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たとえ貴方が地に落ちようと - 第68話 じゃあ来週はそれを買ってきます
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たとえ貴方が地に落ちようと  作者: 長岡更紗


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第68話 じゃあ来週はそれを買ってきます

 翌週の休みの日には、ようやく自分のコートを買えた。

 ひとつ欲しい物が手に入ると、次は手袋、マフラー、膝掛けと、次々に欲しい物が増えてしまうから困りものだ。編み物が得意ならばセヴェリに編んであげたいところだが、どうやって編むのかまったくわからないので、買う以外の選択肢がない。

 もし編み物や刺繍が得意だったら、セヴェリの傍を離れることなく、収入を得られたのだろう。だからと言って、今さら編み物などする気は微塵も起きなかったが。

 クスタビ村に居ながらにしてお金を得られる仕事があればいいが、それはサビーナには難問である。手っ取り早く現金を手に入れるには、街で働くのが一番なのだ。


 家に帰ると、この日は日曜で授業はしていないようだった。サビーナは基本、四日と半日働いて、次の一日を休みというシフトにしてもらっている。なので毎週同じ曜日に帰っているわけではない。


「おかえり、サビーナ」


 外よりは幾分暖かい部屋の中で、彼は家でテキストを広げながら何やら作業をしているようだった。


「お勉強中ですか?」

「いえ、これはテストを作っているんですよ。今度抜き打ちでやってみようと思っていまして」


 そう言いながらクスクスと笑うセヴェリの顔は少し意地悪だ。その表情にどこか懐かしさを感じて、サビーナの顔はほころぶ。


「楽しそうですね、セヴェリ様」

「ええ、楽しいですよ。あなたもぜひ、私の授業を受けて下さい」

「はい。でも私がいる時には、テストはなしでお願いします……」


 勉強が苦手だったサビーナは、テストが嫌いだ。デニスほど頭が弱いとは思っていないが、頭のいい人間から見れば、デニスとサビーナは五十歩百歩だろう。

 頭が悪かったところでセヴェリに(なじ)られるわけでもないのだが、それでも恥ずかしいものは恥ずかしい。

 そんなサビーナの要望に、セヴェリは答えず含み笑いをするだけだった。


「そう言えば昨日、ラーシェの子どもが生まれたようですよ。生徒の皆さんが教えてくれました」


 ラーシェはこの村に来た日に行われた、歓迎パーティで話しかけてくれた妊婦である。出産は来月だと言っていた気がしたが、早く生まれたのだろう。


「今はお産が終わったばかりで大変でしょうので、来週あなたが街から帰ってきた後にでも行ってみませんか?」

「じゃあ、なにかお祝いの品を買ってきます。なにがいいでしょうか」

「そうですね。赤ちゃんの服なんかは他の女性が作りそうですし、オルゴールなんかはどうですか?」

「オルゴール、ですか?」


 意外な提案にサビーナは首を傾げた。出産祝いにオルゴールというのは、あまり聞いたことがない。


「ええ、ここではあまり音楽に触れる機会がありませんし、赤子にも母親にも癒しになっていいかと思うのですが」


 セヴェリの言葉に、サビーナは大きく頷いた。実用品と違って一生使える物だし、思い出にもなりそうだ。


「いいですね、オルゴール! じゃあ来週はそれを買ってきます!」

「そういえば来週はもう年末ですが、年始の仕事はどうなっているんですか?」

「ラウリル公国では、新年は働いてはいけないことになっているみたいです。来週帰ってきたら、一月三日までここで過ごします」


 そう伝えると、セヴェリは嬉しそうに「そうですか」と頷いてくれている。働けないイコール収入がないということなので一概に喜べるわけでもなかったが、のんびり過ごせるのはサビーナも嬉しかった。


 そしてその翌週の休み……つまり年末である。

 サビーナは仕事を終えると、出産祝いのオルゴール、それに食料も買い求めた。セヴェリも年末年始は授業を行わないだろうし、せっかくの新年だ。ご馳走とまではいかなくても、それなりの物を食べて過ごしたい。

 買い物を済ませて村に戻ると、早速セヴェリと共にラーシェの家へと向かった。セヴェリは村の隅々までよく知っていて、逆にサビーナは集会所と自分の家への道しかまだちゃんと覚えていない。

 出会う村人の名前も、セヴェリは全員覚えているようだった。こういうところが人に好かれる所以なのだろう。


「おお! いらっしゃい、セヴェリ、サビーナ! 首を長くして待ってたんだぞ!」


 家の扉を叩くと、中から男の人が現れた。どこかで見たことがあると思いきや、歓迎パーティでセヴェリにワインを勧めていた人物だったと思い出す。


「ジェレイ、奥方の体調はいかがです?」

「おう、元気元気! 中に入ってくれ!」


 促されるままサビーナも部屋に足を踏み入れる。ジェレイとラーシェが夫婦だったのを、サビーナは今初めて知った。

 中に入るとラーシェが赤ちゃんを抱いていて、幸せそうな笑みを浮かべている。


「セヴェリ、サビーナ、来てくれてありがとう!」

「ご出産おめでとうございます。可愛いですね、男の子でしたか?」

「ええ、ルーフェイっていうの」


 ラーシェは当然のように手の中のルーフェイをセヴェリに渡し、セヴェリもまた当然のように受け取り抱き上げている。


「ルーフェイも三歳になったら私のところで預かりますよ」

「ええ、その時にはお願いするわ」


 セヴェリはタンポポの綿のような柔らかい笑みを向けて、ルーフェイを慈しむように見ている。彼はどうやら子どもも赤子も大好きのようだ。セヴェリはきっといい父親になるだろうなと、天使のような彼の姿を見て思った。

 しばらくしてセヴェリがルーフェイをラーシェに返すと、今度はサビーナに赤ん坊を差し出してくる。サビーナは慌てて両手を左右に振った。


「いえ、私は抱っこするのはちょっと……」

「え? どうして?」

「落としちゃっても責任取れませんし」

「わざと落とさない限り、そう手が滑ったりしないわよ」

「でも……」


 そう言われても、どうしても尻込みしてしまう。まだ一週間前に生まれたばかりだ。今にも壊れてしまいそうな小さな体である。


「この国では、生まれて三ヶ月以内に百人に抱っこをされると、健康に育つという言い伝えがあるんだ。ぜひ抱いてやってくれ」


 ジェレイに背中を押されてしまい、仕方なくサビーナはルーフェイを手に抱いた。軽くてふにゃふにゃして今にも壊れてしまいそうで、十秒と持たずラーシェに返す。

 初めて生まれたばかりの子どもを手に抱いた。怖い。怖すぎる。


「そんなに青ざめなくても大丈夫よ」

「そうだぞ! サビーナも子どもを産まなきゃならねんだから、今のうちに慣れとけ!」


 ラーシェもジェレイも笑っていたが、サビーナの手は異常に震えて本当に落としそうだった。やはり小さな赤子など、この手に抱き上げるべきじゃない。何事もなくて本当に良かったと、サビーナは大袈裟ではなくそう思った。

 祝いのオルゴールを渡して早目に家を出ると、サビーナはやっとホッと一息つく。


「大丈夫ですか?」


 サビーナが大きく息を漏らしたのを見て、セヴェリが気に掛けてくれた。


「は、はい……」

「子どもが苦手だったのですか?」

「いえ、あの……はい」


 サビーナは一旦否定しておいてから、正直に頷くこととなった。あんな態度を見られてしまっているのだ。今さら嘘をついても意味はない。


「私の父は再婚だって話はしたと思いますけど……本当の母親は、相当な子供嫌いだったらしいです。生まれたばかりの私を置いて逃げ出したほどで……その血が受け継がれているのかもしれません。見ている分には平気ですが、会話や接するのはちょっと……」


 そこまで伝えて、サビーナは口を噤んだ。いきなりこんな重い話をするのではなかったと、言ってしまった直後に後悔したのだ。

 セヴェリはなんと答えていいのかわからないのだろう。哀れな子羊を見るかのような瞳でこちらに視線を向けてきている。

 普通、赤子を見れば『可愛らしい』という感情が先立つものなのかもしれない。だが、サビーナが(いだ)いたのは『怖い』という負の感情だけだ。おそらくは本能レベルで他の人とは違うなにかがあるのだろう。

 ジェレイは、サビーナとセヴェリが結婚していると思っているので『子どもを産まなきゃならない』と言ったが、むしろこんな人間は産んではいけないと思う。

 ここは田舎なのでジェレイはあんな言い方をしていたが、結婚したからと言って子どもを産まなければいけない規則などない。そもそもサビーナとセヴェリは、本当に結婚しているわけではないのだ。子どもを産むとか産まないとかいう以前の問題である。

 目を伏せてそんなことを考えていると、セヴェリがそっとサビーナの頭に触れていた。

 なにも言わず、頭を撫でる。それだけ。

 そんな彼がなにを考えているのか、サビーナにはわからない。

 ただセヴェリとサビーナの間には、高い塀のような隔たりがあるのだろうなと、漠然と考えていた。

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