2005-03-12
■ヌース理論
id:kanoseさんからリンクしてもらって、だいぶ前に書いた「最近話題の「批評家」ネタについて」へのアクセスが急に増えたので、この機に、ここのところものすごい勢いで注目しているこの手の“理論”の最新アップグレード・バージョンをご紹介しよう。その名も
「ヌース理論」http://www.noos.ne.jp/about_NOOSTHEORY/01_noos_for_biginners/what_noos_index.html
人間の実在とは、物質側にあるのでも意識側にあるのでもなく、それら両者、つまり、物質であるところの世界(客体)と精神であるところの世界(主体)とを結ぶ空間そのものだと考えるのです。
客体と主体を結ぶ空間。それはある意味、物質と精神という関係が抽象される観念のカタチに相当するものですが、ヌース理論の中では、このカタチは様々な存在の差異のネットワークを作り出していきます。そして、そこには、一つの秩序立てられた美しい幾何学体系が展開されていくのです。
ドゥルーズの哲学、ラカンの精神分析、量子力学、仏教などおなじみのアイテムはもちろん、星の運行の物理的影響および占星術まで取り込み、ヘクサチューブル、PSO回路、表因、表球、表形、表差、表性、表相、表相の交差、表相の等化、表相の対化、表相の中和、表相の調和といった独自の概念でそれらを止揚した上で、ヌースコンストラクションと呼ばれる「双対な4次元球面の構造を3次元的に表したモデル」上でリーマン球面におけるメビウス変換その他高等数学を縦横無尽に駆使し、魂と物質の統合を実現する「精神の幾何学」がヌース理論である……ということらしいのだがあんまりよくわかっていない。
っていうか、ぜんぜんわかんない。
その筋では有名らしい半田広宣氏(ヌース理論の提唱者)と小野満麿氏による「神聖幾何学対談」を読んでみよう。半田氏の発言、
つまり、ユダヤ・キリスト教的な唯一神では宇宙を創造することができないということですね。神はたえず双子性として出現し、互いを見つめあうことで「鏡の原理」を作り上げ、自己言及的に、自己反射的に創造の御業を行う。神聖幾何学には、その意味で必ず「自己」と「他者」という倫理的な問題が入り込んでいて、神聖幾何学が扱うカタチとは、それら両者の結びつきが作る構造のことなんだろうと思っているわけです。そのキモを一神教的に「愛なのです」と叫ぶのは簡単なんですが、そういうニューエイジ的な言い回しでは、いつまでたっても楽園の扉は開かない。『2013:人類が神を見る日』(徳間書店刊)にも書いた記憶があるのですが、われわれは愛を一つの思考形態として表現する手段がいる。愛にアリバイを与えるための確固とした知識が必要なんです。
「愛にアリバイを与える」ために、われわれの精神を幾何学として捉えるのが「神聖幾何学」なのだという。その後、「13」という数字の意味とかプラトン立体の対称性を経て、黄金比に満ちた超越性を内在した5芒星的運動からラカンの例のS、A、a、a'の関係図にいたり、そこからさらにフィボナッチ数列の神秘をつまびらかにする。
「5」が天使的世界を開くときの数だとするならば、純粋天使になった時に「7」が出現するというイメージを僕は持ってます。単純に言うと、さっき「4」が見えなければ「5」は立ちあがらないと言いましたよね。このとき立ちあがる「5」というのは自己の魂の象徴数と見ていい。自己の魂そのものが、天使世界の「1(個体)」として出現する。
ぐあぁ、わかんねぇ! すみません、つまるところ、その「神聖幾何学」をマスターするとどうなるのですか?
小野:たぶん生き様としては、少しは「いい奴」になると思いますよ(笑)。
半田:僕は怒らなくなりましたね。寛容なる無関心です(笑)。
いい奴になるのか!
かように、ニューエイジ理論の極北といって過言でないほど精緻に構築され、凡人にはなかなか理解の難しいヌース理論であるが、理論を応用することで開発されたグッズを買えば、俗人も直ちに「精神の幾何学」の恩恵にあずかることができる。
最近の半田氏の研究によると、ヌース理論は、なんと“ナンパ”にも応用できるらしいことがわかってきたそうだ。
おそるべし、ヌース理論。
- 参考書籍
- 作者: 半田広宣,砂子岳彦
- 出版社/メーカー: 徳間書店
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■キーワード「桜井亜美」に本人代理人からクレームが入ったらしい
- http://d.hatena.ne.jp/laiso/20050312#sakurai
- http://d.hatena.ne.jp/gotanda6/20050312#sakuraiami
- http://d.hatena.ne.jp/keyword/%ba%f9%b0%e6%b0%a1%c8%fe?kid=66373&mode=edit#c(キーワード編集履歴)
ふーん。はてなによって削除されたのは「ルポライターの速水由紀子のペンネームである。」という一文で、id:gotanda6さんが修正項目として付記のかたちで復活させたら、id:jounoさんがふたたび削除したという流れらしい。
まあ、はてなの削除基準がどーかとか、削除したものを付記として復活させちゃ元の木阿弥であるとか、そういうことはあんまりどうでもいいんですが、この
という事実は、桜井亜美デビュー直後に朝日新聞が本人への取材込みで思いっきり載っけていたことであり、秘匿されるべき情報でもなんでもない、つまり速水由紀子がなんでクレームつけているのか意味不明であることはいちおう指摘しておこうかなと。
桜井亜美著「イノセント ワールド」 少女売春の欠落感(単眼複眼)
少女売春が社会問題化するなかで、そうした女子高生の内面をさらけ出した小説が登場した。桜井亜美著『イノセント ワールド』(幻冬舎)は、帯に「17歳の女子高生アミ。危険な生の輝きを伝える鮮烈なデビュー作」と銘打ってある。あとがきを見ても、語り手が体験をそのまま書いたということになっている。
この作者、実は三十代のジャーナリスト速水由紀子さん。売春する女子高校生の取材を続けている。「あとがきも含めてフィクションということです」。なぜ、こういう体裁を取ったのだろうか。
「取材をもとにしたノンフィクションとして書くことも考えたが、事実と真実にはズレがある。彼女らが抱える欠落感は私も共有するところがあり、自分の感覚も反映させた真実を表現するには小説にするしかなかった。当事者が書いた仕掛けにしたのは、現実の問題はずっと続くんだと訴えたかったからです」と説明する。
■桜井亜美問題おまけ資料
前にも紹介したけど、宮台−速水−朝日のタッグを示す資料ということでついでに。強調は引用者による。あと、幻冬舎文庫版『ガール』の中森明夫による解説も名人芸的名文で必読なのだが、処分しちゃったようで見あたらず。
新しいイノセンス 新少女が示す実存形式 宮台真司(ウオッチ論潮)
(前略)
○世界の不受容と成熟
その点でいえば、私が小説化を勧めた桜井亜美『イノセントワールド』(幻冬舎)の十七歳の主人公アミは、今日的イノセント=「世界の不受容」を象徴している。彼女は、親から見放された「無垢」な知能障害の兄タクヤと近親相姦(かん)の関係にある。彼を守るために売春で金を稼ぐ彼女は、やがて兄の子を妊娠。そして混乱のさなかにクスリを飲まされ集団レイプ……。おぞましい筋立てだが、なぜか嫌悪感を感じない。その理由は、一人称で自らを語るアミが「世界を受け入れていない」からだろう。“閉ざされた世界”に棲(す)むアミにとって、親も売春客もレイプする男たちも存在感の希薄な“影絵”に過ぎない。
(中略)
オヤジをカモり、徹底して戦略的に振る舞う現実の女子高生たちにとって、オヤジという存在は、「汚れ」かつ「世界を受容した者」の象徴だ。そのオヤジ相手に売春しまくる彼女たちは、「汚れ」てはいても「世界を受容していない」。その意味でイノセントな存在だ。「世界を受容していない」アミの「リアル」は、実は社会学的な意味で「現実」そのものである。
(中略)
たとえば「日本の将来」を憂えるお定まりの論壇的説教は、「世界を受け入れ切った」場所からなされるから、そもそも世界を受容しないオウム的「幼児」やブルセラ的「新少女」には届くはずもない。しかし「新少女」は、世界の汚れを嫌って出家し、ハルマゲドンを待望するようなオウム的「幼児」とは違う。汚れた世界の「中」を、世界を拒絶しつつ汚濁にまみれて生きる「新少女」は、若い世代に広がりつつある「こんな世界を生きるための」新しい実存の形式を示している。それがいいか悪いかは「大人」たちがどんな世界を作っているかによるだろう。(社会学者)
桜井、尾崎、鈴木、大貫…。「亜美」という源氏名には、なんとなく、「アミってさ。仏語で言うと、<友達>でもあり<愛人>でもある。まあ、一番の意味は、<味方>って意味かな?月日が僕らの間柄を変えても、そんないい関係でいようよね?思い出を糧に。あとくされない感じで、」とかゆってるプロデューサー的資質の男性の影がちらつく名前ですよね。小生も男だったらそういう生き方を選んでいた気がします。知的パートナーとして、な、とかウィンクしちゃったりして。二人称の相手に、単数一人称で複数一人称を語らせる、ピグマリオンは男の夢、ですな。
桜井amiの場合は、ピュグマリオンというよりメデューサといった印象を持っているのですがさておき、おそらく、当初は短期プロジェクトとしてスタートした「桜井亜美」だったのに思いがけぬロングラン・ヒットになってしまったがために初期設定の詰めの甘さを塗り込めるのに四苦八苦、といったところではないかと推測されます。
「ピグマリオンは男の夢」一般化しないように(笑)。
いろいろ差し迫っておりお返事できないことも多いかと思いますが、各自の欲望に従い随意、当「お(略)」のコメント欄はお使いいただければと、はい。