21.情報集めは己の足で
ミケが倒れた。
先日の人喰いと思しき化生との一戦、痛み分けに終わったあの戦いの後に、近所の安い牛丼チェーン店で店員が白目剥く寸前のドカ食いをやらかした直後、彼女は倒れた。すわ救急搬送か、と思いきや、どうやら食い過ぎが原因ではなかったらしい。
軽い酩酊のような状態に陥った彼女いわく、原因は『毒気』――人喰いに負わされたかすり傷から、何らかの毒気が全身に回ったのだと言う。
「背乃腹さん、それって大丈夫なの?」
「本人もレキも大丈夫って言ってたから、まぁそうなんだろ。化生の体の仕組みなんて、俺は知らないよ」
隼斗は妹の悠奈を伴い、学校が終わった夕方に駅前の図書館を訪れていた。長机の置かれた読書スペースのほとんど全ての席が埋まる程度には来館者がおり、同じ高校の学生服姿もちらほら見受けられる。
戦闘行為を行うことが出来ない今、隼斗は自分に何ができるかを考え、化生に関する文献を探ろうと思い当たったのだ。どれほど意味があるかは分からなかったが、何もせず手をこまねいているのは性に合わなかった。
学校にも図書館はあるのに、なぜ街の施設を選んだのか。学校の図書館では情報量はたかが知れている――というのは建前で、本当の原因は目の前にあった。
「……お前、面白いか?」
悠奈が隼斗の向かいに座って微笑み、分厚い本をめくる隼斗を飽きもせずじーっと眺めている。
「兄妹って、面白い面白くないなんて理由で一緒にいるものじゃないでしょ?」
「微妙にはぐらかすんじゃないよ。お前の『眼』が危なかった昔とは、もう違うんだぞ。もっと自由を満喫しろよ」
「……はー。悪気は無い分、余計タチ悪いんだよね。妹心は複雑です」
「なんだそりゃ」
「なんでもないですよーだ」
悠奈の雷獣眼が安定し、シズメによる制御を必要としなくなった今でも、彼女は兄と行動することを好んでいた。
お互い難しい年頃である。友達や知り合いで溢れかえる学校で、妹とあまりベタベタしているのは見られたくなかったというわけだ。もっとも、悠奈の方は見ての通りだが。
なるべく気にしないようにしながら、隼斗は静々とページに視線を落とすのだった。
「二口女、か」
「あんまり聞いたことないよね。ゲが三つつくやつに出てきたっけ?」
「どうだかな。俺もそんな詳しくないし」
「本人に聞かないでわざわざ自力で調べるなんて、我が兄ながらお堅い人だよねぇ」
「悪かったな。出来ることは自分でしないと気がすまねぇんだよ。これが二口女――」
わざわざ閉架書庫から借りた書物は、ほんのりかび臭く、擦れた手触りもまた年季を感じさせるものだった。ページに書かれている化生の名は、『二口女』。
二口女とは、まさしくミケのように頭の後ろに巨大な口を持つ女の異形である。一見した見目は麗しい美女そのものであり、やもめ暮らしの男に取り入っては慎ましい良妻として振る舞う、それだけ聞けば害の無い化生だ。
しかし男は夫婦生活を続けるうちに、いつしか飯の蓄えの減りが異常に速いことに気付いてしまう。彼は妻を訝しみ、彼女の行動を影からこっそりと見守ることを始める。
するとどうだ。妻はこそこそと炊事場に入ると、後頭部の髪をかきわけて、そこからおぞましい大アゴをがばぁっと開いた。その中へ、釜の飯を次から次へとばっくばっく美味そうに平らげていくではないか。
妻の正体に仰天した男は腰を抜かし、たまらず悲鳴をあげてしまう。ああ、それに感付いた妻――二口女は、鬼の形相で「見ぃたぁなぁ……!」と男に声をかけるのだ。それは毎夜毎夜、閨に響く甘美な妻の声色では断じてない。異形の大きな大きな口から漏れ出る、ドス黒い雄叫びなのだ。
そして逃げることも出来ない男は、どうなるか――。
「そのまま喰われてしまう話、逃げた先で菖蒲の生力を用いて鬼女を祓う、端午の節句の起源となったとする話、他にもパターンは色々あるらしい。一説を取るなら、『実は女ってやつは怖い』をそのまま怪物に具象化した化生ってわけだ」
「失礼な話ねぇ。要は山姥ってことじゃない。瀬乃腹さんはどうなの?」
「う~ん、あんま裏表無さそうだよな、アイツは。殺した継子の亡霊に取り憑かれた継母が、食えずに死んだ子供の分まで食わされるっていう話もあるらしいけど、こういうのは全然関係無さそうだな」
これら明文化された記述はあくまで、人間が空想した産物としての説話だ。事実はどうあれ、裏街道に生きる本物の化生達からすれば噴飯モノなのかもしれない。にゃーにゃー言いながら満面の笑みで美味そうに超ドカ盛り地獄ラーメンを5杯平らげるミケの姿を想像すると、さもありなんと思えた。
「昔は今と比べて寿命も短かったろうし、今日、明日の食べる分を確保するだけでも文字通り必死だったわけだろ。食べ物の恨みは怖いとも言うし、食に関する異形の伝説が多いのも頷けるな」
「化生も、食べるのに苦労してたのかな? 山にあるものばっかり食べてたわけじゃないと思うんだけど」
「してたろうな。だとしたら、毎日ふらっと入った建物でいつでも腹いっぱい食える今の時代、アイツにとっちゃ天国なのかもな」
やためったらドカ食いしているように見えて、彼女は本当に幸せそうに物を食べる。見ている方が何となく幸せな気分になるほどだ。男泣きしたラーメン屋の店主なんかもいたが、あれだけ食ってもらえるならば、料理人冥利に尽きるというものだろう。
ラーメンの芳醇な味噌の香りを思い出していると、同時に鼻をつく書物のカビ臭さが混ざって若干のえずきを覚える。昔も似たようなものだったのかもしれない。先月食べた新鮮な旬魚の味など思い出しながら、雑草粥をすする現実の暖かさをも噛み締める――
「――兄さん、兄さん」
「……はっ。な、なんだよ」
「なにって、調べることがあるから来たんでしょうに。ねぼすけは帰ってからにしてね」
妹の言葉に、束の間の小グルメ紀行気分から抜け出す。そう、二口女や雷獣について調べるのもいいが、主目的はそれではないのだ。
何よりも、まず。
――人喰いとは何者なのか、調べてみなければならない。