コラム:中国版「所得倍増計画」の実現は可能か=斉藤洋二氏

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コラム:中国版「所得倍増計画」の実現は可能か=斉藤洋二氏
3月21日、ネクスト経済研究所の斉藤洋二代表は、中国の新政権が2020年に国民1人当たりの収入を2010年の倍にするという目標を実現するためには、歴代の政権が先送りしてきた難易度の高い改革を実行する必要があると指摘。提供写真(2013年 ロイター)
斉藤洋二 ネクスト経済研究所代表(2013年3月21日)
中国の全国人民代表大会(国会に相当)における選出を経て正式に発足した習近平政権は、文字通り「内憂外患」の状態に投げ込まれたと言っていいだろう。内には格差拡大など深刻な社会的矛盾を抱え、外には日中関係の悪化など喫緊の外交的課題に直面している。
こうした状況下、習政権にとって最大の命題は、やはり一にも二にも経済成長ということになろう。課題山積の中で高まる国民の不平不満を解消するためには、今や共産党統治の正当性を示す最大の拠り所となっている経済発展を継続していくしかない。
具体的には、目標の有言実行である。中国共産党は昨年11月の第18回党大会で、2020年に国内総生産(GDP)と国民1人当たりの収入を2010年の2倍にするという目標、いわば中国版「所得倍増計画」を掲げた。
むろん、言うは易く行うは難しい。目標達成には今後、年平均7―7.5%の成長の維持が前提となるが、そのためには格差問題への取り組みはもとより、国有企業の改革、そして少子高齢化・生産年齢人口減少に歯止めをかけるような有効策の実行が欠かせない。いずれも歴代の政権が先送りしてきた、一筋縄ではいきそうにない課題ばかりだ。
<胡錦濤体制が残した「負の遺産」の正体>
振り返れば、10年に及ぶ胡錦濤体制下で、中国の名目GDPは人民元建てで約4倍、ドル建てで約5倍に拡大した。2010年にはドル建ての名目GDPで日本を抜いて米国に次ぐ世界2位に躍進した。前任の江沢民体制の高度成長路線を引き継いだ一方で、高成長の負の部分である格差の深刻な拡大に直面するに至って、調和した社会、つまり「和諧(わかい)社会」を目指すなどとする「科学的発展観」を説いた。だが、現実には格差問題など社会矛盾は一層拡大した。
中国の電力、石油、金融、鉄道など主力産業は、依然として国有企業の寡占状態にある。国有企業改革による効率化については、1998年に朱鎔基首相(当時)の下、 「国退民進」が掲げられたが、早々になし崩しとなり、江派を筆頭に共産党が国有企業の経営陣人事に関与。既得権益層の天下りや個人資産の拡張を容認し、逆に「国進民退」が進んだ。税金を逃れるために海外に資産を移管したり、子弟を留学させたりするなど、政治腐敗の元凶となっている。
そうした中、08年のリーマンショック後に中国政府が実施した事業総額4兆元(約60兆円)の経済対策も、国有企業に手厚いものとなった。輸出不振を補い世界経済を牽引した側面はあったものの、結果として地方政府による過剰なインフラ投資や不動産バブルを助長することとなった。都市の住宅価格は勤労者の年間所得の20倍を超え、都市労働者の不満を増大させており、不動産バブルへの対応が喫緊の課題となっている。
このような社会の不安定化の背景に「都市化」がある。すでに都市人口は農村人口を上回っているが、農村部から都市部への出稼ぎ労働者(農民工)は都市での戸籍を有することができず、医療や教育などの行政サービスを満足に受けられない。また、農村部においても、農地の売買などが横行し、土地を失った農民の増加など格差拡大は一層深刻化している。
ちなみに、所得格差を表す数字としてジ二係数がある。「1」は1人が総取りする状態、「0」は平等を表し、「0.4」を超えると社会不安が増大し、暴動が発生すると言われる。
今年1月、中国国家統計局はほぼ10年ぶりにジニ係数の改定値を03年にさかのぼって公表したが、12年の数値は0.474だった。08年に0.491とピークに達した後、徐々に低下していることになるが、それでも0.4という警戒ラインを超えている。
そもそも、この数値すら正しいのかも疑問だ。昨年12月の中国各紙の報道によれば、西南財経大学(四川省)と中国人民銀行の共同調査では、10年のジニ係数は0.61と国家統計局の公表数値よりはるかに高い。
1980年代、可能なところから順に富めば良いとする「先富論」が提唱された頃は0.2の水準だったといわれているから、驚くべき格差拡大である。国民の間で、少数者が自分より豊かになることを憎む「仇富(チョウフ)」と呼ばれる感情が広まるのも無理もない話だ。
格差問題は世界的なテーマではある。しかし、中国における問題の根は深い。権力者への富の集中が目立つことや、相続税など富の再配分を行う有効な税制度が事実上存在しないことにより、フローのみならずストックベースにおいても格差が拡大している。
<2つの人口問題>
問題はそれだけではない。「人口動態は運命である」と19世紀のフランス人社会学者のオーギュスト・コントは論じたとされるが、この言葉を裏付ける現象が中国の近過去の発展と近未来の停滞の可能性に認められる。つまり、これまでの経済成長を通じて、「人口ボーナス」(生産年齢人口が多い状態)の恩恵を存分に享受してきた中国だが、今や「人口オーナス」(少子高齢化の進展で生産年齢人口が減少する状態)の負債を払わされる時期が接近しており、具体的に次の2つの問題点が顕現化してきている。
第1に、労働者不足の深刻化が挙げられる。1979年に導入された「一人っ子政策」の影響により、中国の合計特殊出生率(1人の女性が生涯に出産する子供の平均数)は1.18にまで下がっている(国家統計局が昨年夏に公表)。その結果、生産年齢人口はピークアウトし、また農民工も減少している。開発経済学に言う「ルイスの転換点」、つまり農村部から都市部へと労働者を供給できなくなりつつあり、労働者需給がひっ迫している。
ちなみに、日本は60年代に「ルイスの転換点」を通過したとされ、その後、高度成長が終焉期に入った。今や中国においても、労働コストの上昇により、労働集約型産業がより安い労働力を持つ他の新興国の追い上げに直面し、また米国企業はオフショアリングから本国回帰への傾向を強めるに至っている。
第2は、少子高齢化問題である。国家統計局によれば、12年末の人口は、約13億5千万人と世界1位である。「80后」、「90后」、つまり80年代生まれ、90年代生まれの20歳から30歳前後の世代が経済成長のエンジン役を果たしてきた。しかし、ここにきて、「未富先老」つまり「豊かになる前に、高齢化社会が到来する」との懸念が高まっている。
今のところ若々しい中国も2050年には、高齢化率(65歳以上の高齢者人口が総人口に占める割合)は30%に達するとも予測される。この高齢化は日本から遅れること、わずか15年程度と加速化しており、人口オーナス期にみられる、経済成長の鈍化や医療・介護など社会保障関連のコスト増大など諸問題の発生が間近に迫っている。
<問われる構造改革への本気度>
このような状況において、肝心要の習近平氏といえば、昨年12月以来、かつてトウ小平氏が停滞する改革開放を再度加速化させるべく行った「南巡講和」の足跡を辿り、改革開放路線の継承をアピールしている。新政権の中枢には既得権の代表者が集まったと言われるが、人口動態のもたらす運命論と社会的矛盾を乗り越えて経済成長を果たすためには改革が欠かせないことは認識しているのだろう。
ただ、一党独裁による社会主義市場経済は、党や国家の作為的な手があまりにも多く、透明性が欠如している。たとえば、上述したように、ジニ係数が最近まで長年公表されないなど、統計の信頼性は低い。これでは、対外的な信用のみならず、国内においても当局者の改革意欲が高まらない恐れがある。経済成長と社会的安定の双方を手にするためには、習政権による構造改革への本気度が試されるところである。
*斉藤洋二氏は、ネクスト経済研究所代表。1974年、一橋大学経済学部卒業後、東京銀行(現三菱東京UFJ銀行)入行。為替業務に従事。88年、日本生命保険に入社し、為替・債券・株式など国内・国際投資を担当、フランス現地法人社長に。対外的には、公益財団法人国際金融情報センターで経済調査・ODA業務に従事し、財務省関税・外国為替等審議会委員を歴任。2011年10月より現職。
*本稿は、ロイター日本語ニュースサイトの外国為替フォーラムに掲載されたものです。(here
*本稿は、筆者の個人的見解に基づいています。
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