坂の上の雲 京大で開催されたシンポジウムでドラマ化を批判 [Topics]
竹中半兵衛重治 若き日の秀吉を支えた軍師の430回忌法要 [人物]
上杉茂憲 米沢藩最後の藩主の甲冑を大阪高槻市で発見 [人物]
大阪府高槻市市教委が今月9日、高槻市立しろあと歴史館が所蔵する甲冑が、第13代出羽米沢藩藩主上杉茂憲(1844-1919)の所有であると発表した。(2009.7.10YomiuriOnline)
甲冑を保管してある具足櫃に張られていた由緒書と山形県米沢市の上杉博物館が所蔵する上杉家「具足台帳」の記載が一致したことなどから判明したという。市教委によると、茂憲の甲冑と確認されたものはこれが初めてであるということだ。
池田屋事件 跡地に開店する居酒屋の内部を公開、大階段も [人物]
元治元年6月5日(1864.7.8)京都三条木屋町の旅宿池田屋で新選組が尊攘浪士を襲撃した事件、その跡地に事件が起きた同日7月8日居酒屋「海鮮茶屋池田屋はなの舞」がオープンする。 それを前に6日マスコミに向け店内が公開された。(2009.7.7共同通信)
記事によると、店内の改装工事には東映の太秦スタジオが協力したこともあり当時の池田屋の雰囲気を再現しているという。映画やドラマでは見せ場の一つとなる近藤勇が駆け上がる大階段も設置されている。
伊達秀宗と邦直 伊達家の縁で愛媛宇和島市と北海道当別町が姉妹都市へ [人物]
今月5日、宮城県大崎市岩出山町で伊達家に縁のある愛媛県宇和島市と北海道当別町が姉妹都市協定の調印を行った。両市町と姉妹都市提携をすでに結んでいる大崎市が仲立ちしたという。(ソース記事:2009.7.6河北新報)
宇和島市は伊達政宗の長男秀宗が伊予宇和島藩の初代藩主であり、当別町は明治5年(1872)に一門の伊達邦直が岩出山で希望者を募り、北海道開拓に従事し現在の町の基礎を築いている。両市町とも歴史的に仙台伊達家とは深い間柄であるわけだ。
日向内記 白虎隊士達と別行動を取った士中二番隊隊長を再評価する書籍が福島民報出版文化賞正賞を受賞 [人物]
慶応4年8月23日(1868.10.8)会津戦争における戸ノ口原の戦いに焦点を当て、その前夜白虎士中二番隊からひとり離れた隊長日向内記を再評価する冨田国衛氏の書「会津戊辰戦争 戸ノ口原の戦い 日向内記と白虎隊の真相」が第32回福島民報出版文化賞正賞に輝いた。(ソース記事:2009.7.5福島民報)
通説となっている日向内記が22日夜に「食料調達のため、隊を離れそのまま戻らなかった。」は、飯盛山で自害した後に蘇生した飯沼貞吉の証言を唯一の拠り所としている。一方で平成5年に発見された白虎士中二番隊もう一人の生存者酒井峰治が書き残していた「戊辰戦争実歴談」によると、内記が22日夜はおろか食料調達のために隊を離れたとする記述は見当たらない。
筒井順慶 日和見主義者のイメージを晴らすべく冊子を発行 [人物]
天正10年(1582)の山崎の合戦にて、明智光秀と羽柴秀吉の両軍から援兵の誘いを受けていた大和国守護職筒井順慶がその去就を巡り生まれた「洞ヶ峠を決め込む」。この故事のため、日和見主義のイメージのある順慶の真実を知ってもうらおうと、菩提寺である奈良市小川町伝香寺の住職西山明彦氏が冊子を作り参拝者に配布する。(ソース記事:2009.7.4奈良新聞)
洞ヶ峠は現在の京都府八幡南山と大阪府長尾峠町の境にある。ここに光秀と秀吉双方から味方に付くよう催促された順慶がどちらに付くか迷ったため動かずにいたところ、光秀が峠まで説得に行ったことから故事が生まれたという。しかし、実際は最初に援兵の依頼をした光秀に対して順慶は少数の軍勢を派遣したものの、自身は居城である大和郡山から動かずに中立姿勢を保っていた。山崎の合戦が始まるや、秘密裏に秀吉側に付き篭城態勢に入ったというのが史実のようだ。
子規幻の自筆選句集見つかる 未発表の四句掲載で5日にオークションへ [Topics]
正岡子規の選句集でその存在だけは以前から知られていた「なじみ集」が発見された。表紙には子規の蔵書である証拠の朱印が捺されている。この句集は明治25年(1892)から28年頃に作られたとみられ、その中には子規だけでなく、高浜虚子や夏目漱石の句も収められている。この選句集は今月3、4日に東京古書会館で一般公開され、5日にオークションにかけられる。最低落札価格は2000万円からとなっている。(ソース記事:2009.7.3YomuriOnline)
子規研究者の神奈川大学名誉教授榎本一郎氏によると「馬子一人馬にひかるるかれ野哉」と、<寒山拾得賛>と題した「しにに行くためにめしくふこじき哉」の二句が新発見で、一部違う句も含めると四句あるという。
山岡鉄舟 那須塩原の旅館でのエピソードを冊子に [人物]
核密約 元外務官僚が実名を公表し証言 [Topics]
4人の元外務次官が、日本への米軍核搭載艦船の立ち寄りを日米安保条約事前協議の対象外とした「核持込み」密約を公表したのは先月初旬のことだが、今回その中の一人村田良平氏が共同通信のインタビューに実名報道をすることに同意した。それによると、核持込の密約を就任した首相には伝えてこなかったが、外務大臣には報告してきたと証言。これにより、過去の密約は「なかった。」というこれまでの政府見解の構図は全て崩れる形となり、早急に真相を明らかにすべきという声が高まることになりそうだ。(ソース記事:2009.6.29 47ニュース)
6月29日に河野官房長官は記者会見で「密約は存在しない。歴代の首相、外相は存在を明確に否定している。政府見解はこれに尽きる。これ以上の事実関係はない。」と述べた。