2. 過酷な教育と課される義務
婚約のお披露目こそされていないが、正式に婚約は成立し国中に周知され、クラリスの王宮通いが始まった。
公爵家でも嫡男である兄と同様に一流の家庭教師が付けられていた。でも王宮での教育はその比ではなかった。
まだ子供と言っていい年頃のクラリスに課せられる過酷な教育。身体的な罰などはないものの、常に厳しい大人に囲まれて緊張感ある中で膨大な知識を詰め込まれる。
できて当たり前、できないと叱責され更に厳しさを増す。忙しなさとプレッシャーと己の不甲斐なさに泣いたことは一度や二度じゃない。
それでも――
「ああ、可愛いクラリス。結婚できる日が楽しみだよ」
彼にほほえまれたら、全て吹き飛んだ。
ローレンスは優しい人で、同い年なのにまるで兄のようにクラリスを気遣ってくれた。王となることが定められている彼はクラリス以上に過酷な教育を受けていて、自分も辛い状況に置かれていたのに。
薔薇の咲く庭園で二人、肩寄せ合って本を読んだ。
噴水の音を聞きながら、この国の問題点について話し合った。
彼の私室で、こぼれる涙をぬぐってもらった。
バルコニーで暮れる夕日を眺めながらダンスの練習をした。
一緒に過ごす時間は、マナーや淑女教育を忘れて、お互い泣いて笑って過ごした。だから、なんとか辛い日々を乗り越えられたのだと思う。
年を重ねて、課されるものは過酷さを増した。
十歳になると王太子教育、王太子妃教育に加えて、大神殿の魔石への魔力供給と地方への視察や神殿への慰問の仕事が加わった。余分に積まれた仕事の分、教育の時間が減るわけもなく、休憩や睡眠の時間が削れらていく。
王太子妃に、ゆくゆくは王妃になるのだからと過酷な状況を受け入れていたが、頭のどこかに違和感はあった。
――王妃はただ静かにほほえみ、そっと王の隣にいるだけで許されるのに。
今代の王が起こした婚約破棄騒動は子の世代のクラリスでも知っているくらいの大事件だ。身分の高い公爵令嬢を切り捨て、傾国の美女と言われる伯爵令嬢を娶った。
政略的に決められた婚約者から気持ちを移し、側妃にするという理知的な選択もとれないくらい王を骨抜きにした王妃はそれはそれは美しい。彼女が嫋やかにほほえめば、誰もが言う事を聞いてしまう。まさに傾国の美女。
だが、それだけだった。
魔力量が並みで、王族の義務である大神殿の魔石への魔力供給もできないし、勉学が苦手で王妃教育どころか王太子妃教育も修了していないと聞く。
王宮で開催される夜会や華やかな行事、諸外国から来る王族や使者の接待で、王の隣りに静かに侍るのみ。本来の王妃がするべき仕事を代わりにするために、王はもちろん配下の者も駆けずり回っていた。そして、そのしわ寄せは子であるローレンスとクラリスにまで及んでいる。
大人である王妃ができなかった王太子妃教育をすごい速度で詰め込まれ、更にはまだ婚約者の立場なのに大神殿の魔石の魔力供給に駆り出され、王が手の回らない外向きの公務が割り振られる。
子供であるクラリスにもわかるくらい理不尽な扱いだった。
「ごめん、クラリス……」
週に一度、大神殿での魔石への魔力供給へと向かう道中、必ずローレンスは謝罪を口にする。
「父上が真実の愛に目覚めてしまったせいで……。クラリスが僕の婚約者に選ばれたせいで……」
不満があっても、クラリス同様、彼らの犠牲者でもあるローレンスから謝罪されると複雑な気持ちになる。
「父上が王としての自覚を持ち、魔力量の多い婚約者と結婚していたら……。側妃や愛妾を持ち、僕以外にも子がたくさんいたら……。そうしたら、僕もクラリスも成人するまで魔石への魔力供給をしなくてもすんだのに」
王宮に併設されている大神殿への道すがら、彼にエスコートされて黙々と歩く。初めの頃は相槌を打っていたけど、まるで贖罪のような彼の言葉を今は黙って聞くだけだ。
――持てる者が与えるべき。
そんな神の教えを遵守しているこの国の王侯貴族の義務が、魔石への魔力供給だ。
世の中には生活を便利にするための魔道具が溢れているが、その動力源がこの魔石に溜められた魔力だ。王族は王都の、貴族は各領地で使われる魔道具の動力となる分、魔力を捧げないといけない。
大神殿の魔石の下に描かれた魔法陣と繋がる魔法陣の描かれた魔法紙を購入し、その魔法紙の上に魔道具を置くと、魔力が補充され繰り返し使用することができる。
動力源と繋がる魔法紙は高価なもので、使用できる地域も限定されている。王族が供給する分は、王宮はもちろん、王都で暮らす貴族や裕福な商人などが使用している。
平民は日常的にその恩恵に預かれることはなかったが、祝事の際には魔道具を使用した光や音のパレードが行われたり、目の前で魔道具により作り出された菓子を振る舞われたりして、その不可思議さと便利さを目にすることができた。
王を王たらしめているのは豊富な魔力量を持ち、王都で使用される魔道具のための魔力供給を行うから。
王族の婚姻では、魔力量の多い子をたくさん産むということが最重要事項。国一番と言われる魔力量を持つ王と並みの魔力量しか持たない王妃は、魔力量の差があるせいなのか子が一人しか生まれなかった。その上、王妃を寵愛する王は側室も愛妾も拒否した。
現在、生存する王族は、引退した皇后と先代の王が異国の踊り子に産ませたという庶子。そして、王と王妃とローレンスのみ。皇后は病に伏していて、魔石の魔力供給はもちろん政や行事にも一切顔を出さない。王の異母兄弟である王弟は行方不明。
さらに魔力量がそれほど多くない王妃に魔力供給させることを王は拒み、一人で魔力供給を行っていた、とされている。実際に王が大部分は担っていたが、密やかに王宮に務める魔法師も交代で魔力供給をしていたという。
そのため今では、まだ成人していないローレンスとクラリスも魔力供給に駆り出されている。本来は体への影響も加味されて成人してから課されるものなのに。
大神殿に着くと、神官に案内され通いなれた廊下を歩く。
「ああ、ローレンスか」
陛下と鉢合わせて、ぼーっとしていたクラリスは慌てて臣下の礼をとった。
「そんなにかしこまらなくていい」
王の言葉に顔を上げる。中性的で優し気な風貌のローレンスと違い、大柄で覇気のある王がクラリスは少し苦手だ。ただ話をしているだけなのに、どこか威圧感がある。王が柔らかい表情を向けるのは王妃だけで、息子であるローレンスにも臣下と同じ位、距離を置いているように見える。
「これから、魔力供給か。励めよ」
「「かしこまりました」」
ローレンスとクラリスの言葉が綺麗に重なる。再び頭を下げている内に王の気配が消えた。マントをひるがえして足早に歩く大きな背中を見送ると、クラリスはため息をついた。
建物の突き当りにある薄暗くて狭い階段を上った先にある狭くて小さな部屋。天井も低く、小さな明り取りの窓しかない殺伐とした空間が、きらびやかな大神殿の屋根裏だとは誰も想像できないだろう。
魔石を誤作動させないように明るさや温度を調整する魔道具が一切置かれておらず、昼間でもどこか薄暗くて空気が淀んでいるように感じる。
部屋いっぱいに描かれた魔法陣の中心にクラリスの身長と同じ位大きな魔石が配置され、それを囲むように半分くらいの大きさの魔石が五個置かれている。
真ん中の大きな魔石の担当は国王陛下。
小さな魔石三個分はローレンス。
残り二個分はクラリス。
言わずもがな、王妃の担当はなし。
薄暗くぼんやりしている空間のなか、真ん中の大きな魔石だけが白い光を強く放っていた。婚約破棄騒動を起こしても王でいられるのは、王国髄一の魔力量を持ち、魔石への魔力供給を恙なく行なっているおかげだ。
他の五個の魔石は淡く発光しているが、どこか弱々しい。光の強さで魔力がどのくらい供給されているかわかる。
目の前にある水晶のように透き通った魔石に手を当てて集中する。クラリスの左手首で金と銀の腕輪が軽い金属音をたてる。未だに目の前の無機物に、魔力を吸われる感覚に慣れない。
魔力供給している時間は苦しくて、ある意味退屈で、どろどろと鬱屈した思考が巡ってしまう。
彼との婚約に不満はない。でも、この状況の理不尽さに叫びたくなる時はある。
――愛に生きた王のせいだ。
そのせいで王太子妃教育を叩きこまれ、退屈でしんどい魔力供給をさせられて、王族の外向きの公務に走り回っている。
――自分は王妃の身代わりで、準王族として飼われている国の生贄だ。
クラリスの婚約が貴族令嬢の義務ならば、なぜ義務を果たさなかった王や王妃が許されているのか? クラリスも美しければ、苦しいことなどなにもせず、ただ彼の隣でほほえんでいるだけで許されたのだろうか?
「クラリス大丈夫? 体調が悪いの?」
隣で魔石に魔力を注いでいたローレンスが一旦、手を止めてこちらを見ている。
「ごめんなさい。なんでもないの。ちょっと、よそ事を考えていただけ」
怒りでお腹の奥がぐらぐらして気持ち悪いだけだ。ローレンスの声に少し怒りが和らぐ。
「本当に? 最近、少し顔色が悪いね。クラリスの分も僕が供給しようか?」
「大丈夫。ただでさえ、ローレンスの方が負担が重いのだから。自分の分くらいはがんばるわ」
こんな時でもクラリスへの思いやりを欠かさない彼に、不平や不満で一杯の自分が恥ずかしくなる。
無言で魔力を供給し続けると、やっと魔石が放つ光が明るくなったので、もう一つの魔石の前へ移動する。二つ目の魔石への魔力補給の途中で、いつも突然体が限界を迎える。頭が鋭く痛み、貧血のようにふらっとする浮遊感が襲う。
すぐに細身だけど逞しい胸に抱き留められる。薔薇の甘い香りに疲れが癒される気がした。
「ありがとう、クラリス。今日はもう十分だろう」
部屋を見渡すと中央の大きな魔石ほどではないが、それを囲む小さな五つの魔石も白く明るい光を放っている。この景色だけは嫌いではない。彼がまとう薔薇の香水の匂いに包まれて、伝わる胸の鼓動を聞いて呼吸を落ち着かせた。
「ありがとう、クラリスが共に励んでくれるから僕もがんばれる。さぁ、部屋に戻ろう」
エスコートしてくれるローレンに支えてもらいながらなんとか歩き、大神殿から王宮のクラリスに与えられた部屋に戻る。
魔力供給を担うようになってから、クラリスは王宮に居を移した。まだ結婚していないので、クラリスが滞在するのは、王族専用のスペースではなく黒の宮の客間だったが満足していた。
家族と離れることに寂しさはない。
父は王宮の要職に就き、嫡男である兄にしか興味のない人だった。母に時折、愚痴めいたものをこぼすと「あなたは恵まれているのよ。励みなさい」と言われるだけ。五歳年上の兄と口をきいた記憶はほとんどない。
国家の頂点に立つ王や王妃が尊敬に値しなくても。家族と疎遠でも。利用され搾取されるような婚約でも。それでもクラリスは幸せだった。隣に共に戦うローレンスがいたから。