ep 10
一行がたどり着いたのは、冥府の最奥に位置するという「地獄門」であった。
どろりとした血のように赤く染まった空の下、天を衝くかのような巨大な門が、不気味なほどの静寂を纏ってそそり立っていた。門の表面には、苦悶に歪む顔や、天を掴もうとする無数の腕が彫り込まれているのか、見る者に言い知れぬ圧迫感と畏怖を抱かせる。常ならば、ここを通ることを許されるのは、厳格な裁きを受けた罪人の魂か、あるいは冥府の役人だけである。
その門を守る一人の門兵が、近づいてくる見慣れぬ一行の姿を捉え、驚きに目を丸くした。
「ん? あれは……姫様と、和勇牛殿……。そして、もう一人は……に、人間か?」
門兵の視線は、明らかにこの場にそぐわない、異質な存在である世一に釘付けになる。世一は相変わらず煙草を燻らせ、全てを睥睨するような態度を崩していない。その隣に立つ和勇牛は、以前と変わらぬ圧倒的な威圧感を漂わせながらも、今は口を固く結び、沈黙を守っている。姫――結の表情は、どこか強張っており、新しい旅立ちへの緊張と、世一への信頼が入り混じった複雑な色を浮かべていた。
「い、如何なされましたか、姫様、和勇牛殿! 人間などを連れて……! ここから先は、畏れ多くも大神様の神殿へと続く聖域。人間風情が、決して足を踏み入れて良い場所では……」
門兵が咎めるような口調で言い募ろうとした、その言葉が終わるよりも早く、和勇牛が地鳴りのような轟く声でそれを遮った。
「黙れいっ! 我が主への侮辱は、断じて許さぬぞ!」
その声には、先ほどまでの冥府の番人としての立場を超えた、絶対的な忠誠と怒りが込められていた。
門兵は、豹変した和勇牛の凄まじい剣幕と殺気に完全に圧倒され、情けない悲鳴を上げた。
「ひっ!?」
和勇牛は、さらに一歩踏み出し、その巨躯から発せられる威圧感で門兵を萎縮させながら、地の底から響くような凄みを増した声で言い放つ。
「一言だけ忠告してやる。今すぐこの場を音もなく去れ。でなければ……斬る! 微塵も残さずにな」
「ヒィィィィッ! わ、和勇牛殿が、ご、御乱心じゃあっ! 御乱心! た、大変だ、兵を、兵をかき集めろぉぉーーっ!!」
門兵は、恐怖に顔を引きつらせ、みっともなく喚き散らしながら、蜘蛛の子を散らすように逃げ去っていった。その姿は、もはや番人としての威厳など欠片もなかった。
慌ただしく遠ざかっていく門兵の足音を聞きながら、和勇牛は、まるで憑き物が落ちたかのように静かに呟いた。
「ふふ……これで我も、名実ともに我が主の側仕えとなりましたな」
そして、先ほどまでの険しい表情とは裏腹に、どこか楽しげな、高揚を隠せない声で付け加える。
「ふふふ……ああ、なんと胸が高まって参りましたわ。この血湧き肉躍る感覚、久方ぶりでございます!」
その姿は、もはや忠実な番人というより、戦いを求める狂戦士のそれに近いものがあった。
結は、そんな和勇牛の変貌ぶりには特に驚いた様子も見せず、ただ静かに頷くと、世一へと視線を向け、安心させるように柔らかな微笑みを浮かべた。
「世一様、大神めの取るに足らぬ軍勢は、和勇牛に任せておけば問題ないでしょう。私達は、まっすぐ大神の神殿へと参りましょう」
そして彼女は、そっと、震える白い手を世一へと差し出した。その瞳には、淡い期待と緊張の色が浮かんでいる。
「さ……わ、私の、て、手をお繋ぎ下さいませんか、世一様……」
しかし、世一は、その差し出されたか弱き手を冷ややかに一瞥すると、いつもの調子で素っ気なく言い放った。
「いいから、とっとと案内しろ」
「は、はい……うっ、うっ……」
結は、潤んだ瞳を伏せ、小さく頷いた。肩が微かに震えている。拒絶されたことへの悲しさか、それとも別の感情か。
世一は、そんな結の様子に気づいているのかいないのか、短く舌打ちをした。
「ちっ」
だが、次の瞬間、結は顔を上げ、なぜか嬉しそうに、恍惚とした表情でふわりと呟いた。
「はぁぁ……私の手を……お取りになってくださったのですね……。ありがとうございますぅぅ……」
世一が実際に手を取ったわけではない。だが、彼女の中では、彼の言葉が、行動が、全て自分にとって都合の良い、喜ばしいものへと変換されるらしい。
そして、彼女はくるりと世一に背を向けると、まるで天上の花園にでも誘うかのように、軽やかな足取りで歩き出す。
「さ、ささ、では世一様! こちらでございます! まずは、私の寝所へご案内いたしましょう!」
ぴたり、と世一の足が止まった。彼は、心底怪訝そうな顔で、結の背中へと問いかける。
「……おい。何処に行くつもりだよ、お前は」
結は、はっとしたように振り返り、自分の失言に気づいたのだろう、顔を真っ赤にして慌てて訂正した。
「あ、あわわわっ! も、申し訳ございません! ご、ご神殿でございます! もちろん、大神のいる、ご神殿へとご案内いたしますわっ!」
その慌てぶりは、先ほどまでのしおらしさとはまた違う、どこか子供のような愛嬌を感じさせた。
こうして、悪鬼・世一と、彼に心酔する元神の少女・結、そして主に付き従うことを至上の喜びと感じ始めた元門番・和勇牛という、奇妙な一行は、ついに大神の神殿へと続く、いばらの道を歩み始めたのであった。