第三十五話:光る海
オーストラリアのパースを出てから21日後、南アフリカのダーバンで補給を終えた中国の空母打撃群練習艦隊はギニア湾に入ろうとしていた。
ここまで実に25000㎞、艦隊が青島を出てから途中補給・寄港式典等を含めて片道1ヶ月以上。空母艦隊によるこれほどの遠距離外洋航海演習は、中国海軍史に残る大偉業といっても差し支えないだろう。
練習艦隊司令官の洪はこの前人未到の演習の経験が祖国にとって貴重なものになると確信していた。クーデターやテロ、誘拐等で国外在住中国人の生命が武力で脅かされる事態が発生しても、1ヶ月もかからず同等以上の武力で対応できることがこの演習で実証されたからだ。
途中、南アフリカのプレトリアにある中国大使館の上空を、艦載機・殲15でデモンストレーション飛行させたり、南アフリカ空軍との合同軍事演習を行ったりもした。
洪はこれらの活動にも手応えを感じている。多くの南アフリカ国民が中国海軍の艦載機の飛翔する様を見て、一昔前までの中国のイメージを改めなくてはならないと感じたに違いない。
艦隊が南アフリカ沿岸を航行中、南アフリカ空軍は中国側艦載機との模擬空戦を練習艦隊に要請した。南アフリカ空軍の保有する英国製およびスウェーデン製の超音速戦闘機と、空母に搭載されていた殲15との本当のところの戦力差を知るためだ。
だが中国側は日程的に難しいことと、平和親善派遣艦隊の立場を堅持したいという理由でこの要請を断った。本当の理由はダーバンで補給された航空燃料の質と値段に問題があったからだとか、レアメタルの市場を脅かされていることへのささやかな嫌がらせだとか囁かれたが真相は闇の中だ。
その後喜望峰を周ってギニア湾へ入った練習艦隊は赤道直下の島国、サントメ・プリンシペへと表敬寄港した後、最終目的地であるナイジェリアのラゴスで補給を受けるべく北上した。
中国は2013年以降「一帯一路」構想を提唱している。海上ルート「一路」の構想にはラゴス港も組み込まれており、中国政府が投資しての港湾整備が進められていた。
それ故にラゴスの港湾設備工事には中国人労働者・技術者も本国から数多く派遣されている。祖国の練習艦隊の寄港を工事責任者から聞かされた中国人労働者達は、その日が近づくにつれ歓迎ムード一色となって行った。
そんな彼等にとっては残念なことに、遼寧はラゴスには入港できない。ラゴス港の補給施設があるイコイー島近辺のラグーンは水深11.5mほどで、遼寧が入港するにはほとんど余裕が無いと言っていいほど浅いからだ。
このため遼寧と随伴する駆逐艦何隻かはラゴス港の沖合4㎞に停泊することを選択。その威容をナイジェリアの人々に間近で見せることを断念した。
イコイー島にはナイジェリア海軍基地がある。ナイジェリア海軍の士官達は初めて見る中国海軍の艦船を横目に、合同演習と親善式典の準備を進めていた。
特に艦隊が到着してからは大わらわだ。首都アブジャから来ていた中国大使館の駐在武官達もまた、ナイジェリア軍の士官達と共に基地内の会議室をあちこち渡り歩いていた。
「でかい! まるでタンカーだ!」
「いや、タンカーはもっとデカイよ」
「うーん、スキージャンプ甲板はやっぱイマイチだなあ」
遼寧が接岸しないと知ったミリタリーマニア達は、それでもなんとか遼寧をひと目見ようと港や高台にぼつぼつと集まった。彼等は遠くに停泊する遼寧を望遠レンズ越しに見て、自慢の軍事知識を互いに披露しあうのだ。
そして親善式典の当日、イコイーでは先行して寄港していた補給艦への補給が忙しく行われる一方で、ブラスバンドが賑やかな音楽を奏でていた。
張り切る楽隊のすぐ近くでは軍の高級士官や政府の高官の面々が練習艦隊の司令官を出迎えるためにずらりと居並んでいる。いずれ錚々たるメンバーだ。
青く澄み渡るような空に音楽が吸い込まれ、波の音と溶け合っていく。そんな午後――。
参列者達の額に玉の汗が光りだす頃、南国の風を颯爽とかき分け駆逐艦が現れた。艦隊司令の洪を乗せた中国海軍のイージス艦「中華神盾」052C型だ。
この日、洪は陸で一連の儀礼式典を終えた後、ナイジェリア軍および政府高官達を乗せて遼寧に招待する予定になっている。また、洪の副官の手には国家主席からのメッセージと贈り物が携えられていた。贈り物やメッセージで懐柔し、遼寧の威容を見せつけてドスンと落とすところまでが今日の筋書きだ。
052Cは厳かに、ゆっくりとイコイーに接岸した。指揮棒がひときわ大きく振られ、ブラスバンドの勢いが最高潮に達したまさにその時ーー
「……?」
誰もが何かおかしいと感じた。
洪が接岸した052Cから下りるかどうか、という時、やおらオレンジ色の光が周囲を包み始めたのだ。
まだ午後2時、夕日には早い。しかし確かにオレンジ色の光がそこにいた人々を包んでいた。遼寧の後ろ、少し離れたところからその光は来ているようだ。
「何だ……?」
洪は光の来る沖合を目視で確認しようとしたが、052Cの船体が邪魔をしていた。夕日が照らしているかのような遠くの海面以外、彼には何も見えない。
高台に居て、たまたま遼寧の方向を見ていた者達が言葉を発した。
「海が……光っている?」
「水柱が!」
「なんだありゃあ!?」
12秒後、凄まじい重低音が彼等を包んだ。沖で数kmもの巨大な水柱が立ち、水蒸気が空を覆う。
「海が……沸騰してる!」
圧倒的な熱量が付近の海水を蒸発させ泡へと変えた。泡の上では船のような重量物は浮力が維持できない。遼寧やその周りの艦船はストンと落ちるように海面下に沈んでしまった。
「高波が来るぞ! 退避!」
誰かが泣きそうな声でそう叫んだ。どこに退避しろというのか。
立ち上るキノコ雲、そして押し寄せる衝撃波と波。それが核かそれに類する爆発によるものなのは誰の目にも明らかだ。
高波は洪も高官もブラスバンドも、イコイー島とビクトリア島の一切合財を飲み込み、ラゴス市を襲った。
空中爆発ではなかったために音速を超える爆風や数千度の熱線による直接被害は無かったが、高温の水蒸気の混じった熱風と、3回に渡る高波はもしかすると原子爆弾の空中爆発以上の被害を出したかも知れない。
海中では練習艦隊に随伴していた商型原子力潜水艦が悲劇に見舞われた。
商型は攻撃型原潜なので核攻撃に対する自動報復機構が無い。だが、艦内では大混乱が生じ、乗員たちは手動で巡航ミサイルの発射シークエンスを起動させてしまったのである。
幸いにして発射機構のトラブルが発生し、ミサイルは艦内で留まったが、その後爆発して商型原潜をギニア湾の藻屑へと変えてしまった。
この日、核ミサイルを誤射または発射した国は地球上に存在しない。少なくとも世界中の偵察衛星が弾道ミサイル発射の形跡を探知した事実はなかった。
練習艦隊の艦船の大半は大ダメージを受けて航行が不可能になってしまったが、近隣の被害はその何百、何千倍にもなるだろう。なにせこの阿鼻叫喚の渦に巻き込まれていたのはアフリカ最大の都市、ラゴスなのだ。
多くの人が死んだ。ほとんどの人は、自分が何故死んだのかすら知らずに。
◆◆◆◆◆
温泉に5日ほどのんびり湯に浸かった後、俺達はシャーロットの渡米を見送りに関西新空港へと向かった。俺は美作に連泊したが、市川さん達はあのサバトの翌日には岡山に帰って今日の準備を進めていたらしい。
「お世話になりました。お母さん達にも宜しくお伝え下さい。みんなも、またね!」
シャーロットはきちんと市川さんにお礼を言ってしばしの別れを告げた。日本語も達者になって、礼儀も正しい。いい娘に育ったなあ。涙出そう。
他にも見送りは大勢来ていた。シャーロットのボランティア仲間達だ。
おそろいのTシャツを着て、シャーロットとの別れを惜しんで万歳三唱。俺と市川さんはそれを遠巻きに見ていた。
「まあ、俺達もすぐ行くんだけどな……」
「あ、今、俺達って言ったわね。私も行っていいの?」
「あー、どこかのお姉さんが今更止めたってダメって言ってましたよ。浴衣はだけさせてビール瓶振り回しながら」
「……あの女将、やっぱり実家に言いつけてやがったわ。もう絶対にあそこ行かないから……」
「誰が悪いんでしょーねえ?」
「うっさい!」
市川さんもまた、米国行きを決心していた。酒の上での思いつきではなく、十分に検討したうえでの結論だという。まあ、こうなるんじゃないかとは思ってたけど。
「影山さん、市川さん、それじゃ、また!!」
ボランティアの人達をかき分けて、シャーロットが挨拶に来た。迷いのないまっすぐな眼。若者はこうでなくてはいかん。
「おう、またな!」
「気をつけるのよ! 変な男には特にね! ほら、こんなヤツよ!」
市川さんは三箇山とやらを見送り勢の中に見つけてなにやらどやしつけているが、ご苦労なことだ。さすがに変態でも米国までは追っては行かんだろう。
シャーロットを見送った後、俺は美作のガソリンスタンドでピカピカにしてもらった車に乗って西名阪道に乗り、東京へ向かった。夏至が過ぎたばかりなので午後5時や6時でも結構明るい。俺は肩の荷が降りたような気分も相まって、上機嫌でハンドルを握っていた。
市川さんも実家に居づらくなったとかで俺の後ろを走っている。あの2人乗りのヤツで。
実家暮らしで毎日車に乗っていたせいで、車がないと寂しいらしく、自分の車を東京に持ってくるそうだ。
「ぎゃあぁ!また雨だコンチクショー!」
東名高速の裾野を過ぎた辺りで、俺のBMWは斑模様を取り戻してしまった。サービスエリアで市川さんに大笑いされたよ。クソ。何かに呪われてるのかこの車?
そうそう。車に乗る時はエチゾラムを飲んではいけないので、俺はこの1週間ちょっと、あの薬を飲んでいなかった。まあ、何かが金になったりしてないし、大丈夫だよな。
肩のコリもほぐれたしよく眠れたし、さすが温泉、行って良かった。帰りにちょっと夜間・雨天・高速の三拍子揃ったせいで目がショボショボするが、明日にはきっと何とかなっている筈だ。
ここから先は全くの余談だが――
家に帰って暫くして旅の荷物をほどいていた際に、俺はスマートフォンを充電するモバイルバッテリーが無くなっていることに気がついた。ちょっと大きめで7回くらい充電できるやつだ。
温泉旅館に電話をして問い合わせたが、そんなものは掃除中に見当たらなかったとのこと。
お気に入りだったのに、どこにいったのやら。
★★★★★
盛大に立ち上ったキノコ雲と暴風、煮え立つ海、数々の商船や軍艦の残骸。海岸に打ち寄せられた多くの魚介類の死骸。そして人間の――
この50年以上人類が見ることのなかった映像がネットに流れ、各種メディアが生き残った人々の悲鳴を報じている裏で、死体や壊滅した商店、オフィスから略奪を行う者も相次いでいた。
人々が根こそぎ暮らしを奪われて呆然としている一方で、まだ残る富を押さえようと武装勢力がラゴスに押し寄せてきて銃を住民に向ける。第二幕の始まりだ。
放置され、腐敗していく死体や魚介類が巻き起こす不衛生な環境に加え、略奪と暴力が蔓延しラゴスは地獄と化した。かろうじて残った警察や軍隊が治安維持に回っていたが、到底間に合うものではない。
状況を鑑みNATOは第1常設NATO海洋グループを始めとする即応部隊の派遣を決定し、国際治安支援部隊、いわゆる多国籍軍の編成を急いだ。各国はこれに呼応し、現地に住む自国民の安全を図るための行動に移る。
国連の安全保障理事会による平和維持活動の議決が遅くなるであろうことが見越されたのと、熱核兵器が使用されたかもしれないという緊急情勢が各国の軍隊の意思決定を早めた。
現地の情報がほとんど届かない中、NATOの即応部隊が先遣隊となる調査隊とそれを護衛する部隊を編成。現場に近いポートハーコートが高波で使用不能に陥ったため、民間のベニン空港を使って遠路ラゴスにたどり着いた調査隊が見たのは、マスコミやネットが伝えた惨状を遥かに上回る地獄だった。
「ひでぇ……ナイジェリア政府は何をしてるんだ?」
「何かしてたらこうはならんだろう……」
ナイジェリア政府は動けなかった。日頃怠惰な汚職と宗教的なマウンティングに明け暮れていた彼らにとって、北東の過激派武装勢力、南西に被災地域を抱えたこの状況は荷が重すぎたのだ。
国際治安支援部隊による現地調査と治安維持活動が行われようとする一方で、当時の証言から核兵器由来の爆発の可能性を重く見た米国・ロシア・中国はそれぞれ大規模な調査隊の派遣を決定した。
彼等が想定していない国が、彼等が想定していない方法で核兵器を開発し、輸送し、爆発させたのであればその方法を明らかにしたうえで無力化させなければならない。
中国に至ってはさらに自国が原因でないことを証明したうえで、空母打撃艦隊ひとつ分の賠償をさせなければならないのだ。
特に米国は独自の調査にこだわった。証言をまとめればまとめるほど、洗い出された状況が1958年にエニウェトク環礁で行われた米軍による水爆の水中爆発実験「ワフー」の時の状況に酷似していたからだ。
「ワフー」の時と異なるのは残留放射能の圧倒的な低さだった。原爆を雷管として使用しない「きれいな水爆」を使わない限りこうはならない。だが、この「きれいな水爆」は米軍でさえ40年以上研究しても作れず断念したシロモノだ。
それだけに、米軍は何者がこの「きれいな水爆」を完成させたのかを血眼で追った。
この調査および治安維持において多国籍軍の中でも特に面目を失ったのがドイツ軍だ。
ヘリコプターの一機も飛ばせず、かろうじて新鋭フリゲート艦が輸送任務をこなせただけというその体たらくはNATOだけでなくEU総会の議題にも上がるほどだった。
水中核爆発説が有力な中、対潜哨戒能力が全く無いに等しいドイツ軍の現状は各国の失望と嘲笑を大いに招いてしまったのである。
平和時ならまだ良かったかもしれない。しかし大西洋で水爆と疑われるものが爆発し、大量の死者が出て、しかもまだ誰がどう行ったのか解らないという状況で調査能力も警戒能力もないというのは致命的だ。
ドイツ軍の装備の稼働率の低さが明るみに出るに連れ、ドイツはEUでの発言権を削られていった。
信用を失ったのでは軍だけではない。ドイツと言う国や、その国の政治家達が他国の信用を失ったのだ。
軍の装備の欠陥や稼働率の低さは突然起こるものではない。1990年代から稼働率に関するリスクは何度か報告されていた。
その状況をドイツ政府は正す努力もしないまま30年近く放置していたのだ。危機意識の欠如を指摘されても反論は出来ない。
ドイツの政治家達のそれまでの態度 ――足元の不都合な事実から目を背け続け、EUでは夢見がちな理想社会の理念を他国に押し付ける、欧州のリーダー気取り―― は平時でこそ受け入れられたが、緊急事態にあってはそうもいかなかった。
口先だけのポンコツに安全保障を委ねるほど、EU各国は主体性を失ってはいなかったのだ。
NATOの欧州側の中心国の軍隊がハリボテであることを知った世界中の国々は、次第にNATOの存在を軽んじていく。
ウクライナはNATO加盟を目指してロシアとの紛争をしていただけに、紛争そのものの意義を問われた。同様にNATO加盟を目指していたジョージアの政権がぐらつき、フランスでは2009年にようやくNATOへの完全復帰が実現したばかりだったが、再びNATO脱退論が息を吹き返してしまった。
結果として、アフリカで起きた核爆発は欧州とロシアの軍事バランスに大きな影響を与えたのである。
そして犯人探しが始まる。この核爆発様の事件の原因として最も疑われたのが中国の潜水艦による誤射だった。商型は弾道ミサイル搭載型の普型と同じパーツを多く使用している。そのため、この事件は普型か、または核武装が出来るよう改装された商型による弾道ミサイルの誤射が疑われたのだ。
海底から沈没した商型原子力潜水艦の残骸が引き上げられ、徹底的に検証された。残留放射能がほとんど無いことで「これは核分裂(原爆)によるものではなく核融合(水爆)による爆発であることがほぼ間違いない」との結論が調査団から出たが、それは中国無罪の証明とはならない。
核兵器の管理体制を巡って国際社会の中国への非難は日々拡大していった。
特に語気を強めたのが米国だ。水爆の管理体制の監査要求を突端として米中両国は極度の緊張状態へと突入し、互いに嫌がらせのような細かい貿易施策の応酬を始めた。
その頃、日本はと言うとPKO活動に全力を尽くしていた。米中欧、どの陣営にも肩入れできない日本政府が、そのバランス感覚を問われていた状況にあって、なかなか善戦していたと言っていいかもしれない。
だが翻って世界を見渡せば、この事件は環太平洋、北大西洋の軍事と政治経済にも少なからぬ影を落としたのである。
★★★★★
米国、カリフォルニア州リバモアにあるローレンス・リバモア国立研究所で米国国防総省からの委託調査を請け負っていたアンガスは、機密扉の中で同僚のコリーと深夜のコーヒーを飲みながら話し込んでいた。
「なあコリー、結局この爆発の原因、なんだったんだと思う?」
「蒸し返すなよ、アンガス。そりゃ純粋核融合爆弾のようなものが爆発したんだよ。そこまでは話したろ。
出力は低いよ。900ktくらいだ。核分裂反応がないから被害も小さかったわけだし。現地からリチウムや三重水素が結構検出できたしな」
「リチウムに中性子捕獲させるやり方か。じゃ、D-TからD-Dのセンが強いんだな……」
「ただ、通常のD-Dじゃ絶対見られないおかしな物質も検出されてるんだよな……いったい何と何を核融合させたらこんなおかしなことになるのか、見当もつかん」
「核融合した物質の量だってそんなに大したもんじゃないと思うな。せいぜいこれくらいだぜ」
アンガスの手には、彼が週末にベスト・バイで買って来たばかりのモバイルバッテリーが握られていた。
「さっさと報告書を書いて、この辛気臭い機密扉から出ていきたいもんだな」
「違いない、さて、もう一息だ」
アンガスとコリーは泥のように黒く煮詰まった珈琲をそれ以上飲むのを諦め、彼等の日常に戻った。自席でコンピュータに向かってああでもない、こうでもないと頭を捻る作業、それが彼等の仕事であり日常だ。
そしてその日常は、誰とも分からない国防総省の納得が行くまでは終わることはない。
リラックススペースのコーヒーテーブルには真新しいモバイルバッテリーが置き去りになっていた。
7回くらいスマートフォンを充電できる優れモノで、日本でも人気があるモデルらしい。その上面では青いLEDが持ち主を探しているかのように鈍く光っていた。