すっかり流行語になっちゃって、ぐぐるとイラク関係のページばかりヒットしちゃったりする自己責任。自己責任論に対する反論ってのも色々出てるわけなんだけど、なんかみんなピントはずれ。
よくある反論その1:
自己責任というのはそもそも法律用語で、「自分自身の行為以外の行為、要するに他人の行為については責任を持たなくてもいい」ということ。「at your own risk」というのとは意味が違う。
だから、どうした?「自己責任」という用語がそういう意味なのだとしたら、「at your own risk」でも「自業自得」でもなんでも言い換えてくれていいわけで、そんなんは議論の本質とは無関係だわな。
でさ、「他人の行為については責任を持たなくてもいい」のが原則なんだとしたら、自分の行為の責任は自分が持たなくてどうするわけよ?ひょっとして、世の中には「誰も責任を取らなくてもいい行為」ってのが存在するわけか?なわけねーじゃん。
よくある反論その2:
自己責任という論調は弱者の切り捨てにつながる(のでいけない)
「弱者の切り捨て」というのは「弱者の権利の切り捨て」なんだと思うけどさ、なんらかの力を背景としない権利だの、義務だのなんてものはそもそも世の中に存在しねーよ。
「世論」だったり「倫理」だったり「連帯」だったり、そういった力を獲得するための努力というか戦いというかと引き換えに、権利を得てきたわけでしょ、「弱者」とゆーものは。「オレは弱者だ、保護しろ!」ってのたまったら、神様が権利をくれたわけじゃない。努力すらしない奴に権利なんか与えられるものか。努力して権利を手にした「弱者」に失礼。
よくある反論その3:
(3バカ家族)バッシングはメディア/大衆の暴力だ
もちろん暴力ですとも。でも、そのメディア/大衆の「暴力」を、自分たちも利用しようとしたわけじゃん。自分たちの息子/娘の救出のために。自民党政権を攻撃するために。
自分たちのメディア戦略がお粗末で、逆に攻撃される側にまわっちゃったらバッシングだ、暴力だってのは都合よすぎじゃん?
よくある反論その4:
国/国民が自己責任論を振りかざすことは、フリー・ジャーナリスト、NGOの活動意欲を萎縮させる。ジャーナリスト、NGOの活動がなくなってしまったらどうなるのか?
フリー・ジャーナリスト、NGOの価値ってのは、政府なり、「民意」なりの支持を行動の正当性の根拠にしていなくて、自分たちの(個人的な)独自の信念に支えられて行動できるって点でしょ?そこに政府・大衆のお墨付きを求めてどうすんのよ?自分たちの存在意義自体を放棄してるじゃん。
もちろん、「政府にちょっとでもたてつくものは一切保護しない」ってのは行き過ぎなわけだけど、「政府にちょっとたてついたものは、ちょっと保護されない」ってのが一般的な感覚で、「政府にちょっとたてついたけど、でも、オレたちは政府に全面的に保護される権利がある」って態度は支持できないってのは、別におかしくないよな。
よくある反論その5:
彼らはいいことをしにいった。それは容易にはできないことなのだから、責めてはいけない。パウエルだって、ル・モンドだってそう言ってる
目的が手段を正当化するなら、アルカイダの自爆テロも、ブッシュのイラク攻撃も、小泉の自衛隊派遣も、本人たちは「いいこと」のつもりなんだろうから、いいことだよな。
でも、非国民だの日本人として恥ずかしいだの渡航制限するべきだのってのは、そっちはそっちでバカだと思うってのも書いておくか。
反国家的だろうと危険だろうと他人に迷惑かけようと、やりたいことをやる自由はある。権利はないけど。at your own riskでなら、なにやろうと本人の勝手。
でも、最初の段階で自分(の子供)が勝手にやったことを他人が支持すべきであるって態度を出しちゃったから、みんなに呆れられて、ネガティブ・キャンペーンの材料にされちゃった。そんだけのことでしょ。