第75話 上野介は、茶の湯を楽しむ
天文24年(1555年)7月下旬 駿河国駿府 三浦氏員
こちらが想定していたよりも早く大蔵殿から茶の湯の招待を受けることになったが、俺は構わず指定された松平家の屋敷に赴いた。
「ようこそお越しくださいました。大蔵殿と左京様もすでにお越しになっておられますゆえ、どうぞこちらへ」
元服の折に顔を合わせただけであったが、流石は雪斎殿の弟子というわけか。松平次郎三郎殿は非常に礼儀正しく俺を出迎えて、先の二人が待つ部屋へ案内してくれた。そして、そのままできたばかりの茶室へと皆で向かう。
「では、これより始めさせていただきたいと思います。まずは……」
そう……まずは、茶室への入り方だ。こんなことまで作法があるのかと、初めて信虎公から教えてもらった時は戸惑ったものだが、何度も練習して今では完璧だ。さて、朝比奈殿は如何に?
「これでよろしいですかな?」
「結構でございます。それでは次に……」
むっ……こういった芸事には疎いと思っていたが、中々やるな。だが、問題はここからだ。作法は何度も繰り返し練習すれば覚えるが、上手い茶を点てるには色々とコツがあるのだ。付け焼刃ではそう簡単にはいくまい。
「左京様、もう少し肩の力を抜いて……」
「むむ、こうか?」
ほらな!
「………三浦様、抹茶を入れ過ぎです。それでは渋くておいしい茶は……」
う……油断していたら今度はこちらが注意されてしまった。そうそう、他人の事よりまずは自分の事だな。抹茶の入れ過ぎか、注意しなければ……。
「では、とりあえず1回目の茶はこれにて完成したという事で、出来具合を確認いたしましょう。それぞれ隣の方にご自身が点てた茶をお回し下さい」
俺の所にはまず大蔵殿の茶が回って来た。これを一口飲んで、隣に座る朝比奈殿に回す。もしかして、全部飲み干すという無作法をするのではないかと注目していたが、そんなことなく隣の次郎三郎殿へ回した。なんだか、ちょっぴり残念だ。
続いて回ってきたのは次郎三郎殿の茶だ。先程飲んだ大蔵殿の茶には及ばないが、悪くはない。十分及第点を付けられると思った。
最後は朝比奈殿の茶だ。ふむぅ……まだまだだな。これなら、俺の勝ちというところだな。さて、大蔵殿の判定は?
「……それぞれ、飲み終えて感想があるかと思いますが、大事なのは他人に勝ったとかそんな優劣を競うことではなく、今の自分に何が足りないのかを見つめることです。三浦様……次郎三郎殿や左京様の茶をお飲みになられて、その点はどう思われましたかな?」
「え、えぇ……と?」
どうしよう……そんな事など、これっぽっちも考えていなかった……。
「左京様は?」
「う……申し訳ござらん。某、上野介殿の茶に負けたとしか考えておらず……」
うんうん、そうよな。俺の方が上手い茶を点てたのは当たり前だが、朝比奈殿も認められていたか。実に愉快だな……って、そういう事じゃないんだろうな、大蔵殿が言いたいことは。
「それでは、もう一度茶を点てて、その事に思いを馳せるようにしましょう」
今度こそは間違えない。先程注意された抹茶の入れ過ぎに注意しつつ茶を点てて、同じように隣の朝比奈殿に回した。そして、己に足りない物を考えながら、大蔵殿、次郎三郎殿の茶を飲み、さらに朝比奈殿の茶に口を付けた。
「ほう……」
先程よりかは随分とマシになったような気がする。何がマシになったかと言えば、口当たりだろうか。俺への指導を聞いて、粉の量をもしかしたら加減したのかもしれない。あと泡立ち具合も中々だ。次の時、どうやっているのか観察することにしよう……。
「では、もう一度……」
こうして、何度かやっているうちに、それぞれの茶が少しだけおいしくなるにつれて、自然と意見を交換し合うようになった。朝比奈殿は、湯の注ぎ方を聞いて来て、俺は茶筅の扱い方を……といった感じで。
そして、何杯も茶ばかり飲んでいたら水腹になると次郎三郎殿が言い出して、皆で大いに笑った。今日の所はそれでお開きになったが、何だかこれは楽しい。次の開催が楽しみだと思いながら、俺は家路についたのだった。