第93話 これを、最後の我儘にするから……
祭りが終わると、集会所に置かれていた野菜の中から、好きな物を好きなだけ持って帰ることができた。
サビーナ達が持ってきた柿も、割と人気ですぐなくなったようだ。
こちらも遠慮なく、レモンやブドウ、みかん、それに白菜やほうれん草、人参、キノコ類など、色んな種類の物を少しずつ頂いてきた。しばらくは食べ物に困らないない……というよりも、腐らせずに使い切る方が大変そうである。
それらを使って晩御飯を終えると、サビーナはそそくさと椎の実を炒り始めた。セヴェリは片付けられた食卓の上にテキストとノートを置き、なにかを調べながら書き仕事をしている。
すべてを炒り終えると、それを持ってセヴェリの対面に座った。そして邪魔をせぬよう黙々と皮を剥き始める。ちらりと見てみると、どうやらケーウィン用に受験対策のカリキュラムを作っているらしい。
しばらく互いに作業を続けていると、セヴェリは軽く息を吐き出してペンを置いた。それに気付いたサビーナは顔を上げる。
「休憩されますか? お茶を淹れましょうか」
「いえ、先にお風呂に入ってこようと思いまして。まだまだ時間が掛かりそうですから」
「あ、じゃあお湯加減を見てきますね」
「いいですよ、それくらい自分でできますので」
そう言って彼は立ち上がったが、そこから動く気配がない。どうしたのだろうと見上げると、セヴェリの眉間の幅がわずかに狭まっている。
「……どうかされました?」
「少し……お金の掛かる話をしてもいいですか」
「はい。なにか欲しいものでも?」
少し首を傾げると、セヴェリは言いづらそうに声を絞り出した。
「前々から考えていたことなのですが……ちゃんとした教師の資格を取りたいんです」
「え、すごい! いいじゃないですか!」
即座に賛成の意を示すと、セヴェリは驚いたように瞠目している。
「お金がかかるんですよ?」
「どれくらいです?」
「毎年二月から始まる一ヶ月間の講習を受ける必要があるそうです。最終日に教師になるための試験をパスしなければ、教師にはなれないのですが……その受講料が、三十万ジェイアするようで」
「構いませんよ」
さらっと承諾すると、セヴェリの目はさらに飛び出さんばかりに大きく広げられた。
「三十万ジェイアですよ?」
「大丈夫です、それくらいの蓄えはあります」
「本当ですか。いつの間に……」
まさか画策に使うものだとは言えずに、微笑んで誤魔化す。実際は今言った額の三倍近くの蓄えがあるのだが、もちろんそれは秘密だ。
もう少しで業者に頼める前金を支払えるところだったが、仕方ない。また稼げばいいだけの話だ。
「本当にいいんですか?」
「はい。セヴェリ様がそうしたいのであれば、ぜひ」
「ありがとう、サビーナ」
嬉しそうに微笑むと、座ったままのサビーナを抱擁してくれた。柔らかな彼の金髪が、サビーナの深緑の髪と交差する。
「すみません、いつも苦労ばかりかけて」
「セヴェリ様が教師をしてらっしゃるから、私もこれだけのお金を貯めることができたんですよ。気になさることはなにもありませんから」
「ありがとう」
その言葉と同時に、そっと目元に口づけられた。驚く間もなく顔に熱が集まってセヴェリを見ると、彼は少し意地悪に微笑んでいる。
「も、もうっ、セヴェリ様っ!」
「感謝の気持ちですよ」
クスクスと笑いながら風呂場へと向かうセヴェリを、目だけで見送る。
サビーナは異常に熱くなった目元を、手で押さえつけた。またからかわれてしまい、悔しくあるが嬉しくもある。
「……もうっ」
込み上げる笑みを押し隠すようにして、また椎の実の皮剥きを再開する。しばらくそれに集中しようと思っていたが、ひとつの考えがサビーナの気持ちを冷めさせた。
私、つい教師の資格を取ることを賛成しちゃったけど……
そんなことより、早く画策できるようにお金を貯めた方が良かったのかもしれない。
なんで私は……
そこまで考えてハッと気付く。
無意識のうちに、少しでも長くセヴェリと一緒にいたいと思ってしまっていたことを。
セヴェリのやりたいことをやらせあげるという理由をこじつけて、その実、サビーナ自身が彼と離れたくないと思ってしまっていた。
なにをやってるの、私は……
セヴェリ様を襲う危険を排除することが、一番の優先事項なはずなのに。
じっと見つめる先は、手の中にある小さなどんぐりのような椎の実。炒られてできた裂け目から、皮をパキパキと剥き落としていく。
中からは半透明の可愛い実が顔を出し、それを口に放り込むと、微かな甘味がサビーナの心に沁みるように広がった。
これを、最後の我儘にするから……
そう誓って後は心を閉ざし、淡々と皮剥き作業をこなしていった。
セヴェリが風呂から出てくると、またケーウィンのために色々としているようだった。サビーナもかなりの時間をかけて、ようやく全部の皮を剥き終えてホッとする。しかしクッキー作りはまだまだこれからだ。
「先にお風呂に入ってきては?」
「うーん、これだけ先にやっちゃいます」
セヴェリの提案を却下し、サビーナは実を粉にすべく、ゴリゴリとすり潰し始めた。が、思ったようにはすり潰せずに悪戦苦闘する。すべてが粉になるまでには、またもやかなりの時間を要してしまった。
「サビーナ、続きは今度にしなさい。明日は仕事でしょう」
「でも、もう作って焼くだけなんで! これだけ……! セヴェリ様に食べてほしいんです!」
そう言うとセヴェリは引き下がってくれたので、サビーナは大慌てで生地を作り、焼き上げていく。ここにはオーブンはないので、フライパンで両面を焼いていく作戦だ。
「うわ、くっついちゃう! わ、ボロボロに……うー、焦げちゃった!!」
半ベソになりながら作り上げたクッキーは、今まで作ってきたものの中で一番最低の仕上がりとなった。
クズクズだったり焦げ焦げだったり、まともに焼けた物は少ししかない。
実を拾い、皮を剥き、すり潰したあの時間が一瞬で消え失せて行く感じがして、途方にくれる。真剣に泣きたくなってきた。せっかくセヴェリが楽しみにしてくれていたというのに。
「出来上がったのですか?」
「うっ! いえ、あの……失敗、しました……」
シュンと肩を落とすと、セヴェリは皿の中を覗いて確認している。焦げクズだらけの中から、比較的綺麗にできたクッキーを探し出し、彼はにっこりと微笑んだ。
「これは大成功ですね。いただきますよ」
成功などとは言えないそれを口の中に入れて、味わってくれている。不安で鼓動を打ち鳴らしながら見上げていると、嚥下と同時にセヴェリは頷いた。
「やはり、あなたの作るクッキーが一番美味しい」
吹き出しもせず、笑いもせず、意地悪な顔もせず、真剣な顔でそう言われた。本当だろうかという思いでサビーナも食べてみる。なるほど不味くはなかったが、ジェレイの作った物と比べるとあまりに劣る出来だった。
セヴェリは味の違いがわかる男だと、キクレー邸で会った貴族たちが言っていたのを思い出す。どちらが美味しいかなど明白だというのに、この男はどこまでも優しい。
「もう私、ジェレイさんに弟子入りしてきます……屈辱ですけど」
「私が美味しいと言っているのだから、これでいいんですよ」
ふわっと髪を撫でられると、いいのかなと甘えた気分になってしまう。だからいつまでたっても料理の腕前が上がらないのだが。
「次こそは、頑張りますから……」
「あなたはいつでも頑張ってくれていますよ」
柔らかな声に、サビーナは不意に泣きそうになった。自分の頑張りを認めてくれる人がいる。わかってくれている人が、目の前にいる。ただそれだけで、涙が出そうなほど嬉しい。
「ありがとう、ございます……」
「お風呂に入ってきなさい。もう寝る時間ですよ」
こくんと子どものように頷いて、風呂の中に駆け込んだ。
なぜだか胸が締め付けられるように痛くて、その顔をセヴェリに見られたくはなかった。
「どうしたんだろ、私……」
制御できない自分の感情が理解できず、そう呟きながら風呂に足を入れる。
「……しまった。ぬるい……」
いつもはセヴェリが入ったすぐ後に、もう一焚べしてから入るのだが、すっかり忘れていた。火も既に消えてしまっているし、今から出て火を起こすのも面倒だ。
結局この日はすぐに風呂から上がり、ぶるぶる震えながら着替えをして出た。冬の訪れがもう少しという時期である。己のミスが情けない。
「もう出たのですか? 焚き直しの時間すら掛かってないのでは?」
「えっと……実は、焚き直すのを忘れて入っちゃって……」
「そういう時は私を呼びなさい。なんのために一緒に住んでいるんですか」
「でも」
「もう一度入って温まった方がいい。火の番をしてあげますから」
「いえ、汗はもう流したんで、大丈夫です! 明日も早いし、もう寝ます」
そう告げると、セヴェリは不服そうに「そうですか?」と言いながらも納得してくれた。
セヴェリはテキストを片し、寝室に向かっている。そして二人は互いの顔が見えるくらいまでカーテンを引き、それぞれのベッドへ潜り込んだ。
やっぱり、もう一回入れば良かったかも……寒い……
そんな後悔をしながら、サビーナは無理やり目を瞑って眠ったのだった。