31.エッチは悪いことではないわ
……えーと。
確か、扉をノックして……あれ?
もう屋敷の中にいるや。
「ようこそ、わたしのお屋敷へ!」
目の前に手のひらサイズの少女が飛んでいる。
漆黒のドレスを着ていて、とてもゴキゲンそうだ。
随分昔に読んだ物語に登場する妖精の挿絵そっくり。
「君がナイトメア・フェアリー? もうここは夢の中?」
「そうよ、そうよ、旅人さん。ここはもう夢の中。あなた、わたしとお話しがしたかったのよね? それが一番の望みだなんて嬉しいわ! とっておきの歓迎をしなくっちゃ!」
屋敷の中の照明が一斉に点いて、きらびやかな装飾がふわふわっと出現する。
ありふれたロビーがいきなりパーティ会場になった。
のっぺらぼうの貴族たちが、奏者のいない楽器だけの楽団の演奏に合わせてワルツを踊り出す。
そして、目の前のテーブルには大量のスイーツが!
「さあ、好きなだけ食べて!」
「うーん、でも夢の中だってわかってるしなあ」
「あら、わたしの夢を甘く見ているのね?」
失礼しちゃうわ、と言いたげにナイトメア・フェアリーは腰に手を当ててプンプンと怒りをアピールした。
「この夢の中で起きたことは、現実の体に影響するのよ! 水を飲めばちゃんと喉が潤うし、食べ物を食べればお腹も膨れるの! だから死んだら、本当に死んでしまうわ! あなたには不死身になりたいっていう夢がないから、不死身にしてあげることはできなかったの!」
なるほど、なんとなくルールが見えた。
夢の中で望みを叶えるっていうのは、逆に言うと本人が望まないことを相手に見せることはできないんだ。
どれ、そういうことなら目の前のお菓子は俺の望み。
ちょっと味見を……。
「お、本当だ! この水蜜のお菓子、すっごく甘くておいしい」
「そうでしょう、そうでしょう? あなたはお菓子が好きなのよね!」
ナイトメア・フェアリーは嬉しそうにころころと笑っている。
伝承にあるとおり、屋敷を訪れた者を喜ばせたいだけの存在なんだね。
これは帰ってこない人が多いわけだ。
「それにしても、旅人さんはとっても変わっているのね! 普通なら夢だって覚悟してても、実際に夢の中に入ったら忘れてしまうのに!」
「たぶん、夢に溺れたいって願望がないからじゃないかな? わかんないけど」
あるいは《全自動弱体化》が俺にとっての不利益だけ『攻撃とみなしてゼロにして』くれてるのかもしれない。
実際、夢には陥っちゃってるからナイトメア・フェアリーが俺に敵対しているわけじゃないのは間違いなさそうだ。
「もちろんよ、もちろんよ! あなたが望まない限り殺したりなんてしないわ。でも、大抵の人は喜ばせてあげると死にたいなんて願いは捨てちゃうの! 死んだら終わりだし、夢も見られない。そんなのは悲しいもの!」
ナイトメア・フェアリーは本質として夢を見せたいモンスターだから、相手に死んでほしくないのか。
これを優しさ、と捉えるのは違う気がする。
他のモンスターと同じく、習性みたいなものなんだろうな。
「俺はどうすれば起きられるの?」
ひょっとしたら教えてくれないんじゃないかと思ったけど、ナイトメア・フェアリーは快く答えてくれた。
「とっても簡単よ! 夢から覚めたいって本気で考えればいいわ。でも、そんなことをする必要はないと思うの! ここならあなたが望む平和な暮らしがずっとできるもの!」
「うーん、それは申し訳ないけど……待ってくれてる人がいるので」
「それはこの人ね?」
ナイトメア・フェアリーがエチカに変身した。
大きさまでオリジナルと同じになった。あらゆる大きさが。
しかも全裸!
そ、それはいけない……。
「スラッド! 帰ってきてくれたのだわ!」
「も、申し訳ないけど、それはやめて。君は現実の彼女じゃないんだ」
「さみしいわ、さみしいわ。あなたはわたしに夢中になってはくれないのね!」
エチカの姿をしたナイトメア・フェアリーが俺を誘惑するように体をくねらせてくる。
なやましいわがままボディを、これでもかというほどに。
「ほ~ら、ほ~ら! 夢なんだから好きなことをしていいのよ!」
「うっ……」
「エッチは悪いことではないわ。男なら誰だって夢精ぐらいするもの。それに、想像の中でしたことは罪にならないのよ! 誰にも知られることはないし、大切なこの子も傷つかないわ。だから、あなたも罪悪感を覚えないでいいの!」
うぬぬぬ。
いえ、おっしゃることは、ごもっともなのですが。
「大丈夫。昨夜に発散して溜まってないので!」
「わかっていたの、わかっていたの。あなたの性欲、今はそんなに大きくなかったもの」
少ししょんぼりした様子でナイトメア・フェアリーが元の姿に戻ってくれた。
風俗利用してなかったら、マジでヤバかったかも。
ありがとう、ミティエさん。
「旅人さん、旅人さん。それなら、いったいわたしと何をお話ししたいの?」
わかっているだろうに、そこだけは敢えて聞いてくるのか。
「えっと、ここに来た勇者たちを起こしたいんだけど……」
「だめよ、だめよ、旅人さん。彼らが目覚めるかどうかは、彼ら自身が決めなくてはならないわ……って思ったら、なんてこと! あなた、とんでもないことを考えてるのね。素敵!」
しんみりした様子だったのに、ナイトメア・フェアリーが急に笑顔になって俺を讃え始めた。
「うーん、こっちの考えてることは全部伝わっちゃうのか」
「わかったわ、わかったわ。あなたのお願い事は叶えてあげる! でも、あなたの口から聞きたいわ!」
「じゃあ、改めて言うね」
満面の笑みを浮かべるナイトメア・フェアリーに向かって、俺は願いを告げた。
「俺をみんなの夢の中に登場させて!」