宝物がまたひとつ
落馬から三日後、フィオナはレイラから朝食の後に部屋に来るように言われた。
食堂を出たところで、隣を歩くマティアスにちらりと目をやる。彼は朝から任務に向かう予定が入っているはずなのに付き添ってくれるという。
「一人で行くから大丈夫だよ? マティアスは今から出掛ける準備があるでしょ」
「問題ない。まだ時間はあるからな」
「そっか……」
マティアスはいつものように笑ったけれど、少し物憂げに見える。
彼はレイラの用件を知っているのだろう。フィオナもレイラから告げられることに心当たりがあり、浮かない顔で歩く。
殆ど会話することなく、レイラの執務室に到着した。
「失礼します」
ノックをして中に入ると、レイラの他にルークの姿があった。
彼はにへらと笑いながら手を振り、もう片方の手には繊細な銀の装飾が施された箱を持っていた。見るからにお高そうな青色の箱だ。
「フィオナ。今日からあなたには金の腕輪を装着して任務に当たってもらうわ」
「……はい、分かりました」
予想していたことなので、レイラからの言い付けを少しも動じることなく受け入れた。
「使わない時はこの箱に入れて管理してほしいっす。さ、ここに魔力を流してください」
ルークに促され、彼が持つ箱の上面に埋め込まれている石に魔力を流した。光の加減で金色や虹色に見える透明な石だ。
石に流した魔力は箱を包み込むように全体に行き渡る。一瞬だけ呪印の黒い紋様が箱に浮かび上がり、すぐにスッと消え去った。
「これでこの箱はフィオナさんしか持てないし、開けられなくなったっす。あ、もちろん呪印を施した張本人のオレは持てるし開けられるっすけどね」
「私だけ?」
「そっすよ。試してみましょうか。それをマティアスさんに触らせてみてください。そしたら分かるんで」
フィオナはルークに箱を手渡されて両手に持つ。言われるがまま箱をマティアスの前に差し出してみると、彼は眉間にシワを寄せた。
正直マティアスはこの箱に触れたくない。しかしフィオナのためだと割り切って、右手でそっと触れた。
──バチンッッ
凄まじい音と共にマティアスの手は弾かれる。
彼はそのまま後ろに吹っ飛び、壁一面に設置された本棚に背中を強打した。
バサバサバサッ……
尻餅をついたマティアスの頭上からは大量の書類や資料が落ちてくる。彼のこめかみにピキリと青筋が浮かんだ。
「……おいルーク、ここまでの威力があるなら先に言え。せめて背後に何もないところで触らせろ」
箱に手を弾かれることは想定内だったので、受け身を取れるよう心づもりしながら踏ん張っていた。だが施されていた呪印の威力は想定していた数倍に及んだ。
「っは、すんません。つい」
「何がついだ。わざとか? わざとなのか?」
「えー、まさかぁ。そんなことないっすよ〜」
してやったり感を満面に表しているルークはマティアスに胸ぐらを掴まれた。
二人がやいやい言い合っているところをレイラはじとっと睨み、にっこり笑って低い声で問いかける。
「ねぇ、二人できちんと片付けてくれるのよね?」
「「……はい」」
二人はすぐに静かになり、落ちた紙類を拾い出した。
しばらくポカンと突っ立っていたフィオナも、手に持っていた箱を近くの机に一旦置き、片付けに参加する。
本棚をきっちり元通りにしてから、三人はレイラの部屋から出た。
「ねぇルーク。この箱すっごく高そうなんだけど……」
廊下を歩きながら、フィオナは申し訳なさそうに眉尻を下げながら恐る恐る聞いてみる。
ルークはニカッと笑った。
「それを用意したのマティアスさんなんで、苦情はそっちに言ってほしいっす」
「え? そうなんだ」
ルークから渡されたものなので、彼が用意したものだと思っていた。フィオナはちらりとマティアスの顔を窺う。
「毎日使う物なんだ。目で楽しめる方が良いだろう。君の好みに合いそうな物を選んだつもりだが、気に入らなければ言ってくれ」
彼はいつものようにしれっとしている。
言ったことがないのに自分の好みを把握してくれていたと知り、フィオナは嬉しくて胸の奥がきゅーっと締め付けられる。
「……あのね、すごく綺麗だから嬉しい。特にこの石が虹色に光ってて、金色にも見えてすごく好きなの。ありがとうマティアス」
「そうか。それなら良かった。では俺は任務に向かう。後で窓を閉めておいてもらえるか」
「うん、分かった。行ってらっしゃい」
頭を優しくひと撫ですると、マティアスは窓を開けて飛び降りた。
レイラの部屋を片付けることは想定外だったため、階段を下りる時間すら惜しい。もう任務に向かわなければいけない時間ギリギリだった。
颯爽と走っていく後ろ姿が見えなくなるまで、フィオナは熱をはらんだ瞳でじぃっと見つめていた。そんな彼女にルークはモヤッとなる。
「そろそろもうフィオナさんの方からあの人に気持ちを伝えても良いと思うんすよね。あの人ヘタレなんで、もうストレートに言っちゃってくださいよ」
ルークからの気遣いに、フィオナはいつものように苦笑いで返した。
「今はまだ好きになってもらえるように頑張ってるところなの。いっぱい頑張ってから伝えるつもりだから。それとマティアスはヘタレじゃないよ」
「いや、だから、もうとっくの前からあの人はフィオナさんのこと好きっすから」
「ありがとう。応援してくれる気持ちだけで十分だよ。それじゃあ私も部屋に戻るね」
そう言い残してフィオナは自室に戻ってしまった。
「はぁー……」
ルークは窓枠に両手を置いて項垂れる。何を言っても彼女には伝わらず、溜め息が止まらない。
そろそろ見守っているだけでは我慢できなくなってきた。
お節介と思われようが何だろうが構わない。マティアスにも直接せっついてやろうと決めた。
* * *
フィオナは任務に向かう準備を終えると、しばらく箱を眺めていた。
結局値段は教えてもらえなかったけれど、確実にお高いであろう箱は本当に綺麗で、いつまでも眺めていられる。
マティアスが選んでくれたと知ってから、胸の奥から次々と熱いものがこみ上げてくる。
恐縮する気持ちよりも嬉しい気持ちが勝ってしまい、顔がによによしてしまう。
出発の時間が近付いてきたので、箱に魔力を流して蓋を開けて、中から金の腕輪を取り出した。
「わぁ……可愛い」
腕輪の下に敷かれていた光沢のある白い布は、カラフルな糸で猫の顔がいくつも刺繍されたものだった。
さすがマティアス。細やかなところまで喜ばせようという心遣いを感じる。
腕輪を右手首にはめて、箱はドレッサーの引き出しに大切に仕舞った。
ホームから外に出てしばらく歩き厩舎へと向かう。到着するとすでに今日一緒に行くメンバー三人が集まっていた。
「よう。腕輪はちゃんと着けてきたようだな」
グレアムはいつものように悪そうな笑みを浮かべた。
「うん。これでもう迷惑かけないで済むね」
「あ? オマエがかけてたのは迷惑じゃなくて心配だっての。鈍臭すぎるんだよバカタレが」
「ふぎゅっ」
グレアムはフィオナの鼻をむぎゅっと強く掴んだ。
「そうよ。いっつもドキドキさせられてるこっちの身にもなってよね!」
「ははは、本当だよ。頼もしいと思っていたら、いつの間にか死にかけているからね、君。心配してもしきれなくて困っていたんだよ」
ミュリエルとヨナスからも、思ってもみなかった方向から苦言を呈されて、フィオナはキョトンとなる。
「心配してくれてたの? 迷惑かけられて怒ってないの?」
「あったりまえでしょ! バカフィオナ。アンタはいつも頼りになりすぎるくらい頼りになってるんだからねっ!」
「そうだよ。君のお陰でどれだけ楽させてもらっていることか。あんなのは迷惑の内に入らないから大丈夫だよ」
二人の優しい言葉に胸がじんわりと温かくなって、涙が滲んできた。
フィオナはわたわたと焦るミュリエルに慰めてもらい、少し落ち着いたところで出発した。
馬で数十分間走って到着したのは岩石地帯。
ここからは歩いて向かう。
今日もリーダーはグレアムだ。口の悪さと素行の悪さは差し置いて、彼は仕事中は団長に次ぐ有能な人物である。
頭の回転が早く状況に応じた的確な判断、魔術の精度の高さ、俊敏さ身軽さと全てにおいて秀でている。
四人で岩陰から今日の討伐対象である魔物の群れをじっと観察する。
二十体以上いる長さ十メートル程の蛇のような魔物は、岩と同色の鱗に覆われている。この魔物の皮は伸縮性がなく熱に弱い。素材を回収して加工したところで商品価値がない。
いつもなら迷わず攻撃を仕掛け、毒性のある内臓もろとも全て焼き尽くすところだが、グレアムはじっと観察しながら考えを巡らせていた。
「……よし。フィオナ、奴ら全て無傷で一箇所に集めろ。そのまま空中で動かないように固定できるか?」
「うん、できるよ」
フィオナはグレアムのろくでもない言葉はもう信じないことにしているが、任務中の言葉は別である。
彼の指示には絶対的な信頼を寄せているため、言われるがまま従った。
魔物の頭上に中型の魔法陣をいくつも描き、一体残らず風でふわりと持ち上げた。
一箇所に集めて、そのままピタリと状態維持。多量の魔力を消費するが、金の腕輪を装着しているので問題ない。
動きを封じられた魔物達は、仲間四人で手分けして皮を剥ぐ。
「ヨナス、左から一体目と五体目は雌だ。腹部に魔石があるはずだから傷付けないように取り出すぞ」
「了解」
ヨナスとグレアムはそれぞれ一体ずつナイフで腹部を切り開き、体内で大きく育った魔石を慎重に取り出した。
「よし。フィオナ、ミュリエル。残りは全て焼き尽くせ」
「分かった」
「任せて」
二人は魔物の頭上に中型の魔法陣を描き、炎で焼き尽くした。これで任務完了だ。
ここにいた魔物達は、極稀に存在する魔石を主食とする個体だったため、年月をかけてその体を変異させていた。結果、しなやかさと強靭さを持ち合わせた価値の高い素材が収集できた。
雌は食した魔石を体内で合成するため、質の良い大きな魔石を二つ回収。今仕留めて回収したものだけで数千万の価値がつく。
「これだけ質の良いものは貴重なはずだ。オマエのお陰で綺麗な状態で回収できた。良くやったな」
フィオナはグレアムにわしゃわしゃと頭を撫でられた。
髪がぐちゃぐちゃになったけれど気にしない。嬉しくてへへへと笑った。
「それにしても、魔石喰いだってよく判断できたよね。遠目じゃ全然分からなかったし、近くで見てもよく分からないんだけど」
「あ? 表皮の艶とか腹部の膨らみとか動きとか見てたら分かんだろが」
「いやいや、普通は分からないからね」
怪訝な顔でグレアムを見るミュリエルとヨナスにフィオナはホッとした。全く見分けが付かなかったのは自分だけではなかったようだ。
やはりグレアムは頼もしくて素敵なお兄ちゃんみたいだなと尊敬の眼差しを向けた。
「よし、さっさと帰るぞ」
回収した素材は全て、フィオナが一人で両手に積み重ねて運ぶ。風で浮かせているので軽々だ。
「あー、荷物持ちマジ便利」
頭の後ろで両手を組み、先頭をスタスタ歩くグレアムにミュリエルは顔を引きつらせる。
「フィオナ、少し持つよ……」
無尽蔵の魔力を有するフィオナには全く問題ないだろうが、女性一人に大量の荷物を持たせているという状況にいたたまれなくなる。
「大丈夫だよ。皆の役に立てて嬉しいの」
フィオナは満足気にほんのりと頬を染め、少しの曇りもない晴れやかな顔で笑った。