04
瞼を通して、柔らかいオレンジ色の光が届く。
身体の下に、サラサラとした柔らかいお布団の感触がする。
ゆっくり目を開けると、見慣れた天井と心配そうな表情を浮かべた、天使のように綺麗な弟の顔が目に入った。
「姉さん、気分はどう?」
クラクラする頭をふるふる振って、ゆっくり身体を起こしてみる。あちこち痛い気がするが、我慢できない程じゃない。
何で自分の部屋にいるんだろう?学園に居て、教室のある3階から1階の図書室に行こうとして、途中、階段でスウェン様を見かけた気がして、それから…?
思い出してもイマイチ現状が分からない上に、頭がグラグラする。ちょっと熱っぽいかもしれない。
「姉さんは、学園で階段から落ちて気を失ったらしいよ。その後、医務室に運ばれて診てもらったらしいけど、打撲くらいで頭を打ったり骨折はしてないみたいだって。ただ…」
うん、頭はどこを触ってみても痛くなさそう。骨も折れてなくて良かった。階段をよくよく思い出してみれば、半分くらいは降りていてそんなに高さは無かった気がする。
不幸中の幸い。良かった。
「ただ、過労気味で発熱してるって」
ルイが、思い詰めたように言う。
私は一番上のお姉ちゃんなんだから。ルイを、下の弟妹を守るのは当たり前なんだから、そんな顔をしなくていいのに。
「少し休めば大丈夫だから、心配しないで」
ルイに安心して欲しくて軽い口調で明るく言うけど、彼の表情は泣くのを堪えて歪む。
「姉さんは、いつも無理しすぎなんだよ。学園行って、その後仕事して、弟妹達の世話をして、その後勉強して。」
涙を湛えたルイの碧色の瞳が、キラキラと光って宝石みたいに綺麗だ。一緒に頑張ってきた、守りたかった綺麗な弟が、苦しそうな顔をしている。全部変わってあげたいな、と熱でボンヤリしながら思った。
「姉さんが、僕を学園に通えるように頑張ってくれているのは分かってる。でも、姉さんが無理をして倒れるくらいなら、僕は学園に行かなくていい…!」
金髪にキラキラとランプの光を纏って、まるで天使のような弟が、宝石のような大粒の涙を瞳からポロポロとこぼす。
私は、涙で濡れた弟の頬に手を伸ばした。
今はイマイチ思考がまとまらないけど、それでもひとつだけハッキリと分かった事がある。
貴族が通う学園に行かないと言うことは、貴族を諦めて平民になると言うことだ。
嫡男で、才能溢れる弟が学園に行かないという選択肢は無い。
今、どちらかしか通えないならば、諦めるのは平凡な私の方だ。
私の、方だ。
ボンヤリした頭でも、ストンと最適解が胸に落ちてきた。
そうだ、授業料は一年ごとに学園に支払うから、私の第四学年、来年の最終学年分を諦めれば、金銭的にも弟はシルナリス学園に入学出来るだろう。
下の弟妹達は歳が離れているから、その期間で私が学費を稼げばいい。
何だ。どうせ結婚もできないんだから、弟妹たちのために私が学園を諦めて市井に下れば、全て上手くいくかもしれないじゃないか。
しかも、ルイは嫡男で才能豊かだから、学園にさえ入れれば何とでもなる。
お姉ちゃんが、守るから。
そんな決意を込めて、私の前でだけ年相応になる、苦労ばかりさせてあまつさえボロボロ泣かせている弟の頭を、ぎゅっと抱きしめた。
私は、学園に行くのをやめた。
第三学年の学費は1年分払ってあるから行こうと思えば行けるのだが、王城の文官は諦めるのだし、これは私の覚悟で決意だ。丸1日使えれば、もっと効率良く稼ぐ事ができるという事もある。
私が階段を落ちた時に医務室に運んでくれたのは、その場に居合わせたスウェン様だったらしい。そのまま律儀に診察に付き合って、気を失ったままの私を家まで送ってくれたそうだ。
ご迷惑をかけてしまい申し訳なかったが、憧れのスウェン様に助けてもらった事は学園最後の良い思い出になった。思い残す事なし。
屋敷に帰ると、ルイと顔を合わせる度に学園についてケンカをするが、意思を変えるつもりはない。
ルイは、自分がこれから学園に入学して4年間を過ごすより、あと1年で卒業する私が通って王城の文官になった方が効率が良いと主張するが、私はそうは思わない。
どう考えたって、学園を卒業するのは、嫡男で努力家で天才の、ルイだ。
優しくて賢いルイは時に泣きながら説得してくるが、私も譲ることなく、ぎゅっと抱きしめながら弟を諭し続けた。
そんなある日、スウェン様の家、ローウェル伯爵家より、スウェン様と私の婚約打診の手紙が届いた。
◇ ◇ ◇
もう二度と潜らないと思っていたシルナリス学園の荘厳な門を、馬車では無く自分の足で歩いて潜る。
久々の登校に、時折私の顔を知っている同学年がヒソヒソしているが、今はそれどころではないし本当にどうでもいい。
辞める決意とケジメのために、心の中で別れを告げた学園に再び登校しているのには訳がある。
先日屋敷に届いたスウェン様との婚約打診の手紙について、ご本人に問いただすためだ。私も家も、スウェン様のローウェル伯爵家にツテも当ても全く無くて、彼に会うには学園しか選択肢が無かったのだ。
校舎に入ろうとした所で、入り口の傍にスウェン様とライナス殿下がいらっしゃるのが目に入る。
ふたりは私の存在に気がつくと、長い足で大股に歩き、ズンズンとこちらに向かって来た。
違う世界に住むおふたりが、すごい勢いでこちらにやってくる。
いや、確かにスウェン様に婚約について聞きたくて学園に来たのだが、今までまるで交流も無いふたりにこう直線的に近づかれると、結構ビビる。
ひぇっとなっているうちにあっという間に距離を詰められ、スウェン様にそっと手首を掴まれた。
形の良い長い指。色白だが、普段より剣を握っている為あちこち固くなっている大きな手。
温かい、生きてる。生きてるスウェン様の温かい手が、私の手首を掴んでる…っっ!!?
あっという間にパニックになって思考停止した私は、校舎に入らないまま、スウェン様に引かれて中庭のガゼボに連れて行かれた。
◇ ◇ ◇
いつもライナス殿下とスウェン様が昼食を取っているガゼボに、何故だか私も座らされている。
目の前にはスウェン様。スウェン様の右隣にはライナス殿下。
「いつもクラスでは一緒だが、話をするのは初めてかな。初めまして、ダーレン伯爵令嬢。私はエルヴァリア王国第二王子、ライナス•エルヴァリアだ。」
「ご挨拶が遅くなり申し訳ございません。私は、ダーレン伯爵家長女、ソフィア•ダーレンと申します。」
ライナス殿下は、人好きのする笑顔で話しかけてくれる。スウェン様はテーブルに突っ伏しているが、大丈夫だろうか。
突っ伏していても、一つに括ったプラチナブロンドが肩からテーブルにかけて流れ、キラキラと反射した光を纏っていて美しい。
「こっちはスウェン•ローウェル伯爵令息だが、しばらく起動しないだろうから放っておいていい。あと、ここは学園だから、同級生として楽に話してもらって構わない。」
起動しないとはどういう事だろうか?スウェン様が何故テーブルに突っ伏しているのか分からないが、とりあえずライナス殿下の話を聞くことにした。
「まず、しばらく休学していたダーレン伯爵令嬢が今日登校したのは、スウェンとの婚約の件の確認、という事で良いかな?」
私は、こくりと頷く。
「大筋で説明させてもらうと、我々は数年前からあなたの弟君、ルイ•ダーレン伯爵令息に注目していてね。」
一言目から納得だ。ルイの才能は幼少期より抜きん出ていた。その頃からライナス殿下の覚えも良かったのだろう。
「いずれはスウェンと共に私を支えて貰いたいとずっと思っていてね。彼の年齢を鑑みて学園入学を待っていたら、その矢先にダーレン伯爵領の大凶作が起こってね。」
家が没落してしまったという訳だ。
「それでも、あれだけの才能を市井に下りさせる訳にはいかないのでね。申し訳ないが、ダーレン伯爵家の様子を見させてもらっていたんだ。」
なるほど。没落していて恥ずかしくはあるが、別に知られて困るような事は何も無い。
むしろ、没落しても弟の存在を諦めずにいてくれて、感謝したいくらいである。
ライナス殿下が、左側の突っ伏しているスウェン様を肘でつつく。
「すまないね。スウェンはここの所、動揺と焦りで正気を保てていないんだ。普段は何にも動じずに対処するんだが、ダーレン伯爵令嬢が絡むと途端にポンコツになってしまってね」
ほら、あとは自分でちゃんと言うんだぞ、とライナス殿下がスウェン様の耳元で小声で話している。
ありがたくもルイの才能を買ってくれているのは分かったが、スウェン様が何故ポンコツになっているのか、テーブルに突っ伏しているのかは全然分からない。
分かるのは、スウェン様はいつでも美しくてカッコ良いと言うことだけだ。
ライナス殿下に促されて、スウェン様がゆっくりと顔を上げる。
右手で口元を隠した美しいかんばせは真っ赤に紅潮しており、普段澄んだ冷たい湖を感じさせるアイスブルーの瞳は潤んで揺れている。
スウェン様は緊張したように声を上擦らせながら、ポツリポツリと話し始めた。
「数年前から、ダーレン伯爵令嬢の弟君を内々に調査していたのは、私で…」
スウェン様は、目を合わせず視線を揺らしながら話を続ける。
「弟君の様子と共に、ダーレン伯爵家の、現状も、調べさせてもらって…」
それはそうだろう、弟の様子を調べるなら家もセットだ。
それより、たどたどしく話すスウェン様のお顔が、更にどんどん赤くなる。ただでさえ赤いのに…!?
「その時に、貴女の事も色々と知って…」
スウェン様は耐えきれなくなったように、真っ赤っ赤になったお顔を両手で覆う。
そして、意を決したように両手を下ろして、しっかりとこちらを見据える。
「貴女は、毎日、学園に通われながら、遅くまで仕事もされて、家に帰られたら夜更けまで勉強も、されて。お母上やメイドを気遣われて。弟妹も大事にされて。そんな、一生懸命頑張る貴女を、ずっと見て、きました…!!」
真っ赤なお顔と揺れる瞳で告げられる。
「貴女や伯爵家を、ずっと、調べているなんて、気持ち悪いと、思われても。仕方ありません…!!でも!!貴女が、学園を辞められて、会えなくなるなんて、到底我慢出来ません…!!」
机の上に置いていた両手を、スウェン様にぎゅっと力強く握られる。大きな温かい手。スウェン様、生きてる。
「それで、スウェンが貴女に会えなくなると思って取り乱して婚約打診をしたし、貴女が学園に来た瞬間、手放さないようにと、ここに連れて来た訳だけど」
ライナス殿下は、真っ赤になって辿々しく話しているスウェン様を見て、苦笑しながら補足してくれる。
「ソフィア•ダーレン伯爵令嬢…!!ずっと家の周りを嗅ぎ回るような行いをして、私への心象が悪いのは分かっています…!!ですが、貴女が学園を辞めて市井に下り、二度と会えなくなるなんて耐えられない…!!貴女が好きです…!!婚約していただけないでしょうか…!!?」
今、起こっていることに、頭が全くついていかない。
目の前には、ニヤニヤしているライナス殿下と憧れのスウェン様。
スウェン様は、少し乱れたプラチナブロンドがその美しいお顔にかかり色っぽく、頬も目元も真っ赤にして、アイスブルーの瞳も揺らして、その大きく温かい手でぎゅうっと私の両手を握っている。
なんなら、スウェン様の手がちょっとプルプル震えている。
スウェン様が、私を、ずっと知っていて…??
私を、好きで…??
離れたくないから、婚約したい…??
完全にキャパオーバーで思考停止し、そのままフワッと意識が遠くなった。
毎日更新、計9話で終わります。お付き合いいただけますと幸いです!