書き換えの代償
その日、真白はいつものように笑っていなかった。
昼休み、蒼真が声をかけても、彼女は少し首をかしげるだけ。
「ごめん、蒼真くんだっけ? クラス一緒だよね?」
胸の奥が冷たくなった。
昨日までの彼女は、放課後に一緒に未来改変クラブのノートを覗いて笑っていたはずなのに。
「……覚えてないのか?」
「なにを?」
その笑顔は、昨日より少しだけ遠くに見えた。
蒼真は放課後、結人を屋上に呼び出した。
机の上にノートを叩きつける。
「結人、真白が……俺たちのことを覚えてない。」
結人の顔がわずかにこわばった。
「やっぱり、きたか。」
「やっぱり?」
「昨日、ノートを見たら少し文字が消えてた。“真白”の名前が薄くなってたんだ。」
「それをなんで言わなかった!」
声が震えた。風が二人の間を抜け、ページがまたひとりでにめくられた。
そこには、新しい警告があった。
> 「“記憶の欠損”は拡張する。続ければ、“存在”が上書きされる。」
蒼真はペンを握る手を止められなかった。
「存在が上書きって、どういう意味だよ……」
「つまり、誰かの記憶から消えるだけじゃない。その人が、“世界から消える”ってことだ。」
結人の声が静かに揺れた。
「このノートは、未来を書き換えるんじゃなくて、“現在”を書き換えてる。」
沈黙。
蝉の声だけが遠くで鳴っている。
「もう使うのはやめよう。」
そう言う結人に、蒼真は頷けなかった。
真白が、昨日の笑顔を思い出せないのが怖かった。
「……でも、もしノートで書き直したら、真白の記憶を戻せるかもしれない。」
「やめろ。それ以上やったら、本当に取り返しがつかなくなる。」
「それでもいい。俺は——あいつを、消したくないんだ。」
ペン先が震える。
> 「真白の記憶を戻す。」
書いた瞬間、ノートの紙が熱を帯びた。
青いインクが滲み、文字が歪んでいく。
頭の奥で何かが弾けたように、視界が白く霞んだ。
次に気づいたとき、屋上にいたのは蒼真ひとりだった。
結人の姿も、ノートも、消えていた。
校舎に戻ると、教室には真白がいた。
彼女は笑っていた。
まるで何もなかったかのように、絵の具まみれの手で窓の外を指していた。
「見て、今日の空。変な色してるよ。」
その空は、夕焼けでも夜でもなかった。
赤と青が入り混じり、まるで“書き換えられた空”のようだった。
そして蒼真は気づく。
——クラスの誰も、結人のことを覚えていない。