28 推しの様子がおかしい2
「心配なさらずとも、フィリーネ様はフォル様と本当の夫婦ですよ!」
「一年間だけの、仮初めの夫婦だわ……」
フィリーネはため息をついてフォル様ぬいの頭をなでた。
彼女は、夫と深い関係になってもいずれ別れてしまうと心配しているのかと、アメリアは思った。
フォルクハルトのあの様子では、その辺りもちゃんと考えていそうだけれど。
主の考えを勝手に代弁するわけにはいかないアメリアは、気の利いた慰めをかけることができなかった。
気晴らしに絵でも描いたらどうかとアメリアに勧められたのでフィリーネはスケッチブックを取り出したが、いつものハイペースはどこへやら。
何とか一枚の下書きを終えたところで、フォルクハルトの帰宅時間となってしまった。
いつものように吹き抜けからフォルクハルトの帰りを見守っていたフィリーネ。
けれど、玄関ホールへ入って真っ先にフィリーネに視線を向けたフォルクハルトは、彼女に向けて手招きをした。
今はこの距離感がフィリーネにとっては一番落ち着くのだが、手招きされている以上はフォルクハルトの元へ向かうしかない。今日はフィリーネと同様に静かなカミルと共に一階へ下りた。
「おかえりなさいませ、フォルクハルト様」
久しぶりに直接おかえりと挨拶をしたフィリーネ。
嫁いで間もない頃は、挨拶をしても冷たい言葉を浴びせられるか無視されていた彼女だったが、今日は違った。
「ただいま、フィリーネ。会いたかった」
柔らかく微笑んだフォルクハルトに、抱きしめられてしまったではないか。
顔を真っ赤にして硬直するフィリーネと、「わぅっ……!」と驚くカミル。
これにはさすがに、執事長も驚きを隠せなかった。
今まで目立った女性関係がなかったフォルクハルトのことを執事長は様々な意味で心配をしていたが、この状況を目にして坊ちゃんにも女性を愛する心があったのだと喜ばしく思えた。
「今日は早く帰ってきたのに、ファンサうちわがないんだな?」
「……はいっ」
こんな状態のフォルクハルトに向けてファンサうちわなど、恥ずかしくてフィリーネが掲げられるはずがない。
それに万が一、フォルクハルトがノリノリでファンサをしてくれたりしたら、フィリーネが思い描いているフォル様像が総崩れだ。常に塩対応なのがフォルクハルトの良さだと思っている。
けれど、それはそれとして、ノリノリなフォル様も一度は見てみたいという好奇心もあったりする。乙女心は複雑である。
言葉少なめに返事をしたフィリーネの様子が気になったフォルクハルトは、彼女の顔を覗き込んだ。
耳まで真っ赤になっている彼女の姿に、思わず苦笑が漏れる。
「急に抱きしめて、すまなかった。俺はどうかしているな」
フィリーネはフォルクハルトの心を動かすほど美しく健気な態度には好感を持ったが、それに応えられない自分の状況がもどかしく罪悪感を抱いていた。
ライマーによりその状況が取り払われた今はフィリーネを知りたいという気持ちが強く、同時に変わった行動を取る歳の離れた妻が可愛くて仕方なかった。
けれど自分の膨れ上がる気持ちに対して、妻の心が追いついてきていないようだ。
気持ちを落ち着かせるように執事長と連絡のやり取りをしてから、フォルクハルトは再びフィリーネに視線を戻した。
「夕食の準備が整っているようだ。行こうか」
フォルクハルトに肩を抱かれたフィリーネは再び驚いて、身を縮ませるように両手を心臓に押し当てながらうつむいた。
あれで頬を染めていなければフォルクハルトに捕らえられた者のようだと思いながら、アメリアは吹き抜けの隅から二人を見守っていた。
食事のはずが、なぜか違う方向へと誘導されているフィリーネ。どこへ向かうのだろうと思っていると突然フォルクハルトに顔を覗き込まれ、至近距離から見る推しに思わず見惚れてしまう。
「今日はゆっくり飲みながら食事をと思って、居間に用意させたんだ。フィリーネも酒は飲めるのだろ?」
「はい。果実酒限定ですが」
成人したんだからお酒を試してみたらとライマーに勧められて、何度か飲んだことはあるフィリーネ。いろいろと飲ませてもらったが、甘い果実酒以外は残念ながら飲めそうにない味だった。
「俺の妻は、酒の好みも可愛いな」
可愛いという言葉にまたも顔を赤くするフィリーネ。
こんなペースでフォルクハルトとゆっくり飲むなど耐えられるのだろうかと、心配になった。
(今のは私に対してではないわ。果実酒が可愛いのよ……、けれど可愛い果実酒って?私、可愛い果実酒を選び出せるかしら……)
思考すら怪しくなってきたフィリーネを連れて居間に入ったフォルクハルトは、彼女をソファーに座らせて自らも隣に腰を下ろした。
(隣に座ってしまうの?この距離感で長時間なんて耐えられないわ……)
ドレスを直すフリをして腰を浮かせたフィリーネはどさくさに紛れて距離を開けてみたが、その距離はすぐに埋められてしまった。
そんな無駄な足掻きをしている間にも、料理が続々と運ばれてくる。
テーブルにびっしりと並べられた料理を見て、フィリーネは何だか懐かしい気分になった。
使用人がいなかったフィリーネの家で、コース料理が出てくるはずもない。作られた料理は一度に全部テーブルに並べられるのが普通だった。
こんなに品数は多くなかったが、それでも家族の笑顔が絶えない温かみのある食事風景だった。
「フィリーネはコース料理よりこのほうが慣れていると、ライマーから聞いてな。たまには趣向を変えるのも良いだろ?」
急に両親が恋しくなってきたフィリーネに、フォルクハルトはそう微笑みかける。
今はこの屋敷で唯一の家族となっている彼が自分のためにこの場を用意してくれたことに、フィリーネは心が暖かくなるのを感じた。
「嬉しいです、フォルクハルト様。いつものお食事も素晴らしいですが、こちらはとても落ち着けます」
「よかった。今まで一人での食事ばかりさせてすまなかった。これからはできるだけ、一緒に過ごしたいと思っている」
それからフォルクハルトはフィリーネに果実酒を選んであげてから、給仕を下がらせた。
二人きりの食事は緊張してしまうと思ったフィリーネだったが、話す内容は他愛もない楽しい雑談ばかりだったので思いのほかリラックスして食事をすることができた。
フィリーネが知っているフォルクハルトはこんなにも積極的に話をしたりしないが、この食事と同じように自分に配慮してくれているのだと思うと、推しが尊くて拝みたい気分になった。
「明日の休日も茶会の予定だったが、ライマーは来られないらしい。代わりに二人で茶会を開こうか。フィリーネの作った菓子をまた食べさせてもらえると嬉しいな。それから、二人で庭の散歩でも――」
食事も粗方食べ終えてお酒が主体となった頃、フォルクハルトはそう言って明日の予定を立て始めた。
明日は一日中フォルクハルトと過ごすことになりそうなのでどうしようかと思っていたフィリーネだったが、ふとあることに気がついてしまった。