Deprecated: The each() function is deprecated. This message will be suppressed on further calls in /home/zhenxiangba/zhenxiangba.com/public_html/phproxy-improved-master/index.php on line 456
はてなダイアリー平民新聞
[go: Go Back, main page]

はてなダイアリー平民新聞

創業2002年か2003年、平民金子の元祖はてなダイアリー日記です。

六甲山を縦走したい!(7)

 標高246メートルの旗振山を過ぎ、標高237メートルの鉄拐山を過ぎ、私はようやく対流圏と成層圏の境となるおらが茶屋の展望所に着いた。あたりの景色や見下ろす町なみは神戸市が1960年代からおこなった、山をごっそり削り取って海上都市建設用の埋め立て土砂に使うという「山、海へ行く」と呼ばれた(今の時代にはあらゆる意味で出来そうにない)開発手法の舞台、ど真ん中である。出発した時には靄が出ていて夜を引きずる薄暗さもあったがもう完全に朝である。ベンチに腰をかけ、本格的な休憩に入るべく靴と靴下を脱いだ。素足を空気にあてると気持ちいい。むきだしになった足裏が呼吸を始めている。靴下を脱いだままあぐらを組んでリュックの中からメロンパンとSAVASのプロテインドリンクを出して朝ごはんを食べた。

最近ファミリーマートのメロンパンにハマってしまい「メロンパンってすごくおいしい!」と気づいたのだが、自分としてはこれはメロンパン全般が好きになったのだろう、そういう体質になったのだろうくらいにとらえていた。だから今食べているのは昨夜のうちに近所のスーパーで買っておいた88円のメロンパンである。しかし、食べ始めてすぐに理解した。私はメロンパン全般ではなくてファミリーマートの『ファミマ・ザ・メロンパン』が好きなのだ。

これはなんの違いだろうか。まず何よりも名前の「ザ」の位置がキン肉マンで言うところの「ビッグ・ザ・武道」みたいで格好いい。あとさくさくの部分も全然違う気がする。近所のスーパーのメロンパンがおいしくないわけではないのだが、これは別になくても困らないおいしさであり、あの時の出会いがもしもファミマのメロンパンではなく今現在手にしているこのメロンパンだったらそれは運命の出会いとはならず、私はこんなにもメロンパンが好きにならなかっただろうから、そうなると今は別のパンを手に持っていたのかもしれない。出会いとはどこまでも偶然である。何かの偶然で一瞬自分の手のひらの上に何か(この場合はファミマのメロンパン)がのって、それをしっかりとにぎりしめていればよかったのに私は別のメロンパンを買ってしまった。「ビッグ・ザ・武道」て名前は文法的にどうなんだろうな。

出発段階からここに至るまでに健脚老人たちとすれ違いすぎて孤独の旅路感はすっかり色褪せてしまった。しかし88円のメロンパンをかじりながらこうも考えた。私もこの先想定外の要因で中途で死なないかぎり高齢者になるのが生命体としての既定路線である。ならば、どうせなら将来的にはここですれ違ったような健脚老人の側にいたいものだ。日頃から近所の山に出入りするだけの体力と気力を有した彼らの側にいたい。たぶん体力と同じくらい気力も大事なのだと思う。ファミマのメロンパンがメロンパン全般ではないように彼らもやっぱ老人全般ではなく人生の岐路ごとに勝ち残っていった特殊老人コマンドーみたいな勝ち残りジジババたちなのだ。

そう、岐路である。自分にしたって、体重を25キロも落とすというのは人生的に重大事件なわけで、その最中の私には明確かつ重大な岐路が見えていた。このままでいるのか、それともあちら側を目指すのか、というような。いまでも五十を前にしてそのような岐路が見えている。何かに到達できたわけではない。ともかく私には子供が生まれた四十歳の時には子供のことだけを考えていればよかったから見なくて済んだ岐路がこのたびはくっきりと見えてしまっているのだ、などと熱心に語るとその話を聞かされた他者は冗談だと思って100パーセント笑う。本気で語っているのになぜ他者は笑うのだろうか。それは他人事だからだろう。結局自分の目の前にあらわれた岐路は自分で処理していくしかない。その姿が真剣なものであるほど他者からは滑稽にうつるのだとしても。

ともかく山で出会う健脚老人問題である。こんな感じの岐路がこれから六十代を前にしてもやって来て、七十代を前にしてもやって来て、出発時に私は「初老をつきつけられる」などと書いたがそんな言葉遊びみたいな「初老」じゃない、本格的な老いと死を突きつけられるような岐路がいつかあらわれるのだろうよ、そのとき自分は「じじいのくせに往生際の悪い、じじいは家にこもって猫でもなでとけや、おまえはじじいやのに何をやっとんねん」みたいな側、つまり朝っぱらから山に登ってラジオ体操をしている側に行けるのか、それが問われている気がした。私の足裏はその気持に応えてくれるだろうか。十分風にあたった足裏に、しっかりがんばってくれよと声をかけながら靴下を履き、おらが茶屋の先の階段を降りた。せっかく成層圏近くまで登ったのにまた地上におりてきて、そしたらまた天空にまで伸びていく長い長い階段が私の前に立ちはだかる。はたして無酸素で登れるのだろうか。ここからはいよいよ須磨アルプスである。

六甲山を縦走したい!(6)

しかしあれですな。
先ほどから孤独の旅路、孤独の旅路、と唱え続けて雰囲気を盛り上げようとしているにもかかわらずどうにも調子が出ないのは、体の重さはさることながらさっきから登山道がぜんぜん孤独ではなくて早朝から体力があり余ってそうなトレイルランナーや地元の老人たち(毎日登山組)とすれ違いまくっているからである。孤独の旅路感がまったくない。いつかあの世で縦走した理由を聞いてみたいなどと書いたが1975年の第一回縦走大会に出ていたモノクロームの若者たちは案外まだまだ現役で山に登っているのかもしれない。このあたりさすが毎日登山の町であると感心し、私はといえば途中で何度も休みながらようやく縦走路最初の山頂近くにたどり着いた。

予想していたことであるがあたりのベンチは早起きのご老人たちの談笑の場となっておりさながら登山老人の万博会場といったにぎわいである。その後もわらわらとやってくる老人軍団に囲まれていると孤独の旅路感を求めていたこと自体を忘れていき、ともかく朝の山には下界とはまったく違う文化圏があるのだと感心する。

彼らは何時に寝て何時に起きているのか。ゼルダの伝説に出てくる森の妖精コログみたいに山に住んでるんじゃないのか。しかもみな軽装であり、なんならこれからラジオ体操でも始まりそうな雰囲気さえある。なんかほんま、ゼルダの伝説で山を登っていったら見たことない種族の村を見つけたみたいな感じやなと山頂の毎日登山村に感心しせっかくお会いできたのだと思ったのでさわやかに「おはようございます!」とこちらから声がけをした。それにしても「おはようございます」「おはようございます」と挨拶をかわし合っていると、大げさなリュックを背負って全身で山に対し身構えている私だけがあきらかにここでは場違いな感じなのが実感できる。

とりあえずあいたベンチに腰をかけ、ひと休みしていると目の前に新しい初老紳士がのぼって来て私の前で立ち止まったのでこの場にいる誰もにそうしたように新参者としてこちらから「おはようございます」と声をかけたのだが初老は私に対しほんの一瞬だけ目をくれたのみで挨拶などの言葉は返ってこなかった。おい無視か、とは思わない。この場では私は新参者なのだから。それに登山道で挨拶が返ってこないことなどはごく普通にあるのである。

本当に骨の髄までさわやかな、挨拶好きの人も中にはいるだろうが、多くの登山者というのはお互いに「おまえのことなんてどうでもいいのだが、山のルールとして仕方なく」といった具合に挨拶をかわし合っている。そして、そのように、知り合いに会ってうれしいから挨拶をしている、とかではなく「ルールやねんし、まあ仕方なく」くらいの感じで挨拶しているからこそ、聞こえているにもかかわらずあきらかに挨拶を無視されるとムカつくわけだ。おわかりだろうか。

これは信号機に例えるとわかりやすいかもしれない。歩行者として「まあ仕方なく」というくらいのノリで赤信号を待っている場合、横からシュッとした感じで「知らんがな」とばかりに信号を無視するやつがいたらムカついてしまうのとたぶん同じ原理である。ただまあすでに書いたように、ここは登山道ではなくひとつの集会所みたいな感じになっているし、それに集まっている人も知り合い同士が多いのだろう、私はあくまでも部外者である、と思い一瞬イラッとしかけたものの自分の中のアンガーマネジメント機構のスイッチを入れてムカつくことはやめにしておいた。

にもかかわらず、ムカつくことはやめにしておいてやったにもかかわらず、許してやったにもかかわらず目の前の初老は私を無視したあとで平然と、奥のベンチにいた女性2人連れに(私を飛び越えるように)笑顔で声をかけているのであった。
初老「(私の頭の上で)おはようさん!」
女「(私の頭の上で)●●さん今日もお元気で。この前教えてもらったヤマダストアに行ってきたよ」
初老「(私の頭の上で)そうか。よかったやろ」
女「(私の頭の上で)うん、教えてもらった道順どおりにいったら迷わんと行けた」
すべての平和な会話が私などいないかのように私の頭の上でなされている。もしかするとこれは「きみ、そこはボクの定位置で、そこのベンチに座られたら邪魔なんやけど」と間接的に言われているのではないだろうか。今の私は大雪の中ようやくたどり着いた立山連峰の剣沢小屋ですでにいた6人組に外に追い出された(『孤高の人』上巻p387〜)加藤文太郎に地上でもっとも近い位置にいるのかもしれないな、そう思った時早朝の登山道に砂埃に汚れた木綿の着物を着て杖をついた盲目の座頭があらわれて私を残してこの場にいる全員を一瞬のあいだに居合で斬り殺してしまった。あっけにとられる私に向かって座頭は「迷惑かけたね、気をつけて行ってらっしゃい」とだけ言い残して去ってしまった。あとに残された私はそうだそうだ、さっきから孤独の旅路の歌詞を見ようとしてたんだった、と思い出しスマホの検索窓に「ハート・オブ・ゴールド 歌詞」と入れたらエグザイルの歌の歌詞が一番上に出てきた。

六甲山を縦走したい!(5)

天気アプリによると今日は一日曇り空になってはいたが降雨予報はなく、9月とはいえ夏の名残でまだまだ強い日差しを考えれば曇天はむしろ恵まれているといえる。登山道はまだ薄暗いけれど注意すれば十分に歩ける程度の明るさはあって、これから刻一刻と朝になるわけだからヘッドランプはつけなくていいだろう。都市部ではもう聞こえなくなったセミの声が周囲を木々に囲まれた道にはまだ響いていて、それに鳥の声と鈴虫の鳴き声と落ち葉を踏みしめる自分の足音だけが今ここにある音の全部だと思って歩いているうちにも少しずつ周囲も明るくなっていく。ニール・ヤングの『孤独の旅路』という曲名が浮かぶ。一段、一段のぼるごとに、こど、くの、たび、じ、こど、くの、たび、じ、とリズムをとり、心の中で声にしながら進んで行く。

孤独の旅路ってなんかアルバムタイトルっぽいけどアルバムは『ハーヴェスト』だったな、『ハーヴェスト』と『アフター・ザ・ゴールド・ラッシュ』はどっちを先に聴いたのか忘れたけどニール・ヤングの二大こんな音楽があったのかアルバムだ。ボブ・ディランとニール・ヤングがいるアメリカ人がうらやましかった、十代の最後の年に聴いたんじゃないか、て書きながら思ったけど、音楽とは関係ないけど、私は酒の「のむ」を「呑む」て書く奴は悪魔だと思ってきた、呑むじゃなくて飲むって書けよと、けれど自分だっていま「きく」を「聴く」て書いたじゃないか。それだって他の人からしたら悪魔だと思われるのかもしれない。「飲む」を「呑む」て書く奴の漢字の選別から見えてくる自意識がほんまうっとおしい、と言いながら自分は音楽を「聴く」と書くときに「聞くじゃなくて聴く」みたいな選別感があるよな、とは以前から思ってた、きくを聴くと書く時に自分には何かがあるなと、なんか「こっちの漢字を選んで書いている」みたいな時に己の中の嫌なものを見せられるようで嫌になる、そういうのに「もうめんどくさいわ」となり、みんな糸井重里っぽく漢字をひらく感じになっていくのかもしれん。ひらくのはひらくのでクセが出るから使い方が難しいとは思うけど「きょうだい」とかはひらいて書くほうが好きだな。

それにしてもまだ5分も歩いていないのに息が激しく切れている。これはなぜか。プレッシャー?「やったるで」みたいな気負いからだろうか。なんせ歩き始めにしていきなりであるが体がめっちゃ重い。塩屋の登山道は何度ものぼっている慣れた道なのに、この体の重さはなに、てくらいの。でもこれまではほとんど手ぶらの状態で登ってたから、なるほど、今日のように荷物を背負って歩くのと手ぶらで登るのとでは同じ登山でも別の競技みたいな感覚なのかと学んだ。自分はずっとheart of goldを探してきた、そうやっているうちに、and I’m getting old……(ずいぶん年をとってきたわいな)て、これは『孤独の旅路』原題ハート・オブ・ゴールドでくりかえされる印象的な部分だ。ハート・オブ・ゴールドを孤独の旅路てなんか、あまりにも直球な、まあそう言うならそうなんだろうけどそう言う?みたいな訳ですな。

そういえば神戸市がYouTubeで公開している1975年の第一回六甲全山縦走大会の映像(映像というか写真をつなげたもの)をきのう見た。モノクロの景色の中にいる健脚そうな若者たち、あれも今では例外なく死んでいるかよぼよぼなのであろう、そんなことを思いながら。どんな生き方をしようが年をとる、生まれたからには死んでいく、みんながみんな、and I’m getting oldなのである。先ほど玄関で尻もちをついた時、ふいに「初老をつきつけられる」という言葉が浮かんだ。生命が例外なくたどっていく死への入り口、それが初老である。死の玄関口、て、まだ早いか、年寄りに笑われるわ。三十代の奴が自分のことをおっさんって言ってたらおもろいもんな。私も三十代の時に自分のことをおっさんって言ってたけど。「老」もそうで、今なんか調子こいて使いたくなるけど七十代とか八十代の人からしたらおもろいんやろうな。でもニール・ヤングってand I’m getting oldのハート・オブ・ゴールドを作ったのがまだ二十代やろ、老成しすぎだろー。尊敬よなあ。

考えてみれば、私は2年前と比べたら体重を25キロも落としているのである。それまでに背負っていたペットボトル50本ぶんの肉塊に比べたら、今の荷物ってせいぜい、なんぼお茶を2リットル持っているといったって合計5キロくらいしかないはずだ。それで尻もちつくってのもたいがいよな。でもあれか。100キロの人間が持つ5キロは体重の20分の1だけど50キロの人間が持つ5キロは体重の10分の1みたいなあれもあるのかな。どうでもいい。なぜ私は縦走をするのか。第一回六甲全山縦走大会の、50年前のその時の瞬間を写真におさめられた彼らの、モノクロームの映像が脳裏をよぎる。今さら何をやったところで誰もがこの先老いて死んで行くのに、なぜ私は縦走をしているのか、なぜ彼らは縦走をしたのか、何をやったところで老いて死んでいくだけなのに、と思うとつまらないこだわりとか、夢とか希望でさえもどうでもよくなるような気がしてくる、どうでもいい、何をやったってやらなくたっていっしょである、だからこそ彼らは縦走をしたのだろうか、いつかあの世で聞いてみたいものである、そうそう、いつかあの世でといえば尾崎紅葉の『多情多恨』を読んで私は重要なことに気づいたのだ、でもそれは今度にして、今は体が重い、足がだるい、息が上がる、いつもはもっとラクなのに、こど、くの、たび、じ、こど、くの、たび、じ、と念仏のように唱えながら私は一歩、一歩、(ところどころで息をつきながら)歩いた。

六甲山を縦走したい!(4)

神戸市が発行している六甲全山縦走MAP(このMAPは「防水素材のマップは、少雨時の雨よけとして使用できます」などと書かれているのがよい。超合金ロボットだけど実はライターみたいなゴールドライタン的というか。雨よけになる地図て、効果はともかくそのメッセージの心意気だけで買いたくなるではないか。ちなみに六甲山系の大きく広げるタイプの地図はこの神戸市版と吉備人出版の「六甲山系登山詳細図 西編・東編」があって吉備人出版のやつがまあ断然……いいんだけどなんせでかい。これはでかい家に住んでる人用の地図ですな。うちなんて狭小長屋だから吉備人出版版を広げる場所がないのである。こんなものを広げたらトイレにも行けない。奥多摩とかのさ、古民家とかに引っ越して吉備人出版版六甲山地図がいつも作業台に広げられている、壁には山道具とか釣り道具が無造作に釘にひっかけられて並べられているみたいな優雅な暮らし、来世でやりたいですなあ。

その点神戸市版は大人が両手でぱっと広げられる感じの手頃な大きさだから立って半畳の状態で読めて庶民的である。それで傘にもなる。なるんか?あと吉備人出版の地図は長らく「西編」が品切れ状態になっている。しかし最近の吉備人出版の方のブログで西エリアの地図調査をされていたので、おそらく近年中に新編を出される予定なのであろう)を参考にしながら登山アプリに全縦走の地図を描いてみると、予想タイムは22時間と出る。距離合計は42キロ。時間はともかく距離に関してはもう少しある気もするなあ。登り合計2838メートル。下り合計2803メートル。と、スマホの画面上で親指でちょちょっと動かしながら全体風景を見ているかぎり、「まあなんとかなるんじゃないか」というような根拠のない不思議な自信が湧き起こってくる。

ただこれってあれよな。普段からスポーツ競技をやってる人間だったら「いまのところの自分の限界値」てのが常にわかってる(突きつけられている)じゃないですか。野球のピッチャーをやってる人だったら自分の最大球速を知っているし陸上競技をやってる人だったら……云々。で、私のように何もやっていない人間の最大の不幸ってのは自分の限界値を知らないことだと思うわけ、そういう奴は勘違いで「なんでもやれるんじゃないか」とか思っちゃう、というのは大昔から思っていて、先に書いたように私は18歳の時に大阪から広島までの道を歩こうとしたことがあるんだけど私はその時はじめて自分の「いまのところの歩行の限界」みたいなのがわかったわけだ。何も知らない段階ではマノン・レスコーのラストシーンみたいに世界の涯てまで行けるのかと思っていた(マノン・レスコーなんてそれこそ30年くらい前に読んだ小説だからめっちゃ適当に書いたよ)。それが、1日に20キロ、であった。それ以上歩くとマメがつぶれてやばい。だから300キロ歩こうと思ったら1日30キロを10日間ではなく1日20キロを15日間というペースにしておかないと足があれになってしまう。みたいな数値を歩きながら学んだわけです。

それで、先に書いたようにそんなもんいつのデータやねんて話だけどそれでもやで、普通に考えてこの30年で自分の肉体が謎の進化を遂げたとは考えられんわけ。当然退化してる、と考えるのが当たり前ですやんか。そしたら、数字だけを見てもアップダウンのある山道の50キロを自分は歩けるのか?となるのが、正常な現状認識ということになるわなあ。それをいま、アプリの地図を見ながら親指をちょちょっとやって「なんとかなるんとちゃうかなあ」とか思っている私のこの精神状態ってのは『坂の上の雲』で司馬遼太郎がいってたところの昭和軍人の「信じがたい神秘哲学」というやつではないだろうか。

 たとえていえば、太平洋戦争を指導した日本陸軍の首脳部の戦略戦術思想がそれであろう。戦術の基本である算術性をうしない、世界史上まれにみる哲学性と神秘性を多分にもたせたもので、多分というよりはむしろ、欠如している算術性の代用要素として哲学性を入れた。戦略的基盤や経済的基礎のうらづけのない「必勝の信念」の鼓吹や、「神州不滅」思想の宣伝、それに自殺戦術の賛美とその固定化という信じがたいほどの神秘哲学が、軍服をきた戦争指導者たちの基礎思想のようになってしまっていた。(3巻 p196) 

司馬遼太郎ってほんま昭和の軍人をぼろっかすに書かはるよなあ。あれはたしか二十年くらい前だったか、産経新聞が『坂の上の雲』を新聞連載時の形で再掲載してた時期があって、産経新聞って右よりな印象だけど、日露戦時代はヨシ、大東亜時代はアホみたいな司馬史観ってのは産経新聞の思想と整合性がとれているんだろうか、ともかく「欠如している算術性の代用要素」としての「世界史上まれにみる哲学性と神秘性」……というのは私がいまふつふつと抱いている六甲縦走を前にした謎の自信と全能感を解釈する言葉としてなかなかふさわしいと思ったわけだが、とりあえずまず私が考えないといけないのは縦走に持って行く荷物である。

スマホ充電用のモバイルバッテリーとヘッドランプは最重要装備で、あとは雨具やら、山道でスマホを落としたら最悪なのでスマホをつなげておくためのチェーンみたいなやつもホームセンターで買った。あと靴擦れ用の絆創膏。そういうのの他に、一番かんじんの飲み物と食べ物。これはあれよな。万が一不測の事態が起こってしまった時のために2日くらいは過ごせる程度の行動食……と書くと大げさかもしれないが食べ物はいろいろ入れた。あとお茶のペットボトル、500mlを4本。

飲み物がけっこう迷うところである。なるべくなら途中補給(現地調達)をアテにしたくない。なんぼ六甲山とはいえ最初から途中補給をするつもりで少量の飲み物だけってのはちとこわいやろー、どこに何(商店とか自販機)があるのかもわからんし、というあれよりも私は角幡唯介の『地図なき山 日高山脈49日漂泊行』を読んだのである、49日も漂泊しませんけどせめて自動販売機をアテにして山に入れるかい!という気持ちは忘れずにいたい、岩魚とかは釣られへんけど……、そう思って、重くなるけど合計2リットルの水分を持ったわけだが、しかし予定タイムが22時間と出てる旅路でハタして2リットルってのは適量なのだろうか?そのへんがまったくわからないのである。ちなみに食べ物はおにぎり4個とメロンパン、ヤマザキの薄皮つぶあんぱん、あとカロリーメイト2箱、他お菓子とか、お菓子ってのはミニ羊羹とラムネかな。このあたりも実際これが適量なのかどうかがわからない。なにせいろいろと未知数なのである。データがない。

それにしてもやっぱり2リットル分のお茶を入れたら途端に重くなるよな……などと思いながら、さていざ出発の日の早朝、リュックを背負ったまま玄関でしゃがんで靴を履き、そのまま立ち上がろうとした瞬間、荷物の重さで盛大に尻もちをついてしまった。なんか幸先が悪いなあというか、もう若くはないのだ、みたいなことも考えた。登山道はまだ深夜を引きずっていて、仄暗い。

六甲山を縦走したい!(3)

私には、より大きな問題がもうひとつあった。
それは、六甲縦走決行日として設定した9月14日の日曜日は昼にはカネロ・アルバレス対テレンス・クロフォードのスーパーミドル級タイトルマッチが、夜には井上尚弥対ムロジョン・アフマダリエフのスーパー・バンタム級タイトルマッチが放送されるということであった。
まさにドリームデイである。
私はすでにふたつのタイトルマッチを観戦するためにNetflixに890円、Leminoに990円を払って有料会員になってしまっているのである。

ボクシング観戦に何の思い入れもない人間からしたら「そんなん配信やねんから後で見たらええがな」かもしれない。しかし違うんですな。私は毎年なんやかんやいってX(昔はツイッター)のテレビ実況馬鹿(年末になると紅白歌合戦とか漫才コンテストを見ながらSNSに感想をつぶやきまくるネジのゆるんだ狂人)たちの影響を受けてしまい「こういうのは見とかなあかんのかな」みたいな気分になるので毎年紅白歌合戦を録画してるんだけど、一度だって年が明けてからその録画を見たことがほんまいちッッッ度もない。やっぱああいうSNSでテレビ番組を実況しまくる頭の腐った狂人たちが実際ネジのゆるんだ狂人であるのは置いといても紅白歌合戦ってのは12月31日のあの時間帯にリアルタイムで見てこその紅白歌合戦なのだろう。それくらいは自分にもわかる。

……というのと同じで、カネロ対クロフォードも井上尚弥対アフマダリエフも録画ではなくリアルタイムで見ないといけないことは始まる前から決まりきっている。しかも、この日おこなわれるふたつの世界戦はどちらかを見ればいいというものではなくどっちも外せんわ。しかも絶対に山の中では電波が通じない=世界戦が見れないし。とはいえこちらとしては9月14日を外したら次にいつ丸一日の自由時間が作れるかがわからない、つまり決行日は延期できない。

縦走に行かねばならない。
ボクシングを見なければならない。

自分に突きつけられたこのどちらかを取ればどちらかが取れないみたいな難しさは8月の、大阪万博に行かないといけない、しかし万博に行ったらこれまで私を支えてくださっていた維新嫌いの万博反対派の左派系文化貴族っていったらあれだけどカルチャー的に高級な趣味をお持ちの、コーヒーは好きだけどトップバリューの安いコーヒーはまずくて飲めませんみたいな、でもあいつら性格は悪いけど行儀だけは良いから絶対にそういうことは口には出さなくて、だからトップバリューの安いコーヒーもユニクロも口では否定しないけどでも自分の家には絶対に置かないし着ない(そのくせ「ユニクロいいですよね。下着はユニクロなんですよー」とか言う)、そんで2千円くらいするややこしそうなスパイスカレーをカチャカチャ音ならして食ってそうな奴とかいるじゃん、DJやってたりDJのまわりで踊ってたりTシャツはなんかムカつく感じでこだわってたりする男子でも小便は必ず座ってしますみたいな気高い連中から「あいつ、万博なんか行きよった。きっしょ」みたいに思われてしまう、みたいな感じか、違うか、ミャクミャク〜。

9月の某日。近所のコンビニまでの道をヒカリさんと並んで歩きながら「ぼくは近いうちに六甲山の縦走に行きたいと思ってるんよな」と打ちあけた。
するとヒカリさんは「あー。掃除のやつ?」と言った。
なるほど、以前(といって数ヶ月ほど前の話になるが)、炊飯釜のこげを落とすために重曹を使ったことがありその時ヒカリさんがいたので重曹を使った掃除法をこまかく教えたのだ、その記憶があったためだろう。

「掃除のじゃなくてこの場合のじゅうそうはタテに走ると書く、つまり六甲山のはしっこからはしっこまでずっと歩くっていう意味」
「?」
「縦に走るやけど実際は横に歩くイメージ?」
「3日くらい?」
「3日もかからへんよ。1日くらい」
「クマは出る?」
「クマは出えへんと思う。六甲山やからイノシシが出るかも」
「イノシシが出たらどうなるの?」
「そりゃ……お互いびっくりするんちゃうかな……」

ファミマでカフェラテを買い、家に帰るまでの道すがらヒカリさんは真面目な調子で「死なないでね」と言った。私はそのとき心のなかで(このセリフ、どこかで聞いたことがあるぞ。映画『フリーソロ』で命綱なしでエル・キャピタンに登ろうとするアレックス・オノルドを心配するサンニ・マッカンドレスのやつや)などと思ったのだが、しかし私の場合どう考えても極限的アスリートの英雄的行為の延長上にある死の影みたいな格好いいあれじゃないですわな。富士山を登っている姿をニコニコ動画か何かで実況配信してて滑落して亡くなってしまった方が何年か前にいました、ああいう調子こいてうっかり遭難系っていうか、ちょっと前に剣岳でもそういう人がいたよな……ていう側やろ。

でもだからこそ、なんならアレックス・オノルドよりも私の方が、よりリアルな死がそばにあるのかもしれない。スマホを見ながら山道を歩いていて谷に落ちたりする感じのうっかり滑落系中年なあ。だからこそヒカリさんからふいにかけられた言葉は夏の暑さがまだまだ残る9月の陽気にてらされて揺れながら光輝くカフェラテの平和な感じに似合わず重く響いた。
「死なへんて」と私は答えた。

六甲山を縦走したい!(2)

六甲全山縦走計画。なんとも魅惑的な響きである。
実行日は妻と子が早朝から出かけている9月14日の日曜日と決めた。この日ならば翌月曜日も祝日なので万が一不測の事態(日をまたいで遭難とか)が起こったとしても子供の朝ごはんの準備とかがないのでなんとかなる。
しかし、実行するにあたって根本的かつ深刻な問題がふたつあった。
ひとつはそもそもの体力のなさである。

一応この2年は減量期間であったので(『幸あれ、知らんけど』という本に詳しく書いた)1日1万歩以上歩くことを実践してきたし近所の山にもちょくちょく通いはした。しかしそういった軽い運動と六甲全山縦走とでは世界がまったく違う気がする。今となってみれば若い頃から飲酒と喫煙習慣だけは立派に身につけて一切の運動習慣を持たずに生きてきた過去を呪いたい。そういえば十代の頃から存在が気にかかっていたものの読む気にならず、なぜか今年になって全6巻をいきなり読み終えた沢木耕太郎の『深夜特急』で、作者がギリシャの古代競技場跡でたたずんでいると若いアメリカ人バックパッカーがやってきて短距離走の勝負を挑まれる場面があるのだが(たぶん5巻)、そこでさらっと書かれていた事実によると沢木耕太郎ってさあ、若い頃から陸上競技で身体を鍛えていた超体育会系の人間だったのだな……。
そりゃいくら若いとはいえ『深夜特急』みたいなハードな旅は文系のボロ瓢箪には出来ませんわな。いや、どおりで『凍』にいたっては山野井泰史・妙子夫妻といっしょになってギャチュンカンだっけ、えらい高い山に登ってましたやんか。あんなんそのへんのおっさんはできへんで。

私は若い頃にあこがれる人間を間違えていたのかもしれない。
高田渡とか友部正人みたいな線の細そうな感じの、中島らもみたいな飲んだくれイメージの、そういう人らではなくて沢木耕太郎とか山野井泰史の背中を追いかけるべきだった。そしたら人生は違っていたかもしれない。
そういえば(話が脱線してしまうんだけど)だいぶ昔の東京時代、今はもうないけど都電の向原駅の目の前に豊島区立中央図書館があったわけ。もうあの図書館を覚えてる人はいないかなあ。2階には古びた大衆食堂みたいなレストランがあって、そこでよくアイスコーヒーを飲んだなあ……。で、ある時アイスコーヒーを飲みながらジャック・ケルアックの伝記を読んでたら、ケルアックってさ、十代の頃はアメリカンフットボールの特待生かなんかでめっちゃ身体を鍛えていた肉体エリートであったのである、おまえ、あっち側かよみたいな、裏切られた気分になったよ。どいつもこいつもスポーツなんかしやがって。ギンズバーグを見習えよなあ。ギンズバーグって体を動かすことなんてセックス以外何もやってなさそうやん。セックスさえもあの体つきでは相当淡白かつ受身なはずである。なんかさ、すけべ椅子みたいなのに座って責められてるだけみたいな。だいたい書物の世界なんてのは運動などしないひねくれ者のドラッグ中毒ばかりが住んでいる世界と違いますのんか。色川武大の『うらおもて人生禄』で作者が子供の頃、いつも同級生が運動場で相撲をやっている楽しそうな様子をひとりでぽつんと遠くから眺めていたみたいな場面がありましたな。われわれは全員そっち側と違いますのんか。と、まあそんなことはどうでもよくって、とにかく沢木耕太郎は脳筋側であり私は運動をさぼり続けたツケが中年になって回ってきて後悔する側だ。ただまあこの問題に関しては「体力がない?知らんがな」というだけの話である。そんなことを言ったって仕方がないのだから。私には、より大きな問題がもうひとつあった。

六甲山を縦走したい!(1)

 おのれの身のほどを知ってさえおれば、牛と同じ大きさになろうとした蛙のように膨れ上がることもないのじゃ。(『ドン・キホーテ』後編2 牛島信明訳)

以前からぼんやりと頭に描いていた六甲全山縦走計画を実行しようと思った。

どのくらいぼんやりかというと、2023年の12月に自分の誕生日にモンベルに行き登山靴を買ったのだがその際店員から「どのような山にどのような目的でいつの季節に?」的な、登山靴を売る人間なら当たり前に聞くであろう質問をされて、その時点ではただなんとなく登山靴が欲しいというだけで具体的な山行のイメージがなかったため言葉に詰まり「いつか六甲縦走とかしたいんですよねー」などときわめて適当に答えた、というレベルのぼんやりしたイメージである。

「六甲全山縦走」と言っても他府県に暮らす人間からすれば意味不明な言葉だと思う。
しかし神戸に住んでいるととにかく六甲山系の山々が身近な存在になって、私もまた東京に暮らしていた頃は山なんてまったく縁がなかったが神戸に来てからは何かと近くの山に登るようになった。以前神戸市のサイトで連載していた『ごろごろ、神戸』でもたぶん3回くらい、山に登った時の話を書いている。

摩耶山→ 第40回 摩耶山の思い出 - 『ごろごろ、神戸2』『ごろごろ、神戸3』

錨山→ 第12回 ビッグ赤ちゃんイカリ山 - 『ごろごろ、神戸2』『ごろごろ、神戸3』

高取山→ 第21回 高菜炒めつくろう - 『ごろごろ、神戸2』『ごろごろ、神戸3』

ちなみに(話が脱線してしまうんだけど)『ごろごろ、神戸』で言うと、上のリンクが2018年と2019年のもので、自分が神戸の山に最初に登った=出会ったのは2017年7月のこの回だと記憶している。

鉢伏山・旗振山→ 第10回 スマ!スマ!スマ! - 『ごろごろ、神戸2』『ごろごろ、神戸3』

この時は当たり前のようにロープウェイやカーレーター(この場所にしかない妙な乗り物)や観光リフトを使った。足で登る発想すらなかった。ただやっぱ『ごろごろ、神戸』の連載の流れを見てみると、さすが神戸は毎日登山(毎日+登山ではなく「毎日登山」これ自体がひとつの名詞なのだ。明治時代にやって来た外人発祥とされる。毎朝近所の山に登って「さあ今日もがんばりますか」みたいになる、今でも続く独特の文化)の町である、というか、こんな自分でさえなんとなく日常生活の延長で「山にでも登るか」みたいな気分に変化しているのがよくわかるのだ。『スマ!スマ!スマ!』という話を書いた後、舞台の音楽祭をやっていた方たちとしゃべる機会があって、「機材を運ぶ手段がないからみんなで人力で機材を運んだんですよ」などという話を聞き、その時点での私は機材を運ぶ苦労以前に「この山を自分の足で登るのか」などと思っていたので、あれから8年くらいがたち……今の自分は(出来るのかどうかはともかく)「六甲山を縦走したい!」などと書いているのだから、山というものが身近になっていることだけは確かであり、人間の認識というのはいかようにも変化するものである。

ともかく。神戸では山を歩いているといたるところに(ときには住宅地にさえ)「六甲全山縦走路」なる案内板が設置されているのでその言葉が無意識下に刷り込まれ、私は「なんやそれ?」から次第に「いつか自分も」みたいな気持ちになっていったのであった。

縦走のスタート地点は神戸市の西の端っこである塩屋である。

毎年神戸市では六甲全山縦走大会が市公式でおこなわれていてそのスタート地点は塩屋ではなく隣の須磨浦公園駅からなのだが、これはおそらく地域住民のクレームがあったのではないかと想像している。だいたい2千人くらいが参加する大会らしいので、狭い路地に住宅が密集している塩屋地区をスタート地点にするのは相当に無理があるからである。だから住人が少なくてあまり迷惑のかからなそうな隣の須磨浦公園スタートに変更したのだろう(知らんけど)、というあれで、私は別に大会に参加するわけでもなく一人で歩くだけだから元祖スタート地点の塩屋でいいだろう。そしてゴールは六甲山脈の東の端、宝塚である。全長は約50キロくらい。50キロということは平地だと休みなく歩いたとして10時間くらい。だから、山道だからだいたい20時間くらい?……とか適当な皮算用をしてみるが、実際にどれくらいかかるのかはわからない。あとそもそも私は平地とか山道とかに関係なくそんな長距離を一度に歩いたことがない。18歳の時に大阪から広島まで歩こうとして、その時は一日に20キロ歩くのが限界だった。しかも30年前の話だし。しかも20キロだし。ともかく何もかも未知数である。

『ターミネーター』を初めて観た その2

それでさ『ターミネーター』なんだけど、めっちゃ驚いたことがひとつあって、私はこの作品、主人公のアーノルド・シュワルツェネッガーをずーーーっと、40年くらい、正義の味方だと思い込んでいたわけ。全然違うやん!だから冒頭から「え、シュワさんなにしてんの」てなって。たぶん、ロボコップと混同していたのだろうな。さっきも書いたけど『ロボコップ』は中学生くらいの時に見てたから。同じ時代の映画だし、なんか雰囲気似てない?でもよくこんな勘違いが維持されたまま無菌室みたいな環境で49年も生きてこれたよなあと思った。知らずに生きてこれたのがすごい。

だって映画好きの仲間とかが身近にいたら一度くらいは『ターミネーター』の話になって普通に知識を得そうやん。いかに自分に映画好きの友達がいなかったかってことよな。いや、いま虚勢を張ったけど映画好きどころか私にはあらゆる種類の友達が……てこんなことを日記に書いてたらあかんて。子供が悲しがるて。

で、まあ原因はともかく五十年近く『ターミネーター』についてあれだけイメージ、ビジュアル的にはよく知ってるのに内容について完璧に無知なままこれまでやってこれた自分を褒めたっつうか心の中のなんかのセラピー会場で心の中のセラピー仲間が私を「あんたすげえよ」って抱きしめてくれた、つまり自分で自分に対して感心したわけだ。だってここを読んでる人、みんな見たことなくてもターミネーターのあらすじくらい知ってるやろ?私は数日前に作品を鑑賞するまでいっさいの情報がなかった!あほの人たちってしょっちゅう集まってバーベキューとか飲み会とかパーティとか花火とかやってるから『ターミネーター』の話とかにもなって、見てなくてもどういう映画かわかってんだろー。私は何も知らなかったもんねえ。そんな人間、なかなかいないぜ〜。映画を語れる友達がほしいなあ。いらんわアホ。目が合った奴全員死ね。

それでもう、続けて、勢いとまらなくて『ターミネーター2』も見たもんな。これ監督『タイタニック』の人か。『タイタニック』は見たんよな、その頃たしか出来たばっかりの布施のラインシネマで。ラインシネマってまだあんのかいな。布施か。なつかしいなあ。ロクな思い出がないけど。大阪なんてなあ、Gショックの修理する時しか行かへんのじゃ。と思ってたんだけど、この前まさに妻のGショックの修理受け取りで大阪に行ったわけ。そしたら同じビルに石井スポーツとか好日山荘とかもあってヨドバシもあったし楽しかったなあ。吉祥寺って1000回くらい行った気がするけど私の吉祥寺の思い出の99パーセントはヨドバシカメラやから神戸にも超巨大なヨドバシカメラができたらうれしいな……メリケンパークに。

『ターミネーター2』の方があれなんだっけ、水だか水銀みたいな銀色の液体みたいになってそれがまた人型になってカクカク動いて追いかけてきたりして、なんか昔のこういうSF映画、いやほんま「こういうのでええねん」「こういうのでええんです」とかしみじみ思ってさ、おまえ土井善晴かって。

『ターミネーター』を初めて観た

妻と子が旅行に出かけて時間ができたので、何も考えずにテレビをつけてプライムビデオの画面を見てみると、おすすめ欄みたいなところになぜか『ターミネーター』が出てきた。それで、うわ『ターミネーター』や、こんなん今このタイミングで見とかないと一生見ることないんちゃうか、と思って、勢いで最後まで鑑賞したのだ。生まれて初めてあの、超有名な『ターミネーター』を見た。映画だから観たと書いたほうがいいんだろうか。とにかく『ターミネーター』を観たわけだ。


しかしあれですな。これ1984年の公開作品で、機械の体がクネクネと動いていて(今の時代のなめらかなCGを見慣れてしまった目で見ると)手作り感満載でめっちゃいい。AIが動画もなんでも作ってくれる今だったらターミネーターももっと自然に動くだろうからこういう感動はなかったんだろうな。昔のウルトラマンとか、あるいは90年代くらいだったか、ミニシアターの界隈でチェコアニメって流行らんかったっけ。ユーリ・ノルシュテインだ。思い出した。三十年くらい前にシネ・ヌーヴォかどっかで観た記憶がある。なんかそういう、カクカクしたものを見たときにおぼえる安心感、作ってる人間を後ろに感じる感じ、手作業やな……みたいな、なんかさ、最新のあれだとこういうのは出ないよなあ。

とまあこういう、自分が感じた良さっていうのは2025年に1984年の作品を見て(時間がずれてるからこそ)感じた良さであって、当時の人にとってはあの映像がリアルだったわけだから、私も子供時代に見ていればあそこに「リアル」を感じたわけで、そうそう、何年か前に『ロボコップ』を久しぶりに(『ロボコップ』は中学生くらいの時にレンタルビデオ屋で借りて見ていたしテレビでも何度か見た)見直したら、あのなんかでっかいロボットがバキューンみたいな場面あるじゃないですか、あのロボットの動きが(今の目でみて)「ちゃちい……」て思って、でも中学生くらいの私にはあれがど迫力でリアルだったわけじゃないですか。

なんの話だったっけ、まあ二種類の感動があって、リアルタイムで見た時の感動っていうのと、今回の私にとっての『ターミネーター』みたいに時間を経てみるからこその感動ってのがあって、てこういう話でもなかったか、まあどうでもええわ。

体験の原石

某月某日。妻と子と大阪万博へ行き、特に目標もなかったのでぶらぶら歩き、とあるパビリオンに並んだ。経験から、まあこれくらいの列やったらこれくらいの時間かな、みたいなのは想像できるので、最長でも1時間以内だろう、というのもありのんびり立っていた。しかし行列が途中からまったく進まなくなったり、そもそも一度に入館できる人数も少なめであるため、とにかく列が想定のように進んで行かない。

とはいえある程度のところまで来ると「ここまで並んだんだから、もう今さら引き返せないぞ……」というような心理になり、結局途中で雨が降ったり風が吹いたりする中で待つこと2時間近く、「いい加減ぼくもくたびれてきたわ」と何度か口に出そうと思ったがそういう愚痴もこらえて、ようやくのことわれわれの順番になった。その前にはなんと、われわれの目の前で「はい、今回の入場はここまで」という規制ロープがかけられる出来事もあった。その時は子に「こんなロープがよりによって自分たちの目の前でかけられるなんて、不幸すぎて記念やから写真に撮っときなさい」などと言った。

そんな私たちである。ロープがとられて、ようやくの、念願の、と言ってもよい。
その、とあるパビリオンの中に入れたのである。ところが……………………

しょぼい……………………

めっちゃしょぼい……………………

とにかく、しょぼかった。
しかし、不思議なことであるが、外観はものすごく格好いいにも関わらず2時間並んで「しょぼ……」という印象しか持たなかったそのパビリオンを出たあとの私は、妙に高いテンションになっていた。2時間並んで中身は2分、2時間並んで中身は2分とうわごとのように繰り返した。それは文句ではなくてまごうかたなき高揚である。
どういうことかというと、私は

「これが、体験っつうもんや」

みたいな感覚に包まれたのである。

私はこのパビリオンに関して何の前知識も持っていなかった。
この万博に関してはベテランの方々がすべての情報を公開してくれているから、ここに関してもおそらくは「並ぶ時間は長いが入ったらしょぼい」みたいなことが書かれているのだと思う。おすすめできない、と。
私もぶっちゃけ、ここに関してはおすすめは……できない。
もしも直接聞かれたりしたら「並んで入るようなものではない」と言ってしまうかもしれない。しかし良いものであるにしろ悪いものであるにしろ、知識を得てから行く、あるいは知識を得たがゆえに行かないってのはそれは原理的には体験ではなく追体験でしかないわけだ。で、追体験と体験とはまったく種類が違うもので、今の時代は追体験が得やすく体験は非常にとらえがたいものになっている。

私は何かを発信する立場としては、自分が発信することによって誰かの体験を奪っている、というようなことはよく考える。
これはあくまでも私だけがそのような考え方を持っている、という話であって、誰かの親切な発信をそのようにとらえているという話ではないのだが。私が何かを発信する行為は、誰かの体験を奪い、そして追体験を増幅させる装置として機能している。

というわけでここにはそのパビリオンの名前を書かないが、ともかく私は妻と子と共に万博に行き、とあるパビリオンに2時間近く並んで盛大に「時間泥棒め!」と思ったわけだが、同時に楽しいとか楽しくないとかよりももっと深い根源的なところで「これは体験だ!」「体験ってこれよな!」というような不思議な高揚感を得ることができたのである。ふいに訪れた気まぐれから発生した予想もしなかった2時間の並び。妻と子と雨の中過ごした、虚無そのものである2時間、そして命からがら到達した山頂でようやく手にしたのは人類未踏の体験の、原石そのものであった、パビリオンを出た私は、なんか、すごかったな、なんかすごかったな、とうわごとのように繰り返した、でもまあすごかったはすごかったけどこれを最後に帰るのもちょっと後味的にどうかと思い帰りに妻と子と閉店間近の立ち食いそば屋に入ってそばを食べて汁まで飲んだ。

大阪・関西万博メモ その4 結局万博どうなのよ?て話

もしも時間を巻き戻せるならば、絶対に、四の五の言わずに通期パスを3万円で買って半年間たっぷり楽しんでいた。それくらいに大阪万博は、通えば通うほどに楽しみ方が見えてくる。小学生なんて半年間通い放題の通期パスが7千円である。これは……気づくのが遅かった。とはいえ夏パスでもまあ、夏の高校野球気分(ひたすら暑いが、なんか楽しい)で十分に楽しめる。子連れで行くならばとにかく大人側に、体力と精神力が必要だけど。

と、ここまでは私もふくめた「パス勢」の話であって。
大阪万博なあ。
最近沖縄にオープンしたジャングリアにしてもそうだけど、いきなり行った人、ほとんどがそうであるところの「行くのは一回」という人、つまり初見客がこれからのシーズンに飛び込みで行ってちゃんと楽しめるのかっていうのは、これはもう(私もそうであるところの)パス勢が「楽しい!楽しい!」と言っているのとはまったく別の話となってしまい、なんとも断言できない、不安である。

家族で夏旅行の計画を立てて、よほどお父さんなりお母さんなりがネットでの情報収集に熱心で「こんな感じなんやな」という前情報をしっかり、必要以上に得ていれば、楽しむことは十分に可能だと思う。ここでいう必要以上の情報というのは「家族で万博に行くのはいいが、どこにも入れず、なにも出来ず、炎天下、路頭に迷う可能性すらあるぞ」というあたりの覚悟なり危機感で、これくらいの認識=危機感を事前に持てるひとというのはパビリオンごときに入れなくても会場は広いしいくらでも楽しみを見つけることはできるだろう。

逆説的な言い方になるが、家族で行こうとする場合、万博は「何もできへんしおもしろくないかもな」と覚悟しながら行けば楽しめるものとなるが、ただ受け身に「万博に楽しませてもらおう」みたいな姿勢で行ってしまうと万博から思わぬ塩対応をくらって家族旅行のトラウマにすらなってしまう。お客様気分で行ったら塩対応される可能性が非常に高い、厳しいラーメン屋みたいなハードルの高さ、これが今現在の万博である。客なのに!

ぶっちゃけた話、いま本屋に並んでいる万博ガイド的なものはパビリオンの内容説明とかをしているので(そもそも入れないんだから)話にならない。入れないものの魅力を解説されたところでそれは無である。しかしたとえば、この前発売されたCasaBRUTUSの6月号は万博の建築特集なので、
https://amzn.asia/d/8VYZ6LS

この雑誌を買って読んで予習したうえで「今回の万博っていうのはなあ、通はなあ、外側(建築)を楽しむもんや」とか言ってみたら親のしゃべりさえ上手ければ小学校高学年くらいの子なら外側巡りについて来てくれるかもしれない。何時間並ぶのかわからないイタリアパビリオンも外側の見学調査だけなら並ぶこともなく見放題である。

けれど、である。やはり、である。
(おそらくほとんどの人がそうであるところの)そんなに熱心に情報収集をするわけでもなく、なんとなく「万博やってるし、行こうか」みたいな家族連れに、このたびの(これからのシーズンの)大阪万博はどれだけ優しいだろうか、と考えると、非常にむずかしい。たぶんこれからのシーズンの万博は、徒手空拳でやって来る初見客にやさしくはない。だから私は、手放しで(私が楽しんでいるからといって)万博楽しいで!とは書けないわけだ。

これまでに見た一番気の毒そうな家族客は、

◎子1 子2 子3
◎(万博に来たら何かしら楽しめるだろうと思ってきた)父 母
◎(我が子をたよって遠方からやって来た)祖父 祖母

という組み合わせだった。どっちかの世代だけならまだ大丈夫なのだ。
しかし「せっかくの万博やし、みんなで行きましょう」などと何の覚悟もなく三世代集合してしまうと父母世代が上下両世代に神経をつかわねばならず、おまけに容赦ない太陽の光は照りつけてくるし死亡するパターンで、これはトラウマになるだろう。

ここまであけっぴろげに書いたものを読んで「なお」て人なら行っても大丈夫だろうから、万博たのしんでください。

大阪・関西万博メモ - 本日開店
大阪・関西万博メモ その2 館内での飲食について - 本日開店
大阪・関西万博メモ その3 公式スタンプパスポートは買わない方がいい - 本日開店

大阪・関西万博メモ その3 公式スタンプパスポートは買わない方がいい

予約も取れないし、パビリオンには大行列。結局何をしたらええの、と途方に暮れる大阪万博であるが、答えは簡単、スタンプラリーをするのである。だだっぴろい会場に全部で200個くらいあるらしいのでやり始めたら実際コレクション欲がくすぐられて、会場にいる子供たちもめっちゃ楽しそうにやっている。ポケモンなんかでやっているあれである。
パビリオンに入らないと押せないやつもあるけれど、入らなくても会場外にスタンプ台が置かれている所もけっこうあるので、実際何個くらい集められるのかはわからないけど炎天下「何をすればええんや」と子供と共に途方に暮れていてもしゃあないので、やらない手はない、子供を連れてきたのならスタンプ戦線には参加すべきである。で、こういう話を聞くと、知らない人はまず公式ショップで(スタンプを押すための)スタンプパスポートを、となるだろう。

私は初め、何を勘違いしたのか一冊200円だと思い込み、自分のぶんと子供のぶんの2冊買おうとしたら、レジで提示された値段は2200円である。あ、ほんまや、一冊1100円って書いてる……、200円ってのは公式マップであった。スタンプパスポートは一冊1100円である。考えが甘かった。でも子供の前で、今さら引き下がれない……半歩だけ引き下がろう……と、結局わたしは2冊買うのをやめて1冊だけ買ったのだが、ここで言いたいのは値段の話ではないのだ。万博グッズがいちいち高いとか、そんなんは人それぞれの金銭感覚で違うから、値段に文句を言うような野暮なことはしない。それにスタンプパスポート、買ったら買ったでまあ(1100円だけど)ええもんである。丈夫なつくりだしかわいらしい。でも……

子供に使わせて思ったのだが、これは万博に何度も来れるガチ勢用のアイテムだと思った。
なぜかというと、全部で70ページくらいある立派なパスポートであるが、スタンプを押す位置がエリアごと(全8エリア)にわけられており、おまけにエリアE、エリアW、エリアXについては、NTTパビリオンはここに押してね、パナソニックはここに押してね、みたいな感じで押す位置も決まっている。……と説明しても持っていない人にはなんのことやらわからないと思うが、ともかく、公式パスポートというのはスタンプを押す位置が決まっていて、スタンプが(私たちがパビリオンを訪ねた順に)直列に並んでいかないのである。

これは、万博に何度もたくさん行ける地元の子供とかガチ勢の人だったら何の問題もない。繰り返し訪ねるうちにだんだんだんだん時間をかけてスタンプカードが完成していく(埋まっていく)、そんなよろこびが味わえるのでめっちゃ楽しいと思う。

けれど、私がいま万博メモを書くにあたって読者として想定しているのは、夏休みなのでこれから訪ねようとしているライト層の親子である。
ほとんどの人は訪ねるのは1回だけ。多くても数回。

公式スタンプパスポートというのは、実際買ってみてわかったのだが、長い時間をかけて(何度も会場を訪ねて)育てていく種類のアイテムなのであった……。

万博会場に行ったら、(どうせ予約は取れていないと思うので)「どっかに入れるところはないかな……」と適当なパビリオンを探す。すいてる所(夜の地球とか)に入る。スタンプを押す。次はどっかに入るか……とどこかに入れたとすると、そこはまたさっきのところとエリアが違うのでスタンプを押す場所は別のページで、うんぬんかんぬん。

つまりである。残念なことに、1回とか数回しか行けない人が今からパスポートを買っても、行けるパビリオンの数には限りがあるので、(押す場所が決まっている)スタンプパスポートにはぽつん、ぽつん、ぽつん、と飛び地のようにハンコが並ぶ感じになってしまう。それはどういうことかというと、家に帰ってパスポートを眺めた時にあまりに空白が多いため、「押した」という楽しさよりも「押せなかった」というさびしさが残ってしまうのである。

これは公式スタンプパスポートそのものが悪いのではない。
ただ「公式スタンプパスポートというのは何回もたくさん通って育てていくもの」みたいなことを知らない人は多いと思うので、1回とか2回でどないかなるものじゃないですよ、みたいなことは知っておいたほうがいいと思う。

それで、じゃあ何回も行けない人はどうすりゃええの、ていう話ですが、答えは簡単、自分のノートとか絵はがきとかにハンコを押していけばいいのである。実際うちの場合も公式スタンプパスポートは(このままではやはり、「押した」という楽しさよりも「押せなかった」というせつなさが残ってしまう)と判断した私は、パスポートは私が使い、子供にはノートを使わせることにした。

そうすると子供は好きな場所に好きなように(重ねたり、何個も押したりして)スタンプが押せるし、行った順に、エリアとか関係なくスタンプを直列に並べて、たとえ数個であったとしても、家に帰ってから「やった!」と楽しい感じに万博をふり返ることができるのであった。

大阪・関西万博メモ - 本日開店

大阪・関西万博メモ その2 館内での飲食について - 本日開店

大阪・関西万博メモ その2 館内での飲食について

大阪万博は、食べ物が高い。正確に言うと高いと感じない人にとっては高くない値段なのだが、高いと感じる人間にとっては高い値段である。万博の外で見かけたら「これ800円くらいかな」くらいのやつがだいたい2500円から3000円くらいである。しかしこれはあくまでも館内の飲食店で食べた場合、である。

私が大阪万博で最も評価しているポイントは、飲食物(アルコールをのぞく)が持ち込み自由であるところだ。こんなにハイカラなイベントなのに飲食物が持ち込み自由である。だから館内やパビリオンのレストランで食べたくない人は自分で弁当やおにぎりを作って持ってきてそのへんで食べればよいだけなのであった。

おまけに西ゲートから入っても東ゲートから入ってもどちらも入口すぐにコンビニがあり、当然のことながら普通のコンビニ値段であるから、コンビニでパンやおにぎりを買ってもいい。

つまり「万博は飲食が高くつく」というのは何も知らない外野の人間が言っているだけであって、実際のところは、高い(と感じる)ところに行けば高いだけ。安く過ごせる方法はいくらでもあるわけだ。
現地の食堂がいくらしようが、金をあまり使いたくない……という方面の人間に対してもしっかりフォローがされているので飲食店の値段に文句を言っているほうがバカである。

とはいえ、飲み物に関しては学んだことがある。
それは、飲み物をたくさん持ち込むのは無駄だということだ。

私は初めて子供を連れて行った時、子供の分もふくめて、凍らせたお茶2本、冷たいお茶2本、ポカリ2本(いずれも500mlペットボトル)の計6本をクーラーボックスに入れて持ち込んだ。貧乏はこれくらいせなあかんやろうと気合を入れたのである。

しかしいざ会場に入ったらどこにでも自動販売機が大量に置かれているし(普通の値段である)、水をくめる機械もあった(夏シーズンなのでちょっと並んでるけど)。私はボトル6本とクーラーボックス用のアイスでたぶん4kgくらいの飲み物をリュックに入れて暑い中、歩いていたわけだが、登山とちゃうねん、早々に「無駄だったな」と悟った。

万博夏シーズンというのはいかに体力を温存するかが肝であり、いつ飲むかわからない飲み物を4kgも背負っているというのは……。結局今は

・お茶のペットボトルを子と自分の分、1本ずつ持っていくだけ

以上である。あとは現地調達。コンビニの在庫にしてもそうなのだが自販機の飲み物も補充がしっかりされているので、飲みたくなったら自販機で買えばよい。

食べ物も、用意はシンプルになった。
最初はおにぎりを8個くらいリュックに入れていたけど、今は適当なおにぎりを1個ずつ、いわゆる"シャリ切れ"対策として入れておいて、あとは現地調達(コンビニ様、ありがとう)する。東ゲートから入ったらローソンが、西ゲートから入ったらセブンイレブンが、あとはファミマもあるんだっけ、いやほんとに言葉の正しい意味において「万博は飲食が高い」てのは嘘だと思った。先入観ってのはこわいものである。

ちなみに、飲み物の持ち込みをシンプルにするのは別の理由もあって、入場時の手荷物検査を簡単に済ませるためである。ペットボトルはすべてカバンから出す必要があるので、最初クーラーボックスに6本入れていたとき、まずリュックからクーラーボックスを出してそこからペットボトルを出して、6本のうちの2本は家で凍らせるために一旦フタをあけて中身を少量減らしたやつだから(未開封ではないので)別口の検査もあって、と、500mlのペットボトルを複数本持ち込むのは単純にめんどくさい。

どんどん体が万博慣れしていく。
夏の万博は体力勝負である。トレイルランなんかでも荷物の総重量って大事じゃないですか。ミニ四駆とかでも重さをいかに減らすかで勝敗が決まるわけで(知らんけど)、万博の場合も荷物は減らせるだけ減らすのが肝要だろう。

追記:もしも連れて行った子供が「せっかく万博に来たんだから外国のやつが食べたい」などと言って一皿3000円とかするやつを指さした場合は「貴様!ここは戦場だ!」と日本軍ばりにはっ倒せばよい。

大阪・関西万博メモ - 本日開店

大阪・関西万博メモ

大阪万博は、とにかく、行った後に(ネガティブな意味ではなく)何かを語りたくなる万博である。私は3度行って、私もまた(万博ガチ勢的に言えば「3度しか行っていない」にも関わらず)何かを語りたくて仕方ない状態であり、これは万博病であろう。
いや万博病といいますか、この大阪万博はtipsの宝庫なのだ。
チケットについて、行き方について、持ち物について、気温対策について、パビリオンの巡り方、スタンプラリーについて、会場での飲食、日除け法、あらゆる項目について行った人それぞれに「私はこうした。それについてはこうするのがいい」みたいなのがあって、個々が長々とそれを語ってしまう。私もまたこのような日記を書くわけだが、あくまでもこれは私個人の環境や条件や性格やらに適合した個人的な経験譚でしかなく、これは広く一般に向けた万博論ではない。たとえば、早朝のうちに並んで9時開場からの突撃、みたいなのは自分向きではない、まったく別の人のtipsである。

総論

・この万博で一番の勝ち組は、通期パス(〜10月13日閉幕まで)を買って開幕時の4月から何度も通っている人(王者)なのは間違いない。王者は現在「夏は暑いから夕方からや〜」とか「夏は暑いからお休みしとこ〜」とか言って家で休んでいる。

・私は計画どおり、夏パス(7月19日〜8月31日)を買った。基本子連れである。

各論(いろいろ間違った認識もあると思うが、万博シロウトのとりあえずのメモなのでお許しください)

・まず万博=パビリオンに入ること、と仮定

この万博には、事前予約(7日前予約とか。5つ候補を出せる)と、会場に入ってからの当日予約と、「愚直に並ぶ」(いわゆる「先着」)というパターンがある。
事前予約は、開幕あたりならいざ知らず、いま現在の感じだと、基本的に「外れるもの」と見ていい。事前予約は外れる。まず、ここに期待しない。

で、会場をチェックしている限り、多くのガチ勢の人はスマホを駆使して会場内をうろうろし「当日予約」の枠を狙っている。画面を何度もリロードして、だいたいのパビリオンでは一日に何度か当日枠を出すので、そこを狙って申し込むのだ。

これはこれで、ゲームのようで楽しい。
「うお!●●(人気パビリオン)で当日枠が出てる!申し込め!ああ、ハズレた!またリロード!今度は◯◯で枠が出た!」
みたいなのの繰り返しであるが、これはおもしろい。

ただ、大きな欠点がある。

スマホ片手に会場を自在に歩き当日予約を狙う、という狩猟民スタイルを楽しめるのは、基本的には「1人で行動できる人」である。
開幕時から通期パスで通っている人を「王」と呼ぶなら、会場を1人で自由に行動している当日予約狩猟民の人たちは「貴族」と呼んでいい。楽しそうである。

・子連れの場合はどうなるか(実体験で発見した真理)

理屈の上では貴族スタイル(当日予約狙いの狩猟民)が可能であるが、これまた開幕時〜平和時ならいざ知らず、いまの時期はまず、当日予約の抽選が当たらない。
そもそも、当日予約の空き枠が出るのは1名が多い(?)のか、私のように子供1人だけ連れた場合(大人1名、子供1名、計2名)であっても「希望人数分は用意できません」みたいなメッセージが多く出る。
たぶん、多くの空き枠は1人だったら、何度も挑戦できて、「いつか当たる」みたいな感じなのかもしれない。だからモバイルバッテリーにつないだスマホを何度もリロードして抽選を繰り返す「意味」みたいなものもあるし、実際このスタイル(1人で当日枠を狙う)は挑戦し甲斐があると思う。

しかし、子供を連れていると人数が2名になって(子供1人でこれなのだから、2人以上だと、まあ絶望的というか、絶望そのものであろう)抽選が当たらなくなる。

そのうえ、ここが一番でかいのだが、子連れで当日枠を狙うスタイルになると、子供と万博に来ているのに「スマホばっかり見ている親」になってしまう……。

私は子連れで万博に来て、ガチ勢スタイルを真似て、モバイルバッテリーも用意して当日予約枠狙いスタイルを目指した。そして、せっかく子供と万博に来ているのに注意が子供にではなくスマホの画面になって、「スマホばっかり見ている(そのくせ何の成果=当選もない)親」になっている自分を発見した。
これはあれですな。
「おお……」と発見できた部分で、なんか学ぶことが多かった。
あと、この「スマホばっかり見ている親」になってしまう問題であるが、これってスマホばっかり見ているだけならまだ平和なんだけど、どのみち抽選にはハズレ続けるわけで、気づかないうちに親のメンタルが悪化してくると思う。

・結論。子連れ親はどうすればよいか(これは、迷いのない確信である)

抽選と名のつくものは事前抽選だけにしておいて(この事前抽選も基本外れます)、当日は地図だけ持って徒手空拳で「愚直に並ぶ」これである。

子供と、というか、夫婦であれ親子であれカップルであれ友達同士であれ、複数人で万博に行く場合、スマホをリロードしまくっての当日枠狙いと、連れションスタイル(みなでいっしょに同じパビリオンに入場、みたいな)は両立しない。
ガチ勢同士の集まりとかだと、ガチ勢4人で会場に到着するや「ほな、またあとで!健闘を祈る!」みたいな感じで会場ではバラバラになってそれぞれが別の猟場(当日枠を狙う)に向かったりするのだろう。

子連れだけでなく、複数人で万博に行く場合の必勝法。
これはスマホなどない昭和の時代からの、王道であろう。
スマホをカバンにしまって、愚直に並ぶ。この一点である。

ちなみに私は大阪万博に初めて行った時は障害者の人といっしょで、これはベビーカーでも同じような扱いをされると思うが、列に並んでいるとけっこう優遇というか、やさしく配慮してくれるので、ベビーカーの人でも恐れずに行っていいのではないか。ただ私が行った日は、たとえば大人気のイタリアパビリオンの場合、障害者+付き添いというので優先レーン(?)にいけたのだが、その優先レーンでも「2時間以上は待つかもしれない」という感じで、イタリアパビリオンはあきらめました。
(……という話を通期パスのガチ勢の方にしたところ、へえ!わたし4月に行った時は普通に入れたけどな。なんかすごいのがあるゆうけどそんなん知らんと普通に入って普通に出たわ、ガハハハハ、と言われて、おぅ、さすが通期パス、王者の余裕や……と思った)

・注意してほしいこと

夏休みなので子連れでの万博を計画している人に注意してほしいこと。
一番悲しいパターンの家族、にならないために。
たぶん、「遠方からなので万博に来れるのは一回きり、ものすごく気合いが入っている、事前抽選には全部外れている(抽選は普通外れます)、だからこそ、気合いが入っているだけに、「当日予約の道がある」という知識だけはあって、そこに賭けている人」
こういう人が、一番悲しいパターンになる気がする。

私でもそうなったのだから、子供を連れてきているのに「スマホばかり見ている(そのくせ何の成果=当選もない)親」になっている自分を発見した時のショックは、私のように近隣県にいる者よりも「遠方から、一回きり」の人のほうが数倍大きい。
だから、そこだけは避けてほしい。家族(特に子連れ)で来るなら、当日予約なんてものには期待せずに、子供にもそういうこと(万博はなあ、並ぶもんなんや。並ぶ行為そのものが万博や)を教えたうえで、昭和スタイルで愚直に並ぶ。

まず第一段階としてそういうスタイルを選択したうえで、じゃあどうやって、何を楽しもう、みたいな、そこからの道がひらけるわけだ。
その道はたくさんあると思うので、また機会があれば書きたい。

ピクニック

ジャン・ルノワールの『ピクニック』がAmazonプライムビデオにあった(あるんだ……)ので再生ボタンを押してぼんやり見ていたのだが、これって作品が作られた当時の背景とか最低限の予備知識があって、そして「あの、妄想だけがふくらんでいた『ピクニック』がようやく日本でかかるのか!」みたいな感動とかがあって、電車に乗ってアテネ・フランセに行き40分でなんで1本ぶんの値段やねんとか思いながら千数百円を払ってチケットを買って席につき……みたいな物語があってこそ「おお……」と思える作品だなと思った次第です。なんの動機もなく、まあゆうたら苦労もなく、金銭的なハードルもなく(プライム代払ってるからタダじゃないわけだけども、そういう話ではないのだ)、家にいて、ただ「あったんや〜」くらいの感じで見てもそこからは何も得られない、そこから何かを得られるほど芸術ってのは甘くない、とまで言うとあれだけどよ、でもそういう種類の作品って確かにあってですな、『ピクニック』はそういう種類の作品ですわな。言い方を変えると、私は家でぼんやり見ていてこの作品をつまらんと思ったわけだ。作品受容ってのは難しくて、作品そのものこそが作品だっていう見方もあれば、作品そのものだけが作品じゃないやろ、てのもある。年齢を重ねるほどに、後者の重みがよくわかる。
子供と接していると、そういうことを考えざるをえないわけです。
たとえばうちだと私がアップルミュージックに入ってるからほぼ無限の音楽を子供は「そこにあるのが当たり前のもの」として聴けるし、映画なんかでもそうで、その環境で、どこまで作品受容が成立しうるのか、いや、そもそも作品受容とはなんなのか、みたいなことは、考えない親も当然いるだろうが私はそういうことはよく考える。
でもさっきの話でいうところの後者ばかりを考えて「作品受容っつうのはなあ」みたいな頭になっていると、私は子供に対して昔話ばかりをする感じになるので、たぶんそれは間違っているのだ。どこかで私は頭を切り替えないといけない。
いや、今のは無理やりゆうたな。ニセの宣言をしてしまった。
でも実際今と昔は違うから。古い世代の体験つうのか受容っていうのはしょせん古い世代の受容でしかない。新しい世代には新しい世代の何かがある。
そこがなかなか切り替えられへんのよなあ、みたいなところを、思い出させてくれる作品である。
最近見た中山岩太の写真展とかちょっと前の安井仲治の写真展(どっちも兵庫県美)でも同じようなことをしみじみ思った。たとえば、グレン・グールドが演奏する『ゴルトベルク変奏曲』ありますでしょ。あれってピアノのことなんて何も知らんでも「なんか高尚な世界ですな……」みたいなことがわかるわけです。でも安井仲治とか中山岩太の写真ってその多くの部分は、彼らが行きた時代背景とか当時における写真とは、写真表現とは、みたいな知識がないとただ「つまらん」てなる種類のものだと思うんですよね。そのへんは同じ県美でやってるあれにしても藤田嗣治の絵とは違う種類のものだわなあと。