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妖が見た夢 - 択一~determination~
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妖が見た夢  作者: 柊ノキ
2/10

択一~determination~

(1)


「幽子を助けるですって!?」

 紫の声が上ずる。

 途方も無い話であった。

「そうよ」

 しかし彼女は、さもあたりまえに言ってのける。

 そうだった。この女はこういう奴だった。

 自分の信じるものが絶対の正義だと疑わず、他人からの忠告には耳を貸さない。

 それは誰よりも、紫が良く知っていた。

「断ったら、どうなるの?」

幻想郷(こっち)にも、西行妖があるわよね」

 彼女は、紫の質問には応えてくれなかった。

「冥界の、ある屋敷の郊外に生えているわ。もはや、桜の花を咲かせることは叶わないけれど」

「私が咲かせる」

 この女の言うことは、いちいち紫の気に障る。

 いや。紫だから、過敏になっているのだろう。

「そんなことをしたらどうなるか、わかっているの?」

「知らない。知る必要も無い。私は、幽子に会いたい。幽子を蘇らせたい。それだけ」

「少し、時間をちょうだい」

「決断は、お早めに」

 そして彼女は姿を消した。

 藍が、茶を運んで来た。

 二人分の湯飲みを持て余していたが、とりあえず、紫のまえに茶を置く。

「藍」

「はい」

 紫に手招かれたので、藍は椅子に座った。紫が茶を飲むのを待ってから、自分も湯飲みを口に運ぶ。

「どう、されますか?」

 藍が遠慮がちに聞く。

 紫はなにも言わない。言えない、というほうが正しいのだろう。

「西行妖が開花したら、どうなるのでしょう?」

 それで藍は、質問を変えた。

 紫は、音を立てずにゆっくりと息を吐いてから、

「良いことが起こるはずは無いわね。特に、幽々子の身には」

 濁した表現で、言う。

「では、幽子様を助けた場合は……」

「藍」

「は」

「私にだって、わからないことはあるわ」

「失礼しました」

「いずれにしても、運命は、この妖怪の賢者に決断を迫るつもりのようね」

 紫が椅子から腰を上げる。

 長い金髪が揺れた。

(そのとき私は、大事な友人と幻想郷の秩序とを、天秤にかけないといけないかもしれない)

 それが、とてつもなく残酷なことと知りながら。



 科学技術の発展は、人々の生活に大きな恩恵をもたらした。

 生活の利便性の向上は言うまでも無く、妖怪など、得体の知れない存在も否定された。

 人間は、見えないものを恐れ、現象に名前が付くと安心する習性がある。

 だから、原因不明の事件が起きたなら、妖怪の仕業ということにしていた。

 しかし、妖怪の姿は曖昧で、はっきりしない。姿をとらえることができないから、さらに怖い。

 その恐れが、妖怪を具現化させた。

 妖怪は思念体だ。

 姿形があるようで、実体はあやふや。

 そのため、妖怪が存在しないと信じられれば、妖怪は存在することができない。

 現世で存在を否定された妖怪たちの拠り所になっているのが、幻想郷。

 そこに住まう人間たちが、妖怪を認識することによって、妖怪たちは自我を保つことができる。

 その上空。

 空のはるか彼方には、幽明(ゆうめい)を分かつ門がある。

 そこには、外の世界では薄れてしまった、あの世と、この世という概念があった。

 あの世と呼ばれるのが、冥界。

 地上で亡くなった人間の、霊魂の待機所である。

 昼夜の区別は無く、常に薄暗い。

 集落のようなものも無く、一つの建物があるだけ。

 長い石段を上った先に建っている屋敷を、白玉楼(はくぎょくろう)という。

「妖夢―。おーい、妖夢―」

 幽々子が縁側からその名を呼べば、

「御用ですか?」

 従者はすぐにやって来る。

「庭の手入れの途中なのですが」

 めんどうくさそうにしながら。

「この後、稽古もしたいので、御用があるのならば、手短にお願いします」

 御用があるのならば、と、妖夢が微妙に含みのある言いかたをしたのには、理由がある。

「ふふふ。呼んでみただけ」

 幽々子は、音符が弾むような、嬉しそうな声色で言う。

「またですか」

 この女主人は、たびたびこうして、用事も無いのに妖夢を呼びつける。

「あら? 稽古と私、どちらが大事なの」

「はい。もちろん、幽々子様です」

 抑揚の無い声で、妖夢は応える。

 幽々子の従者という立場上、名前を呼ばれたなら、妖夢は駆けつけざるを得ない。

 掃除中だろうが、剣術の稽古をしていようが、就寝中であっても。どうせまた、用事が無いのに呼ばれてるんだろうなと、わかりきっていても。

「妖夢の顔が、見たくなったのよ」

 ぬけぬけと、そんなことをのたまわる西行寺幽々子。

 白玉楼の女主人にして、冥界の管理人である。






(2)


 道場の神棚に対座して、瞳を閉じる。 

 ひざ元には、大小の木刀。

 ひたすら己に向き合い、ただ、ただ、自らの心の奥へと意識を沈めていく。

 右手に長刀、左手に小太刀を収めて、静かに立ち上がる。

 一礼をしてから、両の太刀を構える。

 妖夢の視線の先には、何者がいるわけでも無い。

 だけど妖夢には、その影がはっきりと見える。

 敬うべき人。

 そして、畏怖と嫉妬の対象。

 老齢だが、体躯はがっしりしていて、腰が据わっている。いつでも打ちかかって来いと言わんばかりに泰然自若としている。

 若いころは、もっと筋肉質だったかもしれない。いまは、筋肉が落ちて、ややほっそりとしているが、そのぶん、無駄が削がれて精練された印象だった。

 背丈は妖夢の倍くらいだ。彼を師匠と仰ぎ、剣術の修行を始めたてのころは、妖夢の何十倍も背が大きく感じたものだった。

 つい、と、かすかに右足を滑らせる。

 腰を落して、長刀を振るう。

 最初は、両手で一本の木刀を握っても、振ることすらままならなかった。

 だから、いつも簡単に真剣を扱っている師匠のことが、化け物のようにも思えた。

 影は、妖夢の斬撃を受け止め、小太刀を繰り出してくる。

「ふっ……!」

 小さく息を吐き、後ろに飛びすさって、宙返りで一回転。なめらかに着地。

 影には……、師匠にはこの動きはできない。小柄な体を活かした、妖夢ならでは動きだからだ。

 道場の床を指先でとらえて、跳躍。

 上段から切りかかる。

 鍛錬を積み、少しずつ刀の扱い方がわかってくると、今度は、師匠の存在が小さくなる。無用に師匠のことを恐れすぎていたのだと。

 だが、実際に師匠と打ちあえば、もののひと太刀で、妖夢の木刀は弾き飛ばされた。

 じんと、手に残る痛み。

 あの痛みは、生涯忘れることは無いだろう。

 影は両刀を交差させて、妖夢の上段切りを防ぐ。

 くるりと空中で一回転をした妖夢が着地した瞬間をねらい、影は太刀を振り下ろしてくる。

 床を蹴って、それをかわす。

 この人には、一つ選択を誤れば、たちまちに負ける。

 ときにその幻影が強大になりすぎ、どうあがいても追いつけないと嘆くときもあって。

 ときにその幻影が脆弱になりすぎ、もはや鍛錬は終わったと過信するときもあって。

 妖夢の鍛錬は、ずっとのその繰り返し。

 剣術の道は、果てしなく長い道のり。

(越える……!)

 この人を越えて行く。

 単に、この影を倒せばいいというものでは無い。

 能力で上回るだけでは意味が無い。

 越えて行くのだ。

 越えて、この先に続く道に足を踏み出す。

(越える、越えてみせるっ……!)

 稽古に熱が入ってきたとき。

「妖夢さん」

 道場に、藍が入ってきた。

 緊張が和らいで、影は消えていく。

 妖夢は、影が去って行くのを、名残惜しく見ていた。

「鍛錬中でしたか。失礼しました」

「いえ。こちらこそ、お構いもせずに失礼しました」

 藍は、道場に入ると神棚に拝礼した。

「良い字ですね」

 神棚の掛け軸には、堂々とした毛筆体で、〈誠心〉と記されてあった。

「師匠の書です」

 褒められると、妖夢は自分のことのように喜んだ。

「ここは、空気が清い」

 藍は、道場を見渡した。

 ほどんと、妖夢のための鍛錬場と言って良かった。

 妖夢は、幽々子の剣術指南役でもあるので、肩書きからすると、幽々子に剣術を教える立場だった。

 ところが妖夢の日常は、幽々子の身の周りの世話と、庭の手入れに終始していて、それがすっかりと馴染んでしまった。

「これだけ立派な道場を、私一人で使うのは、もったい無いのですが……」

「妖忌殿は、隠居されたのでしたよね」

「はい。いつの間にかいなくなっていました」

 道場の主である師匠は、もの心ついたときには隠居をしてしまった。

 それ以来、妖夢は鍛錬を積みながら、この道場を護っているのだった。

「ところで、藍さんは、今日はどんな御用でお越しになったのですか?」

 別段、他意の無い日常会話だった。

「ええと……、それはですね……」

 ところが藍は、どうしたことか、気まずそうに視線をそらした。

「……? 紫様もお越しになられているのですか?」

「あー、えー、ええまぁ、はい。いま、幽々子様とお話をされておりまして……」

 そんなに応えにくい質問をしただろうかと、妖夢は首をかしげた。

 しかし、この藍の様子には既視感がある。

 幽々子に振り回されているときの妖夢と、よく似ているのだ。

 紫と幽々子は、質は違うけれど、なにを考えているのかつかめないときが非常に多い。

(ここは、深く聞かないでおこう)

 そんな主人に仕える苦労は、共有できる。

 なにかと気苦労が耐えない者同士、相身互いである。あんまり藍を困らせるようなことは、したくない。

 妖夢は木刀を手にし、基礎の型を始めた。

 藍は、ほっとして、道場の隅っこに正座した。紫に、妖夢を見張っていろと命じられたに違い無い。

(なるほど。私に聞かれたくない話か。いったい、なにを話してるんだか)

 考えてみたところで、紫と幽々子の頭の中なんて、読めるはずも無い。

 妖夢にしても藍にしても、変わり者の主人を持つと、苦労することばかりだ。






(3)


 日課の鍛錬を終えた妖夢は、自室に戻った。

 藍に、着替えに戻ると告げると、迷っていたふうではあったが、私室にまでくっついてくることはしなかった。

 肌着をたたんで、洗濯籠に置いた。

 短い時間の鍛錬だったが、しっかり動いたので汗をかいた。

 妖夢が素肌をさらすと、白い肌がほんのりと桜色に上気していて、まるで雪が溶けるように、ふつふつと汗が湧いていた。

(本当は、稽古着を使いたいんだけどなぁ……)

 気持ちをきり替える意味でも、剣術の稽古をしているときは着替えたいのだが、さっきのように、いつ幽々子から呼ばれるかわからない。

 だから妖夢は、常に普段着で生活をするようにしていた。

 妖夢は、無垢な乙女を連想させる肌に手ぬぐいをあてて、汗を拭いていった。ふと、その手が左の鎖骨の下で止まった。

 もう傷跡は残っていないが、師匠に、何度かここを刀の先で突かれたことがある。

 いじめられていたわけでは無い。

 いつか真剣で戦うことになったときのために、刀で斬られる痛みを味わっておくこと、血を流しておくことは、刀を持つ者にとって、大事な経験だ。

 それに、刀で斬られる痛みを知っておけば、他人に対して、みだりに刀を向けるようなことはしなくなる。

 まして、師からひき継いだ楼観剣と白楼剣は、魂魄の苗字を授かった者しか扱うことができない、神聖な品だ。

 この刀たちを誰かに向けるときは、己と、そして魂魄の誇りを賭けるときでなければならないのだ。

「妖夢―。妖夢やーい」

 遠くから、幽々子の声が聞こえた。

(またか……)

 と思いながら、

「ただいま参りますー!」

 廊下のかなたへと返事をして、着衣を整えた。

 従者用の部屋を出て草履を履き、主客殿へ。

 本来は、客を迎えるための広間だけど、幽々子はだいたい、そこで食事を摂ったりお茶をしたりしているので、ほとんど幽々子がくつろぐための部屋と化している。

「なにか御用ですか?」

「お腹がすいた」

 間髪を入れず、幽々子はぽんぽんとお腹を叩いて見せてくる。

「そうですか。ちょうど夕餉の支度をするところでしたので、少しお待ちください」

 いちいち言わなくても、妖夢は規則正しく日々の生活を刻んでいるのだから、妖夢がこれから、夕食の準備にとりかかることくらい、幽々子だって知っている。

 これはいつもの、かまって病が発動したのだ。

「そう。それじゃあ、お願いね」

 妖夢の返答に満足したらしく、幽々子はにっこりと笑う。

 主客殿の北の縁側。

 そこは、幽々子が好んでくつろいでいる場所だった。

 庭の木々は妖夢によって手入れされ、白砂を用いて、枯山水が描かれている。

 扇を広げた幽々子は、目を細めて庭を眺めた。

「妖夢の枯山水も、様になってきたわね」

「いえ、私など、まだまだ未熟者です」

 謙遜では無い。

 師である妖忌が整えた庭は、世の中の在りようだとか真理だとか、目で見ることができないものを捉え、それをのびのびと描いているように感じた。だから師が描く枯山水は、とても雄大で、果てが無かった。 

 妖夢が創る庭は、師匠が表現していたものを、どうにか記憶からほじくり出してきて、表面上だけ真似しているにすぎないのだ。

 だから妖夢の描く枯山水は、どこか窮屈で息苦しい。

 剣術にしても同じだ。

 師は、ただ強いというだけでなく、心が優れていた。

 泰然としていて隙が無く、それでいて柔らかい。

 それに比べて妖夢は、まだ、師匠の手のひらの中から抜け出せていなくて、堅苦しい。

「あら。未熟ということを自覚できるのも、立派なことよ」

 笑いながら、幽々子。

「ゆっくり、大きくなったらいいわ。あんまり早く大人になられると、焦っちゃうもの」

「はぁ」

 こういうとき、妖夢は反応に困る。

 幽々子は妖夢の主人だが、たまに、母や姉のような接しかたをしてくる。

 これをされると、こそばゆくなってしまう。

「食事の準備に行ってまいります」

 慇懃無礼に頭を下げて、妖夢は幽々子から離れた。

 その背中が見えなくなるまで、幽々子は妖夢を見つめていた。






(4)


―――剣術は、生きることに似ている―――

 いつだったか、妖忌は妖夢に説いたことがある。

 その意味するところがどこにあるのか、妖夢にはわからなかった。たぶんいまでも、よくわかっていない。

 師匠の説教は、雲をつかむような話ばかりだった。

 あるときは偉大な剣術家で、あるときは優れた芸術家で……。師匠は雲のように、そのときどきで、自由自在に姿を変える。

 その実態は、哲学者のようであり、衆人から離れたところで、世の中の在り様を見守っていた。

 だから、隠居生活というのは、彼にとっての天職だろう。

 剣を握ることも、庭を整えることも、書をしたためることも、師匠にとっては同じことだったのかもしれない。

 表面的に行っていることが違うだけで、変えてはいけない部分は、変わらずにずっとそのままなのだ。

 妖夢は包丁を手に取った。

 今日はやけに、師匠の存在が色濃い。

―――剣術も生きることも、捨てていくこと―――

 妖忌の持論だった。

 剣を握り、誰かと相対すれば、あとは選択の連続。

 自ら仕掛けるか、様子を見るのか、相手の刀を受けるのか避けるのか、避けるのならば、どの方向に避けるのか……。

 複数あるうちの選択肢から、一つを選ぶということは、他に浮かんだ選択肢を捨てるということなのだと、師匠は説いた。

 捨てて、捨てて、最後に残るのは、「するべきこと」と、「こうしたい」の二択。

「するべきこと」を選択するということは、「こうしたい」という自分を殺すこと。非情の選択と言うこともできる。

「こうしたい」を選択するということは、欲求に応えるということ。情に流されているとも言える。

(頭がこんがらがりそうになって、私は聞いたっけ)

 どっちが正解なの?

 純粋な妖夢の疑問に、師匠は笑みを返してよこしただけだった。

 正解は、いまもってわからない。

「妖夢」

「紫様」

 ひょっこりと、紫が厨房にやって来た。

 この御仁は、いつも神出鬼没である。

 藍は従えていなかった。

「御用は済んだのですか?」

 その用事が、幽々子となにかの内緒話をすることだと知っていたが、藪蛇を突くのは嫌なので、あえて深掘りはしなかった。

「ええ。お邪魔したわね」

「お帰りですか? いま夕餉の支度を整えますので、召し上がっていらしてください」

「ありがとう。でも今日は帰るわ。貴女のことだから、気を遣って私たちのぶんまで食事を用意してしまいそうだから、断りに来たのよ」

「それは、わざわざ申し訳ありません。またの機会に、ぜひ」

「そうね……」

 紫の顔に、陰りが見えた。

 腹の内を他人に見せることが少ない彼女にしては、異例のことだった。

「また、ね」

 含みを感じたが、その奥にあるものがなんなのか、妖夢にはわからなかった。

「藍。藍やーい。帰るわよー」

 そして紫は、白玉楼のどこかにいるであろう藍を呼んだ。

 妖夢を呼ぶときの幽々子にそっくりだった。

 胸に、奇妙な哀愁が漂った。






(5)


 庭の塀の向こう側には、数えきれないほどの桜の木が植えられており、その桜も楽しみながら酒を嗜むのが、幽々子は好きだった。

 桜はやっと蕾を膨らませ始めたくらい。花見をするのには尚早である。

 それでも幽々子は、妖夢が料理を運んでいる間も、縁側の座布団の上でたそがれて、一分咲きとも言うことができない、桜の木々を眺めていた。

 横顔を覗く。

 その瞳に映っているものは、なんだろう。

「お待たせしました」

 妖夢の声に反応した幽々子は、まるで、眠っていたところを起こされたようだった。

 幽々子はさっきまで、どこに行っていたのだろうか。もしかしたら、幽々子自身、わかっていないのかもしれない。

 幽々子は、幼子のように立ち振る舞うことが多いけれど、ときおり、浮世離れした雰囲気に包まれることがある。

「ほうほうほう。山菜料理が中心ね。さすが妖夢、わかってるわ~」

 膳の用意ができると、幽々子は満足気に手を合わせた。

 つくしの佃煮。

 菜花としめじの辛子醤油和え。

 こごみのクルミ和え。

 タラの芽の天ぷら。

 セリと人参のおひたし。

 早春の山菜料理である。

 そしてセリの根っこは別の皿に配膳して、わさび醤油を添えた。

 このセリの根の土っぽさが、幽々子は好きだった。

 こいつをサッと茹でて、わさび醤油でいただくのが至高。

 と舌なめずりをせんばかりに、瞳を爛々と輝かせている幽々子は、大食漢のうえに雑食というわけではなく、食にやかましいので、妖夢も苦労なのである。

「それじゃ、いただきまーす」

 さっそく幽々子は、料理に箸を伸ばした。

 一杯めの酒だけをお酌して、妖夢は幽々子の後ろに座る。

 そこには、幽々子と同じ内容の料理が並んでいる。幽々子に遠慮して、食器は幽々子が使っているものより、質が一段劣るものを使用することにしていた。

 主人と従者という関係なので、別々の場所で食事をしたほうが良いのではと妖夢は思うのだが、幽々子はそれを激しく嫌がるので、食事を共にしている。

(存外、さみしがりやなのかな?)

 上機嫌で料理に舌鼓を打っている、幽々子の背中を見やる。

 この奔放な女主人に仕えて、どれくらいになっただろうか。

 妖夢は半分人間で半分妖怪だし、幽々子に至っては、死ぬことが無い亡霊だし、常に薄暗い冥界で生活しているから、時間の感覚がおかしくなる。

(それにしても、ワカメはおいしいな)

 最近、よく膳に並ぶことが多いのが、ワカメのふき味噌和えである。

 幻想郷には海が無いので、海藻という食べものはとても貴重で、藍に分けてもらったものを、大事に保管している。

 このワカメに、八丁味噌で作ったふき味噌を合わせれば、味噌の甘さとふきのとうの苦さ、そしてワカメのシコシコとした触感が混ざり合って旨い。

 幽々子が気に入っているのを良いことに、妖夢も相伴にあずかっている。

 こういう渋い料理が旨いと思えるくらいには、妖夢は大人になったようだ。

 これから先、どのくらいの年月を、幽々子と共に過ごすことができるだろう。

 半人である妖夢は、いずれ歳をとって、人間と同じように人生を終える。

 それは、普通の人間にとっては、途方も無いほど長い時間なのだろうけれど、妖夢たちにとっては、一瞬の歳月。

「願わくは、花の(もと)にて春死なん……」

 お酒が入って、さらに機嫌が良くなった幽々子は、歌を詠んだ。

 澄んだ美しい声が、冥界の空に吸い込まれていった。






(6)


 妖夢は箸を動かす手を止めて、幽々子の歌に聞き入っていた。

 願わくは、桜の下にて春死なん……。

 それは、桜を愛した有名な歌人が読んだ歌。

 もしも願いが叶うのであれば、人生を終えるそのときは、美しく咲き誇る桜の下にいたいものだ。という心境を表現した歌だった。

 人生を悲観して、桜の下で生を終えてしまいたいという意味では無い。

 いかに前向きに生きるべきか、いかに自分を満足させるか、という歌であると妖夢には感じる。

 人はいずれ、生を終える。

 半人である妖夢も例外では無い。

 生きる、ということは、様々な選択をするということ。

 どの選択が正解なのかわからないままに、選択を迫られる。

 暗中模索の中で、唯一、はっきりとしていることは、生まれたからには、いつか人生を終わらせなければならないということだ。

(できれば、そのときを悔い無く迎えたいものだな)

 妖夢は食事を再開した。

 桜の下にて春死なん。

 あなたは、どのように生きて、どのように死ぬのですか?

 この歌は、そんな問いかけであるのかもしれない。

 妖夢のこの先の人生は、どうなるのだろう。

 未熟者の自分には、どうやって人生を終えたいなど、まだ考えられない。

 いまは、目のまえの日々をこなすことで手一杯だ。

「妖夢ぅ。一杯どぉ?」

「あ、おそれいります」

 酒を呑んで、いい具合にできあがった幽々子に、酒を勧められた。

 幽々子はできあがると、高確率で妖夢に酒を勧めてくる。

 妖夢も酒は嫌いでは無いので、酌を断ることはしないが、

「でも、この後に片づけがありますので、あまり深酒はできませんよ」

 と釘だけはさしておく。

 酔っぱらって、そのまま眠ってしまってもかまわない幽々子とは違い、妖夢には仕事が残っているのだから。

「いいじゃない、たまには潰れるまで呑みましょうよー」

「はいはい」

 幽々子の酌を受けて盃をかたむけた。

 言われたことは真に受けず、ちびちびと丁寧に酒を体内に流し込む。

「なによその吞みっぷりは。ぐいっといきなさいよ、ぐいっと。貴女、妖忌の孫でしょ」

「私は師匠ほど、酒豪じゃありません」

 妖忌は、いくら酒を呑んでもけろっとしている、うわばみとかザルとか呼ばれる人種だった。酒は好きだが、そこまでの特異体質では無い。

(あ……、れ……?)

 指先から力が抜けかかった。

 盃の中の酒が揺れる。

 危うく酒をこぼすところだった。

(めまい……?) 

 違う。

 じんわりと体が温かくなってきて、気持ちが良い。

 その気持ち良さに抗えず、まぶたが落ちてきてしまう。

 睡魔だ。

 抗いようの無い心地よさに、体が左右に揺れた。

 すると幽々子が振り返る。

 まぶたが完全に閉じきるそのとき。

 お、や、す、み。

 幽々子の唇がゆっくりと動いて、そう伝えてきたのを理解したそのとき、妖夢の意識はぷっつりと切れた。






(7)


 前のめりに倒れ込みそうになった妖夢の体を、幽々子は抱きとめる。

「上手くいったわよ、紫」

 廊下の曲がり角から、帰ったはずの紫が現われた。

 顔には、憂いの色が滲んでいる。

「ふふふ。どんな夢を見ているのかしらね」

 妖夢の頭を膝の上に乗せて、幽々子は愛おしそうに、妖夢の銀髪を指で梳いた。

「白玉楼に仕え始めたころは、あんなに小さかったのに。もうこんなに大きくなって……。きっと、すぐに歳を取っちゃうんでしょうね」

「幽々子……」

 紫は申し訳なさそうに、幽々子と妖夢を見下ろした。

「本当に、いいの?」

 それは罪悪感からで無く、迷いから出た言葉だった。

 幽々子が断れば、いかに紫であっても、この件を強引に推し進めることはできない。

 心の片隅に、幽々子に断って欲しいという気持ちがあることは否めなかった。

 しかし幽々子は、明るく笑う。

「紫のすることだもの。なにか理由があるんでしょ」

 幽々子とは目を合わせないようにして、眠っている妖夢を両手で抱える。

「それじゃあ、約束どおり、しばらくの間、妖夢を借りるわね。妖夢がいない間のことは、藍に任せてあるから」

 幽々子に背を向ける。

「幽々子」

「なぁに?」

「いえ……、なんでも無いわ」

 謝罪の言葉が口から出かかったが、こらえた。

 己の非を認めてしまったら、なにもできなくなってしまうから。

 


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