どうりでおかしいと思った
どうりでおかしいと思った。
「この女を捕まえろ!」
誰かがそう大声で叫ぶ。
するとどこからともなく騎士たちが私を取り囲み、そして地面へと押し付けた。
「っ……」
口の中に血の味が広がる。今ので口が切れたのだろう。
けれど私はそんなことなど気にも留めず、地面から彼らを見上げた。
血を吐いて倒れている女に、その女を抱き抱える男。
どちらも苦しみや怒りの表情を滲ませているが、その表情の下に笑みを秘めているのが分かる。
……ああ、やられた。
おかしいと思ったのだ。
嫌っているはずの私を、わざわざお茶会に招待するなんてと。
でもそういうことなのだ。
私を招待したのはこのため。
彼らは初めからこれを狙っていたのだ。
「この女だ!この女が毒を盛ったに違いない!」
女を抱き抱える男の言葉に、周囲は私が犯人なのではと思ったはず。
でもあくまで男が言ったのは推測。私を犯人だと決定づける証拠はない。
けれど彼らと私の関係を知るものから見れば、十分に私が犯人に思えるだろう。
毒を盛った?
そんなことするわけがない。
私が望むのは平穏、ただそれだけ。
けれど今さら私が声を上げようとも、何の意味も成さない。
だってこれは、終わりが決まっている物語なのだから。
『悪女は死に、真に愛し合う二人は結ばれ、幸せに暮らしましたとさ』
どうやら私はそんなくだらない物語の登場人物に、選ばれてしまったらしい。
そう。死ぬ運命の悪女に。
「牢屋に連れていけ!」
悪女の末路……おそらく断頭台の上だろう。
悪女の死を大々的にすればするほど、それだけ己らの真実の愛が輝くから。
要するに私は、彼らを輝かせるためにただ見世物のように死ぬだけの存在……。
「さぁ早く!」
男がそう急かすと、騎士は地面に伏した私を引っ張り上げる。
押し付けられたり引っ張られたりと、すでに身体中が痛い。
きっとこのあとはもっとひどい扱いを受けるのだろう。
ああ、私の人生もここで終わり――
『この力はいざという時に使うのよ』
己の死を悟ったその時、突然脳裏に浮かんだ幼い日の記憶。
そうだ。忘れていた。
私にはこの力があった。
今がきっとその時だ。ここが人生の分岐点。
どうせこのままでは悲惨な死を迎えるだけ。
それなら母が唯一残してくれたこの力。これを使う時が来たのだ。
「この悪女に死を!」
そう叫ぶ男に同調するように、周囲が騒がしくなる。
けれどそんな喧騒も気にもせず、私はゆっくりと目を閉じ、そして呟いた。
「【巻き戻れ】」
幼い頃、母に教わった特別な呪文。
人生でたった一度だけ使うことができるという、時戻りの魔法。
代償はないと言っていた。
けれど巻き戻せるのは三分だけ。
そもそも母の話が本当かは分からない。
だってたしかめたことなんてないから。
でももしも。
もしも本当に時が巻き戻るのなら、その時私は――
…
……
…………はっ!
「今日のお茶はね、なんでも東方のめずらしいお茶なんですって。ねぇイリス様?」
そう私の名を呼ぶ、甘ったるい声。
このやり取り……覚えている。
彼女――マリエッタ様の言う東方のめずらしいお茶。
これは父から持っていけと言われ、持たされたお茶だ。
おかしいとは思ったのだ。お茶会の場にお茶を手土産に持っていくなんて。
そんなのあなたの出すお茶は飲めないと言っているようなもの。
まさか父もグルだったとは。どうやら無能な私はもう用済みらしい。
それにしても今の彼女の発言。わざわざ私の名前を出すなんて。
まるで何かあれば、私が犯人だと言っているかのよう。
どうやらこの時点で、私がたどる運命は決まっていたらしい。
「さぁみなさん。温かいうちにぜひ召し上がってくださいね」
ではこの決められた運命を覆すにはどうすればいいか。
実は方法はもう考えてある。
状況的にも現実的にも、この方法しかない。
メイドがお茶を運んでくる。
ワゴンの上にあるいくつものティーカップ。
……あれだ。
一つだけ向きがおかしなカップ。おそらくあれに毒が塗られているのだろう。
お茶に毒を仕込むのはリスクが高すぎるが、特定のカップに毒を塗れば、望む人物だけを狙うことができる。
それはメイドに一番近い場所に置かれており、他のカップに隠れ周囲からはよく見えない。
これならそう簡単に気づかれないだろう。
ティーカップにお茶が注がれる。
そしてメイドがそれを彼女の目の前に……
「きゃっ!」
テーブルに置かれる寸前、私はメイドからカップを奪った。
「イ、イリス様!? いったい何を」
「……」
奪った際に多少溢れたが、問題はない。
私は波立つカップを見つめた。
これか。これが私の運命……
「なんて失礼なの! いくら私が男爵令嬢だからってひどいわ!」
毒入りのカップを悪女に奪われたのだ。予定外の行動に焦っているのだろう。
それにしても彼女。
これまでもことあるごとに『男爵令嬢だから』と言っていたが、私からすればそれがなんだというのか。
男爵令嬢だろうが公爵令嬢だろうが、平民だろうが王族だろうがただの人間だというのに。
まぁ焦る気持ちは分かる。
だってこれを飲まなければ、物語は始まらないから。
だけど心配はいらない。だって――
「――物語はちゃんと始まるから」
「えっ」
私は手に持ったカップに口をつけ、くいっとお茶を飲み干した。
「う、嘘……」
驚きに目を見開く彼女。
「……ごほっ」
そして血を吐き倒れる私。
「きゃあーーー!」
血を見たからか、会場にいた令嬢たちが慌てふためいている。
この光景はさぞかし衝撃的だろう。
「どうした!」
するとこの騒ぎを待ち構えていたかのようなタイミングで、ある男が現れた。
今の私の位置からでは、その姿は確認できない。
けれど巻き戻る前の記憶のままなら、その男はおそらく私の婚約者である王太子のはず。
「マリエッタ!」
やはりこの声は王太子に間違いない。
「あ、リ、リチャード様……」
「マリエッタ大丈ぶ……なっ!こ、これは一体……」
その表情は見えないが、どうやら二人は今のこの状況を理解できずにいるらしい。
笑っちゃうわね。
少し物語が変わったくらいで何を焦っているのか。
どうせこのままいっても、悪女の死という結末は変わらないのに。
「ごほっ、ごほっ!」
次々に口から血が溢れる。喉も内蔵も焼けるように痛い。
おそらくこの毒は遅効性の毒。
即効性の毒であれば、自作自演の前に死んでしまうから。
解毒薬は……王太子が持っているのだろう。
できればそれも奪いたいところだが、いかんせん身体がもう動きそうにない。
少しでも可能性は排除しておきたかったが、仕方ない。
「な、なぜ……?」
なぜ毒を飲んだのかって?
どうせ言ったところで、この人たちには理解できないだろう。
私が自ら毒を飲んだ理由。
それは人の手によって悲惨な死を迎えなければならないのなら、己の手で死ぬ。それだけ。
望んでいた平穏とは違う形になってしまったが、死もまた一つの平穏だと思えば案外悪くない。
次第に視界がぼやけ、そして耳も聞こえなくなった。
あとはこのまま死ぬのを待つだけ。
あの男が変な気を起こして解毒薬を使わないことを祈りながら、私は静かに目を閉じた。
◇
「……様、お嬢様」
誰かの声が聞こえる。
声?……ああ、そうか。私は賭けに負けたのか。
残念ながらあのまま死ぬことはできなかったようだ。
自分で毒を飲んだだけなので、毒殺犯だと処刑されることはないはず。
けれどそんなことを仕出かす頭の狂った娘を、父は二度と外に出すことはないだろう。
きっと修道院にでも送り、そこで私は一生を終える。
死に損ねたことで、この先も希望のない世界で行き続けていかなくてはならないらしい。
よほど私は運に見放されているようだ。
運か……私に才能さえあれば……
「いい加減起きてください。学園に遅れてもいいんですか?」
「……え?」
今の……これは夢か、それとも幻か。
閉じていた目を開けると、そこには見慣れた天井が見える。
ここは間違いなく私の部屋だ。でも……
「ほら、さっさと着替えてください。いくら出来損ないだって、それくらいはできるでしょう?」
そう言ってメイドが投げて寄越したのは、真新しい学園の制服。
「嘘……」
信じられない。でもこのメイドが嘘を言っているようにも見えない。
「何をボソボソ言っているんですか」
だけどこのメイド。
以前から手癖が悪く、つい先日宝石を盗んだのがバレてクビになったはず。
それなのになぜここにいるのか。それにこの制服……
にわかには信じられないが、ある一つの可能性。
でももし本当にそうだとすれば辻褄が合う。
「……ねぇ、今日は何年の何月何日だったかしら」
私の予想が当たっていればおそらく……
「はい?とうとう頭までおかしくなりましたか?」
失礼なことを言っているが、ここで無駄なやり取りをするつもりはない。
「いいから答えて」
「っ……デルタ暦三〇五年の四月四日です」
……やっぱり。
たしかその日は学園の入学式だったはず。
だけどそうだとしたらおかしい。
なぜなら私は一年前に、すでに学園を卒業しているから。
「そう……分かったわ。あとは一人で準備できるからもう下がっていいわよ」
「……分かりました」
メイドが出ていき、部屋には私一人。
「っ!」
急ぎベッドから飛び起き、鏡の前へ向かう。
そして鏡に映る己の姿に驚いた。
「……嘘でしょう?こんなことがあるの?」
死を選んだあの時よりも低い身長に、短い髪。それに顔もどことなく幼い。
さらに鏡をよく見る。
すると、ふと瞳に違和感を覚えた。
「何、これ」
瞳に模様のようなものがうっすら見える。
よく見なければ分からない程度。でも間違いなく何かが刻まれている。
「これって……」
生前母に見せてもらった本。
そこにこれとよく似た模様が描かれていた。たしか――
『これはね、魔法使いの力に目覚めた者に現れる印よ』
『まほうつかい?』
『そうよ。なんでも時間を操ることができるんですって』
そう母が言っていた。
魔法使い。
それは遥か昔、世界の覇権を握っていた者たち。
しかしいつしか魔法使いはその数を減らしていき、今やその血を受け継ぐのは母と私のみ。
ただ血を継いでいるだけでは魔法を使うことはできない。
魔法使いになるには、覚醒が必要なのだと。
『でもその方法は永い年月を経て失われてしまったの。あなたのおじい様も亡くなる寸前まで探したけど、結局見つけられなかったわ』
『ねぇ、見つけられなかったらどうなるの?』
幼さ故の純粋な疑問。
見つけられなければ何か恐ろしいことが起きるのか。
だからおじい様は、死の直前までその方法を求めたのかと。
『どうもしないわ』
『?』
『ただ魔法使いがこの世界からいなくなる。それだけよ』
そう言った母は、寂しそうに笑っていた。
当時の私には、なぜ母が笑ったのか分からなかった。
だけど今なら分かる。
母はこの血のせいで、人生をめちゃくちゃにされたのだ。
貴族の生まれではない母が、どうして公爵家に嫁いできたのか疑問だった。
けれどこの血だ。
この血を望んだ強欲な父のせいで、母の人生は壊されてしまったのだ。
そしてそれは私の人生までも……
「ははっ……まさか覚醒の条件が死だったなんてね」
きっと先祖たちは、命の最後の一秒まで必死に方法を探していただろう。
その途中で命を落とした者もいるかもしれない。
けれどそれはその人の寿命であり天命。
だから誰も気づかなかったし、考えもしなかっただろう。
「それも、自分の手で迎える死だなんて」
死を望んだ結果がこれだ。こんな滑稽なことがあるか。
こんな力さえなければ、もっと幸せな人生を歩めたのではないか。
無能だと罵られることも、役立たずだと暴力を振るわれることもはなかったはず。
ましてや悪女に仕立て上げられ、死を望まれることだって。
でもこうして戻ってきてしまった。
この世界最後の魔法使いとして。
また自ら死を選んだとしても、再びここに戻ってくる。そんな予感がする。
それなら今私がやるべきこと、それは……
「【止まれ】」
誰から教わったわけではない。
だけど分かる。これは血に刻まれた記憶とでもいうのか。
時が止まった。
今のうちに服を着替え、荷物をまとめる。
そして動かぬ使用人を横目に、堂々と屋敷から出て行った。
屋敷の門を抜け歩く、歩く、歩く。
今なら父親、婚約者、そしてその恋人……これまで私を貶め嘲笑っていた者たちを、死をもって償わせることもできるだろう。
だけどそうはしない。
だってそんな不毛なことを、わざわざする必要がある?
私が望むのは変わらない。平穏、ただそれだけ。
殺したところで、望むものが手に入るわけでもない。
どうせ私は死を望まれる運命。
だから私から姿を消してあげる。
そうすれば手間が省けるでしょう?
時を止めたまま、歩き続ける。
もうどれくらい時間が経っただろうか。
あの一度きりの魔法には代償がなかった。
けれど今は違う。
魔法を使うには、必ず代償が必要だ。
その代償とは己の時間……要するに命だ。
自分に残された寿命を捧げれば、魔法を使うことができる。
人間、誰しも命が代償と聞けば恐ろしく感じるだろう。
でも私は恐ろしくなんてない。
むしろ自ら命を絶つことができない今、これは救いなのである。
さぁどこへ行こう。
最低でも、あのお茶会のあった十八歳までの寿命はあるはず。
それだけあれば十分だ。
あまり多くは求めない。ただ穏やかな日常さえあればいい。
だから私は歩き続ける。
安息の地を探し求めて。