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火刑戦旗を掲げよ! - 第48話 童の歌声に魔力の宿りて
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第48話 童の歌声に魔力の宿りて

 秋は実りの季節だ。メコン麦の穂は収穫を前にして豊かな重みにたわみ、人々は間もなく始まる刈り入れの重労働を思って鎌を研ぐ。租税を数え、冬をいかにして越えたものかと思案する。役人たちも、商人たちも、王侯貴族すらも、全ては地が恵む穀物の一粒を基礎として成り立っているのだ。


 クラウス・ユリハルシラは書斎の椅子に深くもたれ、満足げに鼻息を吹いた。目の前には自領の農政に関する諸々の書類が並べられている。今秋の収穫高は豊作とまではいかないものの十分な量が見込まれていた。それは王国全体についても同様で、冷害による危機は概ね脱したものと見て間違いなかった。


 余人は知らず、クラウスは今年の収穫高こそが王国の命運を握るものと確信していた。休戦期間に復興した民の暮らしも、冷害が続いたならば、建物ばかりを残して無惨なものと成り果てる。食べる物がなければ何もかも立ち行かないからだ。不作であればあるほどに盛況を博す奴隷市など社会の徒花でしかない。帝国との戦端が開かれた今、これ以上気候不順が続くようであれば国の秩序が根幹から崩れかねないと考えていたのだ。クラウスは束の間目を閉じる。安堵感が心身を巡っていた。


 コツコツと控えめに扉が鳴った。入室を許したならば、姿を現したのは容姿端麗な貴公子である。ダニエル・ハッキネン男爵だ。クラウスにとって彼は、政治の犠牲者であり、貴族にしては珍しい民生の実務家であり、嫡子の相談衆であり……この秋にも義理の息子となる男であった。


「ふむ、婚約発表の席でも言ったことだがな、ハッキネン男爵」


 クラウスはニヤリと笑いつつも、ねめつけてやったものである。


「卿には愛想というものが欠けておる。笑顔でいろとは言わんが、もそっとこう、景気のいい表情をしておれんものかな?」

「景気、ですか……それは」


 己の頬などを触れてみせるダニエルに、クラウスはフンと鼻を鳴らすのだった。言いがかりである。娘を嫁にやる男親の常としてか、クラウスはこのところダニエルにあれこれと絡むことが多くなっていた。自ら見込んで娘を嫁がせることを決めたのだから辛く当たる謂れもないが、親心として、少しくらいは浮かれていてほしいのである。とはいえ、ヘラヘラとしていたならばそれはそれで見込み違いも甚だしいが。


 彼に命じた任務のこともあった。机上に展開した心温まる報告とは正反対のものが伝えられると分かっている。昨今、ここ王都のみならず王国領のそこかしこで歌われる奇妙な流行り歌があった。童歌のようなそれは、クラウスら権力の中枢にある者や軍関係者にとって聞き捨てならない内容を含んでいた。



 行禍原いくまがはらに風の吹く。大きないくさの風が吹く。


 東西がっぷり組み打ちて、今度も西が競り勝った。


 あわれ負け者、妻愚つまおろか。浮気で我がまま、怒りんぼ。


 昨日と今日とで言うこと変わり、頭にきたらばすぐ殺す。


 勇ましき者も魔の者も、殺しに殺す、痴れ女。


 行禍原に風の吹く。痴れ者殺せと風が吹く。

 


 歌詞が微妙に異なったものが幾つも報告されているが、どれにも共通して二つの要素があり、それは民衆が知り得ない情報を間違いなく含んでいる。


 一つに、起こったことすら秘されている行禍原会戦のことだ。しかも王国の敗北であることを示唆している。これについては前線帰還兵により徐々に噂として広がりつつあったことでもあり、近々公式な見解を発表する用意もされていた。先に歌として流布されてしまったことは政治的な失敗とも言える。


 一つに、王族への中傷だ。まず間違いなく第一王女エレオノーラの名誉を棄損する言い回しである。それも王女を知っている者が考えたとしか思えないところが悩ましい。歌詞そのままとはクラウスも思わないが、近いものはあると認めていた。ある程度権力の高みにいなければ連想しないとは思われるが。


 クラウスはこういった民草の間の流行を軽視しない。かつて流行った「行禍原は今日も赤色か?」という歌もそうであったが、移ろいやすい大衆心理を国家権力の予測しない方向へと導いていく場合がある。あるいは逆かもしれない。大衆心理が大きく動いたその時に、その象徴として流行り歌が生まれるのかもしれない。


 いずれにせよ、好戦と厭戦の割合、王国への忠誠心、帝国への敵愾心、何もかもが変動するものだ。政治に携わる者はそこに敏感でなければならないとクラウスは考えていた。国家とは世界の始まりから存在する確固不変のものではない。信じる者が多ければ形を成し、少なければ雲散霧消する……そんな儚さをもった存在である。クラウスは国をそういうものと認知するがゆえに、奔走する。不安は常に在る。


「それで? 歌の出所は特定できたのか?」

「いえ、それは……前線帰還兵を中心に調査しましたが、それらしい話は聞けませんでした。むしろ郷里に戻って初めて知った者が大半のようです」

「そうなのか……当てが外れたようだ。となれば王宮内の高い所からという話にもなるが、私の耳にも何ら情報は入ってこない。作者不詳では困るのだがな、今回ばかりは……」

「……困りますか」

「困る。歌をエレオノーラ様の耳に入れた馬鹿者がおる」


 ダニエルは表情を変えなかったが、眉がピクリと動いて驚きを伝えた。そして感心しないという風に溜息を吐いた。クラウスも同じ気持ちであるが、それだけでは済ませられない立場を生きている。


「どう……なりましょうか」

「どうにもならん。エレオノーラ様はご自身への中傷であるとは感じておられぬようだ。人間、自分のことは分かるようで分からんものらしい。救われたな」

「……伝えた者は分かっていたのですね」

「その通りだ。馬鹿め、先の行禍原会戦に己の騎士団を参加させなかった物惜しみを、あろうことか先見の明があったかのように誇りおる。エテラマキ伯の騎士団が損害を出したことまで引き合いに出し、次の会戦が楽しみだなどと嘯いておる。会戦を望んでおるのだ。痴れ者とは奴のことよ」

「カリサルミ伯、ですか……」

「成り上がり者は埃っぽい言動ばかりだ。迷惑極まるわ」


 クラウスは吐き捨てるように言い放った。傍らの水差しから杯へ水を注ぎ、飲む。報告書がもたらした安らぎは既に消え去っていた。行禍原の先には敵国が矛を並べて存在しているというのに、王国の内情は不安ばかりであった。


 国王は病状に好転の兆し無く、この冬を越えられないと見られている。第一王女は何故か前線の軍事にこそ口を出さなくなったものの、相変わらずの情緒不安定な在り様だ。貴族たちは戦争をどこか他人事に受け止めていて、不安げに見てみぬふりをするか、逆に妙に好戦的な態度を示して軽はずみな行動に出たりする。思いついたように騎士団を増強したり、それを前線へ派遣したり、それを周囲に断りなく前線から戻したり……碌でもない。


 戦略的な視点で戦争を考えている者はごく少数だ。その少数であるところの軍部も些か緊張感が欠けていて、現状の膠着状態はどちらかが余程の失策をしない限り長く続くと見られていた。先の会戦の敗北はあまり重く受け止められていないようだ。引き分けに近いという見方が主流で、それにはクラウスも納得するところがある。追撃殲滅戦がなかったからだ。


 かつてアスリア王国が亡国の危機に陥ったのは、帝国軍が追撃殲滅戦略をとったからに他ならない。大会戦において王国軍を壊走させ、それを追う形で王国領へと雪崩れ込み、反撃態勢を整わせないままに次々と主要都市を攻略したのだ。東龍河の川幅に勢いを殺されることを嫌った帝国軍は支流を渡って南進する陸路を取り、王都へと迫った。それを阻んだのが当時のクラウスであり、ユリハルシラ領軍を中心とした王国防衛軍である。


 王国防衛軍は帝国侵攻軍を打ち破ること叶わず、逐次戦線を後退させていく戦術でもって王国の延命を図ったに過ぎなかった。王都を護りきることもできず、結局は帝国軍に明け渡す羽目となった。しかし時間を稼いだことは確かだったのだ。その貴重な時間でもって、王国南部に救国の軍勢が再編されたのである。そして“勇者”が見出され、王国軍は帝国軍を北へと押し返していくこととなった。


 そんな攻防を知る者ならば、先の会戦など勝利でも敗北でもないと感じて当たり前だった。何しろ王国の前線砦へは帝国軍の一兵卒たりとて来襲しなかったのだから。むしろ勝ったはずの帝国軍の砦が一つ焼け落ちている。夏の諸戦闘も剣角騎士団の快勝によって概ね五分の戦果だ。現状に変動があると想定する方が難しいのかもしれない。クラウスも軍の立場としてはそれで正解だろうと考えていた。


「カリサルミ伯が歌を広めた、ということはありませんか?」

「ないな。あれはそういう迂遠なことを図れる男ではないし、下から上を動かすという発想もない。直接に上へ働きかけ、それによって下を動かそうとするだろう。今回のようにな」

「第一王女の感情に働きかけ、次の会戦を早める……ですか」

「私は遅ければ遅いほどいいと考えている。見解の相違というやつだな。かつての戦争では私の方が戦場に立っていたし、当時のカリサルミ子爵が勇敢に戦ったという話はついぞ聞いたこともないのだが、時が移ろうとは恐ろしいことだ。いや、忌々しいと言うべきか」


 クラウスは頭痛を感じ、視線で酒を探した。目下最大の懸念対象は、貴族と軍幹部の中に徒党を組みつつある好戦派とでも言うべき者たちだった。声高に帝国打倒を叫び、次なる会戦にてそれを果たすと息巻いている。かつての開戦派の貴族も多くがその熱病のような雰囲気に毒されていて、カリサルミ伯はその中でも急先鋒の一人だった。なまじ伯爵家であるから声が大きく響く。


「伯は功あってヒルトゥラ家に代わり昇爵したものと聞きますが……」

「舌で成した功だ。それを卑しいというつもりはないが、私は戦場の軍人が王宮の讒言をもって殺される歴史を忌む。人の卑劣さの中でも特に許しがたく思うのだ」

「……閣下、それは……」

「うむ。それ以上は聞いてくれるなよ。私が伯と共に誰の派閥に属するのか、それだけを弁えておいてくれればいい。卿にとってももはや他人事ではないのだからな」


 沈黙が流れた。クラウスは自分が酷いことを言っていると自覚していた。彼がダニエルを巻き込んでいるのだ。北方から招きよせ、まずは嫡子を宛がい、次いで娘を妻として押し付けようとまでしている。己の背負う重さを少しずつ味わわせようとしているのだ。


 ダニエルの目が、クラウスにそれをさせる。これはどうだ、それもどうだと試すようなことをさせる。その気持ちは信頼とは少し違う。もしも挫折したり失敗したりしたならば、裏切られたと憤るよりも、その程度であったかと優越感をすら覚えるだろう。不毛な不幸自慢にも似た心境があった。


 似ているのだ。ダニエルの在り様はかつてのクラウスに似ている。いかなる状況においても心に思い定めた決意一つを支えにして不動を実現している。それは自信過剰や自己本位による傲慢ではない。自分の為の決意ではないからだ。むしろ敬虔ですらある。誰かに捧げた決意だからだ。


 クラウスにとっては国王がそれだ。己の運命を捧げる相手だ。しかしダニエルの相手は国王ではないようだ。無論、それが自分であるなどとクラウスは自惚れていない。ダニエルの目はどこか遠くを見ている。その先にいるのが誰かは分からない。王族か、貴族か、あるいは平民か。それが誰であろうと構わなかった。何故ならば、クラウスはダニエルの言動に“未来”を感じ取っているからだ。


 正体の定かならぬ、それでいて力強い鼓動を感じさせる“未来”の予感。今の王国に最も必要なものであり、今のクラウスが最も失っているものでもあった。クラウスは自分が既に時代の主役ではないと確信している。老人だ。今在る物を戦々恐々と保守する者でしかない。それ以上のことができない。


「……卿は、この戦争をどう見る」

「私ごときが読みきれる流れではありません。翻弄されるのみです」

「ふむ。ではこの流れを読みきり、翻弄されぬ者とはどういう存在か」

「それは巨大な存在でしょう。この世界の夢と現と、その双方を掴みて押さえつけ、揺らぐことなく聳える存在……そのような者ならば叶いましょう。読みきることも。翻弄されぬことも。翻弄することも」


 思いがけない言葉だった。力強く、確信に満ちた言葉だった。クラウスは己の試みが意外なほどの大音を鳴らしたことを知った。それは老骨に心地よく響く快音だった。暗く閉じた扉の向こう側に、明るく爽やかな風が吹いていると教えられたような、そんな気分を感じていた。


「そうか……私はそんな巨人にはなれなかったな」

「私もです。なれるとも思いません。ただ日々にあくせくとするのみです」

「ほう。それでは私と同じではないか。若いのに欲がないことだ……」


 クラウスは脱力した。不思議と頭痛は治まり、目は酒ではなく窓を見ていた。寒さも混じる秋風を遮って木戸を閉めてある。機密保持と防犯のために滅多に開けることもなくなった窓だ。いつ頃からそうなったものか。クラウスは夢想した。父はどうであったかと。祖父はどうであったかと。窓を開けたろうか。


「少し風を入れましょうか?」


 ダニエルが言って、無造作にその木戸を開けてみせた。空が四角形に切り取られてなお青く澄んでいた。広さは見えずとも高さがあった。風はさして寒くもなかった。


 クラウスは王に会いたくなった。王にこの青さを伝えたかった。


 王はもう見えず、動けない。だからせめて、伝えたかった。

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