第22話
新宿ダンジョン、Dランクエリア。
通称「地下水脈の迷宮」。
湿った空気が肌にまとわりつく薄暗い回廊を、二つの影が進んでいた。
「えーっと、ドローンの設定はこれでよし、と……。あ、映ったかな?」
独り言を呟きながら空中に浮かぶ球体カメラを操作しているのは、動きやすいジャージ姿に、腰には安物の杖を差した久遠リナだ。
そして、その背後で周囲を警戒しているのは、軽装ながらも隙のない動きを見せる剣崎龍也である。
「リナちゃん、配信の準備はいいが、周囲への警戒は怠るなよ。ここはDランクとはいえ、魔物の巣窟だ」
「はーい! 分かってます! 叔父さんにも『怪我して帰ってきたら治療費取るぞ』って言われてるし!」
リナは明るく答え、ドローンのスイッチを入れた。
今日の目的は二つ。
一つは、湊に剣崎から直接教えを受ける「実戦特訓」。
もう一つは、久しぶりのダンジョン配信だ。
前回、幼馴染のみーちゃんとコラボした時は、予期せぬSランクモンスターとの遭遇で配信どころではなかった。
今日はまったりと、練習風景を流すだけのつもりだった。
「みなさーん! お久しぶりです、リナです! 今日は新宿ダンジョンに来てまーす!」
リナはカメラに向かって手を振った。
どうせ、最初はいつもの常連さん数人くらいだろう。
そう思って、視聴者数カウンターを見た瞬間。
――1245人。
「……えっ?」
リナは目を疑った。
開始から数秒で、桁が二つ違う。
しかも、数字は秒単位で跳ね上がり、コメント欄が滝のように流れ始めた。
『きたあああああああああ!!』
『待ってました! 今注目の女子高生!』
『生存確認! 無事でよかった!』
『あの白い狐の子だよね!? 今日は狐いないの?』
『うおおおおお! 通知見て仕事抜け出してきた!』
「え、ええっ!? なんでこんなに人がいるの!? 故障!?」
リナが慌てふためいていると、コメントの一つが目に留まった。
『隣にいるイケメン、Sランクの剣崎龍也じゃね!?』
『マ!? 本物だ!!』
『なんで剣崎が一序にいるんだよww』
『豪華すぎるだろこの配信』
「あ、そうです! 今日は剣崎さんに先生になってもらって、ダンジョンの歩き方を教えてもらうんです!」
リナが剣崎を紹介すると、剣崎はカメラに向かって軽く会釈をした。
それだけでコメント欄が黄色い悲鳴で埋め尽くされる。
Sランク探索者のブランド力は伊達ではない。
「……リナちゃん、コメントもいいが、そろそろ進むぞ」
「あ、はい! 行きます!」
リナは慌てて端末をしまい、剣崎の後を追った。
ネット上では既に、「あの謎の女子高生が、Sランク剣崎とコラボ配信を開始した」という情報が拡散され、祭りの様相を呈し始めていた。
ダンジョンの薄暗い通路を進みながら、剣崎の講義が始まった。
「いいかリナちゃん。探索者に必要なのは、腕力だけじゃない。最も重要なのは『索敵』と『状況判断』だ」
「さくてき、ですか?」
「ああ。敵を見つけるのが遅れれば、それだけ不利になる。魔術師タイプなら尚更だ。常に魔力探知を展開し、周囲の違和感を拾えるようになれ」
剣崎は真剣な表情で説く。
彼はリナの身体能力が規格外であることを知っているが、それゆえに「技術」がおろそかになっていることも見抜いていた。
力任せの戦い方は、いつか限界が来る。
「魔力の波長を感じるんだ。風の揺らぎ、マナの濃淡……それらが敵の居場所を教えてくれる」
「うーん……マナの濃淡……」
リナは眉をひそめた。
彼女は湊から陰陽術の基礎は教わっている。
しかし、西洋魔術的な「マナ感知」の理論はさっぱりだった。
「……よく分かりませんけど、なんか『気配』はします」
リナは鼻をひくつかせた。
「嫌な感じ?」
「はい。あそこの曲がり角の先……なんか、いますよね……」
リナが指差した先。
そこはただの暗闇に見える。
だが、剣崎が鋭い視線を向けると、彼は僅かに目を見開いた。
「……正解だ。あそこにはモンスターが潜伏している」
(魔力探知を使わずに、気配だけで察知したのか? しかも、この距離で?)
剣崎は内心で舌を巻いた。
彼女のそれは、技術としての索敵ではない。
野生動物のような、純粋な「勘」だ。
教えられない才能が、彼女には備わっている。
「よし、実戦だ。行くぞ」
角を曲がると、そこには三体の巨体が待ち構えていた。
豚の頭に、丸太のような筋肉。
手には粗末な棍棒。
オークだ。
ゴブリンとは比較にならない怪力を誇る、中級冒険者の壁。
「ブモォォォォォ!!」
オークたちが咆哮を上げ、こちらに突進してくる。
「まずは俺が手本を見せる。動きをよく見ていろ」
剣崎は腰の剣には手をかけず、素手で前に出た。
先頭のオークが棍棒を振り下ろす。
風を切る轟音。
直撃すれば人間など軽く吹き飛ばされる威力だ。
だが、剣崎は動じない。
棍棒が当たる直前、最小限の動きで半身になり、軌道を逸らす。
ドゴッ!
棍棒が地面を叩く。
「力を力で受け止めるな。流れを読み、軸を崩す」
剣崎はオークの懐に滑り込み、がら空きになった膝関節を軽く蹴り抜いた。
「グギッ!?」
巨体がバランスを崩し、無様に転倒する。
剣崎はその勢いを利用し、流れるように首元へ刀を滑らせる。
ドサリ。
一撃。
魔法もスキルも使わない、刀による純粋な剣技。
「このように、最初から倒そうとするのではなく、相手の力を利用し、弱点を突けば、最小限の力で無力化できる」
剣崎は涼しい顔で振り返った。
『かっけえええええええ!』
『さすがSランク!動きが見えねえ!』
『教科書通りの綺麗な剣術』
『これを見本にしろと言われる女子高生の身にもなれww』
「すごーい! 剣崎さんかっこいい!」
リナもパチパチと拍手をした。
「次はリナちゃんの番だ。……まあ、今の動きをすぐに真似しろとは言わない。まずは自分の得意なやり方で、確実に当ててみろ」
「はい! やってみます!」
リナは前に進み出た。
残るオークは二体。
彼らは仲間がやられたことに激昂し、鼻息を荒くしてリナを睨んでいる。
「えっと、魔法使いだから、まずは遠距離攻撃!」
リナは腰から杖を抜いた。
「イメージして……足を狙って……ファイア!」
リナは杖を振りかざし、呪文を唱えた。
……つもりだった。
ボシュッ。
杖の先から出たのは、ライターの火ほどの小さな種火。
それがふらふらと飛んでいき、オークの太ももに当たった。
ジュッ。
「……ブモ?」
オークは自分の足を見て、首を傾げた。
蚊に刺された程度にも感じていないようだ。
厚い脂肪と皮膚に覆われたオークには、火傷一つ負わせられていない。
「うぅ……やっぱりこの杖じゃダメだぁ……」
リナはがっくりと肩を落とした。
コメント欄が「かわいい」「線香花火かな?」と草を生やす中、オークの堪忍袋の緒が切れた。
「ブモォォォォォォ!!」
オークが怒り狂い、棍棒を振り上げて突進してきた。
距離は十メートル。数秒で間合いが詰まる。
「リナちゃん、回避だ! 魔法がダメなら……!」
剣崎が助けに入ろうとした、その時。
「もう! 魔法なんてまどろっこしい!」
リナは叫んだ。
そして、あろうことか杖を腰のベルトに戻した。
「直接、叩きます!!」
『えっ?』
『杖しまったぞww』
『まさかの物理!?』
リナは足を大きく開き、腰を落とした。
湊から教わった、基本の型。
丹田に意識を集中し、体内の霊力を練り上げる。
シュゥゥゥ……。
リナの右拳が、青白く発光した。
魔力ではない。
純粋な生命エネルギーの輝き。
「そこぉ!!」
オークが棍棒を振り下ろすのと、リナが踏み込むのは同時だった。
ドンッ!!
リナの足がダンジョンの石床を粉砕する。
その反動を乗せた正拳突きが、オークの腹部に突き刺さった。
ドゴォォォォォォォン!!!
爆音が響いた。
次の瞬間、物理法則が仕事を放棄した。
体重二百キロを超えるオークの巨体が、まるでピンポン玉のように真後ろへ吹き飛んだのだ。
「ブギョォォォォォ!?」
空を飛ぶオーク。
その背後にいたオークが、飛んできたオークと衝突する。
べシャァッ!
二体まとめて、ボウリングのピンのように通路の奥まで転がり、最後は壁に激突してようやく止まった。
そして、光の粒子となって消滅する。
一撃必殺。
「ふぅ……。やっぱり、こっちの方が早いですね!」
リナは拳についた砂を払い、爽やかな笑顔で振り返った。
「剣崎さん、どうでしたか? 私!」
剣崎は、口を半開きにして固まっていた。
「…………」
教えたことは、何一つ実践されていない。
魔法使い志望と言いながら、物理で解決した。
そして何より、あの威力。
強化魔法もなしに、オークを枯葉のように吹き飛ばす膂力。
剣崎は深く、深く溜息をついた。
「……ああ。すごかったな」
彼は認めるしかなかった。
この少女に、常識的な型を教えること自体が間違いだったのかもしれないと。
コメント欄は、今日一番の盛り上がりを見せていた。
『魔法(物理)』
『まじかよwwww』
『杖は飾り』
『これがリナちゃん???』
『剣崎さんの顔www 死んだ魚みたいな目になってるぞ』
『オークがかわいそうになるレベル』
「ふぅ、いい汗かいた! 剣崎さん、ありがとうございました!」
特訓を終え、リナはカメラに向かって満面の笑みを向けた。
「今日はここまでです! 見てくれてありがとうございました! またねー!」
リナが無邪気に手を振り、配信終了のボタンを押そうとした。
視聴者たちが名残惜しそうに「おつー」「また見に来る」とコメントを打つ中、カメラの映像がフェードアウトしていく。
――ザザッ。
その時。
一瞬だけ、映像にノイズが走った。
リナと剣崎が背を向けて歩き出した、その背後。
ダンジョンの深い暗闇の中。
そこに、モンスターではない「人型の影」が映り込んでいた。
全身を黒い迷彩服で覆い、気配を完全に殺して佇む者。
その顔は暗くて見えないが、バイザーの奥にある瞳だけが、不気味な紫色に光っているのが見えた。
影は、去っていくリナの背中を、じっと観察していた。
獲物の動きを見定める、冷徹な狩人の目。
プツン。
配信が切れ、画面は暗転した。
新宿の地下深くに、御影恭一郎の放った「悪意」は、既に到達していたのだ。