第三話
ブラジェナは鈍い足取りで近付いていく。徐々に話し声が聞き取れるようになった。
「ジーノ様。私達とお話ししませんか?」
「すみません。待ち合わせをしているもので……。」
顔は見えないが、彼女にはジーノが穏やかな声で断っているのが聞こえた。
「数人が嫌なら、私と二人はどうですか?まだ来てないようですし。」
「ちょっと、ずるいわよ。あの私とも……。」
お互いに小突いているのが見える。ジーノが微笑を浮かべたまま応対しているのが分かった。
「そう言う問題では……。」
ブラジェナは顔が引き攣った。間違いなくトラブルになるわ。あの人と?それなら自分達と、って感じに。どうしようかしら。ブラジェナは眉に皺を寄せて考え込む。ジーノももう少し否定したら良いのに。……たまに私に毒を吐く時みたいに。
彼女は顔を俯かせはあ、とため息をついた。そして、右手に力を込めて握る。行くしかないわ。
ブラジェナはコツコツと音を立てて近付いた。複数の視線がこちらを向く。その中の一対の目は彼女を見つけると細められた。
「失礼。」
ジーノは女性達に声をかけると、ブラジェナの方にゆっくり歩いて来た。彼は上着、コートの下にシャツとベスト、ズボンを直用していた。手には黒い鞄。
「お待たせして申し訳ございません。」
いえ、間違いなく待っていたのは貴方でしょうに。ブラジェナは半目になったが、何も指摘しなかった。彼女は女性達の強い視線をビシビシと感じた。あの人が?研究者よ。ああ、あの音痴の……、などと言う声が聞こえる。
ブラジェナは眉間に皺を寄せて彼女達の方を見た。音痴で悪かったわね。でもこれとそれとは関係……ないわ。多分。
ブラジェナと女性達の視線が激しくぶつかり合う中、不意に横からブラジェナの左肩がポン、と叩かれた。彼女は隣の男を見上げる。
「では、合流したので、私はこれで。皆さん、失礼します。」
彼は女性達に笑いかけると、ブラジェナの右の肩を抱いて歩き出した。ちょっと、火に油じゃない。彼女はすぐさま肩に手を伸ばしたが、途中で止まった。そして、スローモーションのような遅い動きで下ろして行った。
後ろから女性達の黄色い声が飛ぶ。ブラジェナに対する不満の声も混じっていた。ブラジェナはジーノに促されるまま、視線を前に固定して遠ざかった。
去り際、ジーノはブラジェナの方を見て、小声で呟いた。
「ブラジェナ様は、声は綺麗なのですが……。歌に関しては正直庇いようがありません。」
ブラジェナは自分の顔が引き攣ったのが分かった。彼女はジーノを睨む。
「貴方まで言わなくて良いわ!」
怒るブラジェナに対して、ジーノは苦笑した。
「申し訳ありません。」
途中、ジーノは立ち止まった。ブラジェナが視線を向けると、彼は杖を取り出していた。杖を振ると、杖先に白い光が灯り、彼女の周りの空気が温かくなった。続いて、彼は魔法を自分にかける。ブラジェナの視線に気付き、彼は微笑を向けた。
「外は寒いですので。」
「ありがとう。」
ブラジェナは笑顔を貼り付け、お礼を言った。
ある程度離れ、二人はベンチの前に立った。ブラジェナはため息をそっとため息をついた。彼女は右肩を見上げる。背中と肩に感じる体温が気になっているのである。彼女は未だに自分の肩で置かれた自分のより大きな右手を睨んだ。あの時はすぐ離すのを我慢したけれど。
「ちょっと、いつまで肩を抱いてるの。護衛以外ではそんなことしたことないのに。止めて。」
「すみません。彼女達から見えなくなるまでは、と思っていたもので。」
ジーノは眉を下げて謝罪すると、すぐに右手を離した。そして、ブラジェナの顔を覗き込むと、笑みを深くする。
「顔が赤いですね。恥ずかしかったんですか?」
「知らないわ。」
笑いを含んだ声。彼女は横に視線を背けた。そんなわけないでしょ。貴方の気のせいよ。彼女は今も尚肩が熱を持っているように感じていた。横からクスクスと言う笑い声が聞こえる。彼女はジーノの肩を軽く押した。彼の身体は少しも揺らぐことはない。悔しい……。彼女はもう一度強めに押した。
ブラジェナは茶色いベンチにジトっとした視線を向けた。ここに隣の人と座るの?何なら今すぐ帰りたい気分だわ。でもそう言う訳にはいかないし……。
彼女は視線を彷徨かせた後、ベンチの正面から見て右端に腰掛けた。茶色の鞄は隣に置く。座面は本来なら冷たい。しかし彼女は保温魔法のおかげでひんやりとしている程度に感じた。目を細めふう、とため息をつく。彼女は心に明るい日差しが差したように感じた。
数秒置いてから、ブラジェナは振動を感じた。彼女は右に視線を向ける。隣にジーノが座っていた。茶色い鞄と彼の黒の鞄が並んでいる。彼は彼女と目が合うと、微笑を向けたのである。
ブラジェナはすぐに本題に入らないことにした。二人は暫く雑談をした。内容は最近の出来事や魔法薬の素材などの仕事関係の話題など様々である。
暫くして、ブラジェナは上に視線を向ける。青い空の中で白い太陽が輝き、自分の存在を主張していた。彼女は目を細め、上を見上げたまま空を指差した。
「ねえ、ジーノ。貴方、魔法なしで空に浮かべる?」
突然の話題に、ジーノが首を捻ったことが彼女は分かった。視界の端で左に座る彼がブラジェナと同じように上を見上げたことが分かる。
「魔法なしで……ですか。難しいですね。跳ぶことは出来るのですが。」
低い声で言うジーノ。ブラジェナは口に手を当てる。彼女の口からふふふ、と笑いが漏れた。流石騎士ね。彼女は左から視線を感じた。
「実はね、一昨日、私面白い夢を見たの。魔法を使わずに空に浮かぶ夢よ。」
ブラジェナは笑顔を浮かべ、明るいトーンで言う。胸の前で手を組む。彼女が顔を横を向けると、続いてジーノと視線が合う。彼は輝かしい笑みである。何その笑顔。嫌な予感。彼はそのまま想像ーいや妄想を語った。
「妖精のように羽を生やしてですか?お可愛いらしかったんでしょうね。」
青紫色の瞳を細めて付け加える。
「是非見てみたかったです。」
ブラジェナは拳を握り、ワナワナと震わした。この人……。彼女は眉を吊り上げ、睨み付けた。
「全然違うわ!羽は生やしてない!宙に浮かんでただけよ!馬鹿にしてるでしょ!」
自分の鞄を後ろに置き、詰め寄るブラジェナ。その勢いにワンピースが揺れる。合間の黒い鞄がジーノの方に傾いた。可愛いとか言われても全然嬉しくないわ!彼は鞄を芝生の上に置いた。そして両手を上げ、眉を下げる。
「いえ、まさか。決して馬鹿にしてるわけではないでは。」
謝罪はしているものの、ブラジェナには目の奥が笑っているように見えた。またそうやって揶揄って……!
暫くして、何とか気分が落ち着いた。ジーノに宥められたのが癪だけど。全くこれじゃ本題に入れないわ。数回深呼吸してから、気分を切り替える。それより夢よ夢。ブラジェナは後ろの鞄を引き寄せ、膝の上に置く。そして手を突っ込み、探った。
「何を探しているんです?」
尋ねるジーノに、ブラジェナは下を向いたまま答える。
「夢の内容を書いた紙よ。昨日起きてすぐに忘れないために紙に書いて、持ち歩いていたの。」
あ、あったわ。ブラジェナは羊皮紙を取り出す。掲げて笑顔で彼に見せた。
「これよ。」
ジーノは羊皮紙に視線を向け、ブラジェナに視線を戻した後、青紫の目を細める。
「ずっと持ち歩いていたんですか?」
ジーノの声色に、ブラジェナの靄がかかった気分になった。何、その笑いを込めた声。また馬鹿にしてるわね。彼女は眉に皺を寄せ、彼に睨みを効かせた。
「そうよ、悪い?」