれ…。まぁ7歳のときに手習いを始めてるそうなので、この頃もうすでに10年近くやってるわけですが。東京美術学校に進むころには、地元の加賀蒔絵の技法はほぼ習得していたといいます。
『草花鳥獣文小手箱』は美校の卒制です。鳥や兎、鹿が一斉に逃げまどう蓋外の意匠は、内側の獅子の一吼に驚く様子。しゃれてます。この卒制は満点をとったそうなんですが、「芸術に満点はありえない」と松田自身が返上を申し出たとかなんとか。
細やかな技巧はきっと、とてつもない根気と集中力が必要なんだろうな、と思います。『鶴蒔絵硯箱』の鶴の白い部分は、なんとウズラの卵の殻だそうです。普通はニワトリを使うらしいんですが、繊細な味わいが欲しかったとかで、2000個ものウズラの卵が必要だったそうで…オソロシイ。
この人の作品の魅力は、やはり図案だと思います。植物や鳥や動物が、とてものびやかに描かれていて、それが細かい螺鈿や研ぎ出し蒔絵の鋭さに、やさしい柔らかさを与えているように思います。かわいいんですよねー。僕は『鶺鴒文平棗』がとても好きなんですが、画像がなくて残念。なんつーか、うまいんですよ、絵が。松田の図案は絵画的というか。図案から色々な意味を読みとる楽しみがあるような、趣向性というようなものも、やまと絵の伝統からの影響のようですが。で、毎日つけていたという「図案日誌」も展示されていて、これも面白いものでした。ごく普通の手帳に、日々図案を書きつらねていたんだそうです。また写生をよくしたそうで、そういう鍛錬が、こんなのびやかで繊細な図案に結実してるんでしょう。
また大作『蓬莱之棚』(画像)は昭和19年、戦況が悪化する中で、最後の作品になってもいいというつもりで作られたもので、大変緊張感のある、しかしどこか浮世離れしたような、不思議な趣きのある作品です。意匠も亀山天皇の和歌を散らすなどして、趣向が凝っていて楽しませてくれます。ほかにも、時代碗の研究をもとに制作された一連の碗なども、ちょっとこちらは図版では魅力がよくわからないと思うのですが、よいものでした。たくさんの棗もどれもかわいらしかったし。
ちょっと残念というか勝手に期待してたけど観れなかったのは、工業製品との関りでしょうか。輸出用の高級万年筆に蒔絵をしたりしてたことがあるそうなので、そこらへんも観れればよかったなぁ、と。でもまあ、おなか一杯です。満足でした。
投稿者 ryoji : 10:39 PM | コメント (0) | トラックバック (0)
December 24, 2006
My name is Bond, James Bond.
ものすごいミーハーな話題ですが。驚きと賞賛で迎えられている 007 シリーズの最新作、"Casino Royale" (2006, UK, dir. Martin Campbell) (Wikipedia, IMDb) を観ました。(ネタバレあり)
よ、よかった…。宣伝で言われているような「007 になる前の物語」というのはちょっと違っていて、007 になる直前から物語は始まるものの、その直後のミッションがメインになってます。よく言われているように、これまでの 007 とは全く違う印象で、ずっとシリアス…というか、笑うところが極端に少なくなっている、という感じでしょうか。前作 "Die Another Day" なんて、のっけからサーフィンで潜入したりして大喜びしてしまったのですが、今回はそういうのは無くて。リアリティのあるジェームズ・ボンド、というような言い方もされますが(確かに拷問のシーンとかはね…)、うーん、僕はそれよりやっぱり「笑わせないジェームズ・ボンド」という印象でした。
ボンドを演じるダニエル・クレイグは良かったですよ。シリーズ最高との呼び声もあるというのはうなずけます。ボンドガールのエヴァ・グリーンも実にストレートな美人ですし。とにかく奇抜さというものを極力排除した感じです。なのに、それほどまでに違うのに、それでもまだちゃんとボンド・ムービーとして成立してしまうというのは、何か 007 シリーズの骨太さみたいなものを感じてしまいますね。奇抜なガジェットやありえないボンドカーといったものに頼らなくてもいいんですねぇ。まあ、要素としていろいろ「007 らしさ」を出しているのは確かなのですが。エキゾチックな街での追跡劇とか、なんだかんだで結局水着姿になるボンドガール(笑)とか。悪役が身体的に変わってるとか(今回は血の涙)。ちゃんとサービスしてるところはしてるんですよねー。例えば Miss Moneypenny が出てこないかわりに(?)、
Vesper Lynd: I'm the money.
James Bond: Every penny of it.
なんてセリフを入れてくれてたりして。
ただまあ、Sony Ericsson のケータイはちょっと露出しすぎという気が…。
あ、あとあと、僕としては今回のオープニングが非常に素晴しい出来だったことを特筆しておきたいです。これはいい。いつもオープニングは凝っていて好きなのですが、ここについては今回は本当にシリーズ最高の出来栄えと言って良いのではないかと思います。
後半のロマンスも、僕はそんなに間延びしてるとは思いませんでしたよ。あれくらいでいいんじゃないかなぁ。まあ正直展開そのものは読めるっちゃあ読めるんですが、それはもう寅さんみたいなもんですしねぇ。ラストも非常にサービス精神があるというか、これでとりあえず満足でしょ、という形で。それで満足しちゃう客も客なんだけど、僕は嫌いじゃないなー。あの 007 のテーマ曲も劇中はあんまり使われてないように思いましたが、それはラストとの絡みでしょうかね。
ダニエル・クレイグでもう一本というのは決まってるようなので、今から楽しみです。
投稿者 ryoji : 07:35 PM | コメント (0) | トラックバック (0)
November 27, 2006
Philippe Decouflé, "SOLO" @ 天王洲 銀河劇場
Philippe Decouflé, "SOLO" @ 天王洲 銀河劇場を観てきました。久々にコンテンポラリー・ダンスを観たなぁ。Philippe Ducouflé は1992年のアルベールビル・オリンピックの開会式・閉会式の演出を手がけたことで知られる振付家。って、観るのは初めてですし、全然よく知らなかったんですが。
今回の "SOLO" は初演から3年目になるそうですが、自作自演のソロの舞台。舞台の上のスクリーンと照明とビデオカメラを組み合わせて、ビデオのフィードバックを利用しながら、自分自身の影・像(イメージ)と戯れるように、不思議でユーモラスな舞台を見せてくれました(Decouflé の公式サイトの La Galerie の De videos に "SOLO" のプロモーションビデオがあります)。ソロの舞台ながら、リアルタイムでスクリーンに写されるダンサー自身の像と共演しているかのようなダンスで、とっても楽しめました。ビデオのフィードバックを使って何かするのって、最近ではもうあんまり見ないような気がしますが、こんなにも単純な仕掛けでも、こんなに豊かな表現ができるんですねー。プロジェクションと照明を使ってスクリーンを単純に分割しただけでも、そこに室内のような空間が現われたりして、面白かったですよ。音楽も、演奏しつつその音をサンプリングして重ねていったりと、ダンスと映像が重なっていくのに合わせてあって興味深いものでした。舞台で映像が使われることって、それなりに多いように思いますが、これだけ素直に入ってくるのは珍しいんじゃないかな、と思います。
全体に、なんかあんまり理屈っぽくないというか、素直というか。観客の楽しませ方もどこか大道芸的というような感じがしました。サーカスとかアクロバットの経験があるからなのかしらん。まあともかく、とても満足できた舞台でした。
投稿者 ryoji : 12:10 AM | コメント (1) | トラックバック (0)
November 25, 2006
RDF が良いと思うわけ
アカデミックな世界の情報資源共有っていうと、OAI-PMH がたぶん主流なんでしょうけれど、どうもこれにイマイチ乗り気になれないのです。というのは、OAI-PMH は XML でメタデータを集めるわけですが、XML-Schema を必須にしてるんですね、バリデーションのために。それで、なんというか、RDF と噛み合せが悪い。RDF でも、短縮構文は絶対使わないとか、要素の出現順序をすべて決めておくとかすれば XML-Schema に(無理矢理)合うような XML にできるんでしょうけど、なんだかそれはそれで無駄というかしょうもないというか…。「メタデータ」ハーベスティングなのに RDF を扱うちゃんとした方法が無いってそれどういうことよ、みたいな。
で、僕が美術情報の世界ではできれば RDF がいいなー、と思ってるのですが、いろいろ考えながら、最近は、このドメインに関わる様々な実体(Entity)、つまりモノ、人、場所、主題、分類、技法…そういうもののアイデンティティをトレースできることこそが必要だと感じてるからなんじゃないかな、と自分で思うようになりました。ただデータとして何か文字列がとれればいいっていうんじゃなくて、それぞれの対象となる Entity が識別・同定できて、それらの間の関係を表現してやることで、知的な活用ができる。だから対象のアイデンティティが一番大事なんじゃないかと。つまりそれは、URI ということになるんですが。RDF は、とにもかくにも URI というアイデンティティのための枠組みを全面的に活用してるわけで。
なんかね、語彙とか構文も大事だけど、一番重要なのは対象のアイデンティティだ、ってハッキリ思うようになったのです。
投稿者 ryoji : 01:09 AM | コメント (0) | トラックバック (0)