メーダイル皇帝夫妻
嵐のように来て去っていく
「メーダイル皇帝夫妻、バーデン皇帝陛下とライラ皇后陛下がご来訪です」
やってきたメーダイル夫妻は笑みを浮かべている。裏の思惑を隠そうとする、不自然に強く象った笑みとも、嘲る薄ら笑いとも違う。仮面を張りつけたような感情を計り知れない笑いだ。
皇帝のバーデンは四十代半ばくらいの、金髪と薄青の瞳をした端正な顔立ちの男性だった。猩々緋のマントを纏い、小型の狼のような襟巻を大ぶりのルビーのブローチで留めている。漆黒の軍服風の礼服で、ボタンには大ぶりの真珠を小粒のダイヤモンドで囲う豪奢なものだった。
皇后のライラは金髪碧眼の涼やかな目元の三十代後半くらいの美女だ。バーデンのマントと共布の鮮やかなドレスは大きなパフスリーブに、裾には大ぶりのフリルとレースを重ねた重厚なデザインだ。全体に金糸と真珠で蔓薔薇模様を刺繍し、室内でも煌めいていた。同じくらい、輝くのは首を飾る大きなルビーと真珠のネックレスだ。
二人の衣装は、二人で一つとして完成するデザインだ。
「よく来てくれた、ゼイングロウの客人たちよ」
バーデンは自分たちの無礼には一切触れないどころか、上から目線の発言まで飛び出している。この程度は序の口だと、ヨルハは知っている。
ヨルハは笑みを浮かべながらも、不快さに内心で鼻白んだ。脂粉と香水のほかに、何か薬のような臭い。それ以上に感じる妙な気配。
(獣人の嫌がらせのこうでも焚いてきたか? ……露骨に煽ってくるが暴れるにはまだ足りないな)
決定的な非ができるまで我慢しろとは言われていた。ちまちまやり合うより、ドカンと大きく暴れてやれとシンラやコクランに言われている。
ヨルハとしてもみみっちいことは好きではない。やるときは白黒はっきりつけたい。それにユフィリアを巻き込むことは本意ではないが、ここで一度きっちりと立場を分からせて今代のゼイングロウ皇帝夫妻は手を出してはいけないと理解させる必要がある。
この国に入ってからの失礼な振る舞いから、仕掛けてくるという前兆はあった。
ヨルハは目の前の男女を見る。狸とも狐とも違う、正体の知れない洞。それがメーダイル皇帝夫妻の印象だ。
皇帝夫妻は美男美女と言えるし、一見すると友好的だ。そしてその反面、ヨルハたちを下に見ようとする態度が露骨である。いかにもメーダイルらしい人間だ。
予想通りなのに、ヨルハの本能が警戒を伝えてくる。しっくりきすぎるくらいで、どうも気味が悪い。
隣にいるユフィリアも、ヨルハほどではないが違和感を覚えていた。
社交界で本心の読めない者は多い。身分の高い者や、優秀な者ほど巧妙に隠すのである。
メーダイル皇帝夫妻も優美な笑みを浮かべているが、その本心は全く見えない。隙があるタイプなら、目の動きやちょっとした言動に出るが、この夫妻は一切のブレが感じないのだ。
(まるでお芝居をしているみたい……)
社交界は、ある意味お芝居のようなものだ。
隙を見せないように笑みとドレスで武装する。夜会もお茶会もそうだった。ユフィリアは実家の事情もあり社交にはそれほど出られなかった。それでも肌で感じた社交界は、眩く豪奢な反面、欲望と嫉妬が渦巻く場所でもあった。
醜い感情を隠し通し、余裕をもって優雅に振る舞う。多くの嘘と虚栄が飛び交う。
(実は友好的に思っている? ううん、それとも違う)
ユフィリアたちが探る視線を送る中、滑らかな口上でメーダイルの歴史について語るバーデン。近隣の国の中でも一番歴史が長いことが、メーダイルの自慢なのだ。
客人であるユフィリアたちが一言も口を挟まなくても、バーデンは朗々と語り続ける。ライラもそれに頷きながら聞き入っていた。止める気はないらしい。
「とまあ、我がメーダイルは魔法や魔道具の造詣に深く、多くの文化を牽引してきた大国なわけだが……おっと、魔法使いのいないゼイングロウにはつまらない話だっただろうか」
失礼したとは言うものの、バーデンは一度たりともヨルハとユフィリアへ意見を求めなかった。そもそも、挨拶をすることすらせず、こちらに促そうともしない。
ヨルハは笑みを浮かべているが、ユフィリアには分かる。
あれはつまらないから聞き流すときの笑顔だ。
ユフィリア関連で暴走しすぎてシンラやコクランに説教を食らった時にああいう表情をしている。露骨に拗ね、つまらなそうにしている時のほうがマシだ。この顔の時は、本当に右から左に素通りしている。
ユフィリアはこっそり溜息をついた。
例え相手が大国の皇帝夫妻だろうが、ヨルハのスタンスは微塵も変わらないのだ。
「実に有意義な話、感謝いたします。貴国の魔法技術は有名ですからね」
いけしゃあしゃあと言うものだ。全然、聞く気なかったのに。
貴人の笑みを浮かべたヨルハはすこぶる麗しい。その顔面力に大抵の人は流される。騙されないのはヨルハを良く知る人物たちくらいだ。
ユフィリアは当然ながら分かっているが、事を荒立てる気がなかったので黙っていた。
バーデンの語った歴史はすでに習ったことだったが、ユフィリアも笑顔で誤魔化しておいた。
「ええ、魔法だけでなく、錬金術も盛んなのですよ。魔法薬にも力を注いでいます。そういえばヨルハ殿。ここ数年、随分と薬草の輸出が落ち込んでいますが何か不作の原因でも?」
バーデンが世間話のように、お国自慢から貿易に話をすり替える。
それを理解しているだろうヨルハは、軽く首を傾げながら不思議そうにする。
「ゼイングロウの稀少な薬草は、自然の恩恵に頼るものが多いもので……どうしても収穫量に波ができてしまうのですよ」
大嘘だ。メーダイルには出していないだけである。番探しの件もあり、メーダイルの三十年分くらいがミストルティンにお礼として贈られている。つい最近の出来事だ。
メーダイルの国への分は振るわないが、他民族の集落への輸出量は増加中だ。
ユフィリアはそれを知っていて、それとなく表情をヨルハに合わせて申し訳なさそうにしておく。
「それは残念だな。我が国で研究すれば、多くの新薬が生まれるだろうに」
確かにメーダイルは大国で、長らく周辺国でも随一の技術大国である。だが、最近ではその勢いに衰えが見えつつある。錬金術や薬学では小国のミストルティンが迫っており、ご自慢の魔法も周辺国家に研究されて並ばれつつある。
そして、歴史ある大国ゆえの弊害が出ていた。貴族の汚職が横行し、長らく魔法大国としての環境に胡坐をかいて、自慢の魔法や魔道具の研究が停滞しているのだ。
新しい分野が開かれず、メーダイル全体に慢性的なマンネリに陥っている。
その一端を担っているのがゼイングロウでもある。
ゼイン山脈やそこに住まう魔物から取れる素材を数多く有しているが、メーダイルには出し惜しみしている。研究素材が手元になければ、優秀な人材がいても持ち腐れだ。
何度も戦争をしているので、ゼイングロウが協力的になれないのは仕方がない。そして、その素材は別の国に流れて行って、研究されるのだ。他国も他国で、己が先駆者になろうと研究を大事に保護している。メーダイルの傲慢なやり方を嫌い、共同研究はされなかった。
メーダイルが痩せた土地だという訳ではない。多くの資源がある。しかし、それでも一線を画すのがゼイングロウ。北に構えたゼイン山脈が特殊な生態系から生まれる、固有種が多すぎるのだ。
これも、メーダイルがゼイングロウを狙い続ける理由の一つだ。
「栽培による生産ができればよいのですが、難しいものが多くて」
「それはそうだろうなぁ」
ヨルハの言葉に還るバーデンの声は『獣人ごときができるはずもあるまい』と小馬鹿にする気配があった。
ヨルハは人一番勘が鋭い。興味の有無の振り幅が大きいが、聡明である。バーデンの裏には気づいているはずなのに、何も言わない。
ユフィリアも怒りに任せてはいけないとは分かっている。それでも、愛着あるゼイングロウが馬鹿にされるのは気分が良くない。顔にはけして出なくても、それは蓄積していく。
ソービはティーワゴンの横に立って、いつでも給仕できる状態だ。ちょっと髪の毛が立っているので、怒っているのを我慢しているのだここで平静な顔を装えるだけ、ソービはとても成長した。
「バーデン陛下、どうぞおかけになってくださいませ。よろしければおもてなしさせていただきます」
「いや、結構。まだ来賓も多くいて、挨拶が終わらないのでな。そろそろ失礼しよう」
やや食い気味で断ってきたバーデンと、こちらの返事を聞く前にさっさと退室しようと歩き出しているライラ。別れの挨拶すらない。
まるで、こちらから誘ってきて断るために立ちながら時間稼ぎをしていたようである。
子供のような嫌がらせの仕方に、ユフィリアは呆れてしまう。
メイドたちはせっせとバーデンたちについて回り、こちらなど伺いもせず帰りの案内をしていた。
メーダイル皇帝夫妻の退室に伴ってメイドもいなくなった。扉が閉まると、ヨルハは大あくびした。
「ソービ、お茶。軽食も出して。あと毒予防の丸薬も。しばらく行くつもりはないけど、今後の夜会は立食パーティ形式で、舞踏会と晩餐がセットになっている。何が入っていてもおかしくないだろうから」
相手の傍若無人ぶりからして、ユフィリアを拉致して強引に誘い込む可能性もかる。常に持ち歩かせたほうが良い。
「は、はい!」
メーダイル側の無礼三昧を我慢するのに必死だったソービは、ヨルハの言葉に背筋を伸ばして返事をする。
すぐさま動き出すソービを確認し、次にトウダを見る。
「手紙出すから、用意」
「畏まりました」
すっと臣下の礼を取りトウダは退室する。まだ荷解きも完全に終わっていないので、運び込んだ部屋から探さなければならない。
ユフィリアは台風のように勝手にやって出ていったメーダイルの皇帝夫妻に、気持ち悪さを抱いていた。
彼女の太腿で握られている手を、ヨルハがそっと包む。ずっと固く曲げられた指は、強張ってていた。ユフィリアは表面上は皇后らしく笑顔を浮かべながらも、困惑と怒りに耐えていたのだろう。
「ユフィ、アイツらはまともに相手しないほうがいいよ。とにかく自分が上なんだって、優位に立ちたがって支離滅裂だから」
ヨルハが優しく声をかけると、ようやく落ち着いてきた。ユフィリアはメーダイルに来るのは初めてだし、敵地同然であるこんな場所で嫌味な態度をされるのは精神的にくるものがあっただろう。
細く長いため息をつくと、ヨルハを見上げた。
「そ、そうですね。嫌っているとは承知でしたが、あそこまで露骨だなんて」
「うーん、今回は特にって感じだな。挑発しているんだろうね。乗ってやる必要もないよ」
挑発という言葉に、すとんと腑に落ちた。
バーデンとライラの侮りは、こちらを怒らせるためだった。会話というのも烏滸がましい、一方的な喋り方。こちらの意を無視して自分のペースだけでやっていた。
不仲なのは知っていたが、初っ端から強烈な先制パンチを食らった気分である。
(気を付けろと言われていたけれど、厄介ね……あんなに話が通じない相手だなんて)
ずっと親切で朗らかなゼイングロウの人たちに囲まれていたので、すっかり社交界の空気を忘れていたのかもしれない。頭のどこかで、ここまで冷遇を受けるはずがないと油断していたのだ。
メーダイルは、何度もゼイングロウに大敗している。敵対するとリスクしかない。武力を伴う争いになると、勝ち目なんてない――普通なら、腹に別の感情を抱えても表面はやり過ごす。
(メーダイルにはそれがない。神獣であるヨルハ様を怒らせても構わないとでも?)
ヨルハ一人でも凄まじい戦力だ。その後ろに、あまたの獣人がいる。彼らは、ゼイングロウを敵に回する覚悟があるというのか。
(まともじゃない)
改めて気を引き締めなければ。本当に大変なのはきっとこれだらだ。
読んでいただきありがとうございました。