第18話
「脅威レベル、再修正……。対象は、……測定不能エラー!?」
残された二名の兵士と、その背後に立つ隊長は、ヘルメットの奥で戦慄していた。
HUDに表示される戦況予測が、すべて『測定不能』で真っ赤に埋め尽くされているからだ。
最高硬度を誇る複合装甲が、素手の一撃で紙屑のようにひしゃげ、仲間たちが壁の下で伸びている。
これは「探索者の女子高生」のスペックではない。
人の皮を被った、純粋な暴力装置だ。
だが、当のリナ本人は、ぺろりと舌を出していた。
「あちゃー……ちょっと強すぎちゃったかな? 壁に穴空いちゃった」
彼女は瓦礫の山となった店を見回し、反省したように拳をポンと叩いた。
「よーし、次は手加減するね! 今度は『優しく』するから、安心して!」
リナは無邪気に構え直した。
その言葉は、兵士たちにとっては死刑宣告に等しかった。
彼女の中で、この戦闘は命のやり取りではなく、あくまで「叔父さん直伝の修行」の延長線上でしかないのだ。
『……距離を取れ! 近づかれたら終わる!』
隊長が悲鳴に近い指示を飛ばした。
近接戦闘で勝てる相手ではない。
ならば、火力で圧殺するしかない。
『魔術による飽和攻撃を開始する! 店ごと吹き飛んでも構わん、撃てッ!!』
ジャキッ!!
残存部隊が一斉に魔導杖を構えた。
銃口に刻まれた増幅回路が過剰駆動し、赤黒いスパークが迸る。
「ちょっ、こんな狭い場所で魔術なんて使ったら……!」
佐伯が顔面蒼白で叫んだ。
狭い室内で高火力の魔術を使えば、リナどころか自分たちも含めて全員が吹き飛ぶ。
自爆覚悟の攻撃だ。
ドシュッ! ドシュッ! ドシュッ!
三方向から放たれたのは、高密度の火球「ファイアボール」と、真空刃「ウィンドカッター」の嵐。
軍事用グレードに強化された殺意の塊が、空気を焼き焦がしながらリナめがけて殺到する。
「きゃっ!?」
さすがのリナも、広範囲の爆撃は避けきれない。
炎と刃の嵐が、少女を飲み込もうとした――その刹那。
「……おいおい、店を燃やすのは勘弁してくれ」
カウンターの奥で、湊がぼそりと呟いた。
『キュウ!』
呼応するように、リナの肩に乗っていた管狐の白雪が、青白い残像を残して空中に飛び出した。
その愛らしい鳴き声と共に、白雪の周囲に青く輝く狐火が展開される。
それは、攻撃ではなかった。
――パックン。
そんな音が聞こえてきそうなほど、軽やかな捕食だった。
白雪が展開した狐火に、迫りくる灼熱の火球や鋭利な風の刃が触れた瞬間、それらは爆発することなく、吸い込まれるように消失したのだ。
『なっ……!?』
兵士たちが呆然とする中、白雪は「ケフッ」と小さなゲップをした。
そして、満足げに尻尾を振る。
現代魔術とは、大気中の魔力を術式によって物理現象へ変換する技術だ。
対して、白雪の狐火は、その「変換プロセス」そのものを食らい、還元する上位の霊的干渉。
プログラムコードを、ハッカーが書き換えて無効化するようなものだ。
兵士たちの最強の攻撃は、ただの「狐火のエサ」になり果てた。
『魔術が……喰われただと!?』
「わぁ、ありがとう白雪ちゃん!」
リナの目が輝いた。
魔術の雨が晴れた今、彼女の視界を遮るものはない。
そして、彼女のスイッチが完全にオンになる。
「よそ見してる隙に……そこっ!」
兵士たちが動揺したコンマ数秒の隙。
リナの体は、既に床スレスレまで沈み込んでいた。
シュバッ!
その動きは、長い廊下を雑巾がけで駆け抜ける姿勢そのもの。
低い重心から滑るように距離を詰め、兵士の懐に潜り込む。
「……強そうな相手には下から一撃!」
リナは兵士の腹部に掌底を当て、一気に立ち上がる勢いで突き上げた。
中国拳法における『挑打』。
だがリナのイメージはあくまで『床磨き』だ。
ドゴォォォォン!!!
『ガハッ……!』
兵士の体が「く」の字に折れ曲がった。
強化外骨格の腹部装甲が、まるでボール紙のように粉砕される。
衝撃波が背中まで貫通し、兵士の口からは赤い血ではなく、黒いオイルのような液体が噴き出した。
「もうちょっと威力を調整しないと!! 次っ!」
リナは止まらない。
吹き飛んだ兵士を踏み台にして跳躍し、もう一人の兵士の頭上へ。
「高いところの埃は、叩き落とす!」
脳天への踵落とし。
メキャッ。
嫌な音と共にヘルメットが陥没し、兵士はその場に崩れ落ちた。
床にめり込み、ピクリとも動かない。
「……うそでしょ」
佐伯は眼鏡がずり落ちるのも忘れて凝視していた。
「あの一着で、最新鋭の戦車が一台買えるのよ……? 数億円の国家予算が、ワンパンでスクラップに……」
彼女の頭の中で、修理費請求書の桁が凄まじい勢いで増えていく。
目の前で行われているのは戦闘ではない。
超高額な軍事資産の、一方的なスクラップ処理だ。
戦闘開始から、わずか数十秒。
五人いた精鋭部隊は、隊長一人を残して全滅していた。
「ふぅ……。こんなもんかな?」
リナは額の汗を拭い、息一つ切らさずに首を傾げている。
その姿は、部活終わりの女子マネージャーのように爽やかだ。
だが、対峙する隊長にとっては、死神以上の恐怖だった。
『…………』
隊長は悟った。
任務遂行は不可能だ。
この少女と、奥でつまらなそうに眺めている男は、自分たちが想定していた「イレギュラー」の枠すら超えている。
現代科学と魔術の粋を集めた自分たちの装備が、子供の遊び相手にもなっていない。
『……撤退はできん。ならば』
隊長のバイザーの奥で、狂信的な光が灯る。
彼は懐から、一本のアンプルを取り出した。
中に入っているのは、ドロリとした紫色の液体。
ガラス越しでも分かるほど、禍々しく脈動している。
それは、高濃度のエネルギー溶液――『呪い』の濃縮液だ。
「おい、やめろ!」
湊が叫んだ。
そのアンプルが何を意味するのか、本能的に理解したからだ。
『検体・コード『鬼』。強制適合を開始する』
隊長は躊躇なく、アンプルを自身の首筋にある接続ポートへ突き刺した。
プシュッ……ドクンッ!!
注入された瞬間。
『グ、ガガガガガッ……アァァァァァァッ!!!』
隊長の絶叫が店内に響き渡った。
バキバキバキッ!
人体が破壊され、再構築される湿った音が響く。
強化スーツが内側から裂け、赤黒い筋肉が異常な速度で膨張していく。
ヘルメットが弾け飛び、露わになった素顔には、紫色の血管が地図のように浮き上がり、眼球が白く裏返る。
口が耳まで裂け、牙が生え揃う。
ボゥッ!
隊長の全身から、ドス黒い瘴気が噴き出した。
その気配は、かつてリナたちが倒した「牛鬼」と同じ――いや、人間という知性体を触媒にした分、より悪意に満ちた「穢れ」そのものだった。
「グルァァァァァ……!!」
もはや人間ではない。
筋肉と機械が融合した、醜悪な化け物がそこに立っていた。
店内の空気が、重苦しい腐臭に包まれる。
「ひっ……!」
リナが思わず後ずさりした。
さっきまでの「強盗」ではない。
本能が「近づくな」と警鐘を鳴らしている。
これは掃除できる汚れじゃない。
触れてはいけない猛毒だ。
「お、叔父さん……!」
リナが助けを求めるように振り返った、その時。
パタン。
乾いた音がして、湊が文庫本を置いた。
彼はゆっくりと立ち上がった。
その動作は緩慢だったが、店内の空気が一変した。
先ほどまで漂っていた「やる気のない古物商の店主」の気配が消え失せ、代わりに絶対的な強者の持つ静けさが場を支配する。
その黒く輝く瞳は、化け物と化した隊長を見据えていた。
そこには恐怖も焦りもない。
あるのは、ゴミを見るような冷徹な眼差しだけだ。
「……おいおい」
湊の声は低く、だがよく通った。
「せっかく姪っ子が綺麗にした店の中で、『そんな汚いもん』出すなよ」
彼の全身から、静かだが圧倒的な霊力が立ち昇る。
それはリナの持つ太陽のような明るい力とは違う。
深淵のような、すべてを飲み込む夜闇のような気配。
「散らかした責任、どう取らせてやろうか。……ああ、もう言葉も通じないか」
湊は懐へ手を入れた。
リナの「修行」は終わりだ。
ここからは、陰陽師による「害虫駆除」の時間である。