61 どちらを選んでも
エヴァンの走り書きを見たエミリーが、大きく口を開けた。
「お嬢様がっ……モゴッ」
すかさずジェイダが、焼き菓子をエミリーの口の中に放り込む。
「エミリー。何の為にエヴァン様が紙に書いたと思っているのです」
黒縁眼鏡の奥で薄青の瞳を冷たくきらめかせ、口いっぱいの焼き菓子で目を白黒させているエミリーに、ティーカップを渡した。
「もしこれが正しければ、殿下にとってはまずいことになる。ということで、ここに書いた内容は一応ふせるように」
世間話の延長のように、さらりとエヴァンがエミリーに釘を刺した。ごくんと焼き菓子を飲み下したエミリーが、こくこくと首を縦に振る。その拍子に溢れたお茶をジェイダが拭いてた。
「はははは! 一応、といったろ。大丈夫。殿下は想定済みだからな。その上で坊主は殿下の思惑に乗ると。サンチェス公爵の命令に従わないと踏んでいるから、俺を剣術指南につけたんだ。だからこれは大っぴらに言いふらさなければ問題ない」
豪快に笑い飛ばし、エヴァンが少し顔を青くしたエミリーに片目をつむる。いくぶんか顔色のよくなったエミリーがお茶に口をつけ、あつっと言ってからため息を吐いた。
イザベラはセスの手をぎゅうっと握る。
「当り前よ。問題なんてないわ。だってそれはエヴァン様の勘違いよ。セスはともかく私なんかが、絶対に違う」
自分が聖女。そんな馬鹿な。だって聖女とは聖なる女。
イザベラは自分自身の足先から指の先まで見てみた。
どこが聖なる……?
見た目自体は綺麗だ。でもそんなものに意味なんてない。
複数の男と関係を持ち、だまして金を巻き上げた麗子。アメリアを陥れて奴隷に落ちたイザベラ。どちらも汚い。
「お嬢様とセスだけがそうで、殿下とアメリア様は違うのか。四人ともがそうであるのか分かりませんが。あの時モンスターを倒したのは殿下だけではなく、セスもでしょう? 聖女の力が発揮された時も、アメリア様だけじゃなくお嬢様も一緒にいたそうではありませんか」
「はい! はい!」
ジェイダが言い終わるか終わらないかで、エミリーが勢いよく手を上げた。
「エミリー。声が大きい」
じろりとジェイダの冷たい一瞥を食らい、エミリーがぱくんと口を閉じる。
開会式の時間が迫ってきた会場には、続々と選手と関係者がやってきていて、空いていた席がほとんど埋まっていた。
その分様々な人間の雑談がざわざわと会場に立ち込めていて、よほど側で聞き耳を立てるか先ほどのエミリーのように大声さえ出さなければ、内容は聞かれないだろう。
『はぃぃっ。ナイショのナイショでございますですね』
エミリーが今度はぐっと声をひそめたため、全員が不自然でない程度に体を寄せる。
『アメリア様が力を使って下さった時、全然まったく効かなかったのに、その後お嬢様がアメリア様を羽交い絞めにして『力を貸しなさい』って言ったら、ぱーっと光ってすーっと治ったんでございますです。あれはぜーったい、お嬢様のお力でございますですっ』
「そういえば。そんなこともあったような」
声よりも鼻息の大きいエミリーの言葉とイザベラの呟きを聞き、皆がやっぱりといった顔をした。
「うーん。でも……」
あの時は無我夢中で、猛烈に腹が立ったことしか覚えていない。納得がいかなくて首をひねるイザベラに構わず、ジェイダが口を開いた。
「では、やはりその可能性が高いということで話を進めましょう。いいですか。お二人がそうだという可能性に思い至ったのは殿下だけではありません。旦那様もなのです」
「お父様が?」
旦那様という単語を拾って聞き返してから、イザベラは思考を回転させる。
あの場にいなかったが、トレバーにはエミリーがあらましを報告している。トレバーはその報告から推測したのだろう。
「そうです。具体的なことをここでは申し上げられませんが、旦那様はお二人を利用するおつもりです」
冷ややかな光をたたえたまま、ジェイダがうっすらと口の端を吊り上げた。具体的なこと。利用する。イザベラはその二つの単語と、ジェイダの鋭利な刃物のような独特の笑みで、なんとなく察する。
もしもジェームスとアメリアではなく、イザベラが聖女でセスが勇者であった場合。トレバーはジェームスを蹴落とし、イザベラとセスを祀り上げるつもりなのだ。
イザベラの背筋を冷たいものが撫でた。もしもそうなら、ジェームスからするとイザベラとセスは脅威だ。
ジェームスにまとわりついていた黒い影。聞こえたノイズ。
あれはイザベラを敵視していたからだったのか。
思えば異例の早さで進んだアメリアとの婚約。婚約発表からあっという間に広まった勇者ジェームス王子と聖女アメリアの恋物語。充満した祝福ムード。
小説のようにアメリアを溺愛しての行動だと思っていたけれど。それもイザベラとセスが聖女と勇者だとういう前提があってのことだったのかも。
「待って。だとしたらこの剣術大会も」
トレバーもジェームスも。真偽はともかくとして、イザベラとセスが聖女と勇者だという可能性を視野に入れているとしたら。
決勝まで進んだセスが勝てばトレバーの。負ければジェームスの思惑に乗ることになる。それは元々分かっていた。
トレバーに乗ればジェームスが勇者だという信憑性に傷がつく。
そうすればトレバーはこれ幸いとジェームスを王位継承者から蹴落とすか、わざと救いの手を差し伸べて逆らえないようにする。
ジェームスが勇者なら必ずその力を発揮する時が来る。ゆえに一時的でしかないが、それでもトレバーが優位に立てる。
ジェームスに乗れば、勇者の称号に箔がつく。アメリアとの婚姻は滞りなく進み、上手くすれば第一王子と立場が変わるかもしれない。トレバーの立場は弱くなり、セスに爵位が与えられる。
今回の剣術大会でセスが優勝するかしないか。それによって、ジェームスとトレバーのどちらに与するかの意志表明くらいの意味合いだった。
しかし。イザベラが聖女でセスが勇者なら。
もっと重要な意味と、明瞭な立場の違いが生まれる。
聖女と勇者という称号をトレバーは必ず利用する。サンチェス公爵家の権力を盤石にするだけならいいのだが、最悪、第三の勢力として祀り上げられるかもしれない。
魔王を含め、モンスターと戦わなくてはならないジェームスは、第二、もしくは本当の聖女と勇者の可能性があるイザベラとセスを味方として囲い込む。
つまりこの大会は単純な剣術大会ではなく。水面下での政治的なマウントの取り合い、殴り合いだ。
「セス」
イザベラは慌てて傍らのセスを見た。セスは一体、どちらを選択するつもりなのだろう。
「間もなく開会式が始まります。選手の皆さんは中央にお集まりください」
会場に、声を拡散させる魔具を使ったアナウンスが流れる。
「行ってまいります、お嬢様」
目の合ったセスがいつものようにふわりと微笑む。イザベラの好きな、淡い月光のような柔らかい笑み。
それを残して、イザベラの手からセスの手が離れた。
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