1707年 宝永4年1月 ー江戸に帰還
江戸に戻ると、気がつけば年が明けていた。久々に屋敷の門をくぐると、金之助がにこやかに出迎える。
「兄貴、お帰り。いやあ、長旅ご苦労様でした」
「うん、ようやく戻ったぜ」
翔馬は軽く頭を下げると、金之助が意味深に言った。
「ちょっと話したいことがあるんだ」
「なんだ?」
「鈴が、ようやく念願の第一子を懐妊したんだ。」
思わず顔がほころぶ。翔馬は旅の疲れも忘れ、金之助と一緒に喜びを分かち合った。
「良かったなあ、鈴」
「ありがとう、翔馬さん」
鈴はにっこり笑い、安心したように屋敷に戻る。翔馬は念のため、安定期に入るまでは屋敷の仕事は休んでいいと言ったが、鈴は首を振る。
「妊娠は病気じゃないんだから大丈夫よ。長屋にいるほうが退屈で疲れるわ」
金之助が力強く頷く。
「そうだな。重たいものは全部俺が持つ。お前は水汲みや洗濯みたいな雑務はしなくていい」
「うん、わかった」
二人の間には自然な仲睦まじさが漂い、屋敷全体に柔らかな空気が流れる。
その日の晩、屋敷の皆を料亭に連れて行き、遅い正月の祝膳を振る舞った。
ーーー
場の会話の流れで、なぜ彼女を作らないのか?としきりに聞かれる。
皆、聞きたくても聞けない話題だったらしく、目を輝かせて俺が口を開くのを待っている。
……俺も未練たらたらで会えない人のことを思っていたところで、いつまでも先には進めないのかもしれない。
「その気がないわけではないが、今は忙しくてそれどころじゃない。」
と言い訳すると、屋敷の皆は俺の働きすぎの心配するのであった。
話を変えて、それぞれの身の周囲のことを話していた時、唐突に、
「兄貴、ずっと思ってたんだけどよぉ、江戸に来て丸三年経つんだろ?今年29だろ?全然老けないな…」
金之助が妙なことを言う。
翔馬は心の中で冷や汗をかく。というのも違和感というか身に覚えがあったからだ。
手先の小さな怪我は何度もしているが、出血して痛みはあるのに、10分ほどで気がついたら治っている。以前、町奉行にボコボコにされた時もケガひとつなかった。
(もしかして、俺は…)
思わずドン引きしそうな話だが、顔には出さず冗談でかわす。
「いや、俺の若さは遺伝だろうよ」
「そ、そうか…じぁあ、俺もその血を引いているのかもしれんな…」
金之助は少し納得しかけ、しかしどこか不思議そうに笑った。
ーーー
翌日、いよいよニッケルを使った合金の試作が始まる。
鉄工所では、親方と作業員たちが慣れた手つきで炉を整え、熱した鉄をかき混ぜる。火花が散り、蒸気が立ち上る中、翔馬は防寒着を着込み、高炉の熱で体を温めながら指示を出す。
「鉄にニッケルを36%混ぜる。熱収縮に強い素材を作るぞ」
「了解だ!」
作業員たちは掛け声を合わせ、炉の温度や溶融状態を確認しながら手際よく作業を進める。翔馬も自ら溶鉱炉の側に立ち、鋼が固まる様子を目で追った。
出来たニッケル合金は、金槌で叩いてもびくともしない。
旋盤で加工しようにも、逆に旋盤の刃先が削れてしまう。
八平親方と抱き合って喜んだ。
ついに強い鋼を手に入れた!
ーーー
その日の午後は、毎年恒例の新年の挨拶のため綱吉公のもとに出向いた。
「翔馬殿!聞くところによると、まだ機関車の試作にとりかかっておらぬとな。何故だ、昨年の約束はどうなっておる!」
綱吉は眉をひそめる。
「ふむ…他のことに手をかけ過ぎではないか?時間を浪費しておるのではないか?」
翔馬は深々と頭を下げた。
「将軍、恐れながら申し上げます。各工程は必須であり、この合金の試作も、蒸気機関車の完成には欠かせません。丹波で採取した鉱物の精錬、機材の準備、試験炉の整備…すべて連動しており、一つでも狂えば列車は走りません」
綱吉の圧は強烈だったが、翔馬の弁明は的確で、周囲は一歩下がったように頷く。
(くっそ、知りもしない癖に好き勝手いいやがって…)内心は面白くない…
しかし、詳しすぎても、好き勝手やってることに気づかれるから無知なくらいでちょうどいい…とそんなことを考えていた。
翔馬は思わず内心で舌打ちしつつも、笑顔で応じた。正月で華のある江戸の町を尻目に、今日は屋敷ではなく工場に戻り、窯の余熱を感じられる場所に横たわった。なんかそんな気分だった。