006 地下水路
今日は地下水道へ入るため、久しぶりにスカートから解放されることになった。狭い通路に引っかかると危険だと判断したためだ。
フリルがついた着心地が良いシャツに細身のズボン、膝上のブーツという服装は、乗馬服によく似ていた。ファスナーこそついていないものの、現代のスーツと同じ手順で着替えられるのは楽だ。
寝室を出ると、外で待っていた東雲がジャケットを広げた。羽織りやすいように内側を向けてくれている。袖を通してボタンを留めている間に、首元のスカーフを結び直された。適当な蝶結びでは東雲から合格をくれない、厳しい後輩だ。
用意されたジャケットは全体的なデザインこそ男物と変わらないが、ボタンの位置が明らかに違う。更に女性の体型に合わせて立体的に縫製してあるため、動き回っても着崩れないだろう。
「もうこのままでいいよ。走り回れるし」
「ボーイッシュな服装も魅力的ですけどね。他の服も着てくれって要望が届いてるんですよ」
「要望?」
東雲は由利に帽子を被せてから、ぞんざいに立てかけていたバットを拾い上げた。
「法国へ来て行った服。あれ、エルフの仕立て屋にデザインを伝えて縫製してもらったんです。打ち合わせをした職人とは気が合って、まあ、色々とデザイン画を残すことになったんですけど」
「けど?」
「……最近では他のエルフも参加してるみたいですよ」
察してくれと言わんばかりの態度だ。嫌な予感しかしないが、あえて聞いてみた。
「結論は?」
「テランシアを筆頭としたエルフからの貢物なんで、ちゃんと袖を通してあげて下さいね」
「やっぱりお前か、テランシア……」
東雲が恭しく差し出したバットへ言うと、歓喜に満ちたエルフの声が響いた。
「あぁっ……先生の声が聞こえる! おはようございます!」
「お、おう。おはよう」
「お姿を拝見できないのは非常に、大変残念ではございますが、先生ならきっと素敵に着こなしておられるのでしょうね。本日お召しになっておられるのは、樹海に自生するエーリンサルという綿花から作った布を使用しております。こちらの布は水に強く、悪しきものを遠ざけるという効果がありまして――」
「うん、大体分かった。ありがとう」
由利は無理矢理会話を終わらせた。最後まで聞くのが礼儀ではあるが、獣人を一刻も早く見つけるという大切な役目が待っている。決して長くなりそうだと判断したからではない。
「東雲がどこから服を調達してるか謎だったけど、まさかエルフの里だったとはな」
「あそこまで大規模になるのは想定外だったんで、そこは許して下さいね。デザインを持ち込んだのは私ですけど、参加人数が増えたのは由利さんがエルフを虜にしたからですし」
そう言われると反論できない。彼らの琴線に触れてしまったばかりに、一つ要望すれば全力で結果が返ってきてしまうようになった。甲子園で全力投球してくる高校球児のようだ。キャッチボールだと思って対応したら怪我をする。
「でも何でエルフの里に依頼したんだ?」
「だって、エルフの里から来たって設定なら、エルフの里で作った服じゃないと説得力がありません。見る人が見れば分かるんですから。だから帝都では一人で歩いたらダメですよ。お金を見せびらかしてスラムへ行くようなものです」
「じゃあ普通の服にしてくれよ……今日は設定が必要な誰かと会うこともないんだし」
「えっ嫌です」
「即答!?」
それはそれで東雲のプライドが許せないらしい。人を着せ替え人形にして何が楽しいのか分からないが、養われている身としては黙っているべきだろう。
玄関ホールを抜けて、セルスラが待っているはずの庭へ向かった。待ちくたびれて庭を破壊していないか心配だったが、幸いにもモニカが相手をしてくれているお陰で廃墟化は免れていた。
庭は小さいながらもよく整えられている。教会の中庭は一定の規則に沿って草花が植えられていたが、こちらは自然の再現を目指しているらしい。花が雑多に植えられているように見えて、それぞれの特徴を活かした構成になっている。色彩は華やかであるにも関わらず、調和がとれた落ち着く空間だった。
セルスラは花の一つ一つを指差して、モニカに質問している最中だった。モニカは邪険にすることなく、丁寧に答えてやっている。遠くでは雇われたばかりだというイノライが、生き生きと庭仕事をしていた。柔らかい日差しが当たる場所では、フェリクスが長椅子に腰掛けている。穏やかな表情で庭の様子を見守っているようだ。
僧服以外で外にいるモニカを見るのは珍しい。市街地を歩き回っても目立たないよう、同世代の帝都民と同じ服装をしている。職業上の理由で背中に流している髪も、今日は緩く三つ編みにして前に垂らしていた。
共に行動する予定のフェリクスも庶民らしい服を選んでいたが、こちらは何を着ても似合う上に目立つ。東雲が指摘した通り、騒ぎを避けるためには、姿を誤魔化す手段が必要だった。
「……ここだけ切り取ると、まるで休日の親子みたいだな」
「そうですねぇ。そんな未来があっても不思議ではないですね」
由利達に気付いたフェリクスの顔つきが、見慣れたものに変わった。
「人の顔を見た途端に仏頂面に戻らないでほしいなぁ」
「放っておけ。これが地顔だ」
「ちょっと笑うだけで人が寄ってくる顔って、本人にとっては災難だよね」
東雲はフェリクスをからかいながら、封筒を何枚か手渡した。中の便箋を取り出したフェリクスは、すぐに目を通しては元通りに中へ入れてゆく。
一瞬だけ見えた名前は、どれも女性名が書かれていた。
「滞在費代わりですよ」
手紙を眺めていると、東雲が言った。
「見合いを断るための文面を考えるのが面倒だから、返事を書けって。この男が」
「言葉を弄して人を惑わせるのが、お前の本領だろうが」
「人を詐欺師みたいに言わないでくれる?」
「詐欺師のようだと思ったことは一度も無い。お前のことは詐欺師だと常に思っている」
「酷いねぇ。涙が出そう」
「笑いながら言うことか?」
お互いに遠慮をしない物言いは、嫌悪の感情が感じられなかった。ただ戯れているだけの、悪友とのやりとりそのものだ。由利が知らない間に親交が深まっている。良い傾向だと思うと同時に、なぜか少し寂しくもある。
全てを点検し終わったフェリクスは、いつの間にか隣に控えていた老婆に全て預けた。出しておいてくれと簡潔に言う主に対し、老婆は慣れた様子で頭を下げて屋敷へ帰っていく。
――そういやあの人、セルスラが怒った時も平然としてたな。
最初に紹介されたとき、フェリクスは家を購入するにあたり、実家から一人だけ連れてきたと言っていた。長く勤めているから一々指示しなくても勝手に動いてくれるという、反応に困る理由だったからよく覚えている。貴族の家で長年仕え、よそに引き抜かれるということは、与えられた仕事以外での立ち回りが優れている証なのだろう。
由利はセルスラを呼び、出発することを告げた。
「よろしくお願いする。人間の作法は分からぬが、騒動にならぬよう言われたことは守ろう」
「今日は人間が少ない場所へ行くから、そこまで気負わなくていいよ。とりあえず帝都を壊さないように、咆哮は封印しててね」
「分かった」
「じゃあ行ってくる」
「お気をつけて」
休暇の二人に見送られ、庭の一角にある裏門から出ることにした。使用人専用として設計されたものの、主人のフェリクスも出入りに使っているそうだ。正門が開くと嫌でも目立つというのが、使用を避けている理由だった。
東雲がちゃんとモニカをエスコートしてあげるんだよと言うと、さっさと行けという有難いお言葉が返ってきた。
*
地下水路への入り口は犯罪に使われないよう、厳重に施錠されているはずだった。
東雲の事前調査によると、帝都内に数十カ所ある入り口のうち、貴族街にあるものが最も侵入しやすいという結論になった。
人目を忍んで歩いてきた先には、小さな小屋には不釣り合いな、重い金属製の扉が付いている。入り口には鍵が一つだけ取り付けられていたようだが、見ただけでは分からないよう巧妙に壊されていた。
「解錠する手間が省けましたね。便乗しましょう」
本来なら二人がかりで開けるような扉を一人で動かし、東雲が早く入れと促す。由利とセルスラが下へ降りる階段の前で待っていると、扉を閉めた東雲が照明を空中に飛ばした。
「何故にこの場所が侵入しやすいのじゃ」
「貴族街だからだね」
先頭に立って階段を降り始めた東雲が言った。
「帝都の警備は、皇帝がいる城が一番厳重。次に貴族の住宅街、商業区と高級住宅街、庶民の住宅街になるほど警備の目が緩くなってる。面積的な問題もあるけど、金目のものが多いところを重点的に巡回してるんだよ」
警備が厳重ということは、治安の良さも保たれやすい。外聞を気にする貴族は鍵を壊して地下へ入ることはせず、彼らの子供達にもしっかり教育をしている。庶民が歩けば目立つ場所ということもあり、鍵は一つだでけも十分だったのだろう。
「僕が思いつくようなことは、犯罪者も一通り考えてるんじゃないかな? 商業区の入り口には死角になってる場所もあるから、時間をかけてピッキングした可能性もあるね」
下へ降りるほど湿った空気になるのが分かった。水路の両端は人が一人通れる程度の足場が設けられている。流れている水は透明で綺麗に見えた。浄化の魔法式が正常に動いているお陰だろう。
下水という先入観で強烈な臭いを想像していたが、不快な思いをすることは無さそうだ。わずかに空気の流れもある。
近くに獣人がいれば分かるとセルスラが言うので、東雲が感知できる範囲を念入りに聞き出した。転移魔法で移動時間を短縮するのが狙いだ。由利は地下水路の地図を頼りに、移動するポイントの選定と通過地点を描き込むことになった。
「流石に半日じゃ無理か」
午前中を費やしたにも関わらず、獣人の姿どころか手がかりすら見つからない。
「広さには定評がありますからねぇ。役人が点検のために地下へ潜ったりしますけど、範囲を区切って小分けにしないと遭難者が出ます」
「犯罪者がいたとしても、一定範囲まで逃げれば見つからないってことか」
「人間が作るものは細かいのぅ。アリの巣のようじゃ」
途中で見つけた小部屋へ戻り、昼食にすることにした。東雲が床に敷物を広げてクッションを並べても驚かなくなった。こいつならやりかねないという予想を見事に的中させてくれる。
「お主はどこから食事を出してくるのだ」
「これ? オレリーさんに頼んだら作ってくれたよ」
オレリーはフェリクスの家を切り盛りしている老婆の名前だ。
セルスラは何もない空間から現れたバスケットを、気味が悪そうに見ている。だが中に詰められている肉系のサンドイッチには大いに興味を惹かれるようで、そわそわと落ち着きがない。
うっかりあぐらで座ろうとした由利は、東雲から冷たい目で見られて横座りに切り替えた。泣きそうになるほど怖かった。隣にいたセルスラまで行儀良く座り直したのは、同じく恐怖を感じた末の行動だろう。
軽食の後にはナッツ類を混ぜたクッキーと温かいお茶まで提供された。あまり飲む機会が来ないが、東雲が淹れてくれるお茶も美味しかった。
「可愛いのぅ。クッキーが猫の形をしておるわ。これもあの老婆が焼いたのか?」
「そっちは神父とか勇者と城を出入りしてる時に貰ったんだよ。僕はいらないから好きに食べて」
「やたら気合が入ったラッピングだと思ったら、プレゼントだったのか」
付随していた手紙は東雲が一読して燃やしていた。後輩の性格を考慮すると、断る前に無理矢理持たされたのだろう。毒は入っていないため、由利とセルスラに提供したと思われる。
「お主は食わぬのか。我から見れば、周りに菓子がある環境は羨ましいの」
「んー……そうだねぇ。他人を蹴落とすための謀略とか皮肉とか、足を引っ張り合うために催された茶会とセットじゃなきゃ、僕も好きになってたと思うよ?」
「人間は面倒よの」
「本当にね」
「いや、人間で一纏めにしないでくれ」
東雲家は例外だと言ったところで、種族が違う竜人には理解してもらえそうにない。むしろ東雲が標準的な人間だと言えば、そう信じるのではないかと疑問が浮かぶ。
由利は一つ試してみることにした。
「セルスラ。甘いものを食べるのはいいんだが、ちゃんと歯磨きもした方がいいぞ」
「何じゃ急に。我らのところにも歯を手入れする道具ぐらいはあるわ」
「それならいいんだが、手入れを怠ると虫歯が来るぞ」
「む、虫歯?」
「あれっ。知らないのか?」
敷物を回収して捜索を再開する間、由利はセルスラに口内環境について講義した。いくつかのポイントを巡るうちにセルスラの口数が減り、やがて虫歯さん怖いと頭を抱える。
「虫歯さんは強いのだ。食べたら磨く……食べたら磨く……」
この若い竜人様は少し騙されすぎやしないだろうか。
「由利さん……なんて大人気ない」
「子供に教育するのは大人の役目だろ」
「ナマハゲじゃないんですから、涙目になるまで追い詰めてどうするんですか。次のポイントへ行きますよー」
少々やりすぎたようだ。
口の大きさに合った歯ブラシを買って帰ろうねとセルスラを宥め、捜索を続ける。
「む?」
「あっ」
転移した先で、東雲とセルスラが同時に反応した。セルスラが水路の先へと走りだし、暗闇の中へと消えてゆく。並の人間には追いつけない速さだ。
東雲はセルスラが去っていった先を見つめていたが、しばらくして由利の背中にそっと触れた。視界が揺らぎ、転移魔法が別の通路へと体を運ぶ。
明かりが灯された通路で最初に見えたのは、セルスラの鮮やかな赤毛だった。走っていては追いつけないと判断した東雲が、セルスラを目印に転移したようだ。
「セルスラ」
「……ここにおったのか」
通路に膝をついたセルスラの前に倒れていたのは、一匹のネズミにしか見えなかった。