伝道の書は逆説であるとエホバの証人の誤読を指摘したところ、マタイ12-42にソロモンは肯定されていると反論されました。これもエホ証の誤読で、ソロモンの悪い教えに引っかかると罪に定められる、 と教えを否定されているのです。以下の論戦の判定、ご意見をお願いします。 ーーー peugeot206xs_wrcさん >秀思學、手かざしによって・・・憑依霊が浮霊してくる・・・陽の光あることが解る だから、それが悪霊(つまりサタンとその配下のみ使いたち)の影響力なんですよ。 >秀思學ソロモンは神を見つけられずに商売人に堕落した者で 確かにソロモンは晩年、エホバ神から離れる愚か者に成り下がりました。しかし聖書は神のみ言葉です。ソロモンが謙遜であった時代に書いた箴言・伝道・雅歌・詩編の一部はエホバの霊感の下に書かれた文書です。 イエスは自分の事を「ソロモン以上の者」と述べ、ソロモンに働いたエホバの聖霊を認めています。(マタイ12:42) >秀思學、伝道の書はひっくり返して読む智恵が必要! ナンセンス。 ーーー 秀思學の反論 >イエスは自分の事を「ソロモン以上の者」と述べ ←ソロモンを否定しているのであって、>ソロモンに働いたエホバの聖霊を認めています。●(マタイ12:42)←どうしてこうなる? マタイ12-42は、三日(秋の火の洗礼、真理が下ろされる)まで、人を罪に落とす逆成の教えは、ヨナより、シバを引き込んだソロモン、それより悪いのが、神を見つけられずにニヒリズムに落ちた者であると読む。エホ証は全く逆に読んでいる。 ヨナにまさる者がここにいる。 12:42南の女王が、今の時代の人々と共にさばきの場に立って、彼らを罪に定めるであろう。なぜなら、彼女はソロモンの知恵を聞くために地の果から、はるばるきたからである。しかし見よ、ソロモンにまさる(酷い)者がここにいる。 12:43汚れた霊が人から出ると、休み場を求めて水の無い所を歩きまわるが、見つからない。12:45そこでまた出て行って、自分以上に悪い他の七つの霊を一緒に引き連れてきて中にはいり、そこに住み込む。 夏の殻田作りの初めにイエス様を出された、秋の実魂作りには同様の力で天意の転換を知らせるミロクメシアが出て、イエスと同様に奇跡を起こして神の実在と働きを流布するのです。これが主人は突然返ってくる、目を覚ませていなさいの意味です。 911テロがこの変わり目である。奇跡=悪魔の仕業、とばかり決め付けていてはならない。新しいエルサレムの誕生のゼカリヤ書6-10~を全世界の人が理解して参加することに主は最期の期待をかけておられる。 本当にエホ証は読解力がない、聖書に基づいてなどという資格は全くないぜヨ!
よりまさったもの、とは、『もっと酷い無信仰者』という意味。 ヨナが神の用意した魚の中に三日間いたのは、産業革命の外殻作り、物品主義の闇世に逃げ込んだ、逆汝(腹の虫=憂蛇野商人根性)である 外国の女を愛した=外を那(主)、ヨナとしたソロモン(独り者 =犬虫)を師としたシバ(死場)の女王が訪れた年は貢物が666タラント(獣と獣の会合)あった 伝道の書は一切は空、虚=神の否定で始まっている。誤読する余地はない筈
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