とても久しぶりの山口支部。 懐かしい顔も見れた。
もっともお盆というせいもあって、 「今日はいない」という人もそれなりにいて その点は残念であった。
青少年とかうちの子たちしかいなかったし。
次にくるのはいつになるかなあ。
1970年代にエジプトで発見されたグノーシス派の写本が 数奇な運命を経て世に公開されるまでを追ったドキュメンタリー。
しばらく前にネットで宣伝を見かけて、読みたいなと思ってはいたものの、 それだけのためにナショナルジオグラフィックを購読する気にもなれず 放置していたものを、先日、松江市立図書館で見つけて借りてきたのだった。
せっかく帰省中で時間があるので一気に読んだ。
で、感想だが、私としてはもうちょっとユダの福音書の中身についての 情報が欲しかったなあ、というもの。もちろん、現代において ユダの福音書がどのように扱われてきたかという点もドラマティックで 一般の読者にはそっちの方がウケるのかもしれないけど。
で、少しだけの情報から得られる内容からみると センセーショナルな宣伝文句の割にキリスト教の教義に与える影響は ほとんど(ぜんぜん)ないだろうな、と思った。
ただ、イスカリオテのユダの行為の後ろにある動機は、 正典(カノン)にはほとんど記載されていないが、 それなりにいろいろあっただろうな、とは以前から思っていたので、 信憑性はともかく「救い主の使命を達成するため」という動機は理解できる。
個人的には一番受け入れやすいのは、映画『ジーザス・クライスト・スーパースター』で 示されていた「窮地に追い込めば、自らを救うと同時にイスラエルを解放してくれるのではないか」という動機だけど。
妻の実家へ帰省。9号線を通って島根県を横断。 途中食事したり買い物したりしたら6時間くらいかかった。
妻の実家はネットが通じないので、 しばらくネット無しの生活。 意外と気楽なもので、本を読んだりハックする時間が取れるので 良いことのような気がする。
もっとも帰ってからが恐ろしいのだが。
GNU EmacsとXEmacsは、しばしば懸念されるものの めったに起きることはないフリーソフトウェアプロジェクトのfork例。 ライセンス上、フリーソフトウェアプロジェクトのforkを強制的に止めることはできないが 協力した方が得、という話。
とはいうものの、この話の流れを読んでみるに、 forkの原因は技術的な要素よりも、 結局は人間関係とコミュニケーションが鍵であることと、 (本人は意図していないだろうけど)RMSのコミュニケーション能力は あまりほめられたものでなかろうことが読み取れる。
どこでも人間関係と言うのは難しいものだ。
はてなの伊藤さんのインタビュー。
オープンソースのコミュニティにコミットする人の中には、会社で充実した仕事ができなくてその反発からやってるという人も少なくありません。会社の中でくすぶっている人が外に出て道が開けるケースもあり、それは肯定されるべきだと思います。しかし、経営者の自分としてはそういうふうにエンジニアに思わせてしまうことが経営として失敗なので、肯定はしちゃいけないんですね。
「くすぶらせちゃいけない」というのはその通りだろう。 個人的には「積極的に外に出させる」というのをやりたい。 できてないんだけど。
NetBeansは進化中、という話。
ここで紹介されているスクリーンショットでは、
ができるようになっている。もう、「IDEがないから」という言い訳は 聞かなくてもすむのかもしれない。
Railsのおかげ(?)で、Rubyの代名詞という感じになったOpen Classだが、 ちょっと工夫すれば(annotationを使って)実現できる、という話。
Pythonのannotationってばなんでもできるよね。 おもしろいメタプログラミング機能だと思う。
それはそれとして、コメント欄では「たとえ可能でもしてはならない」というコメントが目立つ。 やはりOpen ClassはPython主義者(の多く)には耐えられないのかしら。
個人的には、この辺は言語で制限するのではなく、 「自分が何をしてるか分かってないと危険」ということだけ示して 許可したいのだけど。
PHP on Railsは不可能という話。
ActiveRecordをActiveRecordたらしめているものは、 リフレクション機能であり、それはPHPには欠けているから。 Javaにはリフレクション機能はあるんだけど、 言語的に硬いからなあ。結局はXMLなりGroovyなりを経由して 柔らかくするしかないのではないだろうか。
それはPHPでも同じか。複数言語を取り混ぜればよいという話になる。
というところで、タイムリーなMartin Fowlerの記事。
現在フレームワークを選んでいるのと同じように、何ができるかによって言語を選ぶような人たちのプロジェクトでは、複数の言語を見ることになるだろう。
そうなるかもしれない。しかし、その時、選択基準になる「何ができるか」とは「何」か。
LispでもRubyでもいい、十分に高度な抽象化能力を扱える言語であれば、 どの分野であっても、その言語の上にそれなりに有効なDSLを構築することができるはずだ。 となると、選択基準は実は「what」ではないだろう。
私の思いつくものは、以下の二つだ。
となると、JRubyやIronRuby(or Ruby.NET)のような相互運用性のある環境が より魅力的になるのかもしれない。 C言語とC Rubyはずっと以前からそういう関係を築いてきてるわけだけど。
デジカメでピンホールという発想はなかった。脱帽だ。
というイベントが9月に開催されるのだが、そこで話してほしいということで打ち合わせに渋谷。
正直、MySQLに対して悪感情はまったくないのだが、 なにぶん私自身がデータベースをまともに扱ったことがないので 固辞していたのだが、どうしてもお願いします、データベースと関係なくてもいいから、 ということで押し切られる。うーむ。
ということで、出席者の皆さん、 まつもとが変なこと言ってても石投げないでくださいね。
DBプログラミングは前職以来、それもDBMSはObjectStoreなので、 いわゆる普通のデータベースってぜんぜん使ったことないんだよね。
NaCl的にもビジネスにつながる話があるみたい。
オープンソースソフトウェアのソースコードの値段を換算するという話。 PHPのフレームワークSymfonyは700万ドルだそうだ。
で、ほかにもいくつか例が挙げられているうち、Rubyのお値段は 640万ドル、約7億5千万円。他のプロジェクトに比べるとはるかに安いが、 私の個人資産だと考えると*1、 とんでもない財産だ。
ソフトウェアが資産として課税されないことを強く望む。
平鍋さんとの対談4回目。
今回のテーマは柔軟性。もちろん柔軟というのは良い面と悪い面があって、 いろいろできるということはすごいことができると同時に、 チームに迷惑をかける悪いこともできるということだ。
でも、今回は良い面に注目して。
『JavaScript the definitive guide』の作者であるDavid Flanaganが Ruby 1.8とRuby 1.9の差についてまとめたもの。 良く調べている。
実は彼は現在『The Ruby Programming Languagea(仮題)』を執筆中である。 これは元々『Ruby in a Nutshell』の第二版として企画されたものだが、 結果的にまったくの新作になっている。
*1 もちろん他にもたくさん貢献者がいるのは承知してるけど
_ kwatch [>MySQLカンファレンス 大規模なシステムでのボトルネックはたいがいDBであり、RubyやPerlをJavaにし..]
_ とみた [「RubyとMySQLの可能性」タイトルから内容が想像できませんが、期待してます :-)]
_ DameKinoko [>プログラマの年収を5.5.万ドルと定義し、50万行のプログラムを作るコストを計算すると7,264,336ドルになる..]
_ まつもと [いえいえ、日本の半額プログラマでも50万行のプログラムは作れるでしょうが、十中八九使い物にならないでしょう。 プロ..]
_ 財務省 主税局員 [>ソフトウェアが資産として課税されないことを強く望む。 なるほど、そういう考え方があったか。]
楽天のミーティングのため上京。
午後イチから日経コンピュータの取材。 編集長の人からいろいろと質問を受けては 答えるというスタイル。未来の話が多くて、 例によってテケトーな答えをしてしまったんだが、 きっと編集部の人がきれいにまとめてくれるに違いない。
編集者バンザイ。
写真も撮られた。カメラマンの人には「実物よりも良く写してくださいね」とお願いしたら、 快くOKしてくださった。きっと雑誌掲載時にはめちゃめちゃ修正が入っているに違いない。(笑
NDAにより中身は詳しく話せないが、 スケーラビリティをテーマに、いろいろと。 現時点ではサーベイ段階で、モノ作りにはまだかかりそうだ。 ざっくりとしたスケジュールでは9月頃には手が動かせるとよいなと思っているのだが。
その後、PFIの人たちとミーティング。
しかし、アルゴリズムネタでこんなに盛り上がるとは思わなかった。 世間的には「技術の楽天」のイメージはなくとも、 「技術好きに事欠かない楽天」というのは事実だと思う。
懇親会でも盛り上がりっぱなし。終電がなくなるまで、 アツく語っていた。
ホテルまで徒歩。近いところにしといてよかった。
ミラクルの吉岡さんによるLL魂レポート。
学校でコンパイラの作り方とかは習うけど、オレ様言語を作ってしまえというような危険思想をうえつけられるということはまあない。オトナの事情というやつで、研究職に進む人には、言語では論文とおらないよ(これが殺し文句)、企業に行く人には、言語では食えないよ(これも殺し文句)。大抵はそれであきらめるのが良い子の姿である。
それにもかかわらづ、わらわらとオレ様言語一派が勃興しているのは、やはりRubyのまつもとさんの影響に違いない。諸悪の根源はまつもとである。
えーと、諸悪の根源たるまつもとです。悪の大魔王か、私は。
とはいえ、私の影響は微々たるものであると想像する。
まず、第一に日本におけるオレ様言語率が高いかというと実はそんなことはない。 まあLL魂でパネルができる程度にはいるので、全然いないというわけではないだろうけど、 ヨーロッパやアメリカでの「オレ様言語」ぶりを見るにつけ、 むしろ世界第二の市場であるはずの日本はまだまだだと感じてしまう。
一方、日本以外のアジア諸国発のオレ様言語は ほとんど知られていない(きっとあると思うけど)ことを考えると 日本は特殊なのかもしれないなあ。
でもきっと、中国やインドの言語屋は英語圏に出ていっちゃうような気がする。 XRubyの人たちとか中国人だし。
こういう仕事の仕方も面白いなあ。
先入観無く、いろいろなやり方を学んでおこう。 実践できるかどうかはまだわからないけれど。
_ かめぞう [Google先生によると、下記のアドレスから全文の英訳がダウンロードできるようです。ただ、[...](判読不能)の部..]