第31話
VIPルームの空気が、極限まで張り詰めた。
唯一の出入り口である扉の前を、四機の義体が完全に封鎖している。
銃口の先にあるのは、俺たちの眉間だ。
『カウントを始める。……3』
指揮官機の無感情な声が、死へのカウントダウンを刻む。
俺はHUDの戦術解析に視線を走らせた。
敵の装備はサプレッサー付きのアサルトライフルだが、装填されている弾種は通常弾ではない。
『AP(徹甲)弾』。
俺の『ナイトハウンド』のような軽量級の装甲など、紙屑のように貫通する代物だ。
この遮蔽物のない部屋で撃ち合えば、数秒で俺たちは鉄屑の山と化す。
『2』
詰み。
普通ならそう判断する局面だ。
だが、ゲーマーにとっての「詰み」とは、HPがゼロになった瞬間のことだけを指す。
1ドットでも残っていれば、それは「チャンス」だ。
「……分かった、降参だ」
俺は両手を挙げるフリをして、背中のマウントラッチからアタッシュケースを外し、ゆっくりと前に差し出した。
「命までは取らないでくれると嬉しいんだがな」
『賢明な判断だ。……ケースを滑らせろ』
指揮官機が銃口を下げず、わずかに顎をしゃくる。
俺はケースを置くために少し屈み込み――そして、バイザー越しの視線を、凶悪な笑顔の形に歪めた。
「……と言いたいところだが」
俺の足には、強烈なトルクを生み出す人工筋肉がチャージされていた。
「生憎、俺は一度手に入れた宝箱の中身は、死んでも譲れないタチなんだよ!」
ドォォォォンッ!!
炸裂音と共に、俺は目の前にあった巨大なマホガニーのデスクを蹴り上げた。
『ナイトハウンド』の脚力が、数百キロはある高級家具を、まるで発泡スチロールのように宙へと打ち上げる。
巨大な質量弾と化したデスクが、回転しながら入り口の敵部隊へと飛んでいく。
『――散開! 撃ち落とせ!』
指揮官の鋭い指示。
敵の反応速度は異常だった。
動揺する素振りすら見せず、四機が一斉に射撃を開始する。
バラララララッ!
正確無比な集中砲火。
飛来したデスクは空中で木っ端微塵に粉砕され、無数の木片となって床に散らばった。
だが、それで十分だ。
俺が作ったのは、敵の視界を一瞬遮るための「幕」だ。
舞い散る木片の向こうから、敵の制圧射撃が容赦なく襲いかかる。
徹甲弾の雨あられ。
だが、その弾丸が俺たちに届くことはない。
「させませんっ!!」
悲鳴のような絶叫と共に、巨影が俺の前に立ちはだかった。
ハルだ。
彼が駆る『タイラント』が、身の丈ほどもある展開された巨大なタワーシールドを構え、入り口という「点」を物理的に塞いだのだ。
ガガガガガガガッ!!
激しい着弾音が、部屋中に響き渡る。
シールドの表面で火花が散り、装甲板が削れていく。
「ひぃぃぃ! お、音が凄いですぅぅ! 穴開いちゃいますよぉぉ!!」
ハルが泣き言を叫ぶ。
だが、その足は一歩も引いていない。
『タイラント』の足底アンカーが床の絨毯を引き裂きながら、深々と食い込んでいる。
「大丈夫だハル! お前の盾は、その程度じゃ抜けない!」
「い、痛くない……痛くないですぅ……!」
ハルは自己暗示をかけるように呟きながら、必死に盾を支え続けている。
狭い入り口での戦闘において、通路を完全に塞ぐことができるシールダーは、最強の「蓋」となる。
「……ナイスだハル! それから、こいつを食らえッ!」
俺はハルの背後から身を乗り出し、腰のハードポイントから筒状の物体を引き抜いた。
ピンを抜き、敵の足元へと転がす。
カラン……。
乾いた音が、敵指揮官の聴覚センサーに届く。
『グレネード! 退避!』
爆発を予期した敵部隊は、反射的に通路の左右へ散開し、身を隠そうとした。
プロゆえの、正しい反応。
だが、それが狙いだ。
ポンッ。
間の抜けた音と共に、筒から噴き出したのは、殺傷力のある破片ではなく、濃密な白煙だった。
瞬く間に通路が真っ白な闇に包まれる。
これは軍用の特殊スモークだ。
可視光線だけでなく、赤外線やサーマルセンサーすらも阻害し、敵の目と耳を奪う。
『チッ、煙幕か……! センサーを切り替えろ!』
煙の向こうで指揮官の舌打ちが聞こえた。
だが、センサーを調整するその数秒が、勝敗を分かつ。
「今だハル! 突っ込め!!」
俺の号令が飛ぶ。
「ひぃぃぃ! ど、どいてくださぁぁぁい!!」
ハルの悲痛な叫びと共に、『タイラント』の背部メインスラスターが火を噴いた。
床を蹴る爆発的な加速。
数十トンの重量を持つ重装甲機体が、タワーシールドを構えたまま、白煙の向こうの敵陣へ向かって突進する。
それはもはや、格闘戦ではない。
暴走した機関車による交通事故だ。
ドォォォォンッ! ガシャァァァン!
凄まじい衝突音が響いた。
通路へ退避しかけていた敵機体の一体が、煙の中から飛び出してきた鉄の塊に弾き飛ばされ、壁に激突してひしゃげた音が聞こえる。
『ぐあああっ!?』
敵の悲鳴。
フォーメーションが崩壊した。
「行ける! 全員続け!」
ハルがこじ開けた風穴を、俺は『ナイトハウンド』の最大速度で駆け抜ける。
白煙の中、敵の影が横切る。
すれ違いざまに『村雨』を一閃させるが、手応えは浅い。
構うものか、今は脱出が最優先だ。
「邪魔よ!」
続いてレベッカが、サブマシンガンをフルオートでばら撒きながら走り抜ける。
無闇に撃っているわけではない。
敵が体勢を立て直そうとする位置へ的確に弾幕を張り、追撃を遅らせているのだ。
『ちょ、待ってや! 置いてかんといてーな!』
最後にノアが、頭を抱えながら必死に追いかけてくる。
ショットガンを後ろ向きに撃ち放ちながら、彼は煙の海を泳ぎ切った。
---
強行突破は成功した。
俺たちはVIPルームを脱出し、広い廊下へと踊り出た。
ジリリリリリリリッ!
頭上でけたたましい警報音が鳴り響く。
スモークグレネードの煙に反応した火災報知器が作動し、スプリンクラーから水が降り注ぎ始めたのだ。
視界が悪く、床が濡れて滑りやすくなる。
だが、それは追ってくる敵にとっても同じ悪条件だ。
「ノア! ここから宇宙港へ抜けるルートは!?」
俺は走りながら叫んだ。
来た道であるダクトに戻るのは不可能だ。
あんな狭い場所で追いつかれたら終わりだ。
別の脱出ルートが必要だ。
『右や! 右の突き当たりに貨物用の大型エレベーターがある!』
ノアが即座に答える。
『そこなら宇宙港の資材搬入エリアに直結しとる! そこからなら船を呼べるで!』
「右だ! 走れ!」
俺たちは指示通り、右側の通路へと体を向けた。
全力疾走。
機体のスタビライザーが悲鳴を上げるほどの急旋回でコーナーを曲がる。
だが、敵もさるものだ。
タタタタタタッ!
パシュッ、パシュッ!
背後の白煙の中から、体勢を立て直した敵部隊が、怒号と共に追撃してくる気配がする。
銃弾が背後の壁を削り、跳弾が火花を散らす。
「しつこいわね! 本当に!」
レベッカが走りながら背面撃ちで応戦する。
「ハル、殿を頼む! 盾を背負え!」
「は、はいぃぃ! 僕のお尻がハチの巣ですぅぅ!」
ハルはシールドを背中のマウントに固定し、一番後ろを走る。
時折、カンッ、カンッと甲高い音がして、彼の背中の盾が火花を散らす。
まさに「歩く要塞」。
彼の献身的な防御のおかげで、俺たちは被弾することなく突き当たりを目指すことができた。
「見えた、あれだ!」
通路の突き当たり。
そこに、巨大なカーゴエレベーターの隔壁が見えた。
あれに乗れば、宇宙港エリアへ逃げ切れる。
俺は勝利を確信し、加速した。
滑り込むようにエレベーターホールの前で停止する。
だが。
「……ッ!?」
目の前の光景に、俺は息を呑んだ。
エレベーターの巨大な搬入用ゲートは、分厚い緊急閉鎖用シャッターによって完全に閉ざされていた。
それだけではない。
周囲の壁や天井が崩落し、瓦礫がうず高く積もっている。
「レベッカ! 開けられるか!?」
俺は叫びながら、彼女に場所を譲った。
ハッキングで強制開放するしかない。
レベッカは即座に操作盤へと駆け寄り、接続ケーブルを伸ばした。
だが、次の瞬間、彼女は「チッ!」と激しく舌打ちをして、操作盤を拳で叩いた。
「駄目よ! 見て!」
彼女が指差した先。
本来なら接続ポートがあるはずの場所が、無惨に破壊されていた。
銃撃か、あるいは打撃か。
物理的に端子が潰され、スパークすら散っていない。
これではジャックインはおろか、通電すら不可能だ。
「アクセスポートが壊されてるわ! 外部からの制御は一切受け付けない!」
『嘘やろ……!?』
その報告を聞いたノアが、絶望的な声を上げた。
彼は頭を抱え、右往左往するように視線を彷徨わせる。
『アカン、アカンで! ここが通れへんかったら、もう他に道はないんやぞ!』
ノアの悲痛な叫びがホールに反響する。
『完全に袋小路や! 後ろからはあの殺戮マシーンどもが迫っとるんやぞ! どないするんや! どないしたらええんや!!』
パニックに陥るノア。
無理もない。
この道こそが唯一の希望だったのだ。
背後からは、重厚な軍靴の音と、確実な死の気配が迫ってくる。
敵部隊がコーナーを曲がり、俺たちを射程に捉えるまで、あと数秒。
万事休すか。
俺が覚悟を決め、再び『村雨』の柄に手をかけた、その時だった。
ギィ……。
微かな音が、俺の聴覚センサーに引っかかった。
「……え?」
それは、背後から迫る敵の足音ではない。
目の前。
閉ざされた絶望の壁――エレベーターの隔壁の向こう側から聞こえた音だった。
ギギギッ……。
まるで、錆びついた巨人があくびをするような、重苦しい金属の軋み。
何かが、内側から動こうとしているような音。
俺はその音に、賭けてみることにした。