第62話 裂け目と包囲戦の夜明け
ドコバル城の門が重く開かれ、敗走の末に戻ったジンビ王国軍の将軍――ドュランが、血と煤にまみれた姿でゆっくりと城内へ歩を進めていた。
彼の足取りは重く、片腕は吊られ、目には深い疲労が浮かんでいた。
それを迎えたのは、怒りを露わにした国王ガリ・ジンビである。
「……よく戻って来られたな! 何もかもを失って、なお命惜しさに戻ったというのか?」
ドュランは何も言わず、まっすぐに頭を下げた。
「弁明は……ありません。すべては、私の戦略の誤り。敗北の責は、甘んじて受けます」
「ならば牢に入れ!」
一喝と同時に、衛兵がドュランを取り囲む。
「戦に敗れた者に発言権はない。貴様はしばし謹慎とし、地下牢に籠もるがいい」
抵抗もせず、ドュランはそのまま引かれていった。
その光景を、周りにいた将校たちが顔を見合わせ、小さな声でつぶやく。
「……あれほど忠義を尽くした男に、あの仕打ちか」
「このままでは我々も、いずれ粛清の対象になる」
「……もはや、国王は見誤っておられる」
誰ともなく、そう呟いた言葉が、重く空気に沈んでいった。
それは、ジンビ王国軍内部に小さくとも確実な「裂け目」が生まれた瞬間だった。
まもなくして、ムロロン国からの使者がドコバル城を訪れた。
和平交渉の文書を携えたその使者は、ミノタウロスの老兵で、武器も持たず、慎重な足取りで正門前に立った。
「ムロロン王国・ガルマ王より、和平の使いとして遣わされた者です。我らはこの地に、未来を――」
バシュッ!
弓の音が、言葉を遮った。
矢が使者の肩に突き刺さる。地面に膝をついた彼に、ガリ・ジンビの怒声が浴びせられた。
「貴様らの王に伝えろ! これは我らの答えだ! 和平など不要! ジンビ族は戦って死ぬ!」
傷を押さえながら、使者はそれでも立ち上がり、門背を向けて城を去った。
その背にはもう一本、矢が射られたが、外れた。
誰かがそっと弓を逸らしたようだった。
その報せは、ドコバル城から数日歩いた場所に設置された。三連合軍の野営地に届いた。
衛兵が血に染まった和平文書を手に、ガルマ王の天幕に静かに差し出す。
王はそれを目にし、短く吐息を漏らした。
「……そうか。ならば、もはや言葉は通じぬ」
すでにガルマの脳裏には、次の一手が描かれていた。
「全軍に伝えよ。ドコバル城へ進軍する」
将軍バルザークは、無言でそれに従った。
誰もが、もはや戦以外に道がないことを悟っていた。
そして、ドコバル城を望む丘に、連合軍の軍勢が姿を現す。
万を超える軍勢が、秩序を保ったまま静かに布陣する。
その夜――
ドコバル城内では、一部の将校たちが密かに動き出していた。
彼らは、密かにドコバル城を抜け出し、ガルマ王の陣に白旗を掲げて接触する。
「お願いです。将軍ドュランを……あの方だけは、助けてください」
ガルマ王は、黙して聞き、その目を細めた。
「……城内に手引きする代わり、ドュラン将軍の命を保証せよ。そういうことか」
「はい。彼は……まだ我らの未来を見据えているのです」
ガルマ王は頷いた。
「分かった。誓いを立てよう。我が軍は、ドュランの命を守る」
翌朝――
国王ガリ・ジンビは、寝室の窓辺で目を覚ました。
しかし城壁の外を見たその瞬間、血の気が引いた。
周囲を取り囲む、無数の連合軍旗。空に舞うは、ムロロン、ムーカワ、シュンカクの三つ巴の軍旗。
ドコバル城の全方位が、完全に包囲されていた。
そして、その直後――
「国王ッ!」
息を切らした兵士が駆け込んできた。
「ダルグ砦に送った兵より報せが……上級悪魔モンテ殿は……すでに撤退したとのことです!」
「……なに?」
「……逃げた、とのことです……」
ガリの手が震えた。
「モンテが……? あのモンテが……!?」
やがて、彼は崩れ落ちるようにその場に膝をついた。
城は包囲され、盟友は逃げ、民も兵もすでに心を失いかけていた。
ジンビ族の誇りは、今まさに試されようとしていた。