Hello Little princess(昼の部)
(〜ほま拓SSまとめ〜)
ある日のこと。
「ねぇねぇ、おかーたん。あのね、ゆみおねーちゃんちにね、おとーと、くるんだって」
「へー……え、うそマジ?」
慌てて旦那の親戚(?)というか兄弟(?)というか実質本人の嫁さんに確認のメッセージ送ったら笑顔の絵文字付きで、
──妊娠三週間だよ〜☺️
と返事がきた。
うわー、ウチの旦那がこれ知ったらまた複雑な顔しそう。
その予想通り、帰宅した旦那にこのことを告げたらすっごく当惑した顔になった。
「今の気持ちを述べよ」
「お祝いしたい気持ちが半分、素直に喜べない気持ちが半分」
「正直でよろしい。相変わらず引き摺ってるね」
「そりゃあ、あいつは俺だからな……」
なんだか浮気しているみたいでお前に申し訳ない、ってそんな一言をポツリと呟かれて、今度は私がどんな顔をしたら良いのかわからなくなった。
長年連れ添ってきた幼馴染で、しかも初恋の少女が、未来の自分と結婚した。この事実をどう受け止めれば良いのか、旦那は未だに葛藤の中にあるようだった。
まぁ旦那のデリケートな男心はさておいて、
「ねぇ拓海、それよりももっと深刻な相談があるんだけど……みほがね」
「え?」
娘の名前に旦那はハッと顔を上げた。
「みほに何があったんだ?」
真剣な目付きになった旦那に、私も息を呑みながら続きを口にした。
「みほにね……弟が欲しいって言われてしまいました……」
「……弟限定ってのは難しいな」
「そういう問題?」
まぁ妹でも全然オッケーってあの子は言うと思うけどさ。
「俺は大歓迎だよ。だけど……一番はお前がどうしたいかだ。お前の心と体、それを大切にしてほしい」
真剣な目をしたまま、だけど優しい声と口調でそう言ってくれて、なんだかちょっと嬉しい。
「私も賛成かな……私も一人っ子だったし、兄弟姉妹ってのに憧れみたいなもの…やっぱり、あるんだ」
「そうか。でも、仕事の方は大丈夫か?」
「現役時代と違って大きな試合で結果出さなきゃってプレッシャーはもう無いし……でも、アイスショーは向こう一年は休業させてもらうことになると思う」
「観客も公演回数も増えてきたところなんだろう? やっと軌道にのってきたところじゃないか」
旦那のその気遣いはありがたい。でもね。
「ファンには申し訳ないけど、みほが……私の一番のファンが望むことだもん。叶えてあげたいよ」
私はそう言いながら、目の前でぐっすり寝こけている娘に毛布をかけ直した。
深夜間近の寝室で、家族三人、川の字になって寝そべりながらの夫婦の会話。
娘の頭越しに小声での相談だったけど、みほは相変わらずぐっすりと深い眠りについていた。
「なぁ、これって、その……チャンス……じゃないか?」
「今から? マジで?」
「い、嫌なら、やめとく」
あっさり諦めて寝返りを打った旦那の肩に、そっと手を伸ばして触れた。
「い、嫌じゃない…よ?」
小さくそう呟いたら、旦那がまた寝返りを打ってこっちに振り返った。常夜灯のほんのりとした灯りの下だけど、めっちゃ笑顔なのが見て取れた。
旦那の方からも手を伸ばしてきて、その大きくて硬い手のひらが私の頬に優しく触れた。
「拓海……」
「ほまれ……」
お互いに引き寄せ合うようにその距離が詰ま──
「くかー」
私たちの間で娘が毛布を豪快に蹴っ飛ばしながら寝返りを打って、私の胸にしがみついてきた。
「くかー……こあらたんごっこぉ……」
どんな夢見てるのよあんた。しかもよりにもよってこのタイミングかぁ。
旦那に目を戻すと、彼も苦笑して、大人しく身を引いた。
いや待って、あっさり諦めないで、せめてこの子なんとかして。しがみつかれて私めっちゃ寝にくいんですけど!?
一人で先に寝息立てないでよ拓海ぃ〜!?
〜〜〜
とりあえず新たな家族計画に取り組むことに合意したのは良いものの、肝心の実行にはなかなか困難が伴った。
先ず一つ目は私の仕事だ。
フィギュアスケーター選手現役時代、自分で言うのもなんだけど世界でもそれなりに名を馳せたと思ってる。だけど世界大会で入賞したところでそれだけじゃ食っていけないのがこの界隈だ。私の最盛期でさえ、重機オペレーターやってるウチのお母さんの年収に追いつけなかったのは結構ショックだった。
おまけに道具や衣装、トレーニング施設の使用料にトレーナーとの契約料とかで赤字になることもしばしばで、金銭面でいえば全く儲からないのがフィギュアスケートという世界だ。金と情熱と誇りを捧げて、得られて残るのは名誉だけ。
「でもその名誉は、お前にしか手に入れられないものだろ。世界に唯一つ、輝木ほまれっていう名前を輝せてくれる誉だ」
こんな風に言ってくれる男が隣に居なかったら、多分もっと早く引退していたかもしれない。
ま、後で引退を決めたのも結局はこの男が原因なんだけどね。引退宣言から一月後、私は苗字を輝木から品田に変えた。
それから一年後、私は第一子“みほ”を出産した。奇しくも親友のはなも同じ年に第一子“はぐみ”を出産していて、同い年の娘たちは母親と同じく…いや、私たち以上にまるで姉妹のように仲良く育っている。
で、その娘たちの姉貴分みたいな立ち位置なのが、和実さんとこの“ゆみちゃん”だ。旦那との関係を考えたらウチの娘とは実質姉妹なんだろうけど、その辺は深く考え出すと頭が痛くなりそうなのでやめておく。
ゆみちゃん、たまにウチの旦那を「パパ〜💕」って間違えて呼んじゃうんだよね……。そりゃ間違えてもしょうがない、っていうか実質パパなのは間違いないんだけどさ……。ウチの旦那と向こうの旦那、二人揃ってめちゃくちゃ気まずい雰囲気になるから勘弁してほしいんだよね……
閑話休題。本題なんだっけ? あぁそうだ、私の仕事の話。
フィギュアスケーターとして現役を引退した私は、出産と育児に翻弄された。実家の母や祖父母、旦那、それに友人たちの支えもあって、子育てがようやく一息ついた頃、私にアイスショー出演の話が舞い込んできた。
その話を持ってきてくれたのは、若宮アンリ。私の元フィギュアスケーター仲間で、いわば幼馴染みたいな立場の男だ。今じゃ振り付け師や演出家として世界的に名を知られていて、彼が主催するアイスショーに出ることは最近のフィギュアスケーターにとっても一種のステータスになりつつあった。
「昔馴染みってだけで声をかけたんなら辞退したいんだけど?」
「僕がコネ採用するような人間だと? みくびるんじゃない。不甲斐ない演技をしたら一発でクビにしてあげるよ」
そんなこと言われて私が、はいそうですか、と引き下がるはずがないと知っているんだコイツは。
私はアンリの口車に乗せられてまんまとアイスショーの世界に足を踏み入れてしまった。
競技選手時代と違ってアイスショーは勝ち負けを競う場所じゃない。集まったスケーター同士の間には、競技時代のような生き馬の目を抜くピリピリとした緊張感はそこにはなく、ショーを盛り上げるための仲間としての連帯感があった。これは基本的に個人競技だった選手時代にはなかった感覚で、なんだかプリキュアとして仲間と共に戦っていた頃を思い出しもした。
でも、だからといって競技より甘い世界ってわけじゃない。アイスショーで相手にするのはライバル選手じゃなく、何百、何千という観客だ。
「全ての公演が世界大会ファナルだと思って演じてもらいたい」
とは総合演出にして総責任者でもあるアンリの言葉だ。とんでもないプレッシャーだけど、その程度で潰れるようなスケーターなぞ彼のお呼びではない。
かくして私は、現役時代同様の猛練習と、そして下手をすれば現役時代よりも多く観客の前で演技を披露するようになってしまった……
……前置きがずいぶん長くなっちゃったけど、要は仕事が忙しくて夫婦二人きりの時間があんまり取れなくなっちゃったってことなんだよね〜。
ちなみに旦那はクックファイタートレーナーっていうニッチな職業に就いている。定時登庁、定時退庁、育児休暇やフレックスタイム制度もバッチリなホワイト業務だ。ただ、たまに緊急出動がかかってドンパチ案件に巻き込まれてるらしいってのが唯一にして最大の不安事項なんだけど。ちなみに事情を知らない人間に旦那の職業を訊かれた際は、警察官みたいな仕事をしている、って答えて誤魔化してる。
ドンパチ案件さえなければ旦那は家事から育児まで完璧にこなすスパダリだ。ほんとありがたい。大好き。愛してる。
なので私のアイスショーさえ休業になれば家族計画にはなんの支障も無いはずだったし、アンリもその辺はちゃんと考慮してくれた。
「君は何かを経験するたびに大きく高く羽ばたく、そんな選手だよ。だから家族計画おおいに結構、全力で子作りに取り組むといい」
「配慮は嬉しいけど、そういうこと人前で堂々と言わないで!」
デリカシーがない? そうじゃない、全部わかった上で敢えて空気読まないのがアンリという人間だ。
「女の子が生まれたら僕の名前をつけても良いよ」
「お断り」
「男の子だったらハリーって名前にでもするかい?」
「洒落にならないからやめて!」
一瞬それもアリかなって考えた自分が怖い。ゆいさんを引きずりまくってる旦那のことを言えた立場じゃ無いね、私もさ。
さてさて、でもこれでいよいよ障害は取り除かれた。後は自分の体調次第だ。私は寝室のカレンダーを眺めながら思案した。
「今週いけるかな」
「おかーたん、どっかあそびにいくの?」
「そーではない」
夫婦揃って気持ちよくイクの。なんて子供に言えるかそんなもん。
「みほ〜、今日はいっぱい遊んで疲れたよね〜。早くおねんねしようね〜」
「やだ。えほんよんで」
「拓海、よろしく」
「任せろ。よし、じゃあ何を読む? エル太郎の大冒険か? 青の騎士と白の王子さまか?」
「りこせんせーのはちゃめちゃだいこんらんがいい」
「「絶対だめ」」
「やだやだー! りこちゃんがいいー! りこちゃんのえほんよんでー!!」
最近の子供の流行りに頭を悩ませながらなんとか別の絵本で納得させたけれど、
「こうしてエルちゃんは愛するツバサくんと可愛い娘のニコ様と、そしてあげはさんも含めてみんな仲良く暮らしましたとさ。めでたし、めでたし……なのかこれ?」
「おとーたん、つぎ! つぎこれ!」
「お、おう」
なんてこった、これで四冊目。なんで今夜に限ってそんなに夜更かしなのよこの子ってば!
「むかしむかしあるところにりこちゃんというまほうつかいが……あ、やべ、これソクオッチ世界線だ」
「くかー」
旦那のうっかりミスで大変なことになる前に娘が寝落ちした。
「よし、今がチャンスだよ拓海」
「だな」
娘を挟んで川の字に並べたお布団の端っこから、旦那が私のお布団に移動してくる。
「ほまれ……」
「拓海……」
こうやって間近で見つめ合うの、久しぶりかも。ふふ、昔みたいにドキドキしてきちゃった。
私たちはひとつのお布団の中でお互いの背中に手を回してゆっくりと引き寄せ──
「くかー…ふんが!」
どげし、っと旦那が背中を蹴っ飛ばされた。
「おうふ!?」
「大丈夫?」
「みほの寝相すごいな…」
身を起こして娘を見ると、布団を跳ね飛ばした挙句に枕に足を乗せていた。この一瞬で百八十度ひっくり返るとはダイナミックなやっちゃ。お腹まで丸出しにしちゃってさ。
やれやれとため息をつきながらパジャマを直してお布団を掛け直す。
「さて、と……拓海」
「ああ」
「ふんが!」
布団が吹っ飛んだ。やめて、こんなしょうもないダジャレを私に言わせないで。
おまけに娘が寝返り打ちながらコロコロ転がって私と旦那のお布団に潜り込んできた。
「くかー」
「みほ〜……」
あんた昼間あんだけ弟欲しいって言いまくってたじゃん。自分で邪魔してどうすんのさ、もう。
私たちは夫婦揃って苦笑しながら、娘を真ん中に寄り添って眠りに落ちた。
〜〜〜
「てなわけで、はな、お願いがあるんだけど」
「言わなくてもわかってる! みほちゃんいつでもウチにお泊まりに来ていいからね!」
流石は親友、以心伝心ってやつ?
いや違うか、先日はぐみちゃんウチにお泊まりに来たもんね。そん時にあんたら夫婦もしっぽりやってたんでしょ。
「はなんとこも家族計画?」
「ううん、ダーリンと楽しんだだけだよ。はぐみには申し訳なかったけど、子供が横に居たんじゃできないプレイとかもあったりしちゃったりするもんね」
あっはっはーと惚気てくれた。こんなんでも大企業の社長である。社員には多分見せられない。
「……はな、プレイって?」
「んふふ〜気になる? ほまれもやっちゃう?」
「……ものによる」
「大丈夫、大丈夫、そこまで変なことやってないから。ほら、私たちってプリキュアやってた頃、色んな職業体験やったでしょ?」
「うんうん。やったね」
懐かしいあの頃の記憶が蘇る。
「色んな制服着たでしょ?」
「うんうん、着たよね」
あ、なんかピンと来た。
「あんたまさか制服着てやったの?」
「たまたま仕事の関係で色んな制服コス仕入れてたから、つい」
「どんな仕事よ……ていうかそれ会社の備品でしょ。汚したりしたらマズイじゃん」
「プレイ用はちゃんと私物として買い取ったから大丈夫」
せっかくだから何着か持ってく? と言われたけれど、流石に辞退した。いくら子供抜きで家族計画ったって、そこまでやるつもりはなかった。
……なかったはずなんだけどなぁ。
いよいよ家族計画実行の日。自分の体よりでっかいリュックサックにお菓子とオモチャをいっぱい詰め込んで、
「はぐたんちいくー! はやくいくー!」
とやかましい娘が、迎えに来てくれたはなとはぐたんと一緒に車に乗ってお出かけして行くのを見送った私の元に、はな達と入れ替わるように宅配便が届いた。
差し出し人は、
「アンリ…? これ、前回のアイスショーで使った衣装じゃん」
それは一言でいえば、メイド服だった。ショーの演目が“小公女セーラ”だったからだ。アラサー子持ちの人妻になんちゃう役をやらせるんだとアンリのセンスを疑ったけれど、まあそこは流石というべきか、ちゃんとショーとして成立はしていた。
で、送られてきたメイド服は、私(アラサー子持ち人妻!)が演じるセーラ(11歳の薄幸美少女ヒロイン!)が、富豪だった実家の破産により落ちぶれてメイドとして働くシーンで着ていたものだ。
普通の演劇で使うメイド服なら、シックな長袖ロングスカートのワンピースにフリル付きエプロン、後は頭にカチューシャってのが一般的なイメージだろうけど、私がやったのはアイスショーなので、メイド服のデザインもフィギュアスケートの振り付けの邪魔にならず、さらに演者のスタイルがはっきりとわかるものにアレンジされていた。
具体的にいえば半袖で胸元を大きく開いたミニスカートワンピにフリル付きの腰下ショートエプロン、さらに肩周りのや背中なんかも大きく露出していて、上半身のメイド要素は襟周りに縫い付けられたフリルと首元のチョーカー風蝶ネクタイ、そして頭のカチューシャぐらいって感じだ。
衣装としてはかなり大胆に露出しているけれど、フィギュアの衣装ってのは下に肌を覆うベージュのタイツを着込んでいるので、パッと見とは裏腹に露出なんてほぼないのが現実だ。常識で考えて、あんな寒いところで肌なんて晒せるわけないでしょ。それに練習で散々転んでいるんだから、肌にアザとか残りまくりで到底人前に晒せたものじゃない。
ところが、だ。アンリが送りつけてきたメイド衣装にはタイツが付属していなかった。代わりに入っていたのは小さなメッセージカード。
【Pray for the birth of the little princess(小公女の誕生を祈って)】
って、小公女セーラにかけてメイド服でプレイしろってか! 余計なお世話だっての! っていうかなんでアンリが家族計画の日程を知ってんのよ!
メッセージカードの裏面にその答えが書いてあった。
【私が教えちゃった♪ byさあや】
いやアンタもなんで知ってんのさ。
もしかして、はなから話が漏れた? 別に秘密にしてたわけじゃないからその線が濃厚、というかそうじゃなかったら余計に怖い。
というわけで、友人たちの余計なお世話…どころか悪ふざけの類に辟易しつつ、私はその衣装を箱に納め直そうとした…………けど、
──子供が横に居たんじゃできないプレイとかもあったりしちゃったりするもんね。
「ま、まぁ、せっかく…だし…?」
拓海が仕事から帰ってくる前に、お風呂で肌にアザとか残ってないか確認しとかなくちゃ……
私はそそくさと浴室に向かい、夜に備えて念入りに体を洗ったのだった……
(夜の部へ続く)