第91話 命懸けの賭博をしましょう
「我らは王女を盟主として軍を発しているのだ! それを……次代の王に率いられし正義の南部を……名誉ある伯爵領を……私の夢をかくも無残に踏み荒らす権利が貴公らにあるはずもない! 度し難い! 度し難いことだ! 私は決して泥を飲んだりはしないぞ! 決して、私は、惨めに膝をついたりはしないのだ!」
そう叫んだカリサルミ伯が壁の向こうへ消えて、かれこれ一昼夜が過ぎた。
ヨウシア・ペテリウスはそれを随分と長い時間に感じていた。見やる先にはカリサルミ領都の大門が全てを拒むようにして閉ざされている。ペテリウス領軍六千は攻城兵器を物々しく並べてそれに正対している。
刻限まではあと僅かだ。
この冬空に太陽が南中した時、包囲攻城戦は開始される。正門たる東大門からはヨウシアらペテリウス領軍六千が、北西門からはルーカス・ユリハルシラ率いるユリハルシラ領軍四千が、南西門からはマルコ・ハハト率いる火撃の騎兵団三千とペテリウス領軍歩兵大隊千卒が、それぞれ攻城兵器の威力を発揮することとなるのだ。
ヨウシアは思う。恐らくは夕刻までもかかるまい、と。
威嚇の意味で門前に布陣しているが、本来であればどこの壁を崩しても町へは侵入できるのだ。しかしどこから攻めようとも大差ないようにも思えてしまう。
この領都はペテリウス領のそれに比べると防衛意識が余りに低い。南方という立地の油断がそのままに形で表れている。
見栄えのいい尖塔は多いが、それらが防衛施設として機能するようにも見えない。中に入れば領城への大通りもある。壁上の兵士の反応から察するに、あるいは攻城兵器を突き付けられる覚悟すら欠如しているのかもしれない。
そんな領都へ向けて、龍将軍マルコ・ハハトは一昼夜の期限を設けて降伏を勧告した。それは簡潔にして容赦の欠片もない文言であった。
「アスリア王国王権に基づく協定に違反した罪をもって一切の抵抗、申し開きを許さず。明日の正午までに武装解除の上、全面降伏すべし。然らずば攻め滅ぼす。賢明なる判断と迅速なる回答を期待するものなり」
どこまでやるつもりだろうか……ヨウシアは龍将軍の意図を図りかねていた。
籠城し武力抵抗したのならば、陥落後の凄惨の責任は抵抗を決めた人間に帰結する。生殺与奪の権利だけが攻めた側に委ねられる。それが攻城戦における戦場の理だ。そうやってヨウシアの父は死んだ。一万将兵の命の責任は重くペテリウス家の背負うところとなっている。
ヨウシアは思う。カリサルミ伯はその理を理解しているのだろうかと。
この領都を落とすことは容易い。カリサルミ伯はもはや逃れようもない。しかし若き英雄は降る名誉を許していない。こういった際に仲介を担う教会も機能しない。若き英雄は教会の権威をまるで認めていない。もうどうしようもないのだ。
静かに、しかし苛烈に、武とも暴とも判別のできない力がカリサルミ領都を包んでいるように感じられる。それがヨウシアに緊張を強いる。腹の底にわだかまる激情が存在感を増してくる。敵が同国人であることを忘れたがっている自分がいて、それを抑えつけたい自分もまたいるのだ。
ああ……兵権を握ることの恐ろしさよ。
ともすれば憤怒と憎悪のままに軍を動かしたくなる。
ヨウシアは大きく息を吐いた。予断は禁物とはいえ、かくも優勢な状況にあると色々と考えてしまう。そういう性分だ。共に十八歳というあの二将を思えば己が情けなくもあった。
人に器というものがあるとすれば、若き二人はどちらも大器だ。狂わず、怯えず、兵権という荒馬を自由自在に乗りこなしているように感じられる。それに引き換え自分はまるで駄目だ。伯爵という人生は己の器量を上回っている。それがわかってしまった。
そしてその発見は解放でもあった。
どうも自分は父のようには生きられないらしい。しかしこの役割は辞められるものではない。ならば努力しよう。少しでも見苦しくなく生きられるように、少しでもそれらしく振る舞えるように、非才を恐れながらも勇気をもって精進していこう。そう思えば胸に清新な風が通って次の一歩を踏み出せる。
東大門を見た。大きく聳え、固く閉ざされたその在り様を憂う。
カリサルミ伯と話がしたいと思った。状況は違えども、共に帝国との戦争で父を失い、同時に伯爵位を継いだ身の上である。年齢も近い。
信じるものの違いから南北に敵対することとなったが、もしも可能であるならば、酒杯を交して語り合いたいと思う。喧嘩になるだけかもしれないが、それはそれでいい。籠城の攻防よりも万倍と有意義だ。
伝令の騎馬が駆け込んできたのは、そんなことを思っていた折であった。
「南西門が開かれただと!? それは……カリサルミ伯が龍将軍との接見を望んだということか?」
「は、街路を清めて龍将軍閣下を迎え入れましてございます」
その報を喜ぶべきか危ぶむべきか、ヨウシアには咄嗟にはわからなかった。刻限は間近である。ここに無条件降伏をするのならば同時に全ての門が開かれるべきだ。想定していない状況だった。
「龍将軍閣下は率いる全軍を伴って入都、歩兵大隊に門を監視させ、自らは騎兵団と共に領城近くまで進まれました。会見は領城に近い庭園にて行われる予定です」
降伏勧告の内容を思えば不可解な会見だった。あの文言は恫喝に過ぎず、ある程度の交渉の余地があったのだろうか。
刹那にヨウシアの脳裏をかすめたものがあった。ルーカス・ユリハルシラが引き連れてきた降伏兵である。望みうる最上の結果を求める……その思いが若き英雄に危険を冒させてはいないだろうか。
「龍将軍閣下よりの命令をお伝えいたします。ユリハルシラ領軍およびペテリウス領軍は門前で待機、警戒を続けられたし」
「……承知仕った。我が軍はここに待機する」
伝令は駆け去った。同様の伝令が北西のルーカスのところにも駆けていよう。ヨウシアは彼の意見が聞きたいと思った。
胸騒ぎがしてならないからだ。
今、あの大門と壁との向こうには龍将軍が三千騎と共にいる。それに対して、カリサルミ領軍は五千をもって存在するのだ。しかも市街地である。軽騎兵の機動力を十分に発揮できる環境ではない。
罠ではないだろうか。
カリサルミ伯は感情的になっていた。己のおかれた状況を不服として怒声を発していた。追い詰まりに追い詰まった今この時、自暴自棄に身を任せて英雄たる龍将軍に害意を抱いてやしないだろうか。
実際、それは北部への極めて効果的な一撃となる。北部の実質的な総指揮官は若き彼だからだ。
空を見る。門を見る。壁の上を歩くカリサルミ領兵らを見る。とても座っていられなくなって、ヨウシアは陣中をウロウロと歩き回った。焦燥がやってきて時の流れが乱れに乱れていた。
そして日は昇る。時、来たれり。
「閣下! 大門が開きます!」
その報告が来るよりも早く、ヨウシアはその光景を凝視していた。まさに太陽の南中する時をもってして東大門はその頑なを解いたのである。兵たちもざわめいているが、ヨウシアもまた意味のない言葉を口から漏らしていた。
これでいい。これで同国人に対して攻城兵器を使用することがなくなった。剣槍をもって民を掻き分けることがなくなったのだ。
軍に前進を命じようとして、しかしヨウシアは目を見開いた。旗だ。大門の両脇にも尖塔にもカリサルミの領旗が掲げられたままで降ろされる気配がない。それは降伏の礼法としてはあり得ないことだ。
内乱だからだろうか。いや、それにしてもおかしい。
これでは市街戦に引き込まれているとも取れるではないか。
門の先を見る。やはりだ。カリサルミ領軍の兵士たちはまるで武装解除などしていない。隊伍を組み、大通りの両脇に控えて……そう、整列して控えている。
それはどういうわけだろうか。ヨウシアは更なる混乱を覚えた。市街戦が狙いならば兵を伏せるなり、柵でこちらの動きを制限するなりの工夫があるべきだが、そういった細工の気配がまるでない。緊張は見える。しかし整然としている。
「龍将軍閣下より伝令! ペテリウス領軍はそのまま前進、大通り沿いに展開して待機あるべし!」
ヨウシアは状況を把握できないままに指示を実行した。龍将軍が今どこにいるのかが酷く気になる。六千の兵を迎え入れたにしてはカリサルミ領軍の数が少なく、罠にしても稚拙に過ぎる。降伏なのだろうか。
ユリハルシラ領軍に伝令を出そうとしたところで、鋭く弓鳴りの音が響いた。時が急転したかと思うほどの緊張が走った。門だ。門の脇の壁上に並ぶカリサルミ領兵が弓を射ったのだ。迎撃を命ずるべく手を振り上げて……しかしヨウシアはそれを振り下ろすことがなかった。
矢は門の外側へと放たれたようだった。
後方の物見によれば、ペテリウス領軍の入都と入れ替わりに外へと駆け出たカリサルミ兵が射られたらしい。同士討ちだろうか。未だ息のあるその兵士が領城の方へと引き立てられていく。状況は不可解さを増すばかりだ。
程なくして呼び出しがかかり、ヨウシアは護衛の十数騎と共に領城近くの庭園にまで出向くこととなった。今ここが敵地なのかそうでないのかもわからない中での移動である。まるで白昼夢の中を進むような現実感の無さに酔いそうになった。
「より良い結果を得るべく、状況を大きく動かしました。不安にさせてしまったことをお詫びします」
庭園に張った帷幕の中で、若き英雄はにこやかに言ったものである。そこにはルーカスもいたが、茶菓子をバリバリと頬張って寛いでいるから、ヨウシアは何とはなしに眼中の外に置くことにした。
度胸も良過ぎると馬鹿に見える……あるいは己が馬鹿なのだろうか。溜息が漏れた。
「一気に領城を攻め落とすなりカリサルミ伯を捕縛するなりしてもよかったのですが、それらは簡単に済むことなので、この際もっと手間をかけることにしたのです」
「手間……とは、現段階でカリサルミ伯が降伏していないことと関係するのですか?」
「はい。彼とは一つ賭けをしました。僕が勝てば、北部はこの上なく美しい形で内乱を治めることができるでしょう。負ければ彼は脱出します。それはそれで内乱の勝利ではありますが、やや面倒を残すことになりますね」
そう言った龍将軍は、更にとんでもないことを発言してヨウシアの度肝を抜くのだ。
「我々は領都内にて領城を囲みつつ、エテラマキ領軍の来援を待ちます。激しい戦いが予想されますよ。くれぐれも物陰からの凶刃をなど受けないようお気をつけくださいね」
心労、という言葉の意味を再認識する時間だった。
忍耐、という言葉の意味を再確認する時間だった。
それから日が暮れるまでの間にヨウシアは何度溜息を吐き、何度胃痛を感じて腹部を押さえ、何度頭痛を感じて頭を抱えたか知れない。白昼夢は随分と妖しく、現実的な人間には厳しい内容であった。
領都の内側に入ったヨウシアら一万五千の兵力は、市街地に散在するカリサルミ領兵を警戒しつつ、領城に主力と共に籠り沈黙するカリサルミ伯の動向を監視し続けていたのである。
ここは死地なのか。それとも生地なのか。
民の姿こそ戒厳令下にあって見えもしないが、間違いなく平和な日常の風景の中にあって、敵とも味方とも知れない同国人兵士と互いに警戒心をもって対峙しつつ日の沈みゆく様を己の影の長さに察する。
攻撃許可は下りていない。一矢二亡という言葉が嫌でもヨウシアの脳裏にチラついた。
龍将軍はこの状況を創出し、何かに利用しようとしている。それを崩すわけにはいかない。崩せば恐らくは凄惨な市街戦があるのみだ。ペテリウス領軍がその発端となることは認めない。ヨウシアはそれだけは許せない。
夕暮れまでの長さを視覚に確かめようとして、西に門の領旗が降ろされていることを発見した。振り返れば東大門の旗も降りている。勢い込んで領城を見たならば、そこには変わらずにカリサルミの領旗が掲げられていて、降伏の形を見出すことはできない。
これは魔法なのだろうか……ヨウシアは目眩と共に錯覚した。幻惑されたのだ。
一本の矢、一振りの剣も用いずして、ヨウシアらの後を追うように攻略が進んでいく。自分はいつ攻めたろうかと省みた。これではまるで、ペテリウス領軍が不思議な勇猛を発揮して大門を突破してきたかのようではないか。
ああ、だからこれは当たり前なのだ。
領都のそこかしこで家屋の破壊される音が響いている。土煙りが上がっている。日常を崩す音が無情に響き、日常の錆びとも黴とも知れないものが微風に乗る。
ヨウシアらはやはり何もしていない。カリサルミ領軍だ。街に散った彼らが己の町を破壊しているのだ。
悲鳴は聞こえてこない。それもこの不思議の内ならばと、ヨウシアは奇妙に納得する。悪夢とは言うまい。同国人に対して憎悪を孕んで槍を突き立て、民を踏み躙りながら城を攻めることを思えば、これは良き夢と言っていい。時折壁の上で弓射の音がすることにも慣れた。
カリサルミ領軍は自らを蝕んででもいるのだろうか……龍将軍が発現したところの魔法に惑わされて。
そして、戦場の現実は馬蹄の怒濤と共にやって来た。
領都周辺を巡回させていたところの軽騎兵千騎が、這う這うの体といった有り様で東大門に駆け込んできたのだ。軍装も馬列も乱れに乱れ、余程の重大事があったとすぐに見て取れた。人馬共に激しい息遣いが連続していて、報告に出頭した大隊長の顔は恐怖に引き攣っていた。血眼である。
「て、敵襲です! 領都南方より大軍が迫っております! このままでは……!!」
「エテラマキ領軍か」
「はい! しかしそればかりではありません……!」
唾を飲み、喘ぎながら、大隊長は報告したのだ。
「圭丸騎士団、冷月の騎兵団の軍旗を確認いたしました! それぞれ兵力はおよそ三千!」
「マルガレータ王女か……遂に姿を現したのだな。今日という一日に、この領都は内乱の中心地点としてどこまでも重要度を増すようだ」
ヨウシアは冷静に戦況を分析していた。カリサルミ伯は未だ領城に健在であるが、それゆえに戦いは交渉をもって始まるだろうと思われた。
つまりは人質だ。
北部の軍勢一万五千が領都に入っている以上、敵も無謀な混戦に踏み切ることはあるまい。恐らくは一時的な停戦交渉がなされ、カリサルミ伯の身柄を領都外へ見送ることとなるのではないか。
龍将軍は賭けに負けたのだ。それでも充分に勝利ではある。包囲攻城戦の悲惨を現出せずに領都を占拠するのだ。その後のカリサルミ領支配に多少時間はかかるだろうが、もう北部の勝利は揺るがない。
息も絶え絶えな大隊長に代わり誰ぞ伝令を龍将軍へ駆けさせようとして、しかし、ヨウシアは大隊長の必死な形相に迫られた。報告はまだ続きがあったのだ。
「南部義勇軍らしき兵力も多数確認しました! これまでとは打って変わって……私見を申せば、傭兵のみの編成となっておりました! そして、そもそも、エテラマキ領軍の総数は……およそ一万二千!!」
「い……一万二千だと!? 馬鹿な!!」
ヨウシアは叫んだ。あり得ない数だった。
エテラマキ領軍は弓張原会戦でこそ被害を受けなかったものの、大船団の南下に端を発する北部の攻勢を受けて被害を受けたはずだ。どう少なく見積もっても二千から三千は兵力を減じていよう。それが、今ここに、一万二千を数える。時間といい数といいヨウシアの予測を超えている。
「まさか……自領への撤退は見せかけのもので、むしろ自領に温存していた兵力までも投入してきたのか!?」
策でもって動かしたつもりが、それを擬態としてこちらの意表を衝いてきたのだろうか。気付けばヨウシアは大隊長と同様に顔を強張らせていた。頬が引き攣る。鼓動が速まって息が荒くなる。
大変な戦況が生じようとしているのだ。
エテラマキ領軍一万二千、圭丸騎士団三千、冷月の騎兵団三千、それに義勇軍とも傭兵とも定かでない兵力を加えて……二万を下らないだろう敵兵力がカリサルミ領都に迫る。その練度は高い。高いと知れているのだ。
「大隊長、同道せよ。龍将軍の下へ急ぐぞ!」
ヨウシアは駆けた。
魔法が解け動きだした時は激流のようで、ヨウシアは駆けずにはいられなかった。