第23話
カランコロン、と『久遠堂』のドアベルが鳴った。
「ただいまー! 叔父さん、聞いて聞いて! 今日の配信、すごかったんだよ!」
店に入ってくるなり、リナは弾むような声で報告した。
その後ろから、護衛役の剣崎が苦笑しながら付いてくる。
「同接が1000人超えたの! コメントも滝みたいだったし、もう私、有名人かも!」
リナはスマホの画面を湊に見せようとカウンターに身を乗り出した。
無邪気な笑顔。
だが、それを受け止める湊の表情は、どこか険しかった。
「……有名人、か。あまり浮かれるなよ」
湊は読んでいた本を閉じ、リナと、その背後に立つ剣崎をじっと見据えた。
「剣崎。……気付いていたな?」
その一言で、店内の空気がピリリと引き締まった。
剣崎の表情から柔和さが消え、Sランク探索者の鋭い目つきに戻る。
「……ええ。配信の最後、一瞬ですが『視線』を感じました。ただのモンスターじゃない。知性を持った、粘着質な監視の目です」
「えっ? 何の話?」
リナがきょとんとする。
彼女の「天性の勘」は生物としての敵意には敏感だが、カメラ越しに向けられるような、遠隔的な悪意には疎い。
「お前が有名になったってことは、それだけ敵ができるかもしれないってことだ」
湊はため息をついた。
先日撃退した謎の組織。
彼らがこのまま黙っているはずがない。
今回の配信でリナの生存と、その特異な戦闘スタイルは世界中に拡散された。
それは同時に、敵に対する「私はここにいる」という狼煙にもなってしまう。
「顔が売れすぎだ。女子高生が不用意に顔を晒してると、ストーカーやら何やら、面倒な虫が湧くぞ」
「むぅ……。でも、配信は続けたいし……」
「だから、対策をする」
湊はカウンターの下から、一つの古びた木箱を取り出した。
煤で黒ずんだ桐の箱。
蓋を開けると、中には薄紙に包まれた「お面」が入っていた。
「わぁ……お狐様?」
それは、白地に赤い隈取が施された、古風な狐のお面だった。
一見すると、神社の縁日で売っていそうな民芸品に見える。
だが、リナが手に取ろうとすると、指先が微かに痺れるような霊力を感じた。
「これをつけて、ダンジョンに行くように」
湊が短く言った。
「えー、これつけて配信するの? なんか恥ずかしいよ」
「プライバシー保護だ。それに、キャラ作りにもなるだろ? 今時の配信者は、みんな何かしら被ってるもんだ」
湊はもっともらしい建前を並べた。
だが、その真意は別のところにある。
――『隠形の狐面』。
かつて湊が作った術具の一つだ。
この面には、高度な「認識阻害」の陰陽術が編み込まれている。
これを着けた者は、敵意を持つ相手から「個」として認識されなくなる。
カメラに映っても、肉眼で見ても、意識のピントが合わなくなるのだ。
そしてもう一つ。
「身代わり」の陰陽術が込められている。
着用者が致死レベルのダメージや、強力な呪いを受けた際、一度だけこの面が身代わりとなって割れる。
最強のステルス機能と、一度きりの無敵バリア。
国宝級のアーティファクトを、湊は「伊達メガネ」くらいの感覚で姪っ子に渡そうとしていた。
「これをつけてれば……少しは大人しく見えるだろ」
「うーん……まあ、叔父さんが言うなら」
リナはお面を受け取り、自分の顔に当ててみた。
サイズはあつらえたようにぴったりだった。
「どう? 似合う?」
リナが振り返る。
制服姿に狐のお面。
奇妙な取り合わせだが、不思議と神聖な雰囲気を醸し出している。
「……ああ。悪くない」
湊は目を細めた。
これで、遠隔視による呪殺や、雑多な有象無象からの特定は防げるはずだ。
***
数日後。
新宿ダンジョン、浅層エリア。
「じゃーん! みなさん見てください! 叔父さんからの新装備、第二弾です!」
配信カメラの前で、リナがポーズを決めた。
その出で立ちは、カオスの一言に尽きた。
セーラー服風の和装。
胸元には無骨な鉄の胸当て。
髪には煌びやかな簪。
腰には安物杖。
そして顔には、妖艶な「狐のお面」を斜めに被っている。
チグハグな装備のオンパレード。
だが、リナ自身の素材の良さが、そのすべてを強引にまとめ上げていた。
『!?』
『なにその装備ww』
『情報量が多いww』
『中二病感マシマシで草』
『いや、待て……普通にかわいいぞ?』
『和風ファンタジーの住人かな?』
『神社の狛狐みたいで神秘的』
『新しい属性てんこ盛りだな』
視聴者の反応は上々だった。
「狐面の女子高生」。
そのキャッチーなビジュアルは、瞬く間にSNSで拡散され、新たなキャラクターとして定着し始めていた。
「へへっ、好評みたい! 剣崎さん、どうですか?」
リナが無邪気に尋ねると、カメラの外で見守っていた剣崎は、内心で冷や汗を流していた。
(……洒落にならないぞ、このお面)
剣崎はSランク探索者だ。
五感はおろか、第六感まで研ぎ澄まされている。
その彼ですら、今のリナに殺気を向けようとすると、ふっと彼女の存在を見失いそうになるのだ。
目の前にいるのに、いない。
風景に溶け込んでいるような、希薄な存在感。
リナが動くと、残像のように気配が遅れてやってくる。
(気配遮断の術式じゃない。もっと根本的な、認識そのものを阻害する術……。湊さんは一体何個、国宝級のアイテムを隠し持っているんだ……)
剣崎は改めて、あの古物商の主の底知れなさに戦慄した。
これなら、どんな暗殺者もリナを捕捉することはできないだろう。
「よし、リナちゃん。今日は少しペースを上げるか」
「はい! 頑張ります!」
その日の探索は、一方的な蹂躙劇となった。
リナの存在感が希薄になったことで、モンスターたちは彼女に気づくのが遅れる。
気づいた時には、既に懐に入られている。
「せいっ!」
ドゴォォォン!!
リナの掌底が、リザードマンの顎を砕く。
「はっ!」
ズドンッ!!
回し蹴りが、スケルトンの頭蓋骨を粉砕する。
狐のお面を被った少女が、舞うようにモンスターを肉片に変えていく。
その姿は、美しくも恐ろしい「死の舞踏」のようだった。
『つよい(確信)』
『お面のおかげで、なんか達人っぽく見える』
『やってることは物理攻撃だけどなww』
『魔法(物理)の切れ味が増してる』
『これ、Dランクの動きじゃないだろ』
剣崎の的確なナビゲートと、リナの圧倒的な殲滅力。
二人の連携により、本来なら数時間かかるクエストを数十分でクリアしていく。
探索者協会のサーバーには、リナの討伐スコアと貢献度ポイントが、異常な速度で蓄積されていった。
「ふぅ……。今日もいい運動になりました!」
ダンジョンからの帰り道。
リナはお面を額に上げ、タオルで汗を拭った。
充実感に満ちた笑顔だ。
「お疲れ様。……リナちゃん、そのお面、絶対に外すなよ。寝る時以外は着けていてもいいくらいだ」
「えー? さすがにダンジョンの外に出たら外しますよ。ちょっと恥ずかしいですもん」
「まあ、そうだな……」
剣崎は苦笑した。
だが、この装備のおかげで、当面の安全は確保されたと言っていい。
あの時見えた「黒い影」の主が誰であれ、この認識阻害を突破するのは容易ではないはずだ。
――ピロン♪
その時、リナのスマホが軽快な通知音を鳴らした。
配信のスパチャ通知ではない。
探索者協会専用のアプリからの通知だ。
「ん? 協会からお知らせ?」
リナが画面をタップする。
そこに表示された文面を見て、彼女は目を丸くした。
「えっ……嘘!?」
「どうした? 何かトラブルか?」
剣崎が心配そうに覗き込む。
だが、リナは画面を剣崎に向け、弾けるような笑顔を見せた。
「見てください、剣崎さん! 昇格審査のお知らせです!」
画面には、金色の文字でこう書かれていた。
『貴殿の直近の貢献度および討伐実績が規定値を超過しました。つきましては、特例措置として【Bランク昇格試験】の受験資格を付与します』
「Bランク……!?」
剣崎が絶句した。
DランクからCランクを飛び越えて、いきなりBランクへの飛び級試験。
通常なら、数年の地道な活動を経て辿り着ける領域だ。
それを、このわずかな期間で。
「やったー! これで私も一人前の探索者だ!」
リナはその場で小躍りした。
Bランクになれば、より深い階層への侵入許可が下りる。
報酬も桁違いに増える。
何より、「叔父さんに恩返しができる」という思いが、彼女を突き動かしていた。
「……おめでとう、リナちゃん」
剣崎は祝福の言葉を口にしつつ、一抹の不安を覚えた。
あまりにも早すぎる。
急激な出世は、光を強めるが、同時に影も濃くする。
協会のシステムが自動的に判定した結果なのだろうか。
それとも、誰かが意図的に彼女を「上」へ引き上げようとしているのだろうか。
リナの無邪気な笑顔の裏で、運命の歯車が大きく動き出そうとしていた。
それは、御影が仕掛けた「罠」への入り口であることを、まだ彼らは知らない。