第25話 温泉回・前編 ~湯けむりと殺意の向こう側~
水曜日の朝。
昨夜の純子による「レシート履歴マウント」という修羅場から一夜明け、俺、鈴木悠作のアパート『ひまわり荘』203号室には、重苦しい空気が漂っていた。
壊れたままの玄関ドア。
壁に開いた左右対称の風穴。
そして、我が物顔で部屋を占拠する女性陣と一匹の魔獣。
「……はぁ」
俺は深いため息をついた。
昨夜の純子の爆弾発言により、彼女たちの空気はピリピリしている。
「生活習慣を全て把握されている」という事実は、彼女たちにとって脅威以外の何物でもなかったようだ。
「皆さん、暗い顔をしていては運気が逃げますわよ?」
沈黙を破ったのは、骨董店主にして俺の債権者、加藤茜だった。
彼女はパンと手を叩き、一枚の企画書をちゃぶ台に広げた。
「借金返済特別企画! 『パジャマの英雄と行く! ダンジョン秘湯・慰安旅行スペシャル』ですわ!」
茜が高らかに宣言する。
「場所は埼玉・裏山ダンジョンの深層にある未開拓エリア『秘湯・裏見の湯』。ここでの入浴シーンを動画配信しますの」
「は? 入浴? 俺がか?」
「ええ。もちろん、ここにいる皆様にもご協力いただきますわ。悠作様と美女7人の混浴……再生数が見込めます! これは金になります!」
茜の目が「¥」マークに輝く。
俺は即座に拒否しようとした。
「断る。なんで俺が風呂入ってるところを世界中に晒さなきゃならんのだ」
「借金、減りませんわよ?」
「ぐっ……」
痛いところを突かれる。
すると、他の連中が身を乗り出した。
「温泉……! いいですね、最近肌が荒れ気味で……」
「アタシも賛成! 映えるし!」
「データの採取には最適な環境です。浮力と水圧による身体変化を記録できます」
「仕事の疲れを取るには温泉と日本酒よねぇ……」
「筋肉のリカバリーには温冷交代浴が必要よ」
すず、ゆき子、瞳、みのり、しずか。
全員が賛成に回った。
みのりに至っては「有給取ったわ!」と既にやる気満々だ。
「ワフッ!(温泉!)」
ポチまで尻尾を振っている。お前、風呂好きだったもんな。
俺は孤立無援となった。
「……わかったよ。行けばいいんだろ、行けば」
こうして、強制連行によるダンジョン温泉ロケが決定した。
埼玉・裏山ダンジョンへの道中。
俺たちは大型の魔導ワゴン車で移動していたが、途中のサービスエリアで休憩をとることになった。
「悠作様、少しよろしいですか?」
車を降りたところで、茜が俺の腕を引いた。
「ん? なんだ?」
「これからのスケジュールの確認と……少し『先行投資』をさせていただきたくて」
茜は悪戯っぽく微笑み、俺を他の連中から引き離した。
連れてこられたのは、サービスエリアの裏手にある静かな遊歩道だ。
他のみんなは売店で騒いでいる。
「……先行投資って、デートのつもりか?」
「ふふ、ご名答ですわ。どうせあちらは騒がしいですし、たまには静かに過ごしたいでしょう?」
茜は自然な動作で俺の腕に自分の腕を絡ませた。
着物越しに伝わる体温と、伽羅の香水の香り。
普段の「守銭奴」の顔とは違う、少し艶っぽい雰囲気に、俺はドギマギする。
「悠作様。貴方様は私の大切な『資産』ですのよ?」
「……物扱いするな」
「いいえ、最上級の褒め言葉ですわ。だからこそ、メンテナンスも欠かせません」
茜は屋台で買った「ダンジョン焼き団子」を俺の口元に差し出した。
「はい、あーん♡」
「……自分で食える」
「あら、手が塞がっていますでしょう? 」
逃げられない。
俺は観念して、団子にかぶりついた。
甘辛いタレと、もちもちの食感。……悔しいが美味い。
「美味しいですわね。……ふふ、こうして二人で歩いていると、借金のことも忘れてしまいそうですわ」
「俺は忘れてないぞ。利息、まけろよ」
「それはそれ、これはこれです。……でも」
茜は俺の腕をギュッと抱きしめ、上目遣いで俺を見た。
「完済した後も……こうして貴方様の隣を歩く権利は、予約させていただきたいですわね。永久指名権として」
彼女が見上げた瞳には、計算だけではない、何か熱い光が宿っていた気がした。
俺は視線を逸らし、「……さあな」と誤魔化すことしかできなかった。
ダンジョン内部。
深層エリアへ向かう道中は、一方的な虐殺劇だった。
「邪魔よ! アタシの視界に入らないで!」
「サンプル採取。即時解体」
「どきなさい! 岩が通るわよ!」
ストレスの溜まった女性陣が、鬱憤を晴らすかのようにモンスターを瞬殺していく。
ゆき子が踊りながら蹴り飛ばし、瞳が魔法で爆撃し、しずかが岩を投げる。
俺と茜、そしてポチは、後ろから散歩気分でついていくだけだ。
「……楽でいいな」
「ええ。護衛費が浮きましたわ」
そして、目的地の『秘湯エリア』に到着した。
そこは、鍾乳洞の奥に広がる広大な空間だった。
地面からは湯気が立ち上り、硫黄の香りが漂っている。
「ここか……。でも、これじゃ入れないな」
源泉はあるものの、周囲は巨大な岩石で埋め尽くされ、湯船と呼べるスペースがなかった。
まさに未開拓の秘湯だ。
「あら、困りましたわね。重機の手配は……」
「必要ないわ」
前に出たのは、S級ポーター・山田しずかだった。
彼女は背負っていたコンテナを下ろすと、腕まくりをした。
「配置が悪いわね。……どきなさい」
しずかは目の前の巨岩に手をかけ、一息に持ち上げた。
筋肉が軋む音すらしない。
「ふんっ!!」
ズドォォォォン!!
岩が数メートル先へ投げ飛ばされる。
さらに、次々と岩を移動させ、平らなスペースを作り出していく。
「……物理的な整地だな」
「便利ですわねぇ。彼女、土木作業員としても一流になれそうですわ」
あっという間に、見事な露天風呂が完成した。
源泉から程よい温度の湯が流れ込み、湯気を立てている。
「よし! 風呂だ!」
女性陣が歓声を上げる。
茜がすかさず、持参した簡易テントを展開した。
「更衣室はこちらですわ! 利用料は一回500円! レンタル水着とタオルも各種取り揃えております!」
「金取るのかよ!」
「商売ですもの。さあさあ、皆様お着替えを!」
数分後。
配信用のカメラが起動する。
湯気の向こうから、着替えた女性たちが現れた。
「お待たせしました!」
先陣を切ったのは、高橋すず。
彼女が選んだのは、抜群のプロポーションを強調する、白のハイレグ水着だ。
モデルとしての自信に満ちたポージング。眩しすぎて直視できない。
「いぇーい! 温泉最高!」
続いて、山本ゆき子。
彼女は面積の極端に少ない、黒のマイクロビキニ。
ギャルらしい健康的な肌色と、危うい露出度が目を引く。ほとんど紐じゃないか。
「……水温42度。成分分析、硫黄泉とラジウム泉の混合……」
中村瞳は、機能性を重視した競泳水着のようなデザイン。
だが、その体にフィットしたラインは、逆にマニアックな色気を放っている。
「ぷはぁ、いい湯加減ねぇ」
伊藤みのりは、しっとりとした紺色の湯浴み着姿。
片手には徳利と猪口を持った盆を乗せている。完全に出来上がっている。仕事の疲れを癒やしに来たおっさんのようだ。
「……悪くないわね」
最後に、山田しずか。
彼女は水着ではなく、大きな布を体に巻いただけのワイルドなスタイル。
鍛え上げられた腹筋と、野性的な美しさが際立つ。アマゾネスか。
まさに百花繚乱。
男なら鼻血を出して倒れる光景だ。
だが、俺は岩陰で小さくなっていた。
「……帰りたい」
俺は腰にタオルを巻いただけの姿で、お湯の端っこに浸かっていた。
ポチも頭に手ぬぐいを乗せて、俺の隣で「いい湯だな」という顔をしている。
「あら悠作さん! こっち来てくださいよ! 背中流しますから!」
「いえ、アタシが流す! 師匠の筋肉触りたい!」
すずとゆき子が殺到してくる。
お湯が波打ち、肌色が迫ってくる。
「待ってください。アルキメデスの原理の実証実験を行います」
瞳がメジャーを持って近づいてきた。目が据わっている。
「悠作さんと密着した際の水位上昇率と、心拍数の変化を計測します」
「やめろ! 近寄るな!」
俺は逃げようとするが、退路はみのりとしずかに塞がれている。
「観念しなさい悠作。一緒に入れば怖くないわよ〜」
「逃げるなら、力づくで沈めるわよ」
四面楚歌。いや、五面楚歌か。
俺の悲鳴は、湯けむりの中に消えていった。
「落ち着く場所がねえ……」
茜は更衣室の番台で、入金状況を確認しながら満足げに頷いている。
カオスな温泉回。
だが、俺にはわかっていた。これがただの入浴で終わるはずがないことを。
一番ヤバい奴――「守護天使」を自称するあの店員が、まだ到着していないのだから。
俺は茹でダコ寸前になりながら、さらなる波乱の予感に身震いした。