ヌプルペツ(登別)での語らい
翔馬たちの船が登別の浜に着くと、潮風を裂くように太鼓の音が響いた。
浜辺には、村の者たちが一斉に集まり、誰もが目を見開いている。
船の先頭に立つのは、松前の代官に切り捨てられたはずの長老だった。
「……長老!」
女たちの叫びが上がり、子どもたちが駆け寄る。
「死んだと聞いていた……!カンナリ(息子)も斬られたんだろう?」
「ああ、松前の役人にカンナリは殺された。ワシも斬られたが運よく助かったんじゃ。」
泣きながら抱きつく家族を、長老は静かに抱きしめた。
「この方々が、わしを救ってくださった。江戸から来られた武人じゃ。松前の悪しき者どもを討ち払い、正しき裁きを求めてくださるのじゃ」
その言葉に、村人たちは一斉に翔馬たちへ目を向けた。
だが、喜びの声の中にも、冷たい空気が漂っていた。
後ろにいた女の一人が、怯えたように囁く。
「……また和人が来た。今度は何を奪いに来たのか」
「どうせ、最初は優しい言葉で……」
その声は、風に乗って翔馬の耳に届いた。
彼は目を伏せ、ゆっくりと一歩、前に出る。
「私は、松前の者ではありません。権を振るうためにここへ来たのでもない。
皆の土地を奪うつもりもない。ただ、正しいことを正しいと言える世を作るためにここに来た。」
沈黙が続いた。焚火の煙が夕空を裂くように立ちのぼる。
長老は杖を握りしめ、村人に向かって声を上げた。
「このお方を信じてくれ。松前の武士どもに切り捨てられたわしを、命をかけて助けてくださったのじゃ。 天礎さまは、わしらの敵ではない!」
その声が村の空気を震わせた。
数人の男が槍を下ろし、女たちがそっと顔を上げる。
やがて、一人の若者が泣き出しそうな顔で前に出た。
「……すまねぇ。俺たちは、和人ってだけで疑ってた。」
翔馬はその肩に手を置いた。
「疑うのは当然のことです。信じるというのは、簡単ではないから。」
長老の提案で、夜には宴が開かれた。
焚火を囲み、獲れたばかりの川魚と鹿の肉が並ぶ。
久々の獣肉は感動するほど美味かった。
村人たちは最初こそ距離を取っていたが、長老が笑いながら翔馬の隣に座ると、空気が和らいでいった。
長老の話す函館での翔馬の立ち振る舞いの伝が大いに場を盛り上げる。
胸がすく話に、彼らは気分が高揚し、酒が進む。
しばらくして、場も落ち着いたころ、彼らは胸の内を話し始めた。
「松前の奴らは、また攻めてくるだろうか?」
「江戸の偉い人は、わしらの声を聞いてくれるのか?」
翔馬は一つ一つの問いに誠実に答えた。
松前藩の専横を幕府に訴える手はず、今後の証言者集め、そして北の脅威…ルーシ帝国の影の話まで、真摯に語った。
焚火の光が、翔馬の横顔を照らす。彼の言葉に耳を傾ける人々の目が、次第に信頼の色を帯びていく。
ひとりの若者が口を開く。
「……今度、シトセの方へ行商に行く。あっちの村の者にも、天礎さまのことを話しておくよ」
「そうか。それは頼もしい。君の言葉が、全土のアイヌに伝わればいいな。俺は期待に報いるように頑張るよ。」
夜更けまで、歌と笑い声が絶えなかった。
翔馬は杯を置き、焚火の向こうで眠る子どもたちを見つめる。
「岡部さん。これでようやく、彼らの心に火が灯ったな」
「ああ、そうやな。しかし、その火を絶やさへんためには……松前を変えていかなあかん。」
翔馬は静かに頷いた。
「ひと月後、江戸での裁きだ。それまでに証を集め、真実をもって裁かせる。俺が昨夜語った筋書きでいく。」
翌朝、波打ち際で見送る村人たちの間に、恐れはもうなかった。
長老は翔馬の傍らに立ち、海風に髭をなびかせながら、静かに言った。
「キムンホロケ!(熊の巨人)この老骨、最後の力を尽くしましょうぞ。」
翔馬は笑みを浮かべ、船に足をかけた。