第24話
「いいか、よく聞け。これが今回の舞台、中立コロニー『タルタロス』だ」
ギデオンがテーブルを指の関節でコツンと叩くと、中央のホログラムプロジェクターが明滅し、薄暗い室内に青白い光の粒子が舞った。
粒子は瞬く間に収束し、一つの巨大な構造物を描き出す。
それは、かつては文明の象徴であったであろう、円柱状のオムニホイール型の宇宙コロニーの姿だった。
だが、今のその姿に「文明」を感じる者はいないだろう。
外壁のあちこちに巨大な風穴が開き、そこから内部の構造材や配管が、内臓をぶちまけたように宇宙空間へと飛び出している。
かつて回転して重力を生み出していたリング部分はひしゃげ、動きを止めている。
死体だ。
これは、宇宙に浮かぶ巨大な鉄の死骸だった。
「現在、タルタロス内部はアビスウォーカーの巣窟と化している。生存者はゼロ。あるのは、無限に増殖するアビスフォーカーの群れだけだ」
ギデオンが不愉快そうに顔をしかめる。
「正面から突っ込めば、数百、数千の化け物に熱烈な歓迎を受けて、骨も残らねえだろうな」
「ひぃぃ……」
その言葉に、部屋の隅でハルが小さく悲鳴を上げ、自分の膝を抱えて縮こまった。
無理もない。
ゴブリンですらあれほどの脅威だったのだ。宇宙に適応した生命体の群れとなれば、想像するだけで胃が痛くなる。
「そこでだ。今回は正面突破じゃねえ。『裏口』からこっそりお邪魔する」
ギデオンはニヤリと笑い、ホログラムの表示を切り替えた。
コロニーの死骸が消え、代わりに一隻の宇宙船の姿が浮かび上がる。
全長八十メートルほど。
鋭角的な船首と、船体各所に配置されたスラスターノズル。
優雅さとは無縁の、実用性と生存性のみを追求した無骨なシルエット。
強襲揚陸船『スターゲイザー』。
ギデオンが船長を務める、俺たちの母艦だ。
「俺の船、『スターゲイザー』にはとっておきの機能がある。……『熱光学迷彩』だ」
「熱光学迷彩だって?」
俺は思わず身を乗り出した。
SFゲームや映画でお馴染みの、姿を消すクローキング技術。 男の子なら誰でも食いつくロマン兵器だ。
「ああ。船体表面の温度を周囲の宇宙空間、つまりマイナス270度付近と完全に同調させ、さらに特殊な偏光フィールドで光を湾曲させて視覚的にも透明化する。こいつを使えば、アビスウォーカーの熱探知も、あの気味の悪い無数の目玉も欺けるはずだ」
「なるほど。ステルスミッションか」
俺のゲーマー魂が反応する。
敵に見つからずに深部へ潜入する緊張感は、派手な撃ち合いとはまた違った独特のヒリつきがある。
『メタルギア』、『スプリンターセル』。
大好きなゲームだ。
「ただし」
ギデオンが表情を引き締める。
「この迷彩を展開できるのは、エネルギー消費の関係で短時間だ。それに、船体から少しでも排熱を出せば、即座にバレる。メインエンジンはカット、慣性航行のみ。生命維持装置もギリギリまで落とす必要がある」
「つまり、死んだふりをして、息を殺して近づくわけか」
「その通りだ。作戦工程はこうだ」
ギデオンが指で空中に軌道を描く。
1.接近
『スターゲイザー』は熱光学迷彩を展開。
慣性航行でアビスウォーカーの警戒網をすり抜け、タルタロスの宇宙港区画にあるエアロックへ接舷する。
2.潜入
アキト(ナイトハウンド)、ハル(タイラント)、レベッカの三機をエアロック内へ降下させる。
3.離脱
船は即座に離脱する。
長居すれば、船の熱量を探知され、アビスウォーカーに囲まれて脱出不可能になるからだ。
「俺たちはアキトたちを降ろした後、一度安圏まで退避する。お前らが目的のチップを回収し、脱出ポイントに到達したという合図を確認次第、全速力で回収に向かう」
「帰り道は迷彩がないのか?」
「ああ、おそらく熱光学迷彩装置の冷却が間に合わない。スピード勝負になる」
「つまり、行きはよいよい、帰りは地獄ってわけか」
俺が要約すると、柱に寄りかかっていたレベッカが冷ややかな視線を向けた。
「帰りの便が来るまで、敵の巣窟で生き延びなきゃいけないってことよ。……怖じ気づいたなら、今のうちに降りたら?」
挑発的な言葉。
だが、その瞳の奥には「降りるなよ」という信頼の色が見え隠れしている。
「まさか。最高の難易度だ」
俺はバイザーの光点を不敵に歪めた。
「敵に見つからず、ダンジョンの最深部でお宝を回収して、追手から逃げながら脱出する。……典型的な『ダンジョン・レイド』だ。燃えないわけがない」
「……その減らず口、いつまで持つかしらね」
レベッカはフンと鼻を鳴らしたが、その口元はわずかに緩んでいた。
ハルはおどおどしながらも、「ぼ、僕も……頑張ります。盾になりますから……!」と小さな拳を握っている。
ユイが、祈るように胸の前で手を組んだ。
彼女の視線が、俺たち一人一人の顔を回る。
「お願いします、アキトさん、皆さん。……そのチップには、アマミヤの研究成果の全てが詰まっています。どうか、会社の未来を……取り戻してきてください」
彼女にとって、それは単なるデータではない。
亡き父の遺産であり、この会社の希望そのものなのだ。
その重みを受け止め、俺は力強く頷いた。
「任せろ。必ず持ち帰る」
ギデオンがパンと手を叩き、ホログラムを消した。
「よし! 作戦開始だ! 野郎ども、準備をして『スターゲイザー』へ乗り込め! 本当の地獄へのクルージングと洒落込もうぜ!」
ギデオンの号令と共に、酒場の空気が一気に熱を帯びた。
俺たちは立ち上がり、それぞれの機体が待つハンガーへと向かった。
***
数十分後。
俺たちは強襲揚陸船『スターゲイザー』の格納庫デッキにいた。
輸送機『バロー』とは比べ物にならない広さだ。
天井は高く、整備用のクレーンアームが血管のように張り巡らされている。
機体固定用のロックに、ハルの『タイラント』が固定されている。
レベッカは今回はスナイパーライフルだけではなく、閉所戦闘用のサブマシンガンを装備して搭乗していた。
床下から微かな振動が伝わってくる。
メインエンジンのアイドリング音だ。
『総員、固定確認。ハッチ閉鎖』
艦内放送でギデオンの声が響く。
『これより本船は出港する。目標、中立コロニー・タルタロス。』
床下から突き上げるような振動と共に、身体がシートに押し付けられる。
重力制御装置が働いているはずだが、それでも完全には殺しきれないGが、これから始まる旅の過酷さを物語っているようだ。
「スターゲイザー、発進!」
管制塔からのクリアランスと同時に、背中を巨人に蹴り飛ばされたような衝撃が走る。
『スターゲイザー』は一気に加速し、駐屯基地のカタパルトから虚空へと射出された。
外部モニターの景色が一変する。
無骨な基地のハンガーや、ジャングルの緑が一瞬で後方へと飛び去り、視界は無限の闇に包まれた。
僅かな振動が座席越しに伝わってくる。
大気圏離脱。
そして数分後。
不意に振動が消えた。
重力の枷が外れ、完全な無重力の浮遊感が訪れる。
モニターに映し出されたのは、息を呑むほどに美しい、宝石を撒き散らしたような星の海だった。
大気というフィルターを通さない、剥き出しの宇宙。
『軌道離脱。これより巡航モードへ移行する』
ギデオンの声は冷静だった。
『目標、タルタロス宙域まで距離800天文単位。通常航行じゃあ日が暮れる。……光速ドライブ、接続』
船内の照明が、赤から深い青へと切り替わる。
キィィィィィン……という高周波音が、鼓膜ではなく骨に直接響いてくる。
空間跳躍エンジンのチャージ音だ。
『カウント3、2、1……ドライブ!』
ドンッ!!
音のない爆発。
視界の中の星々が、一斉に後方へと引き伸ばされ、光のラインとなって流れていく。
光速航行。
物理法則の壁を超え、因果律の彼方へと機体を滑り込ませる超技術。
俺の身体はシートに固定されたままだが、感覚だけが引き伸ばされるような、奇妙な浮遊感に包まれた。
ここから目的地までは、およそ三時間の旅だ。
ゲームならロード画面一回で済む時間だが、この世界ではそうはいかないらしい。
だが、俺にはその待ち時間すらも、重要な儀式のように感じられた。
戦場へ向かう静寂。
嵐の前の静けさ。
俺はシートの中で目を閉じ、イメージトレーニングを繰り返した。
昨日手に入れた身体感覚。
思考加速のトリガー。
それらを反復し、脳髄に刻み込んでいく。
隣のハンガーでは、ハルが何やらブツブツと念仏のように安全祈願を唱えているのが聞こえる。
レベッカは無言のまま、愛銃のスコープを何度も覗き込み、微調整を続けている。
それぞれの三時間が、流れる光の中で過ぎていった。
***
『――減速用意。通常空間へ戻るぞ』
ギデオンのアナウンスで、俺はカッと目を見開いた。
長い瞑想から覚めた僧侶のように、意識は冴え渡っている。
光のラインとなっていた星々が、再び元の点の輝きへと収束していく。
内臓が浮き上がるような浮遊感と共に、光速ドライブが解除された。
続けて、逆噴射のスラスターが作動し、船体に重い制動がかかる。
『スターゲイザー』は、何もない漆黒の宇宙空間で、静かにその歩みを止めた。
『エンジン・カット。慣性航行へ移行』
『……息を潜めるぞ』
船内のあらゆる音が消えた。
俺たちを乗せた鉄の塊は、今、宇宙の闇に溶け込み、幽霊船となって漂っている。
俺は戦術リンク越しにスターゲイザーの外部センサーにアクセスする。
超長距離望遠カメラが、数千キロ先の闇を切り取る。
「……あれか」
そこに、それはあった。
中立コロニー『タルタロス』。
かつては数万人が暮らしたであろう巨大な円筒形の都市。
だが、今の姿はあまりにも無惨だった。
外壁は黒く焼け焦げ、無数の穴が開いている。
本来なら輝いているはずの居住区の窓からは一切の光がなく、代わりに内部で発生した火災の名残か、あるいはアビスウォーカーの光か、不気味な赤い明滅が漏れ出している。
そして何より恐ろしいのは、その周囲だ。
コロニーを取り巻くように、無数の「塵」が舞っている。
いや、塵ではない。
センサーの解析倍率を上げる。
アビスウォーカーの大群だ。
エイ型、虫型、不定形。
様々な形状をした宇宙生命体たちが、腐肉に群がるハエのように、死んだコロニーの周りを旋回している。
その数、数万はくだらないだろう。
一度見つかれば、文字通り骨も残らないだろう。
鉄の墓標。
まさに、冥府の名にふさわしい光景が、俺たちの目の前に鎮座していた。