物語序章 第一版 69章
娯楽の誕生
都市部には劇場が建ち始め、
人々は芝居や活動写真(初期の映画)を見に集まるようになった。
地方では、寄席や見世物小屋が再び人気を取り戻し、
農村の広場でも旅芸人が舞い、紙芝居を語った。
「ほら、今日は山番市の新聞に、この芝居の記事が出とるぞ。」
「ほんまか? うちの町にも来てくれんかな。」
そんな会話が、酒場の灯りの下で交わされる。
音楽では、鼓や琴に加え、
洋風のピアノやバイオリンも少しずつ輸入され、
帝国大学や師範学校の音楽科で研究が始まった。
和と洋が混ざり合い、新しい響きが生まれようとしていた。
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文化とは、文明が人の心を持った時に花開くもの。
剣を鍛える手も、糸を染める指も、
そして新聞を刷る輪転機の音も、
この時代の人々にとっては、
すべてが「生きる芸術」だった。
夜の都市に、音の灯がともり始めた。
新しい時代の日本は、ただ鉄と石で作られた国ではない。
そこには、人の声と音楽が息づいていた。
政府は文化を国家の基礎と考え、
音楽を学び、奏でる人々を守り育てることを決定した。
やがて東京の中央に「日本国音楽院」が設立され、
ここを中心に、全国の学校や地方都市へ音楽教育が広がっていく。
街では音楽隊の演奏が広場を賑わせ、
子どもたちの声楽団は柔らかな歌声を響かせた。
「声は楽器だ。何よりも心を伝えるものだ。」
と指揮者が言うと、少年少女たちは真剣な眼差しで頷いた。
演奏会が開かれるたびに人々は詰めかけ、
家々の窓からは、遠くまで音がこぼれていった。
その音楽は、労働と戦いの日々の中で、
人の心を少しだけ軽くしてくれるものとなった。
やがて音楽院からは、優れた演奏家や作曲家が輩出される。
政府は将来的に全国規模の音楽大会を開く計画を立て、
さらに遠く、世界の舞台で日本の音を響かせるため、
国費で留学生を送り出す制度も準備し始めた。
「音の国に、言葉の壁はない。」
その理念が、若い音楽家たちの胸を震わせた。
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同じ頃、情報を伝える力もまた、急速に広がりを見せていた。
新聞や出版産業は地方ごとに特色を持ち始め、
北国では自然と産業の話題、
西国では文化と貿易の記録が中心となった。
記事の文体にも土地の言葉が混ざり、
読者は紙面から郷土の匂いを感じ取った。
まだプリンターを量産する技術はなく、
印刷は主に活版方式で行われていた。
しかし、手動だった過去の木版画とは異なり、
今の印刷機は電動で動く。
ガシャン、ガシャンというリズムが、印刷所の壁を震わせた。
「ほら、この速度だ。朝に原稿が届けば、昼には町に出せるぞ。」
若い印刷工が油の匂いにまみれた手で誇らしげに言う。
民間新聞の数は日に日に増え、
地方ごとに独自の文化を映す紙面が次々と誕生していった。
こうして音と文字は、人々の心に翼を与えた。
それは鉄やコンクリートでは作れない、
人間だけが紡ぐことのできる文明のもう一つの形であった。
夜の街に、またひとつ新しい灯がともった。
それは炎ではなく、壁に映る光の幻。
「映画館」と呼ばれるその建物の前には、物珍しそうに人々が列を作っていた。
内部は木の香りが残る簡素な造りだが、天井には音響用の布が張られ、
中央の白いスクリーンには、これまで誰も見たことのない映像が映し出されていた。
映写機の代わりに使われているのは、明賢がインターネットで取り寄せたプロジェクター。
機械音もなく静かに光が走り、4K120fpsで撮影された映像が、まるで現実そのもののように流れる。
海の青、風に揺れる稲穂、人々の笑顔。
それは記録であり、同時に物語だった。
観客の中には涙ぐむ者もいれば、ただ呆然と立ち尽くす者もいた。
「これが……本当に人の手で撮られたものなのか?」
老人が震える声で呟く。
「夢の中みたいだ……」
と、若者が答えた。
政府はこの新しい映像技術を「民の娯楽であり、未来の記録」と位置づけ、
試験的に全国数か所の都市に小型映画館を設置した。
上映作品はどれも国内で撮影された風景や歴史劇。
今はまだ音響装置も少なく、編集も手探りだが、
人々の心に残るには十分すぎるほど鮮烈な体験だった。
映画が「動く絵」であるなら、
絵画こそが「止まった物語」である。
政府は同時に、美術分野の整備にも乗り出した。
絵師や画工たちを招き、写実画や印象画などの技法を学ぶ教育施設を新設。
そこでは、西洋の遠近法から光と影の理論、顔や体の骨格の描き方までが系統立てて教えられた。
「筆は、現実を映す鏡であれ。」
と、美術教育局の教師が語る。
一方で、絵師たちは反発しながらも、その理屈の正確さに息を呑んだ。
「この陰影……本当に紙の上に光が差しているようだな。」
若い絵師が模写した果物の絵を前にして感嘆する。
「写すだけが絵じゃない。
だが“写すこと”を極めねば、心を描くこともできぬ。」
老練な師が静かに答える。
この頃から、各地の展覧会には写実を極めた絵が並び、
観る者に新しい感覚を与えるようになった。
映画も絵画も、芸術が“現実をどこまで写せるか”という競争の時代が始まったのである。