第三領域と先駆者『ファーストプレイヤー:イオ・アガリス』57
両軍から放たれた矢が弧を描き、互いの陣地に降り注ぐ。
歩兵が盾を上空に向け、飛来する矢を防ぎながら前進する。
放たれる矢の数は、そもそもの総数に勝るソーンミシア軍の方が多い。
更に前進する歩兵達の勢いも、ソーンミシア軍が勝っていた。
やがて互いの歩兵がぶつかり合い、味方への誤射を恐れて矢の雨が止む。
数と勢いに勝ったソーンミシア軍の歩兵の突撃を、けれども帝国軍の歩兵は揺らぎもせずに受け止める。
弓兵二千、歩兵四千、騎兵二千と言う構成の帝国軍に比べ、ソーンミシア軍の歩兵はおよそ倍。
にも拘らず帝国軍の歩兵が、数も勢いも勝るソーンミシア軍の歩兵を受け止めれる理由は唯一つ。
帝国軍の歩兵の中の一千が、通常よりも遥かに重装備を誇る鉄の鎧兜で全身を固めた重装兵だったからだ。
部分鎧なら兎も角、全身を鉄の鎧兜でカバーした兵種はこのミルノーシェ領域ではとても珍しい存在だった。
鉄の鎧兜の貴重さも勿論ながら、そんな重装備の兵は、それこそ戦争でしか役に立たない。
幾ら鎧兜で身を固めた所で、動きが鈍ければアンデッドや魔獣の攻撃は避けれれないだろう。
矢や、槍、剣等の人間から受ける攻撃は鎧兜が守ってくれても、怪力を発するアンデッドに組み付かれればお終いだ。
魔獣の爪牙を受ければ鎧ごと中身をぐちゃぐちゃに潰される。
故に人間は防壁で身を守り、極力相手の攻撃を受けない状態で敵を倒す。
防壁の上で活動するなら、重い鎧は邪魔でしかない。
その意味では騎兵部隊も割と珍しい存在だった。
まぁこちらは移動速度を重視すると言う意味で多少は必要とされるけれども、帝国軍の様に大量に揃える事はやはり珍しいだろう。
鉄の鎧兜も馬も貴重品で、重装で動き回るのも、馬を自在に操るのも、兵に高い練度を必要とする。
アンデッドや魔獣への備えに使えぬ兵を専門的に育てる余裕は、普通の国にはあまりないのだ。
しかしそれ故にワルハリア帝国軍は人相手の戦争にとても強かった。
重装兵が敵を受け止め、動きが止まった所でバローク・ヴィスター将軍を先頭にして突撃する騎兵で蹂躙。
これがバロークが軍を率いた時の必勝パターンである。
工夫も何もない力押しに感じるが、重装兵や騎兵が少ないと言う事は、当然それ等に対する策が練られる下地がないのだ。
ましてや先頭を切って突っ込んで来るのが英雄とすら言われるバロークなのだから、その勢いは凄まじく、生半可な備えでは到底受け止められない。
もうすぐ完全にソーンミシア軍の歩兵の動きが止まるだろう。
そうなればバロークは騎兵を率いて突撃し、戦場を縦横無尽に駆け回って勝利を掴む。
だからこそバロークを狙うならば今をおいて他にない。
突撃のタイミングを今か今かと計り、その神経を敵の動きに集中させてるこの時こそが、彼を殺す絶好の機会だった。
じっと伏せていたエルフ達が立ち上がり、弓に矢をつがえる。
彼等はミラーシュ族のエルフの中でも特に弓の腕に優れた戦士達で、その中にはファリアや長老すら混じってた。
大きな構えから引き絞られる弓。
普通に考えて矢の届く距離じゃないのに、それでもエルフ達は当たり前の様に矢を放つ。
小高い丘の上から一斉に放たれた数十本の矢は風に乗り、馬に跨り戦場を眺めるバローク・ヴィスターとその周囲に狙い違わず降り注ぐ。
それはもう、奇跡の様な光景だった。
私も弓を扱うけれど、システムの力を借りて一流以上の腕前を持っている筈だけれど、彼等と同じ事が出来る自信はない。
エルフの中から選ばれた、常識外れの超遠距離射撃。
……にもかかわらず、バロークは矢が放たれた瞬間にそちらを振り返る。
恐ろしい程に感覚が鋭い。
冷汗が、私の背中を流れ落ちたのを感じた。
バロークは騎乗したまま槍を振い、己に降り注ぐ矢を払う。
けれどもバロークが打ち払えたのは自分に命中する矢のみで、周囲の、まだそれに気付かぬ部下達にと逸れた矢は防げなかった。
「うわぁっ!?」
悲鳴を上げたのは、己自身でなく、騎乗した馬に矢の刺さった騎士の一人。
騎士なら鎧兜に身を守られているし、当たり所次第では矢の痛みも我慢出来よう。
だが行き成りの攻撃を受けた馬が、痛みと驚きに暴れ出す事を抑え込むのはとても困難だ。
「エルフの弓手だ! 集まれ、将軍閣下をお守りしろ!」
初撃の失敗を悟り、すぐさま次の矢を放つエルフ達に、帝国軍の騎兵達は集まってバローク将軍への壁になる。
騎士達に密集されてしまえば、もう多少の矢ではそれを崩す事は難しいだろう。
「ソーンミシアを引っ張り出したのは、やはりエルフか。そこまでは悪くなかったが、窮したな。のこのこと出て来た事を後悔させろ。第五小隊、エルフを捕らえに向かえ!」
配下に囲まれて、丘の上を指さして指示を下すバローク。
でも彼は気付いていない。
何故初撃でバロークを殺す事に失敗したエルフ達が、未だに逃げずに矢を放つのか。
それはバロークが大勢の配下に密集して囲まれる、この状況を造り出す為だと言う事に。
恐らく、暗殺に関してはバロークも警戒はしている。
地公将軍であるザゴーダの殺され方は、詳細は兎も角として概要位は伝わっている筈。
番犬に関しては、吊るされていたエルフ達も記憶になかったから、もしかするとあの時セルエラムの町に居た帝国軍の兵士達も忘れて居るかも知れない。
だが私に助けられた事自体はエルフ達も覚えていたから、暗殺に関しては帝国の兵士達も覚えているだろう。
故に戦場までの移動中は、夜休む時も天幕の外に護衛の兵が複数待機して、決して隙は見せなかった。
でもこの戦場はバロークが最も力を発揮出来る場所だから、誰も彼が戦場で死ぬ事を想像できないから、ほんの僅かな油断がそこに潜む。
後方支援の弓兵に混じっていた私は、鎧の留め具を外して兜も脱ぎ捨て、駆ける。
目立たぬ様に顔を煤で汚し、髪色も兜と深く被って隠した私は、盗んだ鎧を身に纏ってバロークの軍に混じっていたのだ。
騎兵達が密集する場所、バロークの首を目指して駆けながら、
「番犬の召喚!」
私は番犬を呼び出した。
何時も何時も頼ってばかりで申し訳ないが、あの首に届く一手として、番犬の力はどうしても必要だ。
大きな魔獣の姿ではなく、普段通りの犬の姿で現れた番犬は、
ゴグァァァァッ!
相も変わらず魂消る様な咆哮を放つ犬。
いや、魔力視で見ればわかるのだが、その咆哮には魔力が多分に含まれ、本当に気や魔力の弱い者がこれを聞けば精神を病んだり、或いは死に至らしめる事さえある音の殴打だ。
後方支援の兵等は勿論、精鋭である騎兵ですらもその咆哮にはパニックを起こす。
だが流石と言うべきだろう。
バロークは僅かに顔を顰めたものの、取り乱す事なくその咆哮に耐え切った。
しかしそれはどうでも良い。
大事なのは犬の咆哮を聞いた、バロークや騎兵の跨る馬の反応である。
馬の起こしたパニックは兵等のそれ等は比較にならない程に激しい物だ。
しかもバロークを守る為に密集していた状態で全ての馬が暴れ出したのだから、その混乱は凄まじい。
騎兵等が馬の背から振り落とされ、或いは馬ごと倒れ、大パニックなる中を、私は騎兵の背を、馬の首を、背を、蹴って跳んで、
「風よ!」
更に風の魔術も駆使して飛距離を伸ばし、バロークに迫る。
バロークはこの混乱の中でも自分に迫る脅威、つまりは私を的確に嗅ぎ分けて見付け出した。
本当に大した感覚だと思う。
けれども流石のバロークも、大暴れする馬の背から繰り出した槍では、私を仕留める事は叶わない。
私はくるりと身を翻し、突き出された槍のその上に着地する。
漸く、バロークの目が驚きに見開かれた。
私は槍の柄の上を更に二歩駆けて、そして引き抜いた短剣をバロークの喉元目掛けて突き下ろす。
暴れる馬の背中で回避が出来ず、バロークの喉から胸元に向かって刃が喰い込む。
普通なら即死物の傷だろう。
だがそんな傷を負いながらも槍を捨てたバロークは、私の腕を右手で掴んでそれ以上刃が入り込まない様にしながら、左手で腰の剣を抜こうとする。
驚くべき、そして恐るべき生命力と精神力だ。
でもこうなる事は、私はあらかじめ知っていた。
バロークが本物の英雄ならば、後一歩が届かないだろうと。
だからこそ私は、バロークの喉に短剣を突き刺そうとした瞬間から、既に準備を行っていた。
今彼に突き刺さる短剣には、私の魔力がたっぷりと籠っているのだ。
またその魔力は、既に燃え易い形質に変化させてある。
そう、これは私が大魔術師に最初に習った魔術だ。
「火!」
私の言葉と共に、バロークの喉に突き刺さった短剣は火を噴く。
発火の魔術で起きた火は、熱と痛みと驚きをバロークに与え、彼の体勢は傾いた。
相変わらず私の腕をつかんで離さぬが、元の筋力的には私の方が勝る。
火事場の馬鹿力的な物を発揮して拮抗されてはいても、体勢を崩したバローク諸共、馬の背から落下する事位は出来るのだ。
落下の勢いと二人分の体重が合わされば、刃は再び動き出し、ずぶりとバロークの胸を抉った。
短剣の刃が根元まで埋まって心の臓に届けば、流石の英雄も息の根が止まる。
相対した時間は一瞬だったが、恐ろしく手強い相手だった。
混乱する場の中でも迫る窮地、私を的確に見付けて攻撃を繰り出し、致命の一撃を受けても尚、私を殺す事を諦めない。
死した後も、彼の手は私の腕に喰い込んでる。
きっとこの英雄は、こんな場所で死ぬには惜しい人物だったのだろう。
……だが今の私には、感傷に浸る余裕はない。
私はそんな男の命を奪い、彼が尽したワルハリア帝国を追い落す為にここに居る。
腕に食い込んだ手を引き剥がし、短剣を引き抜いて私は叫ぶ。
「人公将軍、バローク・ヴィスター、討ち取った!!!」
思い切り、あらん限りの声を張り上げ、帝国の英雄の死を告げる。
広く騒がしい筈の戦場に、それでも私の声が響き渡った。
「貴様ァッ!」
その声を聞いた反応は、きっと様々だっただろう。
だが最も近くに居た騎兵は、怒りに顔を朱に染めて、将軍の仇を討たんと槍を突き出す。
しかしそれは、バロークの槍に比べれば遥かに遅い物でしかない。
私は身体を捻ってそれを躱すが、その時ズキリと、右肩が激しい痛みを訴えた。
別に誰かに後ろから切られたと言う訳ではなく、恐らく落下の衝撃で痛めてしまったのだ。
この場から無事に逃げ延びるには、実に手痛い負傷である。
でもそれでも、私は逃げ延びねばならない。
命が惜しいのは勿論だが、私が逃げれば、英雄殺害の下手人を逃がせば、ワルハリア帝国の威は更に大きく落ち込む筈だから。
ゴアァァァァァッ!
その時、再び咆哮が轟く。
どうやら犬は、まだ帰らずに私を待っててくれてるらしい。
二度目ともなれば流石に騎兵達は多少耐性が付いた者も居る様だが、馬のパニックはより一層酷くなった。
何よりも有り難い支援である。
私は再び突き出された槍を駆け上がり、騎兵の一人を踏み台にして大きく跳ぶ。
一度上に出てしまえばこちらの物だ。
パニック状態の騎兵達を足場にしながら、私は全力で戦場からの離脱を試みる。
折しもその時、歩兵同士がぶつかり合う前線にも変化があった。
まあ後方でアレだけ騒ぎが起き、将軍の死すら叫ばれたのだ。
帝国軍の歩兵達の間には動揺が広がり、その隙を逃さずソーンミシア軍が圧力を強めて行く。
今のままなら前線はやがて帝国軍歩兵隊の敗北で崩壊する。
そしてその局面を立て直せる総指揮官はもう居ない。
エルフ達は既に逃げ延び、私も間もなく戦場を離脱するだろう。
多大に運が味方してくれた結果だが、エルフ達や犬、仲間の助けも受けて見事に目的は達成出来た。
後はただ、この後の展開をジッと見守るのみである。