深夜の求婚
「美味しいわよ、貴女たちもどう?」
そう言ってエルシィさんは首を傾げるけれど、僕とクズハちゃんはお茶とお茶菓子に手を付けずにいた。なにが入っているか分からないからだ。
毒にも呪いにも耐性がある僕だけど、それでも警戒せずにはいられない。
クズハちゃんの方は僕以上に、お茶を楽しむなんて気にはなれないだろう。
食い意地の張っている彼女がお茶菓子に目もくれず、エルシィさんをにらみつけている。当たり前だけど、相当怒っているようだ。
……サクラザカの件もありますからね。
少し前に訪れたサクラザカという町で、エルシィさんは山に住む大猿の魔物、ハクエンたちを傷付け、メスと子供を攫い、更には観光資源の温泉の流れを呪いによって止めていた。
それを知ったときのクズハちゃんは相当怒っていた。彼女の態度がトゲトゲしくなるのも、仕方がないことだろう。
警戒と敵意。二種類の嫌悪を向けられても、エルシィさんは涼しい顔だ。すらりと伸びた牙をこちらに見せつけるように笑い、言葉をよこしてくる。
「そんなに怖がらなくても、毒や呪いなんて仕込んでないわ」
「それ、隣にいる人を見てから言ってくれます?」
「そうですの。信用できるわけがありませんわ!」
「この子たちは数が多いもの。貴女たちは特別待遇なの。そんなつまらないことはしないわ」
こちらの返しを軽く受け流し、エルシィさんは自分の隣に座るレンゲさんの顔を撫でた。
今、僕たちがいるのは村長さんの家だ。
昨日アキサメさんと来たときには質素であたたかみのあったリビングは、ひどく様変わりをしていた。
戸棚やカーペット、カーテンに至るまでなにもかもが派手できらびやかなものに変わっている。外見こそただの少し大きな木造平屋だけど、中身はまるでお城の中のような、ちぐはぐな風情。目がちかちかする。
「偶然、ここの蜂蜜を取りに来ていてね。貴女がサクラザカにいて、サクラノミヤに来ていたことは知っていたけど……あの人狼に攫われてから行方が分からなかったから、助かったわ」
「僕を、見ていたんですか?」
「ええ。サクラザカの『桜湯の庭』。そこで楽しそうにしている頃から、私の下僕に監視させていたのよ?」
随分前、それこそこちらが彼女の存在を知る前から、僕は監視されていたらしい。
確かに『桜湯の庭』ではクズハちゃんがかなり騒いだので、僕達はかなり目立っていた。
サクラノミヤではクロさんに攫われるように連れて行かれたから、そこで一度見失ったのだろう。そしてレンシアで、再び僕を見つけた。
けれど、どうして監視なんてしていたのだろうか。同族のことが気になった、なんて理由ではない気がする。
金色のツインテールを揺らして、エルシィさんはもう一度カップを傾けた。
ほっそりとした喉が動き、こくりこくりとお茶を飲む仕草はとても優雅で、非の打ち所のない美しさを持っている。
やったことを知らなければ素直に見惚れられるくらい、彼女は美少女だった。小さく溜め息を吐いてカップを置くまでの動作を、自然と静かに眺めてしまうくらいには。
「もっと言えば……貴女がミノタウロスを守った頃から、ずっと探していたのよ?」
「もしかして……あれは、貴女が命令したんですか?」
僕が転生して、しばらく経った頃に立ち寄った森が密猟者に襲われたことを思い出す。
相手はこちらの疑問に対し、落ち着いた様子で答えてきた。
「ええ。食べてみたかったの。ミノタウロスのお肉をね。残念ながら、手に入らなかったけれど……もっといいものを見つけたから、いいわ」
ぐにゃりと瞳が細められ、視線がこちらに向けられる。
背筋に走った不愉快さで、僕はようやく理解した。
少し前に彼女に見つめられたとき、今まで感じたことがない視線だと思った。アルジェント・ヴァンピールとしてだけではなく、玖音 銀士としても、向けられたことがない視線だと。
分からないはずだ。分からなくて当たり前だ。
好意でも、奇異でも、まして使えない歯車を見る目でもない。
彼女が僕を見る目、それは玖音の家とは真逆のものだ。
必要なものを――どうしても手に入れたいものを見る目。
執着の視線を隠す素振りすらなく、いっそいやらしさすらある瞳でこちらを眺めて、エルシィさんが言う。
「本当に、まるで私のために生まれてきたかのような銀色ね」
「どういう意味、ですか?」
「怖がらなくていいの。貴女はただ、私の花嫁になればいいだけなんだから」
「……そうですか、お断りします」
言っている意味は相変わらず分からない。
花嫁と言われても、そもそも同性だ。僕の中身は男だけど、流石に向こうもそれは知らないはずなので、つまり同性として求婚されている。
正直なところ、ほんの一瞬だけ「悪くないかも」と思ってしまった。拒否を即答できなかったのは、そのせいだ。
玖音の家が僕に向けた瞳と真逆なら、彼女は僕のことを求めている。
受け入れさえすれば、あとは生活の面倒を見るくらいはしてくれるだろう。
ある意味では僕の旅の目的、その終着点とも言える、相手の望み。
それを理解しながらも、僕は受け入れられなかった。
……嫌な感じがします。
相手の所業、口調、態度、そしてそれらの情報から垣間見える性格から見て、明らかに彼女は危険人物だ。
そんな相手の誘いに乗っても、なにをされるか分からない。ほんの一瞬感じた魅力を振り払うように、僕は否定を口にした。
「……ふふっ。あはっ、あははっ!」
明確に拒否したのだから、怒ると思っていた。
実際に返ってきたのは、その逆。エルシィさんは笑ったのだ。それも、ひどく楽しそうに。
「ええ、そうね、そうでしょう。そうじゃないと……つまらないもの」
「っ……!」
「いいわよ、私の花嫁。たくさん反応してちょうだい。拒否して、否定して、抗って、暴れて? 全部受け止めて……諦めさせてあげるから」
紅い瞳に射抜かれる。
ぞわりと一際強い寒気を感じたのは、視線のねちっこさのせいだけじゃない。
相手の肉体から、膨大な魔力が吹き出したからだ。
景色が歪んでいるかのように錯覚するほどの濃密な気配。単純に敵意を向けられるよりも、ずっと危険を感じる。
僕だけでなくクズハちゃんも椅子から立ち上がって、すぐさま距離を取った。
「ふふ、抗っていいわよ。大丈夫、人質なんて取らないわ。でも、貴女たちが逃げたら――そのときは、この子たちのことは保証しないけれど」
言葉が終わった瞬間、周囲から壁が消えた。
それだけでなく、テーブルやクローゼットといった調度品も跡形もなく消えてしまう。
この現象には覚えがある。というよりも、僕がいつも使っている。吸血鬼が持つ収納系技能、ブラッドボックスだ。
けれど、手を触れることなくこれだけの物体を一度に保存するなんてこと、技能レベルが最大の僕にもできない。
「これは……どうやって……?」
「広々としたほうがいいでしょう?」
同時に多数の物体を接触せずに収納する。どんなカラクリがあるのかは分からないけれど、とにかく相手は、それをやった。
転生してデタラメな力を授けられた僕にすらできないことを、平然とやってみせ、そして、まだ終わらない。
エルシィさんが優雅な動きで、金色の髪をかきあげる。その髪の隙間から、ルビーのような紅色の雫がこぼれた。
鼻に触る匂いは僕がよく知るもの。血液の匂いだ。
涙型の、結晶化した血液とも言うべきものが地面に己をぶつけ、弾ける。
赤色の破片は空に舞い、けれど、重力に逆らった。空中で霧のように霧散したのだ。
「ブラッドケージ」
耳に届く言葉に驚くことはない。知らない単語だけど、ただそれだけだ。これから起こることに目を向ける。明らかに、なにかが起きると分かっているから。
霧になった赤色が膨れ上がり、集まり、形を成していく。
それは血液から武器を造り出す技能である、ブラッドアームズに似ていた。
けれど現れたのは、剣でも、槍でも、弓でも、まして僕がいつも造る鎖でもない。
「なんですの……!?」
「……悪趣味ですね」
形作られ、咆哮するのは、どこか不揃いな生き物たちだ。
あるものは頭をふたつ持った、巨大な犬のような姿をしていた。
またあるものは鷲のような羽を持ち、蛇のような胴体と、ライオンのような頭。
二足歩行のトカゲのようなシルエットに、タコのような触手を背中から生やした生き物もいる。
右と左で、明らかに翼の大きさや足の長さの違う、説明しづらい姿をしたものもいた。
現れた生き物たちのどれもが、ひとつとして同じ姿を取っていない。まるで玩具箱の中から違う玩具を取り出して無理矢理ひっつけて作ったような、ひどくまとまりのない生き物たちだった。
……生き物を収納する技能もあるんですか。
ブラッドケージ。転生前に見た初期習得可能な技能の中に、そんな名前はなかった。
恐らくはアイリスさんのブラッドブーストと同じで、珍しいか、修行しないと手に入らないような技能ということか。
「……あれは」
そうして現れた生き物の中で、目を引く存在がいた。姿に見覚えがあったからだ。
蜜喰いのように、クマに似た身体つきをした生き物。けれど腕はまるで大型の猿――それも、白い毛並みをした、大猿の腕だった。
あれを僕は知っている。サクラザカで、温泉の湧く山で、一度見たことがある。
僕と同じものを見たクズハちゃんが、呆然とした声をあげた。
「ハクエンの腕……!? まさか、その魔物たち……貴女が造ったんですの!?」
「あはっ、大正解! その子たちは私の作品で、可愛いペットよ! さあ、遊びましょうか……そして、結婚しましょう!?」
「意味が分かりません。再度、お断りします」
「分からなくてもいいわよ? 分からせてあげるから……!」
愉しげな声が夜に通る。
それを合図とするように、魔物たちが一斉に動き出した。
話が通じない相手と、意味不明な展開。なにより目の前にいるのは、間違いなく僕がこの世界に転生してから一番の脅威だ。
嫌なものを感じながらも、目の前の状況に対応するために、僕は一歩を踏み出した。