レイズを受け入れるヴィル。
ヴィルは、しばらくのあいだ俺の顔をじっと見つめていた。
その瞳の奥には、驚きと安堵、そして――柔らかな何かが混ざっているのが、はっきりと分かる。
「よくやった、レイズ……いや」
一拍置いて、ヴィルは言い直す。
「――おまえ」
そう言って、俺の肩に手を置いた。ぎゅっと力を込められた掌の重みは、厳しさよりも、年長者としての確かな信頼を感じさせるものだった。
「驚くことはない。別の世界から来たという話は、確かに突拍子もない。だが――おまえがここにいて、この屋敷で生きている以上、我々はまず“現実”を受け止めねばならぬ」
ヴィルの声は落ち着いている。
「謝る必要はない。だが、一つだけ覚えておけ」
その眼差しが鋭くなる。
「この体は、ある家の縁者と深く関わる者のものだ。外面での立場、過去の因縁、人間関係――それらは消えない。おまえが誰であれ、外部は“レイズ”としておまえを見る。軽率な振る舞い一つで、屋敷全体が動くこともある。その責任は、おまえの肩にもあると自覚せよ」
「……わかりました」
俺は俯いたまま答えた。
「本当に……すみません。あなたと関わりのある人の体を……乗っ取ってしまって……」
声は震え、視界が滲む。
申し訳なさと、安堵と、整理しきれない感情が胸の奥で絡み合っていた。
ヴィルは、静かに首を振る。
「謝る必要はない。だが、まずは事実の確認だ」
彼は一歩踏み出し、落ち着いた口調で続けた。
「おまえがどれほどの記憶を持っているのか。レイズとしての過去、関係者、知っていることを聞かせてくれ」
その声音には、冷酷さはなかった。
実務的で、そして人を切り捨てない者の優しさがあった。
――この屋敷で長く仕えてきた執事長。
情だけでは務まらず、しかし情を捨てることもできない男。
「ゆっくり話せ。可能な限り正直にだ。分からないことは、分からないと言え。隠し事は許さんが、無理に作り事をする必要もない」
そう言ってから、ほんのわずかに表情を和らげる。
俺は深く息を吸い、胸の中に散らばっていた断片を拾い集めるように語り始めた。
ゲームの知識。
“レイズ”という名の役割。
この世界で耳にした断片的な情報。
そして、自分がここに来た経緯――転生に近い感覚であること、レイズ本人の行方が分からないこと。
話し終えるまで、ヴィルは一言も口を挟まなかった。
ただ静かに頷きながら聞き、表情を変えていく。
険しくなり、
寂しげになり、
そして最後には、何かを決意したように静まった。
「……よかろう」
ヴィルは、低く告げた。
「まずは屋敷での立場を保て。無用な外出は厳禁だ。だが同時に、我々で調べる。屋敷の記録、家の関係者、近隣の動き――私も手を貸す」
「そして――」
一拍、間を置く。
「おまえが“死”を扱えるという事実は、祝福にも、呪いにもなり得る。今はまず、それを制御し、どう扱うかを学べ。心と体を鍛え、屋敷に害が及ばぬようにする」
ヴィルの視線が、真っ直ぐに俺を射抜く。
「私が教えたのは基礎に過ぎん。さらに丁寧に、細かく教える。だが――安易に人前で示すな。分かるか?」
「はい……分かります」
胸を張ったつもりだったが、声はまだ震えていた。
それを見て、ヴィルは短く息を漏らすように笑う。
「よろしい。では、今は休め。夕刻にまた来い。必要なら、相談に乗る者も探そう」
そして、最後に。
「忠告しておく。誰もが善人ではない。おまえを利用しようとする者、恐れて封じようとする者は必ず現れる。信じる相手を見極めるのも、おまえの役目だ」
張り詰めた空気の中で、その温もりは確かな支えだった。
夕刻へ向かい、屋敷の影は長く伸びていく。
だが、俺の胸には小さな決意が芽生えていた。
――ここで、何かを成せるかもしれない。
たとえ他人の体であっても、今はこの命を預かる者として、責任を果たそう。
そう、心に言い聞かせた、そのとき。
ヴィルが、再び口を開いた。
「……おまえが悪しき者でないことは、先の鍛練で理解している」
その一言で、胸の奥がじんと熱くなる。
ヴィルは目を閉じ、先ほどの光景を思い返しているようだった。
失敗を重ねながらも投げ出さず、必死に魔力を扱おうとする俺の姿。
それを叱咤しつつ、導いていた彼自身の姿。
「……あれは、誰が見ても師と弟子だった」
ヴィルは静かに笑う。
「その、真っ直ぐに学ぼうとする姿勢。私は、そこが気に入った」
堪えていた涙が、一気に溢れた。
「ヴィルさまぁぁぁ!!」
叫んだ俺に、ヴィルは木刀の柄で床をコツンと叩く。
「……私は執事長だ。敬称は要らん」
少し照れたように目を逸らし、短く告げた。
「ヴィル、と呼べ」
「……っ、ヴィル!」
俺は涙を拭い、その名を力いっぱい呼んだ。