自己紹介
「こほん、こほん、けふん、けふん、ごほっご、ごほっ……」
新入生が全員座ったころ、老人が現れた。
「危なかった……。もう少しで、いろいろ漏れちゃうところじゃった。この歳になるといろんなところの筋肉が緩んで仕方ない。みな、心配してくれてありがとう」
誰もが真顔で、老人に視線を集める。
「初めましての者が多いか。わしはドラグフィード学園、学園長のオリバ・ジェームズ・スミス。オリバと呼んでくれて構わんよ。お兄さんも可」
ルークス帝国一の魔導士と名高いオリバは八〇代。お兄さんというには老けすぎだ。笑いの才能は五歳児以下。
「今日は、いい天気だな。実に幸先がいい。長話は嫌いでな、簡潔に済ませようと思う」
オリバは体を支えている大きな杖を握りしめる。高く振り上げた。
杖先がプルプルと震える。木の杖を持つだけでも一苦労の様子。
誰もが「何事も起きずに済みますように」と祈る中、彼は振り上げた杖を聖堂の床に叩きつけた。
砕け散った床を皮切りに、皆の足下に罅が広がる。
「ようこそ、最高の学び場へ。皆を歓迎しよう」
オリバの年齢を感じさせぬ力強い声が空気を震わせた。
その瞬間、砕けた隙間から足元に花が咲き乱れる。飛び散った破片がふわりと舞い、白い鳩へと姿を変える。
加えて天井が静かに崩れ落ちた。まるで海が裏返ったかのような空が広がる。
八〇〇羽もの鳩たちが祝福のように空へ羽ばたく。
「うわぁー、凄いね。こんな魔法、初めて見たよ」
「うひょぉ~、スカートが捲れてるのに、下着がギリギリ見えない神風、最高っ」
落ち込んでいたオリオンはスカートが浮き上がって元に戻るほどの間に機嫌を直した。
椅子をギシギシと軋ませ、清らかな空を見た。
空に浮かぶ白い雲すら、女性者の下着に見える。それほど目が腐っているが、視力は五.〇を超え、虫の羽ばたきすら認識できた。
手短な入学式を終え、各寮で試験を受けた結果から定められたクラスに各自移動した。
オリオンは試験でいい成績を残した。
だが、筆記試験だけの結果である。
もう一つ、実技の試験もあったのだが、そちらは下から数えた方が早い成績のため、中の下のクラスに収まった。
「俺様は公爵家だぞ。こんなところでやって行けるか。雑魚どもっ」と叫ぶことはなく、実にほくほくした顔で、椅子に座る。
「ねえ、なんで、オリオン様がこのクラスにいるのかしら……」
「わ、わかりませんわ。もっと上のクラスにいると思ってたのに」
「やっぱり、位だけ高くても頭は顔と同じでバカなんじゃないかしら……」
扇状の教室に集められた生徒は八〇人。
すべてで一〇組ある中で、オリオンは八組。
一組が最も優秀で、一〇組が成績が振るわなかった者たちだ。
ただ、この学園に入れるだけで、優秀であるのは紛れもない事実。
自分を卑下する必要はないという言葉を学園長から受け取っていた。
「いやはやー、まさか、こんなに女子が多いクラスに入れるとは。愉快愉快」
八組は女子の割合が八割だった。
六四名が女子、一六名が男子。
上位のクラスではないが、オリオンの機嫌がいいのは四方八方を女の子に囲まれているからである。何とも現金な性格だ。
「あー、これから四年間一緒かもしれないし、一年間だけ一緒かもしれないし、もしかしたら一ヶ月でお別れするかもしれない諸君、おはよう。俺の名前はアレックス・ヘンリー・ブラウン。アレクと呼んでくれ。女子はアレク先生とか、アレク様とかでもかまわん。男は話し掛けてくるな」
茶髪の男、アレックスは教卓の前にけだるそうに立っている無償髭を撫でる。
動きやすさ重視で清潔感があるといえない冒険者のような服装。
寝不足気味のまま自己紹介した。
夜中まで大人のお店でお楽しみだった。そのため二日酔いと寝不足のダブルパンチを食らい、死にかけている。
「あぁー、全員の自己紹介は面倒だから、別にしなくてもいいか。適当に仲良くなれるだろ。まあ、俺は担任っていう立場だが、体育の授業しか顔を出さない。頼るなら、寮にいる奴を頼ってくれ。じゃあ、今日は解散」
あまりにも適当に終わらせたアレックスだったが、多くの生徒は特に気にする様子は見せなかった。
教師と生徒の間に大きな壁があるのはよくあること。
生徒が貴族ともなれば、何かあれば担任が責任を取らなければならない。
特に拘わらなければ、面倒事に巻き込まれずに済む。
冒険者時代の危機回避能力が生徒との拘わりを避けさせた。
「アレックス先生、女の名前を聞かないというのは、いかがなものかと思わないか。確かに、男の名前はどうでもいいが、女の名前は聞かなければ紳士がすたるっ」
オリオンは椅子を吹っ飛ばす勢いで立ち上がる。
貴族、紳士として自己紹介せずに終わるというのは失敬に当たる。彼の場合、女に興味津々なだけだが。
「男達よ、ここで女たちに名前を覚えてもらう良い機会だ。自己紹介できないなんて、もったいないと思わないか。このままでは、アレックス先生だけの名前しか覚えてもらえないのだぞっ」
オリオンはムチムチに太った腰に手を置く。
音声増幅器のように膨らんだ腹から出る声は教室中に響き渡った。
男に向けた言葉だったが、逆もしかり。
女の名前も男に覚えてもらうために自己紹介は必須だった。
「俺様の名前はオリオン・H・ハワード。リオンと呼んでくれ。皆、これからよろしくたのむ」
オリオンの自信にあふれた自己紹介は、彼を怪訝そうに見ていた女たちの心をほんの少し良い方向に動かした。「もしかして、オリオン様って男らしい方なのかしら」と思う程度に……。
「俺様の趣味は、超絶可愛いメイドのヴィミにお触りすることだっ」
せっかく、いい方向に傾いていた女たちの好感度が、最底辺にまで一気に落ちた。
だが、担任のアレックスは吹き出し腹を抱えて笑う。不機嫌そうな顔が晴れていく。
オリオンの自己紹介から、寮へ帰る雰囲気だったのが一変し、自己紹介大会のように一年八組教室で仲を深め合った。
陽気な者もいれば、陰湿な者もいるが、オリオンのわんぱくっぷりに少なからず微笑みを浮かべる者ばかり。
女たちへの好感度は低いままだったが、少ない男たちからの評判はまずまずだった。